風≠つくるのは、いつも左翼マスコミ。その風≠ノ頼っているから、いつしか風前の灯火≠ナ終わる?! (7998) |
- 日時:2017年10月27日 (金) 13時07分
名前:破邪顕正
なぜ、「希望の党」は、棄望の党≠ノなったのか。
それは一にかかって、左翼マスコミに嫌われたからに他なりません。
左翼マスコミにとっての狙いは、都議選の再来にあった。
「希望の党」ならば、安倍一強¢フ制にくさびを打ち込み、あわよくば、安倍退陣へと追い込める…。
ところが、「希望の党」は左翼マスコミが忌み嫌う「憲法改正」「安保法賛成」を踏み絵にしてしまった。
これでは、自民党の補完勢力でしかないではないか。
で、ご存じのように掌返しがはじまり、左翼マスコミは「希望の党」を攻撃し、その反対に「立憲民主党」を持ち上げたというわけです。
この左翼マスコミがつくりあげた風≠ノよって、「立憲民主党」が、いつの間にか野党第一党にまで上り詰めた…。
これが、今回の総選挙の一つの特徴ではなかったか。
ところで、この風≠ノついて、『維摩経解釈』はこう言います。
《風を捉えて見て、此処に風があるかといえばない。
風は歇(や)んでしまったら、今、吹いていた風は何処へ往ったか捉えようと思ってもない。
ないものはないのである。》(329頁)
今は「立憲民主党」に風が吹いているようでも、その本性は、万年野党であった旧社会党のそれを引きずっていますから、政権の受け皿になるような、そんな台風の目≠ノなることはないと私は見ています。
反対のための反対野党。
そこでしか自らのを生きる道を作り得ないところに、自ずから「立憲民主党」の限界がある…。
そして、それは、如何に左翼マスコミの力をもってしても一過性の風≠ナ終わる…。
もっと言うならば、日本を取り巻く諸状況が、いつまでも、その風≠許しはしないし、状況によってはいつでも逆風に変えてしまうということなのです。
「平和憲法」というお花畑≠ナ惰眠を貪ることのできた時代はとうに過ぎた…。
そのリアルな状況認識から出発しない限り、政権を担い得るような政党にはなりえないと私は予見しています。
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