尊師谷口雅春先生・谷口清超先生共著<苦難と恐怖の克服法>(人間救いの原理)⑧ (7607) |
- 日時:2017年09月15日 (金) 05時43分
名前:平賀玄米
二 世界を霊的存在だと知ること
何よりも先ず吾々は、この世界を頑として崩壊せしめ難き障壁の観を呈している物質として見ないで、霊的法則によって支配されている霊的存在であると見なければなりません。そして人間をば、その法則を知る事によって宇宙の力を自己の欲する形に、欲する方向に流動せしめ、形成せしめ得るところの自主的存在者だと観なければなりません。
三 世界を「一(ひとつ)」として観ること
ばらばらの世界観、二元的又は、多元的な世界観を持ってはなりません。霊なる神のみが実在であり、世界のあらゆる事物は、渾然として「一(ひとつ)」の神の愛と智慧とによって支配されているのであり、存在するすべては無機物たると有機物たると、微生物たると、昆虫たると、地に這う爬虫類たると、哺乳動物たるとを問わず、悉く、すべて「一」なる「善」なる神の生み給うた子であって、そこには何等「悪意ある対立」は存在しない。
悪魔と云う様なものも、悪霊と云う様なものも、病的寄生虫や病菌などと云うものも、如何にそれらが現象的には現れて見えようとも本当は存在しないのであって、一切の事物と、生物とは、渾然と「一」なる神の愛に結ばれているのであると云う「實相」を理解して、すべての事物とすべての生き物とに和解しなければならないのであります。即ちこれが、生長の家の根本神示「天地一切のものと和解せよ」に当たるのであります。
四 神は善であると信ずること
世界の根源が神であり、神が善であるとわかりましたならば、そして神のみがすべての渾てであるとわかりましたならば、世の中に悪意ある対立等はあり様がないのであります。「敵がない」と云う人生観にならなければなりません。「敵がある」と云う人生観に立っている限り、自分の妄想によって、「敵」を描き、描くが故にその「敵」が現実にあらわれ、遂にその敵のために敗北せしめられると云うことになるのは、太平洋戦争の実例によって明らかなことであります。
「敵」だと思えば、敵でないものが敵として現れてまいります。すべての存在は「敵」ではない。「善意」と「愛」とをもって吾々に何かを互いに貢献し協力すべく与えられているところの存在であると信じ、現実に「敵」とあらわれていましても、それは敵ではないとして「實相」の善を信頼して厚遇していますと、味方となって現れて来るのであります。
敵があると信じ、不調和が存在すると信じ、それに対して身構えすることは、神の善とその無限力とを信じないところの神に対する不敬の罪だと言わなければならないのです。
つづく
<平成29年9月15日 謹写> ありがとうございます 合掌。
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