| 旭川慰霊碑中国人烈士とは捕虜及び囚人だ! (6897) |
- 日時:2017年07月06日 (木) 21時46分
名前:童子
そよ風http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/51885763.html
毎年7月7日に行われる東川町の反日慰霊祭。
ソ連抑留者のなかから選りすぐった共産主義者を撫順に集めて、洗脳教育を施され日本国内に共産革命を起こさせようと放たれたの中帰連のメンバーです。
そのメンバーが市役所に潜り込み時の自民党市長をたぶらかして建てたのが東川町の共同墓地の入り口にある反日慰霊碑です。
毎年毎年、史実とはまったくかけ離れた日本を、そして日本国民を貶める慰霊祭の追悼文を聞かされる背後の墓石の下に眠るご先祖様は浮かばれません。
盧溝橋事件は国民党軍と関東軍を戦わせて漁夫の利を得ようとした中共軍の謀略であったことは歴史的に明らかになっています。
慰霊碑に祭られている方々は、ほかならぬ中共軍の犠牲者と言っても過言ではありません。
的場光昭氏投稿文(こっまた北海道新聞の掲示板より)
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北海道中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭in旭川
今年7月7日、北海道旭川で中国人強制連行事件殉難烈士慰霊祭なるものが開かれました。
上川郡東川町東14号共同墓地で、慰霊祭は第44回目。 東川町長松岡市郎氏も出席し、西川将人旭川市長のメッセージが読み上げられ、NHKの取材も入り、当日の全国ニュースで放送されました。
この碑を建てた団体の資料によると強制労働されてきた多くの中国人が僅かな量の、小麦粉のだんごや、野さいのおかずだけで空腹にたえなければならず、日本人監視のもとに、針金や丸棒のムチで打たれながら強制労働をさせられていた。
残酷なリンチに苛酷な労働は、栄養失調と過労の肉体を自然にむしばみ はじめ、病人は食べるものも満足にあたえられず、ただ部屋の中のうすい毛布でうずくまっているだけでした。こうした強制労働とリンチの悲惨な結果は多くの犠牲者を死にいたらしめ、その殉難者は88名だった と書かれています。 彼等の主張の詳細はこちら。
http://www.tao-clinic.com/blog00.php?cat=4&id=1494
しかし、的場光昭氏の調査によると、この碑文には 「1944年(昭和19年)9月から」 と記されており、外務省の公式資料によると東川町へ強制連行されたのは華北労工協会扱いによる訓練生である。
訓練生とは八路軍(共産党軍)の捕虜・帰順兵・武装盗賊団・囚人である。
さらに、東川町の町史等には、華人捕虜、中国人捕虜と明記されている。 「88名の中国烈士とは即刻88名の捕虜及び囚人と書き改めなければならない」 (以上月刊正論より) とのこと。
ちなみに、当時の北海道は、朝鮮人出稼ぎ労働者の人気の場所だったのです。 なぜなら出稼ぎ労働者の賃金は、当時陸軍下士官の給与が20円から75円であったのに対し当時の巡査の4倍にあたる、150円から180円だったとも言われています。
以下、そよ風の記事をご覧ください。 http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/51874921.html http://blog.livedoor.jp/soyokaze2009/archives/51881541.html
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