| 原告側の証言内容 (6793) |
- 日時:2017年06月27日 (火) 00時29分
名前:童子
2)証人・神垣宏氏 (碑を守る会事務局長の1人。 除幕式の司会者を務めた)
* 公園施設設置許可に関する細部事項の 「宗教的・政治的行事及び管理を行わないものとする」 の “政治的行事” についての定義は県から示されなかったが、どんなものか認識したかという問いに対し、「考える余地がなかった」 と述べた。
* 設置場所を群馬の森としたのは旧陸軍の戦争遺跡であり、ふさわしいから。
* 県との交渉は1999年から開始し、2001年2月委員会で趣旨採択され、その後、当時の副知事と面談し、了解をもらう。
* 碑の形状や碑名など、県との調整の課題があったが、最大の課題は建てる会 (現・守る会) の団体名、希望碑文には “強制連行” “強制” という日本政府が認めてない言葉が入っていたことで、県は外務省と相談の上、“労務動員” に置き換えた。
* ”強制連行” は入れられなかったが、県との協議で作成された碑文を受け入れたのは、“労務動員” の中に “強制連行” も含まれると言われたから。
* 碑設置の目的は犠牲者の追悼と事実の記録、全国に知らしめること。
* 守る会の会員は500~600人。
* 朝鮮総連幹部の 「朝日国交の早期回復」 「南北の自主的統一」 「朝鮮学校だけが無償化から除外されているのは差別だ」 「民族教育の抹殺」 「日本政府の謝罪と賠償を求める」 といった発言が政治的行事に当たるという条件と関連づけて考えたことはなかった。
* 2013年末、県から、4回の追悼集会での発言に関する報告書が送られてきたが、そのときは内容について詳細に確認しなかった。
* 政治的行事の解釈は “加害” と “被害 ”のとらえ方によって異なると考える。
* 不許可処分決定を受けるまで、県から政治的発言を指摘されたことはなかった。 設置にはあしかけ4年かかった。 群馬県民の誇りや表現の自由を奪うなという思い。
* 「イデオロギーや政治性、党派性をどう理解しているか」 という問いに対し、「政治的、宗教的とは何かも考えなかったし、県に問い合わせもしなかった。 2013年10月25日に全項目合意ができると確認し、守れると考え、占有手続をした。 細部事項と追悼式でやっていることとの関係は深く考えなかったし、県に説明も求めなかった」。
* 塩田裁判長に、「碑文の内容の打ち合わせで、当初の団体名 『群馬県朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者の追悼碑をつくる会』 や希望碑文に強制連行、強制という文言が入っていることで修正が求められた。 県は外務省に問い合わせた結果、強制連行という言葉は公的用語として使われてないため、労務動員という言葉になり、建てる会は修正に応じた。 県の問題意識がどこにあるかを考えたことがあるか」 と問われ、神垣証人は、「碑が政治性を帯びるとは考えなかった。 細部事項の条件と碑とはあまり関係ないと考えたので、県に問い合わせしなかった。 追悼行事の性格に触れるとは思わなかった」 「過去の “事実” を広く知らせるために碑を建てたが、それは政治的ではないと考える」と証言。
また、裁判長は、「修正後の碑文は県としてギリギリのラインと理解したか」 との問いには、「条件からはずれるとますいとは考えた」 と証言。
* 除幕式では司会を務めた。 中山敏雄委員 (碑の設計監理者) の 「碑文に謝罪の言葉がない」 という発言は、式典後の別会場の集いで行われたと気づいたのは、裁判が始まってから (裁判開始から約2年後に “自白の撤回” をした)。
* 除幕式での 「強制連行を全国に知らせ、正しい歴史認識を広めよう」 という発言は碑文とは相いれないが、問題はないと考える。
* 県が“強制連行”という言葉に気をつけていたことは認識していたが、森野共同代表の 「日本はアジアを侵略し、今もアジアで孤立している」 といった発言には何ら問題ないし、一つ一つの発言を問題としてとらえない。
* 来賓が何を言ってもかまわないとは思わないが、必要なら制約を考えたい。
* 除幕式のときから “強制” という発言があったが、式典でどういう言葉を使っているかは意識していなかったし、来賓の発言はコントロールできない。
* 提出された守る会の会則は年月日が入っていない。 会設立当時につくられたのではなく、最近つくられたのではないかと被告側弁護士から指摘され、その事実を認めた。
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るる述べられた2証人の証言を聞いて、双方に落ち度があり、設置不許可決定、裁判に至ったと考えます。
被告・県側は、平成24年5月15日の朝鮮新報の記事から設置許可更新不許可までの約1年半、「政治的行事」 の確認と指導を行わなかったことが問題とされました。
原告・碑を守る会は、“政治的行事” の定義や意味を確認しなかったこと、問題とされた “強制連行” や “謝罪と賠償”、“朝鮮学校の無償化” といった発言は、来賓、会の役員の発言であっても、政治的だとはつゆほども思ってなかったことです。
これは認識のずれというよりも、そもそも県有地にイデオロギー色の濃い碑が存在すること自体が論争を招いていること、碑がもともと日本政府糾弾と謝罪と賠償を求める意図で建立されたことが図らずも明らかにされました。
県側はこれまで書類による弁論のみを行ってきましたが、今回尋問に立った若い男性弁護士が原告側証人を徐々に問い詰める様子が見事で、法廷ドラマのような緊迫感があり、原告側弁護団は頭を抱えていました。
次回は7月19日(水)、午後1時45分開廷で、茂原前副知事が証人として立ちます。
群馬の森の朝鮮人碑の撤去を求める県民の会 会長 佐藤みずえ

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