| 『創刊号』誕生の背景を知れば、立教記念日にヒルクライムはないでしょう! (606) |
- 日時:2016年03月02日 (水) 09時25分
名前:破邪顕正
表題は、谷口輝子先生著『めざめゆく魂』を拝読しての率直な感想です。
ご存知のように、谷口雅春先生が『生長の家』誌の発刊を決意されたのは、昭和4年12月13日、2回目の泥棒に入られたときのことでした。
そこで、「今、起て!」の神啓を受けられたのでした。
そして、『創刊号』1,000部は、12月31日には納品されているのです。
思い立って、わずか、半月余りでの出来上がりです。
しかも、当時、先生は、ヴァキューム・オイル・カンパニーにお勤めのサラリーマンであられました。
その間、校正や印刷、製本等の時間もみなければなりませんから、丸々半月余りの時間を原稿書きに費やすことはできなかったわけです。
『五十年史』の年表によれば、執筆開始後まもなくのときに、藤棚の家にお引越しもなさっています。
そういう中で、『創刊号』全80頁に及ぶ原稿を、谷口雅春先生は、お一人で書きあげられていかれたわけです。
まさしく超人というのでしょうか、「人間神の子・無限力」を身をもって体現なされたというほかはありません。
そのあたりのことを前掲書ではこう記されています。
>ヴァキューム・オイル・カンパニーから帰宅されて、夕食をすまし、それからがいよいよ執筆である。
体のあまり丈夫でなかった夫は、一日の精神労働でふらふらになって家庭に帰って来るのであった。
けれども家庭に於いてくつろぐ暇もなく、夜半にかけての執筆であった。
それは来る日も来る夜もきびしい寒夜の連続であった。
全身が凍えてくるので、夫は寝床に腹這いになって徹夜して書きつづけられる日もたびたびであった。
インスピレーションを感じてくると、寒さも空腹も明日の勤めのことも忘れて、ひたすらに筆を走らせていられるのであった。
翌朝はかならず五時には起床して近所の銭湯へ行かれる。その留守の間に、私はお掃除と炊事をして待つのであった。
八歳の一人っ子の恵美子と、親子三人きりの朝食をすますと、夫は阪神電車へと急ぐのであった。<
このようなご文章を拝読させていただくと、ただただ感動するばかりで、自らの生き方のまだまだ甘いことを大いに反省せしめられます。
信徒であれば、それが不通の、当然の感情ではないでしょうか。
にもかかわらず、その記念すべき「立教記念日」にヒルクライムを強行する、しかもそれを奥津城にて!
これが本当に同じ生長の家の信徒であろうかと唖然とするほかはありません。
ヒルクライムに興じた人々よ。
谷口輝子先生のこのご文章をどう読むか。
ぜひ、お伺いしたいものです。
>一冊分の原稿がまとまった時の夫の喜ばしそうな顔は、妻にとっても同じ喜びと安心とであった。
有効社印刷所の小林為兄さんが校正刷りを持って来て下さる。
お台所を片づけたばかりの冷たい手で、夫の眼を通した校正刷りを取上げて私も赤インクのペンを運ばすのであった。
夫も妻も、一日の仕事の疲れも忘れてハリ切っていた。
出来上って来た創刊号一千部、ああ何という喜びであろう。
純白の紙、ハッキリとした印刷、表紙に描かれた筋肉隆々とした裸身の男の立姿、その手に高々とかざす灯の光よ。
その表紙絵こそ内容にふさわしいものであった。
一文一字、真理の言葉に輝いていた。
この誌を読む人の上に魂の喜びあれ。
この誌を読む人々の生活に光明あれ、と祈る夫の願いを、神よみそなわし給えと深く祈るのであった。<
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