そうだったようだ、新聞 (6702) |
- 日時:2017年06月19日 (月) 16時59分
名前:わんわん
字が読めるようになってから、よく新聞は見ていた。 新聞に書いてあることは、疑いもなく読んでいる状態だった。 ほんの数年前まで余り疑うこともなく読んでいたように思う。
しかし、いろいろ経験させてもらった。 トランプさんの功績は大きいね。 アメリカを代表する新聞、あれは何だったのだ。 ヒラリー絶対優勢、何だったのだ。
NHKも、日本国民も何も疑わずに聞いていた、ニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、あれは何だったのだ。
トランプさんの功績は大きい。
それ以後、ヤフーニュースを見ていても、内容と同時にその発信源、を見てから、読んでいくと内容がよく理解できるのである。
発信源によって、内容よりも先に、ある意思を感じるのである。
これまでは日本の大新聞の言っていることだからという気持ちがあったが、新聞に書かれていることも、 パソコンの、インターネットの誰が書いたか分からない、掲示板の書き込みと、全く変わらない、各個人が自分の好きなように書いているのと一緒と思うのであります。
そうだったようだ。
にちゃんねるが騒がれたころ、「正しいか、正しくないか、自分で判断できる人でないと参加する資格がない」 という言葉が聞こえた。 大新聞に対しても当てはまるようだ。
インターネット上でも古賀何とか何て人間の書いていることを、価値あるように載せる、マスコミ?出版社もあるのだから、そういう世の中ってことだ。
昔、「天声人語は良いことが書いてある」などと言っていた教師がいたが、この発言も、掲示板の中の一つの書き込みと何ら変わらないということだ。 っと、今頃思うのである。
そうだったようだ。
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