《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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そもそも『生命の實相』『真理』「聖経」のない教団では“救い”が生まれるはずがない! (6634)
日時:2017年06月12日 (月) 09時42分
名前:破邪顕正


教団は、完全に宗教団体たることを放棄して環境団体に衣替えしたのです。

そして、それを正当化する常套句として用いられるのが、これ。

「今、世界の一番の問題は環境問題。個人救済なんかしているヒマはないのよ!」

それが実に深刻だと思うのは、組織に残っている信徒自身が、それでいいと了解している。

つまり、“救い”がなくても一向に構わないと思っているということなのです。

どうして、そういう発想が生まれるのか。

私は、表題に掲げたように、『生命の實相』『真理』「聖経」がなくなったことと、それは決して無縁ではないと思っています。

“救い”の原典となるものを失った以上は、もはや、教団として、“救い”の路線を放棄するしかない。

それがついに練成会にまで及んだというのが、今回の“練成会変更通達”の重大な意味なのだと私は解しています。

裏を返せば、教団の一番の弱点、それは『生命の實相』『真理』「聖経」を失ったところにあります。

その必然として、教団は、“救い”を放棄せざるをえなくなってしまった。

それを、総裁の“聖典とは呼ばせない”という本や「讃歌」等で埋めようとしても、到底、それは無理な話、そんな代物で埋めることなどできやしません。

何故と言って、総裁みずから「聖典」ではないと言って憚らないのですから、端っから“救い”など放棄してしまっているとしか思えない…。

本気で“救い”を念頭においていれば、当然、「聖典」という表現に拘ったでありましょうから…。

“神誌”という表現を廃して、“普及誌”という言い方に替えたのもそうです。

既に、その時から、総裁はホンネとして、“救い”の路線を変えようとしていたというのが今にしてハッキリと分かります。

そして、その結果が、教勢の著しい衰退であり、今の講習会の惨状であります。

“救い”を放棄したこの路線の行き着く先は、間違いなく先細りです。

財政基盤の弱い教区からどんどん吸収合併になり、合区教区が年ごとに増え、見切りをつけた信徒が教団から離反していく。

本部機構だけは、その潤沢な資産にあぐらをかいて生き延びるでしょうが、社会的影響力は殆どないということになりましょう。

ザックリ言って、総裁はホンネとして、それでもいいと思っていると私は思います。

とにかく、愛国運動の柱としてあった生長の家を解体できた、それを以て瞑すべし。

そして、サヨク勢力がよろこんでくれる生長の家教団にしてやった!

してやったりと、内心、ほくそ笑んでいたに相違ありません。

ところが、あろうことか、生長の家出身者たちが「日本会議」等でしぶとく生き残り、改憲運動を領導している…。

これが何とも悔しくて、歯がゆくてならない!

昨今の総裁の「日本会議」等に対する、敵愾心剥き出しの反発は、まさにそこに起因していると思うものであります。

総裁は、はっきり言って、谷口雅春先生の弟子たちを舐めきっていたのです。

尊師の愛国の至情に心打たれ、そこに人生を捧げんとした人達を見くびった、そのツケをきっちりと総裁には払っていただかなければなりません。

当然、そうなれば動・反動の法則からして、教団からの様々な嫌がらせ、圧力等を受けざるをえないでしょう。

それは、むろん覚悟の上です。

『理想世界』誌・昭和39年11月号の「二十九日のことば 抵抗や衝撃は天の配剤である」に、今、心ゆさぶられる感動を覚えております。

《抵抗や衝撃を恐れる者は、吾々の精神運動から消え失せよ。…

人間も敵対する者、抵抗する者、衝撃を与える者があるので、それに打ち勝つ力が呼び出されて来るのである。

敵対も、抵抗も、衝撃も恐れることはいらないのである。

それは人間に潜在する無限能力を引き出すための天の配剤であると思って、感謝しながら勇を鼓して前進せよ。》

まさに、その通りであります。

総裁、ありがとうございます。

今の教団、ありがとうございます。

無限能力を引き出す出してくださり、誠にありがとうございます。



現総裁が信徒を救われたお話を聞いたことも、読んだ事もありません (6640)
日時:2017年06月12日 (月) 23時00分
名前:コスモス


 合掌 有難うございます。

 救いたくても、救えない事が解っておられるので、外されたのだと思っております。

 人を救うためには、どうしても、谷口雅春先生がお説きになられた御教えに還るしかないのですから、いずれにしろ、出来ない事だったのではないでしょうか。

 さらに、森のオフィス建設の時の地元の人への説明には、「宗教的な事はしない」ということだったのですから。驚くべき事ですよね。教師が教育を放棄し、医者が医療を放棄し、宗教者が魂の救いを放棄することは同義語ですよね。

 

「コスモス」さんへ (6649)
日時:2017年06月13日 (火) 10時12分
名前:破邪顕正


投稿、ありがとうございました。

投稿を読んで、私が感じたことを率直に書かせていただきます。

総裁がこれまで、左遷したり、排除してきた人等を見ると、総裁という人がどういう人であるのか、それを知る手かがりとなるような気がしております。

まず、排除にかかったのが、愛国者であります。

その一番が、尊師・谷口雅春先生であったということでありましょう。

次に排除したのが、信徒からの絶大な人気を誇っていた講師。

その人気が疎ましくてならなかった、ということでしょう。

更に、教義に詳しい講師もまた排除の対象となりました。

普通、「生長の家総裁」といえば、絶対の存在であり、誰もその座を狙おうなどとは思わないものであります。

ところが、総裁の認識はそうではなかった。

何かあったら、総裁の座は、誰かに取って代わられてしまうのではないのか。

その疑心暗鬼がずっと総裁の深層心理を支配していたように思います。

その一番の理由が、「コスモス」さんも指摘しているように、宗教家でありながら、信徒を救った、という体験をもっていない、ということにあったのではないのか。

自分の周りを見たら、沢山の信徒を救っている講師がいる。

講話で引き付ける講師もいる。

教義に実に詳しい講師もいる。

そういう講師等の中で、果たして自分はどうなのか?

生長の家総裁として、何か、抜きん出たものをもっているか?

これが総裁をして、色々と、苦しめ続けたのではないのか。

その苦しみから解放される道は、ただ一つ。

目障りな、劣等感を抱かせるような講師を目の前から排除する!

そういうことだったのだと思います。

そして、誰も並び立たないように、生長の家の教えの中に、自分しか説き得ない世界を持ち込む。

それが環境問題であったということではないでしょうか。

環境問題という、今まで、どの講師も触れ得なかった世界を創りあげ、そこに君臨することで、それでもって、総裁としての威厳を保つ。

そもそも、総裁としては、三代目なんぞにはなりたくはなかったわけです。

だから、本気で、谷口雅春先生の教えを勉強しようなどとは思っていなかったでしょう。

ところが、様々な事情で、三代目を継ぐことになった。

そこで、谷口雅春先生の教えを一から勉強しようと思えば、こんなことにはならなかったのでしょうが、総裁は、自分の教えの世界をつくって、そこに逃げ込む道を選んでしまった。

今の教団の不幸は、まさに、そこにあるというのが私の見立てであります。

以上、「コスモス」さんの投稿に触発されて、私の勝手な意見を述べさせていただきました。



全くその通りだと感じ入っております (6652)
日時:2017年06月13日 (火) 12時05分
名前:コスモス


 破邪顕正さま 有難うございます。

 ズバリ指摘された通りだと深く同意させて頂きます。

 ですが選ばれた道を歩んでも、人に抜きん出る事も出来ず、何かどんどん「変な道へ」と深入りされて行くようで、他人事ながら心配しております。

 現総裁の癖と申しますか、何か新しい事を始められると必ずと言っていいほど、自己撞着に陥られる方へと進まれる事ですね。やはり自己処罰しつつ「前へ進め!」という事なのでしょうか。非常に苦しい道を選ばれていますね。


真理はただ一つ「人間は神の子である」これを外した総裁 (6654)
日時:2017年06月13日 (火) 13時35分
名前:鉄腕アトム

様々な事情で総裁になった、3代目さんにとっては不本意な体制となった。 真理を学んでいない。

しかし純子先生は幼少時期から生長の家の真理を学んでいます。

如何に夫を指導してきたか、重大な責任を負わなければいけません。

背教の責任をとって、生長の家を解散するべきです!!!!!

これ以上信徒を騙してはいけない!!

唯物論者の行く先は (6657)
日時:2017年06月13日 (火) 14時06分
名前:鉄腕アトム

どんどん「変な道」に行きたいのなら、解散してからにして頂きたいものです。
信徒を道連れにするな!!と言ってるのです!!

個人になったらご自由にどうぞ! マサノブファミリーの皆さま。

再び「コスモス」さんへ (6661)
日時:2017年06月13日 (火) 18時33分
名前:破邪顕正


ご同意いただき、感謝申し上げます。

仰るように、総裁は、環境問題の袋小路にはまり込んでしまったのではないでしょうか。

どんどん行きづまって、とうとう「昆虫食」というところまできてしまいました。

総裁は、それを、食糧危機の時代が来るからということで推奨したようです。

危機感からそれを言うのであれば、どうして、日本を取り巻く安全保障の危機は言わないのでしょうか。

或いは、数十年のうちにやってくるであろうと言われている首都直下型地震等の天災について、そのときどう対処すべきか。

当然、そのための憲法改正が必要だというのに、そちらの危機には全くの無頓着というのか、却って反対している有様です。

だから、私は、総裁の食糧危機というのも絵空事、本気で言っているのではないと見切っています。

ともあれ、この「昆虫食」あるいは「野生ゴキブリ食」、一部の共感は得ても、多くの人々の共感を得るのは困難と見るべきでありましょう。

これから先、「昆虫食」を勧める生長の家教団!

こんなコピーが広がったらどうするのでしょうか。

「人は得意分野で失敗する」とか「得意分野で足をすくわれる」とか言いますが、総裁もご多分に漏れず、その口ではないのか。

このままでは、環境問題で生長の家は自滅していった、と歴史に名を留めるような気がしてなりません。

悲しいかな、総裁、並びに教団は、このまま行き着くところまで行くしかないのでしょうね。



総裁の諸々の失敗の源は、「愛の無さ」にあると思っております (6665)
日時:2017年06月13日 (火) 23時55分
名前:コスモス


 破邪顕正さま 有難うございます。

 「昆虫食」と言えば、その前に総裁は、確か物言わぬ「植物に対する罪に対しても懺悔すべし」という意味の事を書いておられたと思いますが、その直後がこれ「昆虫食」ですから。立派に自己撞着ですね。

 総裁の出発点は、破邪顕正さまが書かれたように(ついに自ら立派な共産主義者であると表明されました)反愛国者であり、反生長の家?!である訳で、その中身のまま生長の家総裁となられた訳ですが、

 何と言っても心ある人が認める「愛の無い人」であることが、大きいと思います。その為に何をやっても失敗される訳です。そもそも「神は愛なり」の教えの真逆を行く人ですから。

 例えばかつての新潟・長岡の地震における総裁の余りに身勝手な行動は、人々を驚かせましたし、3・11の地震の時、当時の東京原宿の本部で取られた総裁の行動も、職員を顧みず直ぐに自宅へ帰られて、信徒を驚かせました。

 愛に於ては、非常に未熟な方ですが、これが総裁の命取りになって来たと思います。それで思い出すのが、河田亮太郎著『ほとばしる生命』に書かれている、谷口雅春先生のお話しです。

 同書の21頁の「智慧と愛とは車の両輪」にはこう書かれています。少し長いですが、大切な個所と思いましたので、書かせて頂きます。谷口雅春先生が河田亮太郎先生に直接ご指導なさったお言葉てす。
 (縦書きでは漢数字が使われていますが、横書きのために読み易いように、アラビア数字にし、また読み易くするために、改行致しました)

ーーーーーーー


 私(河田)は先生から色々なことを教えて頂きました。ある時、
「河田さん、この世の中は全てバランス(平衡)だよ」と言われて、電車の車輪を例に挙げて、神の智慧と愛を分かりやすく教えて頂きました。

 それは「電車の車輪」を「人間神の子」としますと、左右の車輪は神の智慧と愛にたとえられたわけです。左の車輪(智慧)が直径1メートル、右の車輪(愛)が直径1メートルだったら1±0で、丁度両輪の直系の差が0となってバランスが取れているから、電車はレールの上を脱線もしないで走るんですよ、と言われた。

 なるほど、これでしたら数学の真理と一つだから本当に「人間神の子」の真理がよう分かるわけです。

 昔のSLでも、一番前の車輪は小さくても直径の差は0、また後ろの大車輪も両輪の直径の差は0、だからどんな大小の車輪でも、みな0、0、0になって走るわけですから、

 とにかく何でもゼロ(無我)になって、神の智慧と愛を両輪のようにバランスよく走らせたら、全てがスムーズに旨く行くと、言われるわけです。

 これに関して、谷口先生は「神の子には、学歴の差などないんですよ」と言われた。

 仮に大学を卒業した人の智慧を100として、愛も100だったら、バランスがとれて、100±0となる。また高等学校出た人の智慧を80としたならば、愛を80出せば、80±0になる。

 そして中学校出た人の智慧が60としたならば、愛が60あれば60±0になる。そしてもし、家庭の事情で小学校しか行けなかった人でも、その智慧が40だったら、愛を40出せば、40±0となって、無我(0)になれば誰でも、神様の智慧と愛に生かされていることが分かるんです。

 100±0も、80±0も、60±0も、また40±0も、0に大きい小さいはない、0は0ですよ。だから生長の家は人間はみな神の子で、大学出た人も、高等学校出た人も、中学校出た人も、みな同じ”神の子”であると説いているのです――というように、先生は言われたのです。

 「もしその人の智慧を100として、愛が80だったら、20の差が出来る、また反対に、愛を100として智慧が80だったら、これも20の差が出来る、この20の差によって、病気になったり、事業が旨く行かないというような、ありとあらゆる人生苦が現われてくるんです。

 だから愛があっても智慧がなかったら人に騙されるし、また智慧があったって愛がなかったら、人は付いてこないのです。だから智慧と愛とをバランスさせるんだよ。

 そうしたならば、列車が二本のレールの上を脱線せんとスッスッスッと走るのと同じように、全てがうまく行くのです」と、先生は懇々と説いてくださいました。

 その頃はまだ『生命の實相』ではなくて、先生のお話を聴いて、ご指導を受けて、「なるほどそうだ」と納得行くように、噛んで含めるように言って下さったのです。

ーーーーーーー

 噛んで含めるようにこんこんと真理を分かりやすく説かれた谷口雅春先生の愛によって、河田亮太郎先生は真理を学ばれて、やがて多くの人々を救われて行くのですね。


 「また智慧があったって愛がなかったら、人は付いてこないのです。」

 この谷口雅春先生のお言葉が示す通り、谷口雅宜総裁は大勢の人を切り、また大勢の人が総裁の下から離れて行きました。全国の信徒は失望して、今も毎日のように、多くの信徒が生長の家を辞めて行っています。

 大学を卒業してさらに留学までされて知恵はあるお方ですが、その知恵も左翼的な偏った知恵であり、愛が乏しいために著しくバランスを欠き、教団は脱線し始めています。このままですと残念ながら、やがて転覆するよりほかはないと思います。




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