《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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《投稿のお願い》“「造化の三神」を勧請することが尊師のご悲願であった…???” (6208)
日時:2017年05月09日 (火) 15時20分
名前:破邪顕正

表題は、現教団でまことしやかに言いふらされているという話で、前々から実は気になっていたことです。

こんなことを一体、誰が、どこで、どんな論拠で、言いふらしているのでしょうか。

そんな趣旨のことを尊師が仰ったというご文章でもあるのでしょうか。

私には、そんなことあろうはずがないという確信があります。

もし、教団が、何の典拠も示さず、そんなことを言いふらしているとしたら、これは尊師を冒涜するも甚だしい、実に許されざる行為であると言わざるをえません。

「しろうさぎ」さんならば、これに関して、何かご存じでしょうか。

「しろうさぎ」さんでなくても結構です。

ご存じの方があれば、ここに投稿していただきたく、よろしくお願いいたします。

こんなことが許されるのだったら、何でも教義をねじ曲げることが可能となってしまいます。

前にも紹介しましたが、実際、どこかの教区の講師会では、「殺すなかれ」を根拠にして「平和憲法擁護」こそが尊師の願いだったみたいなことまで言い始めています。

尊師のお書きになったご文章や聖典等を一切、示すことなく、「尊師の本当のご悲願はこうだった」というようなことが罷り通ったら、もはや教えは死んだも同然となります。

この風潮を、私は絶対に野放しにしてはならないと考えます。

何かご存じの方があれば、ぜひ、お知らせいただければと再度、お願いいたします。



「破邪顕正」さまへ (6209)
日時:2017年05月09日 (火) 16時00分
名前:しろうさぎ

ありがとうございます。

本日、私、勤務中でして、今は休憩時間でこのご投稿を拝読しております。

この件に関しまして、私の知る限りのことを今夜、ここへ投稿させていただこうと思います。

今月の永代供養の祥月命日供養祭の祭祀の案内が今回も来ませんでした。

ここまでされるのですから、私も私がじかに耳にしたことをお伝えさせていただく覚悟ができました。

                「しろうさぎ」拝

造化の三神 勧請の件。 (6211)
日時:2017年05月09日 (火) 18時41分
名前:そーれ!!

私も教団を離れ長いので、詳細は分かりませんが、

そのお話しの出どころは、確か、総本山の、当時の

楠本総務だったと思います。

確か、団参に参加された方が、楠本総務が 造化の三神の

勧請の意義、意味を、解りやすく講話されたと、聞いた

様な記憶があります。その直後、楠本総務が情緒不安定になられた様です。無理もありません、

楠本総務は、神道の大家です。神様の世界を歪めた講話をさせられた事で、

自己処罰されたのでしょう。楠本総務も、ある意味「凡庸の総裁」による

被害者ですね。

楠本総務は、その講話の中で、”造化の三神の勧請は、谷口雅春先生 の悲願であった”

とおっしゃられた、と聞いています。

あくまでも、私の記憶によるものです。

「破邪顕正」さまへ (6218)
日時:2017年05月09日 (火) 23時30分
名前:しろうさぎ

「造化の三神」が尊師のご悲願であった…
このことについて、私自身が実際に耳にしましたことをお伝えさせていただきます。

26年の総本山、団体参拝練成…
宇治から移ってこられたばかりの楠本先生が夜、浄心行講話をなさいました。 楠本先生の直筆で縦書きに造化の三神について書かれたものがスライドで映されましたが、それは見えづらく、すべて書き写せませんでした。

このとき、楠本先生が、どの聖典から、お調べになったか書かれていたのは、あとで私もそれを拝読するため、ノートに書き留めています。

「古事記と現代の預言」
「神の真義とその理解」
「実相と現象」
この3冊の聖典から引用されていました。

でも、この3冊の聖典…すべて絶版ですよね。

宇治での楠本先生の浄心行講話と言えば「父母の愛を求めて」ですから、このとき、造化の三神について講話されたのには、ものすごく違和感を感じました。

でも、このときは、
「総裁が造化の三神を勘請されたのは、意味があったんですね」
と締めくくられるにとどまり、「父母の愛を求めて」に変わりました。

27年の団参…
26年の団参から数ヶ月しか経っていませんでした。
このとき、楠本先生が講話で
「僕がここに来た意味が最近わかった」
そうおっしゃいました。

私は、それについては、毎朝奥津城に参拝することができるからであろうと捉えました。

そのあとの前総務の講話でのことです。
「長老が、総本山に来てしばらくして、『これから毎朝3時に奥津城に参拝する』と言われ『それはちょっと…』と言ったら、『自分で行くから』と言い出した。
うちの父は、幸か不幸か、運転免許の更新をしてるんです。
『1週間考えさせてほしい」
と言って、ほかのきょうだいたちに相談したら、みんなが運転なんてさせてはダメだと猛反対したので、僕が一緒に行くことになったんです。」

そう話され、その講話の中で
「長老が…うちの父が…『造化の三神が何故、勘請されたか、やっとわかったよ。これは谷口先生のご悲願だったからなんだ』と言ったんですよ」
そう話されましたから、会場は感動に包まれていました。

前総務の話し方も涙を誘いますし、絵に描いたような親子愛に皆さんは感動したのだと思われます。

私自身は、いくら楠本先生を尊敬し続けているからといっても、造化の三神の勘請の肯定は信じられない思いでしたし、信じたくもありませんでした。

ですが、同じ教区の人たちや、よその教区の人たちは、このとき、造化の三神の勘請は尊師のご悲願であったと受け止めた人が多かったようです。

私は、この時の団参で、「もうこの教団の誰も信じてはいけないのだ」と
つよく、つよく心に刻んだのです。





破邪顕正様へ。 (6221)
日時:2017年05月10日 (水) 01時11分
名前:そーれ!!

しろうさぎ様の報告に詳しくある様ですが・・・

そーれ の投稿を読まれた人で、その団参に参加

された人から、その通り、間違いないとの連絡を

頂きました。

「古事記と現代の予言」

「神の真義とその理解」

「実相と現象」

過去、3冊共拝読しましたが、造化の三神の勧請など書かれていた記憶は

ありません。3冊共、我が家にありますので、早速調べてみます。

たぶん、都合のいい様に、3冊の細部を切り取り、捻じ曲げ、貼り合わせた

捏造講話だったのでしょう。谷口雅春先生の御著書を、勝手に歪曲し、

神様の世界をグチャグチャにしたのであれば、それこそ 大問題です!!!

また、それを鵜呑みにし、拡散している講師がいるのであれば、それは更に

恐ろしい事だと思います。

護憲派であり、安倍政権打倒を提唱する現教団。谷口雅春先生の 御心を、

どこまで踏みにじって行けば、気が済むのでしょうね???


破邪顕正様。 (6222)
日時:2017年05月10日 (水) 06時47分
名前:そーれ!!

3冊を再読していますが、今のところ「造化の三神の勧請」の必要性(谷口雅春先生の悲願?)は、

見当たりません。ちょっと横道にそれますが、谷口雅春先生 の、自然霊についての御文章です。

「凡庸の総裁」の ”神 自然 人間”は、明らかに間違いです。

しかし、その問題に、ここで触れると、せっかくの本題から逸れてしまいますので・・・

「造化の三神の勧請」問題の解決後、改めて書かせていただきたいと思います。

再び「破邪顕正」さまへ  (6223)
日時:2017年05月10日 (水) 07時25分
名前:しろうさぎ

「そーれ!!」さまが、「しろうさぎ」の投稿を補強してくださっておりますが…(「そーれ!!」さま、ありがとうございます)

迂闊なことは申し上げられませんが…

26年の9月24日に楠本先生は突然、宇治から総本山に行かれておりますよね。

浄心行講話は「父母の愛を求めて」の楠本先生が、ご自分から造化の三神の勘請について、お話なさりたかったのでしょうか…

宇治の楠本先生は、私もそうですが…信徒の心のよりどころ…

楠本先生が仰ることなら、信徒は素直に聴きましょう…

あのとき、楠本先生と総務の親子愛を讃える人が多かったですが、
「造化の三神」について説明なさった楠本先生のお話は、ちっとも私の
心に響いてくるものがありませんでした。

そのあと、またいつものように「父母の愛を求めて」の内容に移り、安堵したのでした。

何より、先生が引用なさった聖典が、3冊ともすべて絶版…

私のいた教区の信徒の皆さん、画用紙を切って三神を手書きで書いたものを自宅の神棚の前に置いています。

そのやり方は総裁が講習会で"指導"されましたから、教化部長からもそうするように教区で指導があったからです。

「そんなことできるものか!」と反発する信徒は退会しています。

教区での行事の時の開会の祈りでも、これまでのように
「生きとし生けるものを生かし給い、ありとしあらゆるものをあらしめ給うみおや神」

「常にわれらを護り給い導き給う生長の家の大神さま」

この祈りはやめて造化の三神の御名前を唱えるようにとの指導もありました。

もう何もかもが、総裁の「生長の家」への住居不法侵入にほかならない。
そう思います。





「そーれ!!」さん、「しろうさぎ」さんへ (6225)
日時:2017年05月10日 (水) 08時44分
名前:破邪顕正


私の願い、要望に、早速、ご回答いただき心より感謝御礼を申し上げます。

お二人の投稿により、この度の噂の出所が判明いたしました。

正直いって、実に、辛いものがあります。

ここまで、総裁の敷いた路線に、〝心ならずも〟(楠本先生の本当の思いは絶対に別にあったと私は信じていますので)ヨイショしていかれたのに、その後の教団の仕打ちはいったい、何なのでしょう。

楠本先生のこれまでのご功績を考えると、どうしてそういうことを仰ったのかと、暗然たる思いに駆られます。

と同時に、どうしても、この言葉が脳裏をよぎります。

“すまじきものは宮仕え”

総裁のもとで、しなくてもいい精神的苦痛を背負わされた楠本先生をお気持ちを、今はただ察するばかりです。



今回の噂の出所の真相をまとめますと… (6230)
日時:2017年05月10日 (水) 10時23分
名前:破邪顕正


「しろうさぎ」さんの投稿を、私なりの所感を交えて要約すれば、こういうことになります。

まず、楠本加美野先生が宇治におられたとき、浄心行講話で、「総裁が造化の三神を勘請されたのは、意味があったんですね」と言われた。

この話が、浄心行の「父母の愛を求めて」でなされているところから察するに、実に不自然の感を拭えません。

その後の教団の仕打ちを勘案すれば、おそらく、そのとき事前に、教団は楠本先生に、そういう話しをせよ、とでも圧力をかけたに違いありません。

で、致し方なく、楠本先生は、総裁が造化の三神を勘請したことを肯定せざるをえないような話をするしかなかった。

しかし、それが谷口雅春先生のご悲願であった、などということは、それは楠本先生にすれば口が裂けても言えることではなかった。

だからこそ、「意味があったんですね」に留め置かれた…。

そこに、私は、楠本先生の、総裁、教団に対してのギリギリの抵抗の意志を垣間見るような思いがいたします。

ところが、それが急展開することになった…。

それが楠本総本山総務(当時)のこの発言だった。

「長老が…うちの父が…『造化の三神が何故、勘請されたか、やっとわかったよ。これは谷口先生のご悲願だったからなんだ』と言ったんですよ」

楠本先生は、絶対にそんなことをおっしゃってはいないと私は信じています。

しかし、楠本総務は、上のように発言してしまった!

否!

そう言うしかないほど、楠本総務もまた教団から様々な圧力を受け、追い詰められていたのではないのか…?

その後の楠本総務の病状を思うと、そう判断するしかないというのが私の見方です。

許せないのは、そういう背景を一切、斟酌することもなく、「造化の三神が尊師のご悲願だった」などと触れ回っている人達です。

なるほど、その問題の種を蒔いたのは確かに楠本総務かもしれません。

しかし、その種も真理の光をあてれば芽吹きはしません。

因縁果の法則というのがありますでしょ。

いくら因があっても、縁にふれなければ、果とはなりません。

ですから、いくらその種が蒔かれても、それを触れ回るという縁を心して拒絶していたら何も問題とはならなかったのです。

ところが、よってかかって、その種が芽吹くように、芽吹くようにと、「楠本先生が言われたのだから間違いない!」とばかりに、恰も鬼の首をとったかのように言いふらした人達がいる、そのことこそが、私は本当に大きな問題だと思っているのです。

つまり、今の教団には、そういう間違った種を敢えて蒔かせ、そしてあの手この手をつかってそれが芽吹くようにしむける悪巧みがそこ、ここにある…。

そのことを私は声を大にして問題視しているのです。

何故と言って、それはすべて谷口雅春先生の御教えを根底から破壊するために仕掛けられた時限爆弾の如きものとしか思い得ませんから…。



ご悲願 (6231)
日時:2017年05月10日 (水) 12時29分
名前:中仙堂

大聖師谷口雅春先生のご悲願となれば 諸賢のご承知の如く

日本國實相顕現
 
これ以外は存在は有り得ません。

再々度「破邪顕正」さまへ (6234)
日時:2017年05月10日 (水) 14時07分
名前:しろうさぎ

申し訳ございません。私の文章がきちんとしておりませんで、

『6230』のご投稿…まとめをしてくださっております…
上から3行目の「楠本先生が宇治におられたとき」

これは、楠本先生が宇治にいらっしゃいました時の浄心行講話は
「父母の愛を求めて」で

その楠本先生が宇治から突如、総本山に行かれ、総本山の団参での
浄心行講話で、はじめに「造化の三神」についてお話になられ、
「意味があった」でとどめられた

そのようにお伝えしたかったのですが、私の文章表現がきちんとしておりませんで、先生が宇治で「意味があった」とおっしゃったように捉えられたらいけませんので、この場をお借りしまして、お伝えさせていただきます。

楠本先生ほどのご功績のある先生を利用した教団にそれでもしがみついている信徒さんたちに、私は、もっともっと、本当にもっと
「目覚まし時計活動」をしていかないといけないと、この度、改めまして
考えさせられました。

ありがとうございます。

「しろうさぎ」さんの投稿で、ようやく今回の噂話の真相が見えてきました! (6235)
日時:2017年05月10日 (水) 18時11分
名前:破邪顕正


私の早とちりの面もあったようです。

そこで、再度、この件についてのまとめを書いておこうと思います。

まず、総裁・教団は、何としても「造化の三神」の勧請を正当化したかった。

ついては、その役回りを楠本親子に託すことにした。

で、まず、その白羽の矢を楠本先生に放った。

本部員である以上、楠本先生としても、上からの命令とあれば断れない。

断ることは、そのまま辞職を覚悟しなければならないことであるからです。

そこで、楠本先生は、やむなく不本意ながらも、ギリギリそれを「意味があった」ということで妥協することにされた。

そのことが、「しろうさぎ」さんの投稿のここですね。

>その楠本先生が宇治から突如、総本山に行かれ、総本山の団参での浄心行講話で、はじめに「造化の三神」についてお話になられ、「意味があった」でとどめられた<

それを受けて、楠本総務が更にこう言い切ってしまった。

「長老が…うちの父が…『造化の三神が何故、勘請されたか、やっとわかったよ。これは谷口先生のご悲願だったからなんだ』と言ったんですよ」

これが決定的となり、この話がどんどん一人歩きして広まってしまった…。

こういう経緯ということで了解いたしました。

「谷口先生のご悲願だった」

楠本総務がそう言っていたとしたら、案外、この「谷口先生」というのは「谷口雅宣総裁」のことであって、谷口雅春先生をさすものではなかった…。

それこそが楠本総務のホンネではなかったか?!

苦しい言い逃れとは充分に承知しつつも、そうまでしてでも氏をかばいたくもなる…。

その後の彼の病状を知ったら、そう言いたくもなります。

ま、それはともかく、今、振り返ってみれば、結局、楠本親子は、総裁・教団にまんまと利用されるだけ利用されてしまったということなのかなと言わざるをえません。

それにしても、それにしてもですよ、これは余りにもヒドイ話ではありませんか。

>私のいた教区の信徒の皆さん、画用紙を切って三神を手書きで書いたものを自宅の神棚の前に置いています。

そのやり方は総裁が講習会で"指導"されましたから、教化部長からもそうするように教区で指導があったからです。<

余りにも神様を軽んじ過ぎています。

否!

もはや軽んじているというレベルではすまない、神様を冒涜している!

こういうことに何の違和感、抵抗感も感じないで唯々諾々と従う信徒の信仰姿勢が、結局は、総裁・教団の横暴、跳梁跋扈を許しているという気がしてなりません。

本当は、ここまで言いたくはありませんが、しかしそれでも言わずにはおれない。

歯ぎしりするような、この悔しさをバネにして、これからも積極的に投稿していきたいと思っております。



人への諫言は一番槍よりも難しい (6273)
日時:2017年05月13日 (土) 17時37分
名前:中道保守人

このままでは、あの高徳の士 楠本加美野長老が「恍惚の人」になってしまいます。

どなたか、「一番槍よりも難しい」という現総裁への諫言を、身を挺して敢行された高徳の士(サムライ) 楠本加美野長老の斬奸状ともいうべき口上、「意味があった・・・」について、竜宮の海底にまで眼光炯炯(ケイケイ)と徹して考察し、真理を穿った解釈、弁論を展開していただきたい。

楠本加美野長老の名誉回復のために・・・。

さて (6275)
日時:2017年05月13日 (土) 18時50分
名前:中仙堂

香嚴和尚云く「人の樹に上るが如く、
口に樹枝を含み、
手に枝を攀ぢず、脚に樹を踏まず。
樹下に人あって西来意を問はんに、
對へずんば即ち他の諸問に違く。
若し對へなば又喪身失命せん。
正恁麽の時、作麽生か對へん。」

と言ったほどの話しまでは兎も角
「対機説法(その相手の精神的能力 (→機根 ) や性質などに応じて
それにふさわしい手段で 説法することをいう。)」も通じ無い相手に
(噛んで含める様に云って聞かせても無理なのでは)
宗教を語るに相手が悪過ぎる。
楠本加美野長老の名誉は光明燦然として未だ輝きは変わらないと存知
上げます。(見る人にはよりますが)
どなたかの宿業の消えるのを待ち、只待つに非ず、教団信徒のまだまだ増える
造反者(神の子さん)の受け皿を用意する事が大事なのでは…

赤き龍の征服 (6279)
日時:2017年05月13日 (土) 23時13分
名前:仮面ライダー

週刊誌では、4代目総裁は現代史を勉強してる人が望ましいと言ってましたね。自称総裁は後継ぎのことは毎日考えているとも言ってましたね。

原点はここです。 (6280)
日時:2017年05月13日 (土) 23時35分
名前:中仙堂

眞の生長の家は「生命の實相」を開いた処にあると
尊師はお示し下さいました。
眞の光明思想を「継ぐ」者は、
眞の生長の家を学び日々の生活に生きた者。
我々一人一人の問題で、
「久遠の今」
我今、眞理に生きて居まししか…?
日々我が身を淘汰する者こそ
眞の求道者 
眞の大聖師のみ後を継ぐ者。
自転車遊びや
コスプレ人生者には
継承者の資格無し!
増て三代目(自称)に
四代目を語る資格無し!
神は常に献身を求め給う。

日々衰退し滅亡の道を歩む教団を
見ませ。
時間の問題です。
四代目を継ごうにも
一体何を継ぐべきか
継ぐべきもの 更に無し。
虚構の世界に非ざるや
何の吾等に不安材料無し。
日々三正行
彼らに三正行無し
神想観
聖典 聖経読誦
愛他行。

https://www.youtube.com/watch?v=WueXb8tC-iQ

原点はここです。

米熟すること久 (6281)
日時:2017年05月13日 (土) 23時58分
名前:中仙堂

六祖因に明上座、
趁うて大庾嶺に到る。
祖、明の至を見て、
即ち衣鉢を石上に擲つて云く、
(HAHAHAHAHA)
なんじゃ、
大聖師のご高著
『無門関解釈』の
第二十三則
「不思善悪」にあるじゃ無いですか。
ここを読まれよ…
もう床に着く時間で、
瞼が下がり、
文字打ちする気力無し。
ご覧あれ

「米熟するや?」
慧能は應へた
「米熟すること久。猶ほ篩を缺くことあり」








さすが、一番槍 (6290)
日時:2017年05月14日 (日) 11時36分
名前:中道保守人

矢張り、やっぱり一番槍は中仙堂どのでごはしたか。
いささか的はずれな一番槍かなと思いつつ、話を元に戻してよろしいでしょうか。

高徳な楠本加美野長老の総本山団参の浄心行講話での
《「造化の三神」についてお話になられ、「意味があった」でとどめられた》
という文節に違和感をがあり、あの高徳な楠本加美野長老が敢えて「晩節を汚す」ような言動をされるのだろうかとずっーと疑問に思ってきました。

あの発言以来、楠本加美野長老は黙して語らず、言を断たれようで、その真意を余人が問い糺すことができない状態になっているようですね。

《すまじきものは宮仕え》では、楠本加美野長老の言葉に秘めたる真意、即ち現総裁への諫言であることを解き証すことはできないでしょう。

現に、「造化の三神」が、はてしなく続く こころとできごと の世界、現象界に風評の如く拡がりつつあります。人々の潜在意識の為せるわざとはいえ、中仙堂どのご指摘のように「闇に対しては光をもって相対する」ことが第一でありましょう。

「隗より始めよ」、中仙堂どのらしくもない・・・。
先のスレッド「さて」(6275)に、大いなる誤謬有り。
《楠本加美野長老の名誉は光明惨然として未だ輝きは変わらない・・・》とのこと、燦然と惨然は語原を同じゆうすると謂えども極楽と地獄の違い有り。須べからく御訂正を願い上げ奉る。楠本加美野長老の名誉のために。

さて、一番槍が名槍『無門關』ならば、こちらも『無門關』第四十六則「竿頭進歩」の盾を以て対峙仕え奉る。

合掌 (6291)
日時:2017年05月14日 (日) 13時30分
名前:中仙堂

中道保守人さま
有り難うございます。

今、感謝会です。

パソコン 馬鹿ですね。
極度な近視なもので変換ミス
気が付きませんでした。

赤面中です。

中仙堂 世迷い事 (6294)
日時:2017年05月14日 (日) 15時32分
名前:中仙堂

高潔の高弟楠本長老が「恍惚の人」
云々…

此は異な事。 
高潔の高弟

尊師の高弟は
いまだかって、 
恍惚等と言われる
筋合いは有り得ません。
人類救済を使命とする生長の家教団の実相が顕れる課程に於いて、
現象の迷いが自壊する課程で大聖師の高弟に本来間違いは無い。
責めらるべきは三代目(自称)の方ですが、
教団総裁としては、余りにも勉強不足ですし、魂の練度が幼い。
この方の出現は、教団の偉大な實相が、顕れんが爲の運命的な存在なのかも知れませんね。
大聖師の弟子たち、強くあれ、
明るくあれ、
神様からのギフトかも知れません。
たいへんだ。

でも、迷いは必ず消える。

ごきんとうさんどす (6296)
日時:2017年05月14日 (日) 17時00分
名前:中道保守人

中仙堂さん こんにちは。
昨夜のNHK BSで京ことば「ごきんとうさんどす」(お互い様です、の意)を紹介していましたので、おこころやすくしておくれやす。

さてさて、智といい信といい行という大行に徹してこられた高徳の士 楠本加美野長老にとっては、世俗の毀誉褒貶(キヨホウヘン)など歯牙にもかけず、恬淡(テンタン)とされていることでしょう。

ではでは、いまさら改めて楠本加美野長老の名誉回復をする必要はありません。ただ、一見「晩節を汚す」ようにみえる言動について、皮相的な解釈で済ませてしまってよいものだろうか。

近未来を観ても、仮面ライダーさんが記されているように《四代目、後継ぎ》の問題もあり、立教100年(2030年)には現体制が持続するかどうかを危惧されていたのではないだろうか。

この世には、とてつもなく不思議なことが起こることもあるだろうなぁと、春の淡雪のような望みを持ち続けて生きます。


つらつらおもんみるに (6298)
日時:2017年05月14日 (日) 18時10分
名前:下総の野人

長老は本心から言われたのだと思います。

残念なことであります。

それと、 (6299)
日時:2017年05月14日 (日) 18時22分
名前:中仙堂

中道保守人さま

智に欠けたる中仙道の 世迷い言

ご容赦下さい。

前述の様な不完全な論法も
現実的では無い事は確かにあります。

方や、教団の隅で
日々救済を待ち乍らも
一向に救いの手の無い方々を鑑み

悟りの何のと 知ったふうな言論で
とぼけて見ても
現実には 実生活の助けには全く成らないのでは

実相顕現の宝刀を持ってしても
宝の持ち腐れ、

中道保守人さま 
破邪さま始め
多くの諸賢の皆様の 憂える大問題ではあります。

実生活、実問題を解決しなくて、
口ばかり ぱくぱくしていては
井の中の 鯉の様なもの。

少しずつ何らかの解決の糸口を皆さんで探して行くことは
大切な事でしょう。

それと、
現実逃避と言う観念ではなく、
光明思想として

三代目さんの事は兎も角

楠本先生(確かに教団、信徒への影響は大ですが)
はそっとして置いて上げたいものですね。

普賢菩薩はいずこに (6300)
日時:2017年05月14日 (日) 19時33分
名前:中道保守人

中仙堂さん こんばんは。
「それと、」(6299)でのご提案を了承させていただきました。

現代の『大方広仏華厳経』である「唯神実相論」が、竜宮の海底に沈めて宝蔵せられたようなこの状況では、百年清河を待つこともやむを得ずなるかな。では中仙堂さま おさらばえ・・・。

合掌 (6301)
日時:2017年05月14日 (日) 20時25分
名前:中仙堂

未熟者なる小生の話しを
穏やかにお相手して下さいまして
中道保守人さま
光栄であり
嬉しくおもいました。
またいずれかのスレッドでお会い
致したいです。

最後に (6303)
日時:2017年05月14日 (日) 23時50分
名前:中仙堂

現代の『大方広仏華厳経』である「唯神実相論」が、竜宮の海底に沈めて宝蔵せられたようなこの状況では、百年清河を待つこともやむを得ずなるかな。

と言う事でございますが、「唯神実相論」は各自の信仰生活で拓かれ、実生活に生かされています。小生も幾多の体験がございます。
「唯神実相論」は個人の救済という(入竜宮)形では今でも刻々展開しています。

「唯神実相論」も国家救済という(出竜宮)と言う面で見ると「人類意識(原罪意識)」が中々払拭できず、
此の欄でも三代目(自称)さんの言行にも顕れていますが、中々という処でしょうか。

しかし、「唯心實相論」は永遠です。
迷いは必ず消える。



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