《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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ある意味で三代目さま(自称)も「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」の被害者だった! (5743)
日時:2017年04月09日 (日) 17時11分
名前:中仙堂

アパホテル炎上問題 「南京大虐殺」否定は「妄想」なのか? 
中国が30万人にこだわる理由
http://news.livedoor.com/article/detail/12578693/

なんと云うことでしょう。
事の発端は矢張りGHQ アメリカ進駐軍
随分尾を引くものです。


APAホテルの客室に、いわゆる「南京大虐殺」を否定する記述のある書籍が置かれていたことが、大きな議論を呼んでいる。
 中国側が「不快感」を表明するのはいつものことだが、日本でも批判的な人が多い。19日に放送された「スッキリ!」では、評論家の宇野常寛氏が、「陰謀史観」「歴史修正主義」「妄想」と、APAグループCEOの歴史観を徹底的に批判していた。
 中国とは異なり、日本ではこの南京事件について、様々な研究、検証が自由に行なわれている。様々な見解があるが、多くの研究が示しているのは、事件が「存在しなかった」というのは言い過ぎにしても、その実像は中国の主張する通りではない、という点である。これは決して「妄想」でも「陰謀史観」でもない。
(略)
最初は「2万人」だった
 その後、次のような目標が決定されてからは、日本人に戦争に関する罪があることを周知徹底するという目標に取り組み始めた。
(1)アメリカは戦争犯罪者を罰することができるだけの道徳的根拠を持っていることを示すこと。
(2)戦争犯罪容疑者に措置が取られるのは人類のためであることを示すこと。
(3)戦争犯罪者を罰することが日本と将来の世界の安全を築くために必要であること示すこと。
(4)戦争犯罪者は日本国民の窮状に責任を負っていること、しかし、国民自身も軍国主義体制を許容した共同責任を負っていることを示すこと。
 これらの目標を手っ取り早く達成する方法は、日本軍による残虐事件を大々的にとりあげることだ。そこで、『真相はかうだ』は、ひとわたり日本軍の軍事作戦の大失敗の例を示したあとで、「南京の暴行」と題して日本軍による残虐行為をレポートした。

(略)
 広島・長崎への原爆投下に対する日本人の非難を封じるための対抗措置とは、日本のメディアに日本軍が戦争中に行った残虐行為について報じさせることだったことはいうまでもない。残虐行為の内容は、原爆投下による広島・長崎の惨劇に見合うものでなければならず、犠牲者数も広島・長崎のそれに見合うものでなければならなかった。あとになればなるほど「南京事件」の被害者の数は膨れ上がっていくが、その理由の一つはここにあった。
にもかかわらず、実際には、30万人という数値を裏付ける客観的資料は存在しない。よく引用され、中国がユネスコに世界記憶遺産登録を申請して認められた「南京大虐殺文書」にも指定されている南京安全区にいた欧米人の日記や記録でも、少人数の虐殺や暴行については目撃証言があるが、数百とか数千とかの単位のことになると伝聞ばかりになっている。
 あるのは、日本軍による100人単位(累計で数千人単位)での国民党便衣兵の処刑があったようだという伝聞情報と、ほぼ毎日のように行われる安全区にいた少人数の中国人に対する暴行(とくに女性に対する性的暴行)の目撃情報だ。

命もいらず、名もいらず (5752)
日時:2017年04月10日 (月) 09時00分
名前:中仙堂

それでわれわれの「実相(まこと)」が発現しますれば、八方正面の人間になるのであります。神に対する時にも「まこと」、親に対する時にも「まこと」、良人(おっと)に対する時にも「まこと」、「実相」の中にすべてが備わっているのでありますから、誰に対する時にもただ「実相(まこと)」だけでよい。だから神に対する時には「信」でなければならないとか親に対する時には「孝」でなければならないとか、そういう区別をしなければならないということはないのであります。「まこと」は円相で、すべて成就でありますから「まこと」さえあらわせれば、八方に対して「誠」をあらわせば自然「信」となるのであります。
(頭注版 『生命の実相第17巻63頁 引用)

駿府城は嵐を予期する如く、しいんと静まり返って居た。鉄舟

及び薩摩藩士、益満休之助ら二人は、並み居る官軍の要所要所
を静々と進んだ。
如何なる事態が行く手を阻もうとも、躊躇する鉄舟では無かっ
た。広い廊下は亡き大御所家康公の隠居城として、歴史ある建
物であった。
(西郷の側近)「お待ち下され。」
既に身の回りを丁寧に調べ上げられた鉄舟は、休之助を一人残
して
西郷隆盛の待つ座敷きへの入室を促された。
(鉄舟)「失礼いたしまする。」
(西郷)「……。」
(西郷の側近)「お控えなされ。」
(西郷)「……。」
小さな部屋を圧する小山の様な大丈夫が奥に座して居た。
(西郷の側近)「こちら、徳川恩顧の幕臣山岡鉄舟殿。」
(鉄舟)「山岡にござりまする。」
(西郷)「うむ…。」
大きな男が厳つい、しかし何故か優しい目で、じっと鉄舟を見
つめた。
山岡鉄舟の人物を射抜く様な澄んだ眼差しであった。
じっと平伏した鉄舟が面を上げると
(西郷)「山岡殿でごわすか。」
(鉄舟)「はい。山岡鉄舟にござります。」
(西郷)「俺
おい
どんに、何の話しでごわすか。」
鉄舟は面倒な挨拶は早々に、幕臣として。
いや其れよりも、国士として
此の喫緊の事態。
風前の灯火と化した大江戸百万が修羅の巷を思い、
勝海舟並び、君主慶喜公の命を受け、己の肚わたを全て曝す覚
悟であったに違い無かった。
身命を賭し、切々と語る鉄舟の赤誠の想いに西郷は思わず目頭
を熱くした。
しかし西郷の示したものは、
一、江戸城を明け渡す
一、城中の家臣団を向島に移動させる
一、持てる兵器を打ち捨てる
一、軍艦を官軍に引き渡す
一、君主慶喜公を備前へ預ける
の条件であった。
しかし、鉄舟は少しも怯むこと無く、全てを飲むと思うと、突
然はらはらと落涙し、東征大総督西郷南洲に熱き想いを語った。
(鉄舟)「一つ、此れだけは肚に収め兼ねまする。
鉄舟生命を賭けて、此れだけはお引き受け出来ぬ。」
(西郷)「何でごわすか。」
大きな目でじろっと睨む西郷に、
(鉄舟)「仮に大総督西郷閣下のご主君が他家にお預けとなれば、如何
なされます。」西郷はぐっと天井を睨み、
(西郷)「……。」
小半時程、低く唸って居た。
(西郷)「判り申した。」
そして
(西郷)「はっはっはっはっは。実に山岡殿は始末に困る御人じゃ。」
(西郷)「はっはっはっはっは。よう判り申した。海舟殿にお会い申そ
う。」
(西郷)「おうっ。山岡殿をお送り申せ。手厚くのう。」
(西郷の側近)「はっ。」
鉄舟は暫くの間、西郷の温かい心情に頭を上げ得無かった。

此の後天下に名高い江戸城無血開城があり、幕府方の勝海舟、と官軍の西郷南洲の巨頭会談が行われた。
その双方の掛け合いの前哨戦が、駿府城の西郷と鉄舟の会談であった。
当時無名の鉄舟に托された、将軍慶喜、勝海舟の期待。
其れは巨きかったであろう。
何しろ鉄舟の巨きさ、潔さ、至誠心そして
「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ。」
の心情は西郷の心をいたく感激させたらしい。

http://ncode.syosetu.com/n2112ds/

いよいよ日本の偉人が 世界で評価される時代です。  (5753)
日時:2017年04月10日 (月) 09時26分
名前:中仙堂

海外『この日本人は屈指の名君だ!』注目されし…
逆境を乗り越えたその実力

https://www.youtube.com/watch?v=SvVd-KdckK8

いよいよ日本の偉人が 世界で評価される時代です。


幕末の国家戦略 橋本左内

https://www.youtube.com/watch?v=nx-ieAOSLjA


人と異なることを恐れるな

https://www.youtube.com/watch?v=x3nGVfymDgk



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