| 命もいらず、名もいらず (5752) |
- 日時:2017年04月10日 (月) 09時00分
名前:中仙堂
それでわれわれの「実相(まこと)」が発現しますれば、八方正面の人間になるのであります。神に対する時にも「まこと」、親に対する時にも「まこと」、良人(おっと)に対する時にも「まこと」、「実相」の中にすべてが備わっているのでありますから、誰に対する時にもただ「実相(まこと)」だけでよい。だから神に対する時には「信」でなければならないとか親に対する時には「孝」でなければならないとか、そういう区別をしなければならないということはないのであります。「まこと」は円相で、すべて成就でありますから「まこと」さえあらわせれば、八方に対して「誠」をあらわせば自然「信」となるのであります。 (頭注版 『生命の実相第17巻63頁 引用)
駿府城は嵐を予期する如く、しいんと静まり返って居た。鉄舟
及び薩摩藩士、益満休之助ら二人は、並み居る官軍の要所要所 を静々と進んだ。 如何なる事態が行く手を阻もうとも、躊躇する鉄舟では無かっ た。広い廊下は亡き大御所家康公の隠居城として、歴史ある建 物であった。 (西郷の側近)「お待ち下され。」 既に身の回りを丁寧に調べ上げられた鉄舟は、休之助を一人残 して 西郷隆盛の待つ座敷きへの入室を促された。 (鉄舟)「失礼いたしまする。」 (西郷)「……。」 (西郷の側近)「お控えなされ。」 (西郷)「……。」 小さな部屋を圧する小山の様な大丈夫が奥に座して居た。 (西郷の側近)「こちら、徳川恩顧の幕臣山岡鉄舟殿。」 (鉄舟)「山岡にござりまする。」 (西郷)「うむ…。」 大きな男が厳つい、しかし何故か優しい目で、じっと鉄舟を見 つめた。 山岡鉄舟の人物を射抜く様な澄んだ眼差しであった。 じっと平伏した鉄舟が面を上げると (西郷)「山岡殿でごわすか。」 (鉄舟)「はい。山岡鉄舟にござります。」 (西郷)「俺 おい どんに、何の話しでごわすか。」 鉄舟は面倒な挨拶は早々に、幕臣として。 いや其れよりも、国士として 此の喫緊の事態。 風前の灯火と化した大江戸百万が修羅の巷を思い、 勝海舟並び、君主慶喜公の命を受け、己の肚わたを全て曝す覚 悟であったに違い無かった。 身命を賭し、切々と語る鉄舟の赤誠の想いに西郷は思わず目頭 を熱くした。 しかし西郷の示したものは、 一、江戸城を明け渡す 一、城中の家臣団を向島に移動させる 一、持てる兵器を打ち捨てる 一、軍艦を官軍に引き渡す 一、君主慶喜公を備前へ預ける の条件であった。 しかし、鉄舟は少しも怯むこと無く、全てを飲むと思うと、突 然はらはらと落涙し、東征大総督西郷南洲に熱き想いを語った。 (鉄舟)「一つ、此れだけは肚に収め兼ねまする。 鉄舟生命を賭けて、此れだけはお引き受け出来ぬ。」 (西郷)「何でごわすか。」 大きな目でじろっと睨む西郷に、 (鉄舟)「仮に大総督西郷閣下のご主君が他家にお預けとなれば、如何 なされます。」西郷はぐっと天井を睨み、 (西郷)「……。」 小半時程、低く唸って居た。 (西郷)「判り申した。」 そして (西郷)「はっはっはっはっは。実に山岡殿は始末に困る御人じゃ。」 (西郷)「はっはっはっはっは。よう判り申した。海舟殿にお会い申そ う。」 (西郷)「おうっ。山岡殿をお送り申せ。手厚くのう。」 (西郷の側近)「はっ。」 鉄舟は暫くの間、西郷の温かい心情に頭を上げ得無かった。
此の後天下に名高い江戸城無血開城があり、幕府方の勝海舟、と官軍の西郷南洲の巨頭会談が行われた。 その双方の掛け合いの前哨戦が、駿府城の西郷と鉄舟の会談であった。 当時無名の鉄舟に托された、将軍慶喜、勝海舟の期待。 其れは巨きかったであろう。 何しろ鉄舟の巨きさ、潔さ、至誠心そして 「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ。」 の心情は西郷の心をいたく感激させたらしい。
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