| なぜ、「退会」しないのか、し得ないのか、その理由について… (5447) |
- 日時:2017年03月18日 (土) 13時17分
名前:破邪顕正
『サイコパス』を読んでいて、実に興味深い指摘であると痛感したのが、この箇所です。
「サイコパスと信者の関係」(『サイコパス』197頁~)
こう書いてあるからです。
《自分が騙されていることがわかったり、犠牲者の存在が明らかになったりしても信者であり続ける-不思議な話だとは思いませんか?…
人は、自身の中で矛盾する認知を同時に抱えて不快感(葛藤)をおぼえると、その矛盾を解消しようと、都合のいい理屈をつくりだすことが知られています。
簡単に言えば、「これは正しい」と思い込んだことが後から「間違っている」と証拠を突きつけられた場合、人間の脳は「言い訳」の理屈を考え出し、何とか間違いを認めずに済むようにしようとするのです。
何かを信じたら、そのまま信じたことに従い、自分で意思決定しない方が、脳に負担がかからず、ラクなのです。》
最後の、「ラク」。
これがキーワードだなと思った次第です。
組織に残っている信徒の心理分析として、これは見事に当て嵌まっているように思えてなりませんでした。
「総裁先生はお孫さま、そこについていけば間違いがない」とか「中心帰一、ハイが生長の家の教えだから」等々、いろんな「言い訳」があるわけですが、煎じ詰めれば、それが脳にとっては「ラク」だからなんだと思い知らされた次第です。
「ラク」に生きる。
「凡庸」に生きる。
〝そのままでいいんだよ〟
何か、そこには共通したトーンがあるように思えてなりません。
でも、そういう生き方で本当に好いのか。
それが本当の意味での〝しあわせ〟と言い得るのか。
この本を読んで痛感したこと。
それは結局、ここに本当の幸せがある、悦びがある、救いがある!
それを自らの生き方で指し示すこと。
それが、今、一番、求められているのだということでありました。
「組織」を退会した人が、今、「谷口雅春先生を学ぶ会」に行って、見違えるように生き生きとしている!
その姿しか、「ラク」に生きようとする信徒を振り向かせる道はないのではないのか。
それを改めて痛感した次第です。
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