《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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谷口恵美子先生の“今”を本当に知らないでいる白鳩会幹部たち! (5330)
日時:2017年03月12日 (日) 18時32分
名前:破邪顕正

私は正直、如何に何でも、白鳩会の幹部であれば、谷口恵美子先生が今、どこにいられるか。

それぐらいのことは知っているのだろうと思っていました。

ところが、それは全くの私の勝手な思い込み、見当違いであったことを思い知らされました。

ある方が白鳩会幹部と出会いました。

それで、「今、谷口恵美子先生はどうされているか、知っている?」

そう尋ねました。

すると、「いいえ、知りません」との返事。

で、「今、高知で宮澤先生のところにおられるのよ。先日、高知教区の講習会があって、高知にまで足を運んでいるというのに、総裁夫妻は、谷口恵美子先生に会おうともしなかった、これをどう思う?。」

そう言われて、白鳩会幹部は、「えっ」と絶句したままだったそうです。

私は、その話しを聞いて、二重のショックを覚えました。

一つは、白鳩会幹部でありながら、谷口恵美子先生がどうなさっているか、まずはそこに関心すら抱こうとしていないこと。

二番目に、だから、谷口恵美子先生の今の状況を知ろうとも、尋ねてみようともしないこと。

私は、てっきり、幹部の皆さんは、谷口恵美子先生の状況はそれとなく知っていて、立場上、詳しいことを聞いてはならない、でも何となく察してはいる…。

そのように勝手に思い込んでいました。

しかし、現状は、私が考えていた以上にヒドイようであります。

でも、ある意味、知らないでいるからこそ幹部でいられるのかなとも思いました。

生長の家と言えば、「大調和の神示」。

親孝行の教え。

そのように言われてきたものです。

それに真っ向から背反しているのが今の総裁夫妻であります。

こんなことで本当にいいの?

そう思うのが、生長の家の信徒として、普通の感覚だと思うのです…。

しかし、今は、その普通の感覚すら麻痺している…。

これを生長の家の危機と言わずして何と言おう。

そんな思いでいっぱいです。



“自分のしていることを平気で棚にあげ説教できる神経がスゴイなあ…!” (5352)
日時:2017年03月13日 (月) 17時57分
名前:破邪顕正


表題は、口さがない知人が、フトもらした言葉です。

言うまでもなく、これは、〝背教総裁〟ブログ「唐松模様」2017年3月11日 (土)付けの「自然界に“与え返す”生き方」に出て来る、次の箇所をさしてのものです。

《子供は小さいときは、母から与えられることを当然に思い、母に要求し、母から奪いながら成長します。

しかし、成人して人生経験を重ねるにつれて、親の立場を理解するようになりますから、母をいたわり、母を護り、母に与え返すことで、より深い満足を得、人間的に成長します。

これは個人の人生の一般的姿です。》

普通、こういうことに言及するときには、果たして自分はそれを成し得ているか、自問自答するものであろうと思うのです。

しかし、ご存じのように、今、谷口恵美子先生は原宿の「お山」の“軟禁状態”から脱して高知においでであるわけです。

それを思えば、とてもではありませんが、「母をいたわり、母を護り、母に与え返すことで、より深い満足を得、人間的に成長します」などと言い得ようはずがありません。

一体、どの口がそれを言うのかとここでもまた思ってしまうのです。

どうせ、一般信徒は、谷口恵美子先生の今なんか知ってはいない…。

「個人の人生の一般的姿」として書く分には、何らおかしくはない…。

多分、〝背教総裁〟はその程度の認識でこれを書いたのではないでしょうか。

だから、恥ずかしげもなく、こういうことを書けるのだと私は思った次第です。

改めて、信徒に、“事実”をしっかりと知らしめていくしかない。

たとえ、また「谷口雅春先生を学ぶ会」は「悪口」を言っていると難じられようと、それに決して怯んではならない。

倦まず絶えず、繰り返し、繰り返し、“事実”を伝えていくしかない、そう思った次第です。



背教総裁は・・・。 (5362)
日時:2017年03月13日 (月) 21時42分
名前:そーれ!!

幼いころから、そして現在に至るまでずーと~~

お母様から奪い続けている様に思うのですが・・・

お山時代は、家賃までも・・・。

言う事と、行いの辻褄が合わない立派な評論家・・・

奪うと言えば、あの教化部長も、他の教化部長も・・・

上司が上司なので、仕方ないのかもしれません。

高額収入故、金銭感覚が、麻痺して来たのでしょうか?

であれば、まともな教化部長を、ボンクラ教化部長に堕落させた

責任も、あの人にある様に思えます。

“「母から奪いながら成長します」これが曲がりなりにも宗教家の言うことだろうか…!” (5390)
日時:2017年03月14日 (火) 18時05分
名前:破邪顕正


これまた、口さがない知人の言葉です。

言うまでもなく、件のブログのこの箇所を指してのものです。

《子供は小さいときは、母から与えられることを当然に思い、母に要求し、母から奪いながら成長します。》

こういうときに「奪う」という表現を使いますか?

少なくとも、これは宗教家の使うものではないと私は思います。

〝背教総裁〟をヨイショすることにおいて、この人の右に出る人はいないと専らの評判の中内教化部長が、かつてこういうことを書いています。

《平成24年4月03日②「”大自然讃歌(2)”に学ぶ」…

すべての生命が互いに兄弟姉妹であると知ると、地球生命の繁栄の過程は、神の知恵と愛と生命の表現であることを自ずから知ることになる、としておられます。

重要な観の転換です。

これは、シャカがバラモンの乙女から牛乳のおかゆを布施されたとき、牛から奪ったのではなく、仏の慈悲が乙女スジャータを通してシャカを生かそう生かそうとする姿であったと知ることになります。

谷口雅春先生が、蛇がカエルを飲み込もうとしていたのは、人間の心の反映であるのに過ぎず、本当は生かし合いの世界をこそ、神様は創造しておられたのでした。

それを知ることです。》

さすがは、教化部長先生です。

「奪ったのではな」いということ、それこそがまさしく「重要な観の転換で」なければなりません。

また、別の知人は、こんなことも言っておりました。

聞くところによると、谷口恵美子先生は薬漬けにされ、そのために判断力を失われた。

で、成年後見制度が持ち込まれ、谷口恵美子先生の資産は、いまだ教団に奪われたままである…。

「小さいときは」だけではない、今でも母から奪っているではないか。

そう言って憤慨していました。

なお、中内教化部長は、同じ日付のブログで、こういうことも書いています。

《『生命の實相』頭註版第1巻5頁には、「二、吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず」とありますように、生々化育の道に乗っていること。

生命の法則は生長することにあるので、退歩することではないということです。》

ちゃんと、わかっていられるではありませんか。

それなのに、どうして今になって「目指せ、凡庸!」などと言われるようになったのでしょうか。

結局、〝背教総裁〟の今回のブログ記事といい、先の「凡庸の唄」といい、生長の家〝法燈〟継承者のそれとはとても思い得ないものであることは論を俟たないところではないでしょうか。




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