《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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透明な歳月の光  夫の旅立ち (4872)
日時:2017年02月08日 (水) 22時58分
名前:童子

 産経新聞 2月8日
 
          曾 野  綾 子
        
  何もかも平穏な冬の朝

 私の年になると、お正月にいろいろな方から、優しい言葉をかけていただくと、思いがけない事実を思い出す。


 私の知人の女性の一人なのだが、きれいで心温かく、かつ多情な人がいた。 夫との間に一子を儲けたが、まだその子が幼いうちに、夫も子供も捨てて、新しく好きになった男のもとへ走った。 妻に捨てられた夫は後に心優しい女性と再婚し、その女性が幼子を育てた。


 30年以上が経って、家も子も捨てた母は回復の望めない癌に罹った。 多分彼女の心に浮かぶのは、幼い時に別れて合うこともなかった息子のことだろう。 何とかして再会させる方法はないか、と私は考えた。


 その時、私の一人の知人が、その役を買って出てくれた。 その子が、大学を出てからある役所に勤めていたことを実母は人づてに聞いていたので、その線に沿って探し出せるかもしれない、と彼は言ってくれたのである。


 病気の母がまだ意識もあるうちに、その知人はやっと探し当てた息子の住所を、私の手元に届けてくれた。 私は病床の母に、「あなたが、自分で電話する?それとも私か先にかけておく?」 と尋ねた。


「いいわ、私か自分で電話する」 と彼女は言い、私は電話番号を書いた紙を彼女に渡した。


 しかし結局、この母は、ついに自分から息子に連絡を取ることはしなかった。 病気になったから、電話をかけたなどということになると、お金か何か助けを求めて連絡を取ったのではないか、と思われるのが嫌だった、と彼女は私に語ったが、それだけのことではなかっただろう。

 彼女は自分で子供を捨てた罰を自分に課したようにみえた。 とにかく母と子の長い沈黙の歴史は終わり、母は何も言わず、息子に会う機会も自ら捨てて、この世を去った。


 彼女の死後、私は彼女の息子に、母の近影をたくさん用意して渡した。 すると彼はためらいがちに私に言った。


 「母の顔はよくわかりましたが、母はどういう声をしていた人なんでしょうか。 もし録音テープをお持ちでしたら・・・」


 私の手元に声の記録はなかった。


 この息子の居場所を探し出してくれた人も、最近の私の夫の死に際して手紙をくれた。 たくさんの人たちの配慮に包まれて、夫はこの世を去った。 口も態度も悪い人だったから、改めて感謝もしなかっただろうけれど、彼の生涯が平穏そのもので明るかったのは、よき人々の存在に包まれていたからである。



 死の朝の透明な気配を私は忘れない。 私は前夜から病室に泊まっていたが、夜明けと共に起き出してモニターの血圧計を眺めた。 何度も危険な限界まで血圧が下がっていたが、その朝は63はあって呼吸も安定していた。 朝陽が昇り始め、死はその直後だった。



 病室は16階だった。 西南の空にくっきりと雪をかぶった富士が透明に輝いており、自動車も電車も通勤時間に合わせて律義に走り回っていた。 それが夫の旅立ちの朝であった。


      ・・・・・・・・


 夫 三浦朱門氏を3日前に亡くしてのエッセイ

 クリスチャンらしい文です


 



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