《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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機関誌『生長の家』2月号を読んだ信徒さんの怒りがスゴイです!これでは、総裁は〝フェイク総裁〟だ! (4848)
日時:2017年02月07日 (火) 18時39分
名前:破邪顕正


組織に残っているある幹部の方から、その苦しい胸の内を打ち明けられました。

もう、総裁の明らかな“ウソ”に付き合うのが耐えられない!

こういう“ウソ”にダマされていく信徒を見るのもまた忍びがたい!

本当に辛そうでした。

一体、何が、この幹部をして懊悩せしめているのか?!

それが表題にある2月号です。

ここで、総裁は、10頁以降において、「二つの讃歌が書かれた経緯」を語っているのですが、それが実に厚顔無恥というか、事実の歪曲も甚だしいことを公然とやっているのです。

とりあえず、その当該箇所を引いておきます。

《この讃歌ができたのは、今から約五年前であります。

私がどうして讃歌を書くに至ったかを申し上げると、当時、生長の家の運動に反対する人たちがいらっしゃって-今もいらっしゃいますが(笑)-聖経『甘露の法雨』と『天使の言葉』、その他の著作権を持っていることを理由にして、生長の家から出版させないための訴訟を起こした。

私たちの立場から見たら、こんな重要な経典が運動の中で使えないことになるので、大変な背教的行為であります。 

ご存じのように、裁判での結論が出るには時間がかかります。

その間、『甘露の法雨』や『天使の言葉』が使えなくなるのは大変なことだから、何とかしないといけない。

ということで、私はブログ「唐松模様」に、まず『大自然讃歌』を書かせていただき、続いて『観世音菩薩讃歌』を発表したのであります(拍手)。》

それはないでしょう!

だって、総裁ははっきりと「聖経」を〝補強〟するために創ったと言ったではありませんか!

裁判のことなんか関係なかったはずでしょう!

それが、こんな理由で『讃歌』の経緯を正当化しようとしているのです!

悪いのは、すべて「生長の家の運動に反対する人たち」のせいだと言うのです。

責任転嫁も甚だしいと言わざるをえません。

今の総裁が、如何に〝フェイク総裁〟であるか!

それを満天下に明らかにしていく、その使命感にますます燃えたっております。



「志恩」さんに感謝申し上げます! (4850)
日時:2017年02月07日 (火) 19時22分
名前:破邪顕正


<愛国本流掲示板>に、「志恩」さんが、私の投稿を〝補強〟してくださっていますので、それをここに紹介させていただきます。


谷口雅宣総裁は、確かに、「補強」を試みていると書いておられました。

「私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。

そうではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義- -例えば自然と人間との関係など--について⭕【補強】を試みている」。   (16387)

日時:2017年02月07日 (火) 19時11分
名前:志恩
谷口雅宣総裁のブログ「唐松模様」より,(全文掲載)


(志恩;注:「補強」の言葉に、わかりやすように、私が、⭕と【 】を付加しました)
___________________________________________________________

2012年10月 1日 (月)

生長の家と自然

私は今年3月末の本欄で、「新年度の始まりに寄せて」と題して今年度の運動の方向性を展望したとき、9・11やそれに続く“テロとの戦い”の昏迷、人間の自然破壊と地球温暖化の進行、さらには東日本大震災とそれによる原発事故など昨今の一連の悪現象の流れの背後に、「神-自然ー人間」の間の不調和があることを述べ、これを解消するためには、これら三者の間の大調和を心に強く描くことが必要であることを訴えた。

そして、そのための方法の一つとして、『大自然讃歌』と『観世音菩薩讃歌』を本欄に発表して、これを先に出版した『日々の祈り』に収録された祈りの言葉とともに、読者に利用してもらいたい旨を述べた。

その時、これら2つの自由詩の意図についてこう書いたのだった--

「私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。

そうではなく、むしろ聖経で説かれた真理を引用しながら、聖経では強調されていなかった方面の教義--例えば自然と人間との関係など--について⭕【補強】を試みている」。

この「補強」ということについて、一部で誤解があるようなので少し説明しよう。

私は、聖経『甘露の法雨』や『天使の言葉』の中に、例えば自然と人間の関係について「説かれていない」から、その欠落を補うためにこれらの長編詩を書いたのではない。

説かれていても、詩編全体の中で量的にあまり多くないなど形式的に「強調されていなかった」ので、それを強調する必要を感じたのである。

このほど経本の形で出版された『大自然讃歌』を入手された方はお分かりだが、2つの聖経の中でそれが実際に説かれていた証拠として、経本版『大自然讃歌』では聖経からの引用箇所を鈎括弧でくくって明確に示してある。
 
例えば、『天使の言葉』にある「外形は唯自己の信念の影を見るに過ぎず」という言葉は、この「外形」を人間に限定して理解する必要はなく、人間と異なる外形をもった生物についても、それを“異物”として排除してはいけないと説いている。

また、同じく『天使の言葉』にある「億兆の個霊(みたま)も、悉くこれ唯一神霊の反映(うつし)なり」という言葉についても、ここにある「個霊」の語は、人間の霊に限定すべきではないと述べている。

さらに、『甘露の法雨』で説かれている「感覚にて視得るものはすべて心の影にして第一義的実在にあらず」という真理に言及して、この「感覚にて視得るもの」も人間に限定すべきでないとしているし、「感覚はこれ信念の影を視るに過ぎず」との意味も、自然界すべてに及ぶものだと説いている。

これらのことは、聖経に書かれた言葉をきちんと理解して読めば、初めからそういう意味で説かれているのであるが、これまでとかく見過ごされてきたと思うのである。

つまり、聖経では自然と人間の一体性が説かれているのに、それに気がつかずに読んできた場合も多々あるだろうから、『大自然讃歌』ではそのことを詩文の量的にも、また表現の明確さにおいても、前面に押し出している。

そういう意味での「補強」なのである。

このことは、何も聖経に限られたことではない。

『生命の實相』など谷口雅春先生の他の聖典にも、自然界の事象や出来事を先生自らの“心の鏡”として理解し、そこから学ばれようとする態度は明確である。

例えば、『生命の實相』聖詩篇(頭注版第20巻)に収録された「甘露の法雨」以外の“生長の家の歌”にも、自然界の出来事を取り上げたものが数多くある。

具体的には「生きた生命」「花園にて」「光明の国」「太陽の讃歌」がそれだ。

また、同じ巻の自伝篇の部分に出てくる「野の百合の生きる道」という詩も、野生のユリに先生がご自分の理想の生き方を投影されているという点で、人間と自然との一体性を前提とした作品である。

詩文のようなものだけでなく、哲学的な論文形式のご文章でも、同じことが言える。

自然界の現象を冷静に観察し、そこから真理に到達しようとされる谷口雅春先生の真剣な態度は、多くの生長の家信徒の心を打ったに違いない。

その代表的なご文章は、同じ『生命の實相』第20巻の冒頭にある「ヘビとカエルの闘争」の話である。

読者に思い出していただくために、その一部を引用しよう--

「自分はある日殿様蛙が一匹の小さなる蛇に呑まれる光景を自宅の庭で目撃したことがある。

蛙は蛇に呑まれるべくあまりに大きすぎるためにそれを呑みつくすのに一時間以上もかかった。

その長い間大いなる蛙はその四肢を苦しそうに打ちもがかせながらビリビリと痙攣的に全身を震わしていた。

自分はその蛙でないから蛙が本当に痛がり、また苦しんでいたのかどうかは知らない。

しかしその苦痛そうに見える四肢のもがきや、“生命”の同胞が相食べんでいる光景を“生命”の同胞の一人なる自分がみることは、ただそれを見ることだけでも幸福なる事実でない。

かくのごとき事実を自分は不調和なりと感じないわけにはゆかない」。(同書、pp. 3-4)

このような例を見てくると、生長の家がその立教の当初から「自然と人間」の調和について大きな関心を払ってきたことは疑いない事実なのである。
 
 谷口 雅宣

2012年10月 1日 (月)

唐松模様
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2012/10/post-7ca7.html


〝背教総裁〟のダマしの手口は実に悪質だ! (4863)
日時:2017年02月08日 (水) 10時15分
名前:破邪顕正


〝背教総裁〟は、信徒を本当にバカにしていると私は思います。

信徒なんて、どうにでも騙せる…。

そのようにしか見ていないのではないでしょうか。

それが顕著に出ているのが、この箇所です。

>私がどうして讃歌を書くに至ったかを申し上げると、当時、生長の家の運動に反対する人たちがいらっしゃって-今もいらっしゃいますが(笑)-聖経『甘露の法雨』と『天使の言葉』、その他の著作権を持っていることを理由にして、生長の家から出版させないための訴訟を起こした。<

何を言っているんですか?!

そもそも、なぜ、著作権裁判が生じたのですか?

その裁判沙汰のタネを蒔いたのは、〝背教総裁〟あなた自身ではありませんか!

裁判沙汰の経緯をご存じない方のために、松本恭助氏の投稿から紹介させていただきます。

《平成21年より争われてきた『生命の実相』の著作権をめぐる裁判は、…宗教法人「生長の家」ならびに株式会社日本教文社の全面敗訴、財団法人生長の家社会事業団ならびに株式会社光明思想社の勝訴が言い渡された。

この裁判は、初版本革表紙『生命の実相』復刻版の印税を、発行元の日本教文社が著作権者の生長の家社会事業団に支払っていなかったことに端を発している。

『生命の実相』の著作権は、谷口雅春先生が昭和21年、生長の家社会事業団を設立された際、その基本資産として事業団に譲渡され、谷口雅春先生は署名捺印されて東京都に「証明書」を提出されている。

また、著作権が生長の家社会事業団に譲渡されている旨を明記した著作権登録申請が、谷口雅春先生が亡くなられた後の昭和63年に、奥様の谷口輝子先生、二代目総裁谷口清超先生、谷口恵美子先生連書で捺印されて文化庁で正式に手続きされた。

こういった事実があるにもかかわらず、宗教法人「生長の家」は強引に『生命の実相』の著作権を生長の家社会事業団から奪おうと画策し、今日の事態を招くに至った。

しかし、この度の裁判によって、財団法人生長の家社会事業団は、谷口雅春先生の御教えを伝えるために設立された株式会社光明思想社から今後とも聖経及び聖典を引き続き発行し、また『生命の実相』は新版として刊行していくことになった。》

つまり、すべては、〝背教総裁〟が著作権は自分にあるとして著作権料を支払わなかったことに起因しているのです。

そういうことには頬被りして、最高裁で敗訴したこと結果を受けて、今度は、上記に記したように、「聖経『甘露の法雨』と『天使の言葉』、その他の著作権を持っていることを理由にして、生長の家から出版させないための訴訟を起こした」などと言うわけです。

よし、百歩譲って、そうだとして、問題は、聖経が生長の家から出版できないだけであって、「聖経」が無くなるというわけでは決してないということなのです。

即ち、「聖経」は著作権を有している公益財団法人・生長の家社会事業団から出版契約を結んだ(株)光明思想社から発行されているわけですから、その「聖経」を活用すればいいだけのことなのです。

ところが、〝背教総裁〟はそれを拒絶したわけです。

で、言うに事欠いて、〝背教総裁〟はこんなデマを飛ばすのです。

>私たちの立場から見たら、こんな重要な経典が運動の中で使えないことになるので、大変な背教的行為であります。<

光明思想社から出ている「聖経」を「使えないことに」したのは、〝背教総裁〟、あなた自身ではありませんか!

にもかかわらす、信徒の皆さんが「こんな重要な経典が運動の中で使えないことになる」のは困るだろうから、「讃歌」をつくらざるをえなかった…

〝背教総裁〟の言っていることは、要約すれば、こんな論理立てなのです。

これが如何にオカシイ屁理屈か。

だったら、「讃歌」は「聖経」に取って代わるべきものとしてつくられたということになるしかないはずです。

ところが、〝背教総裁〟は、一方で、こう言っているわけです。

>私の長編詩は、形式としてはこれら聖経に似てはいるが、それに取って代わるものでは決してない。<

頭隠して、尻尾隠さず。

支離滅裂とはこういうことを言います。

完全に、〝背教総裁〟の言っていることは、完全に、論理破綻しています。

ともあれ、こんなことを機関誌に載せるようでは、本当に恥ずかしい!

アメリカの会員さんが知ったら、こういうでしょうね。

恥を知れ!

それにしても、〝背教総裁〟の周りには、「こんな記事は載せられません」と忠告する人はいなかったのでしょうか?

〝背教総裁〟をして「裸の王様」にしている周囲もまた同罪なのだと思った次第です。


大自然賛歌(惨禍)の矛盾。 (4865)
日時:2017年02月08日 (水) 12時56分
名前:そーれ!!


背教総裁によれば、人間も自然の一部と言う事です。

だったら、「日本会議」も自然の一部では?

当然、スリーパーセルも自然の一部。

良く解りませんねえ。

結局、総裁の言う大自然とは、

ご自身が嫌悪する諸々を除く一切のもの。

これって、典型的な、偽善的利己主義者と言われても、

仕方がない、と、思います。

駄々っ子じゃあるまいし・・・。




〝背教総裁〟はここでも“ウソ”をついています! (4877)
日時:2017年02月09日 (木) 09時59分
名前:破邪顕正


表題は、機関誌2月号の12頁のこの箇所です。

《この二つの讃歌は…『甘露の法雨』や『天使の言葉』と共に読誦される重要な信仰と運動の指針になっている》

だったら、なぜ、平成28年の秋季大祭においては、それまで38年間続いていた『甘露の法雨』読誦をなくしたのですか?

「讃歌」が発表された平成24年から平成27年までの秋季大祭においては、ちゃんと「讃歌」と共に『甘露の法雨』は読誦されていました。

それが、平成28年の秋季大祭では、『甘露の法雨』読誦が消されました。

「この二つの讃歌は…『甘露の法雨』や『天使の言葉』と共に読誦される重要な信仰と運動の指針になっている」

自らそう言っておきながら、敢えて、それを裏切るようなことをしたのは何故ですか?

更に、それに続く、この文章もまた“ウソ”に満ちています。

《私は一見〝悪〟のように見えるその裁判問題と、それを提起した人々が、実は〝運動の支援者〟としての役割を果たしていると感じるのであります。

この事件が起こらなかったら、私は決して、これらの讃歌を書く気を起こさなかったでしょう(拍手)》。

ここで、信徒は(拍手)してしまうのですね。

それを見て、〝背教総裁〟は、きっと信徒を騙すのは簡単だと思ったに相違ありません。

この(拍手)が、〝背教総裁〟の増上慢に、ますます拍車を掛けることになってしまう。

それもこれも、信徒が“事実”を知らないからこそです。

「讃歌」ができた背景の“事実”を、〝背教総裁〟の言葉で、もう一度、書いておきます。

《9・11やそれに続く“テロとの戦い”の昏迷、人間の自然破壊と地球温暖化の進行、さらには東日本大震災とそれによる原発事故など昨今の一連の悪現象の流れの背後に、「神-自然ー人間」の間の不調和があることを述べ、これを解消するためには、これら三者の間の大調和を心に強く描くことが必要である》

それだからこそ、〝背教総裁〟は、二つの「讃歌」を書いたのです!

なのに、平然と〝背教総裁〟は「この事件が起こらなかったら、私は決して、これらの讃歌を書く気を起こさなかったでしょう」などと言い募るのです。

“事実”を知っている人にしたら、これは耐えられない“ウソ”です!

(拍手)なんかできるわけがない、怒りしか湧いてこない!

こういう信徒さんがまだ組織にはいます。

そこに私は一縷の望みを託しています。

そういう信徒の“良心”が勃興する、その励みに「谷口雅春先生を学ぶ会」の存在がお役立ちできたらという思いで、今後とも精進していきたいと思っております。


総裁、講習会でおっしゃったではありませんか! (4884)
日時:2017年02月09日 (木) 21時47分
名前:しろうさぎ

機関誌2月号、見ました。
谷口清超先生は、総裁時代に「嘘はいけない。正直に生きなさい」と
よく教えられましたね?!

総裁はどうして、こんな小手先の、おかしな持論で、二転三転なさるのですか?

講習会(いつ、どこの教区なのかを書けないのが、もどかしいです!)で
おっしゃいました。
あの時、午後の講話で、おもむろに「天使の言葉」の終わりのほうをよみあげて、前にも書きましたように、

「鼓腹撃壌はメタボリック…だから聖経の補強が必要である…と。

私の空耳なんかではありません!寝ていた人は聴き逃したかと思いますが、心ある信徒は、あれを聞いて、溜め息ついていましたよ。

当時の教化部長に、「鼓腹撃壌は、お腹いっぱい食べて、メタボリックなんて、総裁先生は本気でそんなことおっしゃっているのでしょうか?」
と、「しろうさぎ」は追求しましたもの。

教化部長は、「私個人は、鼓腹撃壌がメタボリックということだとは思っておりませんでした。
ただ、総裁先生が、そのようにご教示くださったからには、そういうことなんでしょう」

信徒が教義について真剣に聞いても、「しがみつきシンドローム教化部長」は、判でついたような、間抜けな解答しかしないんです。

2月号の機関誌を見て、この総裁は、どこまで信徒を舐めてかかっているのだろう?!と呆れ果ててしまいました。

「背教者」と言われておりますが、「背教者」は、あなたでしょう?

現総裁が実権を握られてから、私が教団にいた時間を返してほしいです。
「生長の家」に人生を捧げてきた信徒たちを踏みにじる総裁。

退会をあんなに悩んだ日々が虚しいです。



「しろうさぎ」さんへ (4887)
日時:2017年02月10日 (金) 08時24分
名前:破邪顕正


『機関誌』2月号の12頁下段に、こういう文章があります。

>そういう経本が生まれたのは、実は〝背教者〟の如く振舞った人々がいたお陰だともいえるのです(拍手)。<

このことばもそっくりそのまま〝背教総裁〟にお返ししたいですね。

このようにです。

《「谷口雅春先生を学ぶ会」が生まれたのは、実は〝背教者〟の如く振舞った総裁がいたお陰だともいえるのです。》

今、谷口雅春先生の御教えを本気で学ぼうという気運が漲ってきたのは、〝背教総裁〟のお陰です。

>現総裁が実権を握られてから、私が教団にいた時間を返してほしいです。

「生長の家」に人生を捧げてきた信徒たちを踏みにじる総裁。

退会をあんなに悩んだ日々が虚しいです。<

その空しい日々を黄金の日々に変える、そのためにこそ「谷口雅春先生を学ぶ会」は存在しています。

教団を退会してからが、本当の信仰のはじまりなのだと私は思っています。

無駄なものは、何一つない。

空しい日々もまた有り難し。

空しい日々があったからこそ、今がある。

そういう人生にしていこうではありませんか。

谷口雅春先生の教えは、どこどこまでも光明思想であります!

これから、今から、ここからです!




「破邪顕正」さまへ (4905)
日時:2017年02月10日 (金) 21時44分
名前:しろうさぎ

ありがとうございます!

昨夜は機関誌2月号の総裁の支離滅裂スピーチを読んで、こちらの
テンションが下がってしまいました。

総裁に助言できる人もいないということですね…
まぁいたら、とっくに何とかしていますよね。

「破邪顕正」さまのご指導通りです!
「無駄なことは何ひとつない、空しい日々もまたよし」「退会してからが本当の信仰」…心に響きました!

あの総裁が「背教者」の如くに振る舞ってくださって、「学ぶ会」も
誕生して、今後ますます勢いを増していくのですね。

ホントに今から、ここからですね!
「しろうさぎ」もぴょんぴょん跳ねて参ります!




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