| 「谷口雅春先生を学ぶ会」には中心がない(現生長の家は谷口雅宣総裁が中心)という批判に応える (4745) |
- 日時:2017年01月31日 (火) 18時36分
名前:破邪顕正
表題もまたよく耳にする話です。
折角の機会ですから、これについてもきっちりと反論しておきたいと思います。
「谷口雅春先生を学ぶ会」の中心は、ただただ谷口雅春先生のみであります。
谷口雅春先生の御教えこそが「中心」であります。
それでは、具体的にその御教えの「中心」とは何でしょうか?
『生命の實相』であり「聖経」であると私は思っております。
今の教団には、その双方がないわけです。
「谷口雅春先生を学ぶ会」には中心がない、という批判は、そっくりそのまま今の教団にこそお返ししたいと思うものであります。
『生命の實相』「聖経」なくして「生長の家」と言えるのか、ということです。
「生長の家総裁」という「人」が中心にいることが価値なのでしょうか?
それとも、「真理」が中心となるべきなのでしょうか?
「真理」よりも「人」が大事という価値観に立つのであれば、そのまま教団に残られたらいいと私は思うばかりです。
「谷口雅春先生を学ぶ会」はあくまでも、中心は「人」ではない、「真理」である。
『生命の實相』「聖経」のあるところが中心であると思うものであります。
だって、「萬教包容の神示」には次のように示されているのですから。
《生命の實相の教えが最も鮮やかに現れた所が形の世界の中心である。…
生命の實相の教えが最も鮮かに顕れたところが形の世界の中心であるのである。
そこは最も世を照らす光が多いからである。…
わが行きてとゞまるところは悉く世界の中心であるのである。
誰にてもあれ生命の實相を此世に最も輝かせた處に吾は行きてとゞまり其處が世界の中心となるのである。》
「谷口雅春先生を学ぶ会」に対する教団の言われなき誹謗中傷に対しては、今後とも、断乎として対峙していく決意でおります。
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