尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第二十章「繁栄を来たらすための信仰」 (479) |
- 日時:2016年02月17日 (水) 06時55分
名前:平賀玄米
(二)自分自身及び周囲がよくなるためには、よき心の種子(たね)を蒔かなければならないのであります。常に悲観的な言葉を発し、人を呪う言葉を発し、人の心を暗くする様な言葉を使い、病気を語り、不幸を語り、貧乏を語り乍ら、それでいて、幸福と健康と繁昌とを実現しようと思うのは、これ又カラス麦の種を蒔いて米を収穫しょうと思うのと同じことであります。
創世記の第二章に「アダムが生物(いきもの)に名づけたる所は皆その名となりぬ」とあるのは言葉で出した通りの姿に、すべての生物が変化するということが教えられているのであります。 吾々が幸福になるためには、よき心と行いの種を蒔くことにしなければならないのであります。
(三)吾々が神の導きを受けて幸福な運命を享受し、びょうきを癒され、自分の息子を善き性格の優良児にするには、自分自身の「我」をなくすることが必要なのであります。
先ず「無我」になることが必要なのでありまして、自分が頑固に「我」を立て通している限りは、神の真理の導きが素直に自分に入って来ないのであります。
即ち「我」のはからいを捨てることは、佛教でいう所の「雑行雑修」の心を振り捨てることでありまして、 一向専心神の方へ振り向くことなのであります。
一向専心と云うことが必要なのでありまして、その間に微塵でも我の「はからい」というものが混じっていてはならないのであります。
つづく
<平成28年2月17日 謹写> ありがとうございます 合掌。
|
|