《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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「 縦の真理 」 と 「 横の真理 」   ① (4655)
日時:2017年01月21日 (土) 13時41分
名前:明鏡



生長の家は 二つの真理を説(と)いております。二つの真理と云うのは、
その一つは 「 縦の真理 」 で、もう一つは 「 横の真理 」 であります。


「 縦の真理 」 と云うのは、織物の経糸(たていと)のように 終始一貫して
変らざる真理であります。併(しか)し 経糸(たていと)だけでは
織物は 織(お)れないのでありまして、それに緯糸(よこいと)が 交叉(こうさ)して
はじめて織物が出来るのであります。


それで 現象界と云う織物が出来上(あが)るには 「 緯(よこ)の真理 」
「 経(たて)の真理 」 に 縦横(じゅうおう)交叉(こうさ)して
色々の織模様(おりもよう)をあらわすのであります。


経(たて)の真理 と云うのは 終始一貫変らないと申しましたが、何が変らないかと云うと、
人間は 大生命から生れた、即ち 「 人間神の子 」 と云う真理であります。
これは永遠に かわらない。即ち人間は神の子であり、円満完全であって、
決して病気にもかからなければ、老衰(ろうすい)もしないし、死にもしない。


何処(どこ)にも欠陥のない 万徳(ばんとく)円満のすばらしい神の命が
人間 ‘ そのもの ’ であります。これが永遠 かわらない 「 縦の真理 」 であります。


経糸(たていと)の喩(たと)えを もって説く場合には 「 経(たて)の真理 」
書きますが、そう云う喩えを はなれて説く場合には 「 縦の真理 」 と書きます。
どちらでも結構です。


処(ところ)が 「 横の真理 」 と云うのは、終始一貫して変らない経糸(たていと)の表面に
横に 色々と糸を 組み合わせて 模様を着けて織(お)ってゆく。
それによって終始一貫かわらない縦糸は 其(そ)のままでありながら
現象的には 色々の模様が出来てゆくのであります。
夫(それ)を 「 横の真理 」 即ち 「 心の法則 」 と言っているのであります。


私たちは 神の完全な生命を頂いていると云うことには 変りはないのに、
心の法則に従って 此の現象界にいろいろの人生の有様(ありさま)を展開して
ゆくのであります。


尤(もっと)も 「 縦 」 も 「 横 」 も一つの 「 設計者 」 と言おうか
「 デザイナー 」 と言おうか、兎(と)も角も 織元(おりもと)の技師が
計画をして拵(こしら)えているのでありまして、此の織元の技師は神様で
ありますから、 縦の真理 、 横の真理 と二つあるようでも
神一元(かみいちげん)で、もとは一つであります。


縦の真理 は、神様がつくりたまうたままに 終始(しゅうし)変らざる処(ところ)の
完全な実際の相(すがた)、これを 実相 というのであります。


横の真理 は、実際の相(すがた)でなくて、現れている象(かたち)
すなわち 「 現象 」 を 取扱うのでありまして、その現象がどう云うようにして
変るかの法則であります。現象と云うものは実在(じつざい)の相(すがた)では
ないから色々に変るのです。



新版 『 真理 』 別冊 生死を超える道 ( 89~91頁 ) 谷 口 雅 春 先 生




「 縦の真理 」 と 「 横の真理 」  ② (4656)
日時:2017年01月21日 (土) 13時45分
名前:明鏡



・・・・・それが ( 註:人の顔の形、すなわち、目、口、鼻、耳 ) みな
一定の形に並んでおるのは その物質の成分を並べるところの
或(あ)る 「 理念(りねん)の力 」 、すなわち 「 精神的模型(もけい) 」 とも
言うべきものの力があって、それが物質の成分を並べたものであると言うことが
できるわけなのです。


すべてのものは、物質でできているように見えているけれども、
実は物質で できているのではなくて、神の生命(いのち)が宿って、
神の智慧が それを導いて、そうしてある相(すがた)に現しているのであります。・・・・・


そうして その現れている相(すがた)が みな一様に規則正しく秩序整然としておって、
その現れを見ることによって、その 「 あらわれ 」 の奥にあるところの
「 生命(いのち)の智慧 」 がすばらしい円満な完全なりっぱなものであると
いうことが 類推(るいすい)してわかるということになるわけであります。


その生命(いのち)こそが 皆さんのほんとうの実物(じつぶつ)です。
形は 現れにすぎません。皆さんの実物実体は それは 「 神の生命(いのち) 」 が
ここに現れているのであります。


これを生長の家では 縦の真理 と言っている。これを悟ったから、阿部定(さだ)さんは
病気が治ったのです。これは 終始一貫してかわることなき真理であります。
それでこれを 縦の真理 と言うのであります。


人間が 「 神の生命(いのち) 」 のあらわれで完全だと云う真理は、
織物に譬(たと)えるとちょうど、経糸(たていと)みたいになっているものであって、
終始一貫 かわることなくまっすぐであります。


永遠にかわらない。古今(ここん)を通じて誤らないというように
永遠にかわらないものであります。その永遠に かわらない真理は、
「 人間の生命(いのち)は 神の生命(いのち)で完全である 」 と云うことで
ありますけれども、横の真理 によって その相(すがた)が かわって来るのです。
これは織物の緯糸(よこいと)みたいなものであります。


織物に どんな模様が出て来るかということは、緯糸(よこいと)にいろいろな色が
ついておって、それが右に折れ 左に折れて 織物を織(お)って行(ゆ)く、
そうして外の色々の模様を織り出して行くということになっているのであります。
これを 「 横の真理 」 と言うのであるが、それと同じように人間の生命(いのち)の
ほんとうの相(すがた)は 織物の経糸(たていと)のようにこれは 終始一貫、
つきつらぬいて かわらない完全な生命(いのち)(神の生命(いのち))
であります。


それなのに どうして不完全な相(すがた)が そこに現れて来るのであるかというと、
それは緯糸(よこいと)にあたるところの 「 心 」 に色々の色がついて、
その心に描くものが 形に現れて来るのであります。心に戦争を描けば、
戦争が現われ、心に病気を描けば病気が現れ、心に平和を描けば平和があらわれ、
心に健康を描けば健康があらわれて来るのであります。



新版 『 真理 』 第 5 巻 女性篇 ( 187~189頁 ) 谷 口 雅 春 先 生





「 縦の真理 」 と 「 横の真理 」  ③ (4657)
日時:2017年01月21日 (土) 13時49分
名前:明鏡



思慮(しりょ)分別(ふんべつ)は 「 心 」 の問題であり、
人間は 「 心 」 によって「 真理 」 を知ることができ、
「 真理 」 を知ることによって、自主的境地(きょうち)に達(たっ)し、
自己の人生を支配することができるのである。


イエスが 「 真理は 汝(なんじ)を自由ならしめん 」 と言ったのは
此(こ)の理由によるのである。真理とは何ぞや。


「 人間は神の子であり、神と一体である 」 と云うのが 縦の真理 であり、
念(こころ)によって 「 神と一体 」 なる実相の完全性をあらわすことができるし、
又(また)念(こころ)によって 実相を晦(くら)ますことによって、
“ 月に叢雲(むらくも) " の如(ごと)く、不完全をあらわす事にもなると
云うのが 横の真理 である。



新版 『 真理 』 第 10 巻 実相篇 ( 317~318頁 ) 谷 口 雅 春 先 生


http://blog.goo.ne.jp/porarisu5gou




 (4664)
日時:2017年01月22日 (日) 10時30分
名前:童子

 『生長の家』 昭和59年5月


 
 メンタルサイエンスは、

 生長の家の横の真理で、

 心の法則であって信仰ではない。

 あくまでも科学である。


 心の法則は、

 神を信じなくともよいので、

 誰が応用しても、同じ結果になる。


 即ち、現象を取扱うのであるから、

 何教を信じていても、

 また、神を信じていなくとも

 法則に従っていたら、同じ結果を得る。


 これでは、まだ本当ではない。


 縦の真理は、科学を超えている。

 法華経の自我偈に

 『衆生劫つきて大火に焼かるると見るときも、我が此土は安穏なり』

 とあるように、

 焼けていると見えても焼けていない実相をみるのである。


 心に従って変化する無常の法則  

 ―  “横の真理” の奥に

 「人間は不滅の神の子である」 

 という “縦の真理” が既にあるのである。



 科学には限界があるのであって、

 信仰に入る前に、

 科学によって誰にでもわかる世界を説いても、

 次には 段々と

 “目に見えない世界” を説くようにするとよい。

神の子であるというのは、神の生命の“自己延長”ということであり、神の全徳の継承者であるということである (4693)
日時:2017年01月26日 (木) 07時06分
名前:明鏡


神の子であるというのは 神によって創造(つく)られたる “ 被造物 ” という

意味ではないのである。神の生命の “ 自己延長 ” ということであり、

神の全徳の継承者であるということであるのである。・・・・・・


谷 口 雅 春 先 生

『 聖経 続 真理の吟唱 』 「 人類意識の妄念を断ち切る祈り 」 208~211頁





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