| 日本の最上の紳士であることを感じとったのである (4481) |
- 日時:2017年01月10日 (火) 23時14分
名前:中仙堂
日本人を尊敬しなければならない... 欧米が驚愕した天皇陛下と日本人の感動エピソード
https://www.youtube.com/watch?v=Fur49KJTQ-s
昭和20年8月15日、昭和天皇のラジオ放送によって、日本の敗戦が国民に知らされた。「耐えががたきに耐え、忍びがたきを忍び、以って万世のために太平を開かんと欲す。」この頃天皇が愁いていたのは、占領軍の方針だった。天皇は、自分の臣下だったものが、戦争犯罪人として裁かれることを心配していた。木戸内大臣に天皇はこう漏らした。「自分が一人引き受けて、退位でもして収めるわけにはいかないだろうか。」(略) しかし、GHQにとって問題だったのは、昭和天皇がどういう人柄なのか、全くわからないことだった。「昭和天皇を呼び寄せて、面会してみてはどうか」と進言があった。マッカーサーは答えた。「いや、私は待とう。そのうち、天皇の方から、私に会いに来るだろう」。昭和天皇とマッカーサー会見の半月ほど前のことだった。(略)
写真撮影のあと、2人の会見が始まった。その場で、どのような会話が交わされたのか、日米両国の政府は、未だに何も発表していない。しかし、マッカーサーは、回想記にこの日の模様を記している。 「タバコに火をつけて差し上げたとき、私は天皇の手が震えているのに気がついた。天皇の語った言葉は、次のようなものだった」。 天皇は「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」。 「私は、この瞬間、私の前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じとったのである」。 35分にわたった会見が終わった時、マッカーサーの昭和天皇に対する態度は変わっていた。マッカーサーは、予定を変えて自ら昭和天皇を玄関まで送った。マッカーサーにとって、最大の好意の表れだった。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~t-senoo/Sensou/kaiken/sub_kaiken.html
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