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- 日時:2016年10月12日 (水) 15時19分
名前:童子
谷口雅春先生は、正漢字・正假名遣いで書かれておりました。
その理由については ・・・
『限りなく日本を愛す』 又は 『幸福生活論』 にて述べてあります (同じ御文章です)
その後、『理想世界』誌 『光の泉』誌 は現代の常用漢字、仮名になりましたが
その理由については ・・・
青年のために “翻訳” していると仰言っています。
さて、『理想世界』ジュニア版 の初代編集長であった 佐野一郎氏 が
谷口雅春先生から注意を受けたときの話。
――― ―――
『理想世界』ジュニア版が創刊された年の事です。
当時、日本教文社の重役だった別府正大氏の強い推薦を受けたボクは、初代の編集長として、その敏腕? を振う事になりました。
或る日のこと、尊師、谷口雅春先生から原稿を戴き、早速、割付に掛ったのですが、旧漢字の続け字で、どうしても判読出来ないんです。
普通の人ですと、こんな時、ひどく悩んだり、考え込んだりするらしく、天理教祖も、そんな人のために、“八方ふさがっても、天だけ空いてる” と説かれています。
ところが、普通の人でないボク等は、余り考えないから、いつも四方八方空きっ放しなんです。
この時も、“ええーい、ままよ” とばかり当て推量で下稿しちゃったんですが、数日後に先生から御注意のメモを戴き、おもむろに仰天することになりました。
『これから、人の文章を直す時には、必ず執筆者の了解をとって下さい。
その表現、その文字を使わねば、全体の文章が死んでしまうことがあるのです。
編集者の常識や、単なる好みで勝手に変えてはいけません』
なんでも聞くところによれば、古今東西、谷口先生の御文章に手を入れたりカットしたのはボクが初めてだそうで、前代未聞の不祥事とばかり、当時の上司である松木さんに大目玉を喰ってしまいました。
それから数ヶ月たった頃、またもや同じ事態に遭遇? したのです。
でも、賢者は決して前車の轍は踏みません。
ボクは躊躇する事なく、執筆者である先生に直接お伺いするための文章を作りました。
そして、上書きの、谷口雅春先生机下 という処まで認めたのですが、ここで一瞬、フト変なことに気付いちゃったのデス。
吾が運命は実に、この辺りから翳りを生じたようであります。
と言うのは、“まがりなりにも、ボクは谷口先生の弟子なんです。 その弟子が、師に対して、机の下と書くのはオカシイのではないかと思ったのです。
そう言えば世の中、なんでも下より上が良いに決まっています。
ちなみに、上流社会に下流社会、上等に下等、上品に下品、上役に下役、上水道に下水道と、こう思いついただけでも全て上と名のつくものが下を凌いで? います”
そこで “前回の失敗をクリアするためには、もう、これっきゃない” とばかり一気に、“谷口雅春先生‘机上’” と書き直したんです。
尊師から、いとも丁重なる親書を戴いたのは、その翌日のことでした。
『貴君は、まだ‘幼くして’、(この辺の所が当人としては、ちょっとばかり気にならないこともないが ・・・ ) 大人の常識を知らないようですから教えますが、
自分より目上の人に出す手紙は ‘机上’ ではなく ‘机下’ と書きます。
これは “私ごとき者の文章は、お目のけがれでございましょうから、どうぞ机の下にでも置き捨て下さい” と言う、へり下りの気持を表したものです。
これからは、こういうことも少しずつ勉強していきましょうネ』
嗚呼! 吾ながら何という浅薄、何という無知、バカ、アホ、マヌケ、穴があったら入るだけでなく、その中を、頭かきむしって駆けめぐりたい心境でした。
それから当分の間、次々と起こすこの種の武勇伝が本部の中でも格好の話材となり、
「それにしてもお叱りもなく、よく、その程度で済んだものだ!」 と感服されたり、 「世の中万事、徹底ですヨ、非常識もここまで徹底しなければいけません」 等茶化され、挙句の果てには
「空前絶後」 という渾名までつけられてしまいました。
・・・・・
注意していますが、誤字脱字ありましたら指摘してください
静かに訂正します
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