| 〝背教総裁〟に皇太子殿下のことを語る資格無し! (2484) |
- 日時:2016年06月30日 (木) 09時06分
名前:破邪顕正
〝背教総裁〟がどれだけ「天皇国・日本」を軽んずる発言をしてきたか。
どの口が言うのかと言いたいですね。
過去に遡って、その証拠をあげておきます。
①「神武天皇が天孫降臨した」と発言
平成23年2月11日、平成24年2月11日と、2年続けて「神武天皇が天孫降臨した」と発言。
恥ずかしいことに、平成23年に続き24年の『生長の家』7月号にも〈おわびと訂正〉が掲載されました。
《本誌5月号掲載の谷口雅宣先生のご文章「日本人の原点を見つめて」の39頁、下段の最後から2行目「宮崎県あたりに天降った神武天皇」は、「宮崎県あたりに天降ったニニギノミコトの曾孫に当たる神武天皇」の誤りでした。
おわびし、訂正させていただきます。
宗教法人「生長の家」出版・広報部》
「生長の家総裁」ともあろう人が、2年続けて「宮崎県あたりに天降った神武天皇」と言い、そしてそう書き、それをまた2年続けて「生長の家」出版・広報部がその過ちに気づかない…、普通では考えられないことです。
総裁が、神話を少しも勉強していないことがこれで満天下に晒されました。
皇太子殿下を「政治利用」するぐらいならば、もっと、本質的なこと、“日嗣ぎの御子”の本当の意味をこそ語るべきであろうのに!
しかし、〝背教総裁〟にそれを求めるのは木によりて魚を求むるが如し、なのだと私ははや諦めてもいますが。
②「日本の皇室でも、韓国から招いた時期もある」と発言
平成26年4月、第6回相愛会・栄える会幹部研鑽会、第6回白鳩会の幹部研鑽会、第66回青年会全国大会の3つの講話をまとめたものが機関誌『生長の家』7月号に掲載されました。
その中で〝背教総裁〟はこう述べています。
《日韓中の国民は、もともと同じモンゴロイドで共通している部分が大いにあるのだけれども、それに注目する人は多くない。
だいたい日本の皇室でも、韓国から招いた時期もあるのですが、そんなことは、忘れてしまっている人が多いのは残念です。》
こういう公の場で「皇室」と敬称を外し、あまつさえ「韓国から招いた」などと述べる人だからこそ、皇太子殿下のことを平気で“政治利用”できるのです。
ご皇室に対する“慎み”というものが一切ない!
私は〝背教総裁〟をそんな人なのだと見ています。
③「神武天皇陵遙拝式」後の「大日本神国観」の実修を止める
以前、私は、こういう投稿をしております。
>《注目》総本山への弾圧は「神示祭」の廃止のみではなかった!…4月3日「神武天皇陵遥拝式」にて「大日本神国観」が実修されていなかった! (2106) 日時:2014年12月03日 (水) 09時01分 名前:破邪顕正
総本山では、今年から「大調和の神示祭」がなくなりました。
それに先立ち、すべての「神示祭」までなくなっていたことが明らかになりました。
もしかして、総本山に対する弾圧は、それのみに留まらないのではないかと思い、調べたたところ、重大なことが今回、判明いたしました。
総本山の4月練成会では、4月3日、この日に、神武天皇が崩御されたことをお偲びし「神武天皇陵遥拝式」を執り行います。
そして、その後は、「大日本神国観」を実修するということが長年の伝統でありました。
それが谷口雅春先生のご指示だったからです。
それを総本山では、ずっと護ってきていました。
平成25年までは…。
ところが、今年、平成26年の4月練成会のプログラムを見てビックリ。
確かに、4月3日「神武天皇陵遥拝式」は執り行われています。
ところが、その後、神想観が「基本的神想観」になっていたのです。
「大日本神国観」がなくなっていました!
このことから何が伺えるか。
私は、こう考えております。
谷口雅宣総裁は、明確に、総本山から「鎮護国家」の精神を一掃することを企図していた。
その手始めとして、まずは総本山の「神示祭」をなくす。
「大日本神国観」の実修も行わない。
手水舎に掲げてあった「鎮護国家」も「世界平和」に変える。
そして、その総仕上げとして、秋季大祭で「ご祭神」の変更を行う。
深謀遠慮が大好きな谷口雅宣総裁は、そこまで考えて手を打っていたのだと思います。
この平成26年という年は、後々、大変な年として歴史に刻まれるでありましょう。
そうです、谷口雅春先生のご指示で護られてきた総本山の伝統が破壊された年として!<
以上、3点ほど証拠を掲げてきましたが、谷口雅春先生の「鎮護国家」の思想を捨てた〝背教総裁〟に、皇太子殿下を語る資格などありはしません。
谷口雅春先生を冒涜し、ご皇室すらをも自分の都合の良いように〝政治利用〟をはからんとする〝背教総裁〟には、満腔の怒りを覚えます。
〝背教総裁〟は「国体破壊者」なり!
そんな言葉を投げつけたい思いです。
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