《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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教団機関紙『生長の家』誌二月号における、谷口雅宣総裁と毎日新聞社の記者との対談に関する論評。まえがき。 (15149)
日時:2024年04月02日 (火) 13時55分
名前:生長の家classics

先日、学生時代からの付き合いである友人が、また手紙とともに資料のコピーを送ってきた。今回の資料は教団機関紙である『生長の家』誌二月号である。そのなかに、「宗教の政治への接近は腐敗への道」と題する谷口雅宣総裁と毎日新聞社記者との対談録が掲載されている。「その総裁の発言について君はどう思うか。わかりやすく書け」ということのようである。

以前、「生長の家classics」はこの掲示板に現総裁の発言に関して連続投稿させていただいたことがある。

それは、
「地方講師研修会テーマ」に対する解釈学的論理分析 (試論) (14851)
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3665
であった。

それは今も未完の状態であるが、その連続投稿は「厳密さ」と「価値判断排除」を優先したために、「どうにも難しいところがある。もっと簡単に、わかりやすく書くことができないのか…」という声も出たようで、それで、今回はざっくばらんに、わかりやすく書け…ということらしい。

どうも人は勝手なことを要求してくるものだ…と思いながら、送られてきた『生長の家』誌二月号の総裁対談録を読んで驚いた。「これはあんまりだろう」と言わざるをえない総裁発言の連発である。

そこで今回はなるべくわかりやすいように気をつかいながら、下に総裁発言を論評させていただいた。赤字が毎日新聞社の記者の発言。青字が総裁の発言である。アンダーラインは「生長の家classics」が付した。

ただし、その記事の冒頭部だけは、『生長の家』誌の編集者と思われる人の解説文(リード文)である。そのために、直下の子記事だけは解説文に関する「生長の家classics」の論評である。よって青字は編集者の解説文である。雅宣総裁と記者との対談は、その次の子記事から…である。

さらにもう一つ。本スレッドは対談の全文を掲示しているわけではない。必要のない両者の発言は省略してある。その点について「生長の家classics」の意図を疑う読者や、完全な対談文を読みたい読者には、まず教団の組織会員になられてから『生長の家』誌二月号を購入されることをお勧めする(以上で、総裁と教団のための宣伝終了)。





「与党に投票しない」声明を出した総裁と理事は、谷口雅宣先生(雅春先生ではない)に懺悔しなければならない。 (15150)
日時:2024年04月02日 (火) 14時06分
名前:生長の家classics

「与党に投票しない」声明を出した総裁と理事は、谷口雅宣先生(雅春先生ではない)に懺悔しなければならない。


          宗教の政治への接近は腐敗への道

昨年十一月二十四日、『毎日新聞デジタル版(有料記事)』に総裁・谷口雅宣先生のインタビューが掲載されました(本誌一月号で既報)。次ページより全文を転載します。 

総裁先生がメディアのインタビューに応じられたのは二〇一六年の「週刊金曜日』*以来。当時総裁先生は、同年七月の参院選を前に発表された「与党とその候補者を支持しない」という教団の声明を受けて、教団の一九八三年の政治活動停止の決定に不満を持つ政治志向の元幹部たちが、当時の安倍晋三政権を支える力になっていることを挙げ、今の生長の家は「彼らとは違う」と述べられ、最も違う点は「大日本帝国憲法の復元」を目指さないことと明言されました。


なんとも最初から驚かされることだが、この解説文によれば今の生長の家教団が「与党とその候補者を支持しない」という声明を公式に発表したということである。

それが本当ならば、そのような声明を出した今の生長の家教団の総裁と理事たちは、谷口雅宣先生(雅春先生ではない)のお心とご命令に反している。よって今の総裁と理事たちは谷口雅宣先生に懺悔しなければならない。その理由は簡単である。次の(1)〜(3)。

(理由1)
谷口雅宣先生の尊いブログ「唐松模様」(以下、簡略化のために恐れ多くも「唐松」と略称させていただく)の2012年10月18日記事、「週刊文春を買うなかれ!」
http://masanobutaniguchi.cocolognifty.com/monologue2/2012/10/index.html
の中に次のようなご断言がある。

     『週刊文春』で生長の家に触れた記事のデタラメさには開いた口が塞がら
     なかった。・・・その理由は、生長の家総裁である私が「政治に未練を残して
     いても不思議はない」からだと言う。アホらしくて、反論する気にもなれ
     ない。
     ・・・私たちは、今のグチャグチャ状態の国政に見切りをつけて、信仰によって
     国民一人一人の自覚を深め、“神の御心”を生活に実践し、人々にそれを伝え
     ることを通して社会を変革していく道を、従来の方針通りに力強く進んで
     いくだけである。

このご断言によれば、総裁先生と「生長の家」は、今の国政に政治に見切りをつけた。週刊文春の、「総裁は政治に未練を残していても不思議ではない」という文章には、「ああ。アホらし〜」と言うしかないほど総裁先生は政治と縁を切った。

それにもかかわらず、この解説文によれば今の総裁と理事たちは、「与党とその候補者を支持しない」という教団の声明を出してしまった。しかもこの声明は「参院選を前に発表された」。ということは、「目前の参議院選挙で、与党と野党の立候補者が合計二名しかいない時には野党に投票しろ」という声明である。

・・・この教団声明は、あの総裁先生の「私たちは国政に見切りをつけた」というご断言に背いている。今の生長の家教団の総裁と理事たちは全員が頭をまるめて、あの総裁先生にお詫びと懺悔を申しあげなければならない。そしてただちに総裁と理事の聖職を去らなければならない。


(理由2)
尊い「唐松」2012年12月12日記事、「運動の変化について (3)」
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2012/12/index.html
のなかで、谷口雅宣先生は次のように説明しておられる。

     とにかく…昭和58年7月、生政連の活動は停止され、「今後は教勢拡大
     にむけて全力をそそぐこと」が決定された。もう30年近くも前のことで
     あるが、私たちの運動史の中のこの“政治の季節”に体験した高揚感が
     忘れられず、その頃の運動に帰りたいと思う人々が、今の運動を批判する
     グループの中には多いのである。

このありがたい御説明のように、「今後は教勢拡大にむけて全力をそそぐこと」が決定された。それにも関わらず、今の生長の家教団の総裁と理事たちは、「与党とその候補者を支持しない」という声明を三回も出してしまった。これによって与党を支持する多くの信徒が教団を去った。

今の生長の家教団の総裁と理事たちは、「今後は教勢拡大にむけて全力をそそぐ」というあの総裁先生のお心に背くことを三回も行った。今の生長の家教団の総裁と理事たちはやはり頭をまるめて(女性は尼になって)、あの総裁先生にお詫びと懺悔を申しあげなければならない。ただちにすべての職と立場を去らなければならない。


(理由3)
しかも、尊師・谷口雅宣先生(雅春先生ではない)は、この真摯な記事のなかで、「もう30年近くも前のことであるが、私たちの運動史の中のこの“政治の季節”に体験した高揚感などが忘れられず、その頃の運動に帰りたいと思う人々が、今の運動を批判するグループの中には多い…」と、深刻に悩んでおられた。それにもかかわらず今の教団の総裁と理事たちは、「与党とその候補者を支持しない」という政治活動を、あろうことか三回も行ってしまった。

あの総裁雅宣先生を今も悩ませている犯人は、今の総裁と理事たちである。これらの犯人たちは頭をまるめて墨染の衣に服を変え、全員があの総裁先生の前で許しを乞うて、ただちに山奥(女性は草庵)で出家しなければならないほど、今の総裁と理事たちはあの総裁先生のお心とご命令に反している。





さて、次に再び驚かされることだが、上の解説文によれば、今の生長の家教団は「大日本帝国憲法の復元」を目指さないと明言したとのことである。

それが本当ならば、そのような明言を行った今の総裁と理事たちは、あの総裁先生が、「国政に見切りをつけた」と宣言し、また、「今後は教勢拡大にむけて全力をそそぐ」と決意なさったお心に背いている。その理由は簡単である。一つしかない。

(理由1)
すでに教団は国政に見切りをつけたのだから、教団は、「大日本帝国憲法の復元を目指す」とか、「いや。目指さない」などという政治に関する言葉を出せないはずだから…である。つまり、国政に見切りをつけた生長の家教団は、本当は、「大日本帝国憲法の復元を目指す人はご自由にどうぞ」とか、「大日本帝国憲法の復元を目指さない人もご自由に行ってください」とか言うしかない。

それにもかかわらず今の総裁と理事たちは、「今の生長の家は大日本帝国憲法の復元を目指さない」と明言してしまった。これは、どう考えても今の総裁と理事たちが、まだ国政に未練たらたらであることを示している。しかし、あの総裁先生はそれを「ああ。アホらし〜」と、一笑に付しておられたのだ。

どう考えても、何回考えても、今の教団の総裁と理事たちは、あの総裁先生のお心に背いている。今の総裁と理事たちは、剃髪したあとに再び伸びてきた自分の髪をもう一度剃りあげて、永遠の懺悔僧(女性は永遠の懺悔尼)でいなければならない。それぐらい今の総裁と理事たちは、あの総裁先生のお心に背いている。





今回は、自民党と旧統一教会の癒着などで注目を集める「政治と宗教」の問題をめぐり、『毎日新聞』は、かつての政治運動では旧統一教会と生長の家とが“共闘”していたことを指摘(しました)。

ここには「旧統一教会と生長の家とが“共闘”していた」と書いてある。しかしこれは間違いだろう。その理由は次の3点。

(理由1)
もし「組織全体として統一教会と生長の家とが共闘していた」のならば、統一教会のトップと谷口雅春先生とが共闘を承認していたはずである。しかし、谷口雅春先生が統一教会との共闘をお認めになったことを証明するものは何もない。

(理由2)
統一教会と生長の家とが共闘していたように見えるのは、毎日新聞社が容共(共産党や共産主義を容認する姿勢)だからそのように見えるだけである。当時の統一教会と生長の家は、たまたま反共(共産党や共産主義を認めない姿勢)の一点で同じ方向を向いていたにすぎない。両者が積極的に共闘していたことを示す証拠はない。

もしそれでも毎日新聞社が、「いや。共闘していた」と言うのならば、自民党と連立与党を組むまえの公明党は安全保障問題で日本共産党と一緒に反自民党政策を戦っていた。だから毎日新聞社は、「昔の公明党は共産党と積極的に共闘していた」と言わなければならない。しかしそのような記事は、管見のかぎり存在しない。

(理由3)
もし総裁までもが、「いや。共闘していたのだ」と強引に主張するのならば、総裁は、「教団はいつ統一教会との共闘をやめたのか」、「だれが共闘をやめさせたのか」、「なぜ共闘やめたのか」という極めて重要な疑問に回答しなければならない。それは総裁が教団を代表する立場にいるから当然の責務である。しかし総裁は今までに一度もその説明を行っていない。おそらくかつての教団は初めから統一教会と共闘などしていなかった。だから、説明しようにも説明のしようがないのだ。





総裁先生は、その(共闘の)理由は「反共」で、教義については相互不干渉だったと述べられています。注目されるのは、総裁先生が「政治と宗教」の関係で今回、自民党が旧統一教会との長年の関係を簡単に反故にしたように、生長の家の場合も、教団が長年支援してきた政治家が教団に不利な選挙制度を自ら作り、教団との関係を断つなどした事実を挙げ、権力を求める政治と、宗教が尊重する信仰の純粋性とは相容れないことを強調されている点です。

ここに紹介されている総裁の言葉は、(自民党の肩をもつ気は毛頭ないが)自民党を不当に悪者にしている可能性が高い。以下、その理由(1)と(2)。

(理由1)
まず、この解説文によると、雅宣総裁は、「自民党が旧統一教会との長年の関係を簡単に反故にした…」と、自民党を批判するように語ったらしい。だが、それは総裁の無理なゴリ押しである。

なぜならば、自民党が旧統一教会との長年の関係を簡単に反故にしたことは自民党の自由だから。それと同様に、宗教団体や労働組合が自民党との長年の関係を簡単に反故にすることも、宗教団体や労組の自由である。ここで総裁が政党だけを非難するのは不公平であり、さらに宗教団体のエゴイズムの可能性がある。

(理由2)
次に、総裁が言ったらしい「自民党が教団との関係を断つなどした」という言葉も、まず、総裁の事実誤認、あるいはゴリ押しである。なぜならば、政党の方から自分を応援してくれる教団との関係を簡単に絶つことはない(票を減らすだけ)のだから。

…おそらく実際のところは、下品な自民党が谷口雅春先生の悲願を軽視して自分の勢力拡大ばかりを考えるので、それに嫌気がさした教団側が自分から自民党との関係を絶った…というところであろう。自民党のほうから票田である教団に三行半を突き付けたかのような総裁発言には無理がある。

…以上の理由で、この総裁発言は、(くりかえすが、自民党の肩をもつ気は毛頭ない)自民党を不当に悪者にしている可能性が高い。



本誌では、会員の皆さまに、政治と宗教が接近する危険性や、生長の家が過去に行った政治運動と現在の運動との相違点について理解を深めていただくため、同社の許可を得て転載いたします。

*同雑誌(株式会社金曜日刊)2016年8/5 . 8/12合併号と8/19号に掃載






総裁は谷口雅春先生の憲法論と国家哲学を理解していない。 (15151)
日時:2024年04月02日 (火) 14時30分
名前:生長の家classics

総裁は谷口雅春先生の憲法論と国家哲学を理解していない


          宗教団体を切り捨てる動きを注視

谷口
生長の家が政治に関わるようになったのは大別してニつの理由からです。一つは優生保護法(現・母体保護法)の改正。雅春先生は経済的理由による中絶を認める同法は教団の教義である「生命尊重」に反し、改めねばならない、というお考えでした。

――ニ点目は?

谷口
明治憲法の復元です。

これはちがう。これは間違いである。これでは雅春先生(雅宣先生ではない)が、「明治憲法そのままで日本の政治を行え」と主張なさったことになってしまう。これは大変な事実誤認である。

たしかに谷口雅春先生は「明治憲法の復元」と度々言われた。しかしその真意は「明治憲法の精神の復元」および「時代状況に応じたその改正」のワンセットであった。決して谷口雅春先生が「明治憲法そのままで日本政治を行え」と主張なさったのではない。また、当時の生政連と強いつながりを持っていた旧青年局や生学連も「明治憲法の復元改正」を主張していた。その証拠は、以下の(1)〜(3)。

(証拠1)
谷口雅春先生は『私の日本憲法論』(以下、『憲法論』と略称)の347頁で、

     (今の状態のままで)憲法改正を延ばしておれば、(日本の憲法は)天皇制
     廃止の社会主義憲法に改正され、神武建国の天皇制日本国は滅びて消滅
     することになります。それを防ぐためには、一応今のうちに明治の帝国憲法
     に復元宣言をして置くに限るのであります。時代に適合せぬ細部の条章の
     改正は復元後慎重審議して行えばよいのであります。
     (初出は「帝都日日新聞」昭和39年10月10日号。後に『心と癌』に集録。
     なお、括弧内と下線は引用者)

と論じておられる。雅春先生の真意は、「明治憲法復元改正」であった。


(証拠2)
昭和51年(1976)5月1日に東京の銀座で行われた「大日本帝国憲法復元改正を訴える生長の家青年会一万余人の大行進」は、その名前に「改正」の二文字が入っている。また、その行進を写した写真のなかには、青年会員が掲げていると思われる横断幕に「大日本国憲法復元改正」の「改正」二文字が少し人影に隠れながらも写っている(『憲法論』の写真の部)。


(証拠3)
そもそも「明治憲法復元」を主張した日本人の99%は、「明治憲法に復元したあとで、その憲法のかなりの部分を改正しなければ日本国を健全に運営することができない」と考えていた。

たとえば昭和46年10月18日に岡山市で谷口雅春先生が占領憲法の不当性を訴えた「正統憲法復元改正全国大会」には「改正」の二文字が入っている。さらに、翌年の昭和47年6月4日に雅春先生が「諸悪の因は現憲法にある」と訴えた「正統憲法復元改正熊本県民大会」にも「改正」の二文字が入っていた(この2証拠は『憲法論』548頁〜549頁)。


(ついでに4)
それどころか、昭和45年(1970)に、「今の憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか!」と叫んで割腹した三島由紀夫は、保守的思想家・福田恒存との対談「文武両道と死の哲学」のなかで、

福田が、「クーデターを起こしてでも日本の憲法を明治憲法にもどして、そのあとで今の憲法のよい所を利用して部分改憲すればよい」と主張したのに対して、

「それは無理だ」と述べて、次のように福田の意見を否定していたのである。このやりとりは今も残る大きな論争点を内包しているので、少し長いがそのまま引用する。

     しかし…帝国憲法(明治憲法)というものには、法律以上の実体があった
     んだ。国体という問題があった。それから社会秩序があった。土地制度が
     あった。そういう独特なものがその裏にひっついていた。そういうものなし
     にね、空虚な帝国憲法を、クーデターの結果一日でもってきて、「さあ、
     おまえたちをまたもとに戻すよ」と、もとに戻して、それからさらに現代に
     合うようにそれを改訂するぞ、と言ったってね、民衆がついてくるわけ
     ないよ、それは。そこのテクニックの問題がぼくは疑問だと思うんだ。
     (三島由紀夫『若きサムライのために』文春文庫218頁〜219頁。初出は
     「論争ジャーナル」昭和42年11月号。旧仮名表記)

要するに、ここで三島は、「今の憲法から明治憲法にもどって、それを今の時代にあうように部分改正するという方法は無理だ。混乱を招く可能性が高い。賛成できない」と述べているのである。

なんと、「今の憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか!」と叫んで割腹した三島由紀夫でさえこのように考えていた。明治憲法復元論者のなかに、「明治憲法のままで日本政治が安定する」と考えた者は一人もいなかったのである。

     (なお、ここで少し話がそれるが、読者のなかから、「それならば、なぜ三島は
     『今の憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか』と叫んで割腹したのか。
     これでは話が合わない。明治憲法に復元してもダメならば、どうしようにも
     ないだろう。それなのに、なぜ三島は、『今の憲法を否定しろ』と叫んで割腹
     したのか。三島の主張と割腹は話が合わない」という疑問や三島批判の声が
     出るかもしれない。しかし、この問題に踏みこむと非常にむずかしい問題に
     手を出すことになる。よって、ここでは踏み込まない)

…ということで話をもどす。谷口雅春先生が「明治憲法復元」を訴えておられたころの復元論者の99%は、「明治憲法に復元したあとで、戦後の時代に応じた部分改正を行わなければならない」と考えていた。しかし、あまりに「復元」へのハードルが高かった。「復元」を実現することさえが無理と思われた(実際に復元できなかった)。だから「改正」まで語る余裕も必要もなかった。そのために雅春先生も、「まずは復元から」というお考えで、「復元」「復元」とおっしゃったのである。

以上のような(1)〜(4)の事実があるにも関わらず、雅宣総裁はここで、「雅春先生の本心が明治憲法そのままの憲法で長く日本の政治を行うことであった」かのように語っている。これは総裁の無知あるいは意図的な印象操作であると論評せざるをえない。





当時は東西冷戦のまっただ中でした。

これも違う。この発言も総裁の無知あるいは意図的な印象操作であると言わざるをえない。その理由は次の(1)と(2)。

(理由1)
雅春先生は、「今は東西冷戦のまっただ中だから明治憲法の精神にもどれ」と、おっしゃったのではない。雅春先生は、「神意(神の意思)が天壌無窮の神勅に最もよく現れていて、それがもっともよく現れた憲法が明治憲法だから明治憲法の精神(神意)にもどれ」とおっしゃった。

     天照大神様の天孫降臨の神勅(「私の子孫である天皇が今から日本の中心と
     なって国を治めよ」という命令)そのものこそ、日本国の根本的設計であり、
     「理念の日本国」そのものである訳であります。
     (「日本国憲法の背景となる哲学」。『憲法論』14頁〜15頁。初出は、昭和42
     年1月10日に開催された「日本国民会議」における講演。同年「白鳩」誌の
     4月号に収録。括弧内は引用者)

(理由2)
雅春先生は国際状況を甘く見なかったが、国際関係によって内容がコロコロ変わるような憲法論をお説きになったことはない。つまり雅春先生は、「今は国際状況が冷戦状況だから憲法をああしろ。しかし冷戦が終わったから憲法をこう変えろ」などというような「憲法の上に国際状況がある憲法論」をお説きになったのではない。実際はその反対である。

雅春先生は、「国際状況の変化の上にあって変わらない神意を表す憲法」をお説きになった。それは上の引用文の内容からも明らかである。ところが雅宣総裁は法哲学でも純粋哲学でも哲学的な思考能力が乏しい(証拠は拙論14906記事)。そのために雅春先生の国家哲学を理解していない。総裁には、雅春先生の憲法論や国家哲学を、すぐに政治論や国際関係論の視点に閉じて理解してしまうという知的な限界がある…と論評せざるをえない。





日本社会も大学紛争の嵐が吹き荒れ、共産主義による簗力革命が現実に起こり得るような雰囲気でした。現憲法では生命を軽視する唯物的な価値観や共産主義の脅威から日本を守れない。それゆえ明治憲法に戻して共産主義と戦わなければならない、ということです。

この発言も総裁の思考がすぐに政治論や国際関係論に閉じてしまう特徴を示している。総裁はそこから間違った解説を行っている。しかも総裁は日本憲法史の基礎的事実を知らない。

総裁はこの発言のなかで、あたかも雅春先生が「明治憲法に戻して共産主義と戦わなければならない」と主張したかのように説明しているが、その説明は日本近代史の基礎的事実から見ても噴飯物の大間違いである。なぜならば、もし総裁の説明が正しいのならば、明治憲法は共産主義と戦うためにつくられたことになるが、明治憲法は共産主義と戦うために作られた憲法ではないからである。次にその理由(1)。ついでに(2)。

(理由1)
明治憲法は明治22年(1889)に制定された。そのころは日本に共産主義の思想も運動も入っていなかった。たとえばマルクスとエンゲルスが憲法制定の40年ほどまえの1848年に書いた『共産党宣言』は、まだ日本人に知られていなかった。

日本で「共産党宣言」が翻訳されたのは、幸徳秋水が明治37年(1905)に翻訳・発表して即日発禁にされ、さらに罰金刑をくらったときが最初である。よって明治憲法ができてから15年間は明治憲法が反共のための武器にならなかった。もちろん明治憲法は反共を目的として制定されたものでもなかった。 


(ついでに2)
このついでに触れておく。雅宣総裁は、明治憲法が国民の自由と権利を抑圧するために創られたかのような印象を読者に与える発言をしばしば行っている。しかしこれも間違いである。

たとえば、明治憲法を実質的に策定した井上毅(いのうえこわし)は二つの逆方向を向いた目的、「日本国家を安定させること(これは今の北朝鮮のように国民を弾圧するのが一番簡単)」と、「国民の自由と権利を確保すること(これは国家が壊れても国民一人一人のワガママを貫徹させるのが一番簡単)」との両立・調和を考えて明治憲法を策定した。

岩波文庫『憲法義解』(伊藤博文著。宮沢俊義校註。2019年6月14日)のなかで、「解説」を担当した坂本一登氏は、

     井上(毅)は…保守的な君主主義者とみなされることが多い。…しかし、井上
     をしてプロイセン(ドイツ)を憧憬する超然主義者(政府絶対主義者)とみなす
     ことは、尚早である。…(井上毅は)君民共治への共感を示すなど…民権派
     との共通性も少なくなかったからである。それにも関らず、井上がプロイセン
     型立憲政体の採用を主張したのは…(以下省略)…。
     (248頁〜249頁。括弧内は引用者)

と述べている。

つまり、明治憲法は当時の国内状況さらに国際状況をにらみながら、「日本国家を安定させること」と、「国民の自由と権利を確保すること」との両立・調和を図って、ギリギリの点まで煮つめたうえで国民世論も納得できるように制定された憲法だった。だから明治憲法が制定されたときに反政府運動(「反天皇運動」ではない。そのようなものは当時なかった)を戦った多くの自由民権運動家グループもほとんどが共感した。

その事実を総裁はおそらく知らない。総裁は日本憲法史に関する知識が乏しいうえに、雅春先生の憲法論と国家哲学を勝手に政治思想と国際関係論の視点に限定して、そこから不正確な論理を語っている。次の発言も同じである。





谷口
繰り返しになりますが、冷戦期は共産主義が大きな脅威だった時代です。共産主義の暴力革命に対抗するため、教団がラジカルな「明治憲法復元」を掲げたのは誤りではないんです

ここで総裁がわざわざ間違いを繰り返して恥の上塗りを行っておられることは、ご丁寧なことである。したがって、こちらも繰り返しにならざるをえないが、明治憲法は共産主義を防ぐために作られたのではない。また、社会主義や共産主義を防ぐための役に立たなかったのである。次に、その理由(1)と(2)。

(理由1)
そもそも明治憲法は、上述のように共産主義の暴力革命に対抗するために造られたものではなかった。だから、「共産主義の暴力革命に対抗するため、教団がラジカルな明治憲法復元を掲げたのは誤りではないんです」という総裁の発言は無知な不勉強者の寝言にすぎない。


(理由2)
たしかに明治憲法だから「治安維持法」などの乱暴な法律が制定された。今の憲法のもとでは「治安維持法」を制定することが不可能である。しかし「治安維持法」が改正されて猛威をふるったときにも社会主義や共産主義は戦前の日本人のあいだに広がっていた。たとえば、

     (事実1)
     近衛文麿のブレーン集団だった「昭和研究会」のなかには共産主義(正確には
     社会主義)の影響を知らず知らずのうちに受けた知識人が少なくなかった。
     戦後の近衛はそれを懺悔する文書を昭和天皇に差し出した。「昭和研究会」の
     メンバーの一人である尾崎秀実は(尾崎本人が工作活動を行っていなかった
     としても)、ソ連の情報調査員ゾルゲの調査活動を積極的に支援してソ連に
     有利な働きを行っていた。

     (事実2)
     (国内不況の原因と、対外緊迫という原因もあるが)日本軍人のなかに社会
     主義的な統制国家論を主張する者が多数現われた。というよりも、それが
     主流であった。

     (事実3)
     ついに2.26事件の磯部浅一中尉のように、自分の獄中日記に、「天皇陛下。
     何という御失政でありますか。何というザマです。皇祖皇宗に御あやまり
     なさいませ」(原文は旧仮名)と書き込んだ皇道派青年将校までも輩出する
     に至った(かつて小説家の三島由紀夫が衝撃の小説『英霊の聲』を書いた
     ときに、この磯部浅一の獄中日記を利用したことはあまりに有名である)。

皇道派の日本軍人が天皇を否定したのだから、明治憲法と「治安維持法」は、(もちろん国内不況と、対外緊迫という原因もあるが)社会主義や共産主義を防ぐ役割をまったく果たしていなかった。雅宣総裁の、「共産主義の暴力革命に対抗するため、教団がラジカルな明治憲法復元を掲げたのは誤りではないんです」などという知ったかぶりの発言は、日本近代史を知らない不勉強者のたわごとにすぎない…と論評せざるをえない。





政治的活動をやめない者の政治活動批判。 (15152)
日時:2024年04月02日 (火) 14時45分
名前:生長の家classics

政治的活動をやめない者の政治活動批判


          支援した政治家の行動に無力感

――政治を動かすため、教団として自民党から玉置和郎元総務庁長官や村上正邦元労相らを参院選で当選させますが、八三年に生政連の活動停止を決め(九五年に解散)、一切の政治活動から手を引きます。今に至るまで自民党議員を支援してきたかつての同志である旧統一教会とは対照的です。なぜ政治から離れたのですか。


谷口
政治と関わることが宗教団体として正しいあり方とは思えなくなったからです。かつては全国で選挙があるたびに信者が選挙運動に駆り出されました。大変な負担です。伝道など本来の宗教活動を犠牲にしなければならない。選挙や政治運動が好きな人もいますが、嫌いな人もいます。そういう人は教団を去り、好きな人は集まってくる。それでは宗教団体として一体何が残るのか。政治しか残らない。それではおかしい、という批判が内部で上がったのです。

この総裁の最後の発言、「それでは宗教団体として一体何が残るのか。政治しか残らない。それではおかしい…」は一見すると正しいようだが、実際には総裁の悪い冗談でしかない。

信徒の投票行動に三回も干渉して、「与党に投票するな」と指示し、さらに「生長の家」の信徒数を激減させている雅宣総裁が、「政治しか残らない。それではおかしい」などと言うのは悪い冗談でしかない。次にその説明(1)と(2)。

(1)
谷口清超先生が総裁であられた平成9年(1997)末の「生長の家」の信徒数が87万2925人であった。それが25年後の令和4年(2022)末には55万5千人が消えて32万7369人になった(文化庁『宗教年間』による)。これは単純計算をすると、平成9年の信徒の60%強が教団を去ったということである。もちろん1年間で信者数が2万人へっているから今から17年後に信者数がゼロになる。これでは本当に総裁が語るとおり宗教団体として何も残らない。

(2)
ところが現総裁は信徒の投票行動に介入することをいつまでもやめない。その結果、保守的な信徒が教団を去ることが絶えない。その結果、「生長の家」が消滅しかけている。それなのに、「生長の家」の政治性は一向に消えない。その唯一の根本原因である総裁自身が、「それでは宗教団体として一体何が残るのか。政治しか残らない。それではおかしい」などと言って政治活動を批判しているのは、総裁の悪い冗談か自己批判でしかない。





——そもそも日本会議の母体になった「日本を守る会」(七四年結成)は生長の家が主導していました。日本会議には今もかつての生長の家のように「明治憲法復元」を言う人がいますが、教団はこれらの右派運動からも離れましたね。

「かつての生長の家が『明治憲法復元』を主張した」という記者の理解は間違い。かつての生長の家は「明治憲法復元改正」を主張した。「明治憲法そのままで国家を維持しろ」と言ったのではない。本来、総裁は記者に正確な説明をおこなうべき立場であるのに、なにも行っていない。





「宗教目玉焼き論」という幼稚で詭弁的な論理。 (15153)
日時:2024年04月02日 (火) 15時31分
名前:生長の家classics

「宗教目玉焼き論」という幼稚で詭弁的な論理


谷口
繰り返しになりますが、冷戦期は共産主義が大きな脅威だった時代です。共産主義の暴力革命に対抗するため、教団がラジカルな「明治憲法復元」を掲げたのは誤りではないんです。でも今は時代が違います。キリスト教や仏教も、どんな宗教でも時代に応じて変化してきたのです。私は「宗教目玉焼き論」と呼んでいますが、黄身、つまり教義の核は不変です

ここで総裁が言っている「教義の核は不変です」という発言は、総裁の悪い冗談か詭弁にすぎない。

ア、住吉大神から造化の三神に神様を取り替えた(本尊の変更)。
イ、實相の御額の前に五重塔を配して信徒に祈らせた(祈る対象の変更)。
ウ、祈りの言葉を変えた(祈る言葉の変更)。
エ、石をもちあげる「石上げの行」という奇想天外な行を始めた(行の変更)。

このような変更を強行した総裁が「教義の核は不変です」などというのは、総裁の悪い冗談か詭弁にすぎない。





でも白身は時代とともに、社会や人々に受け入れられるように変わっていく

この発言は、比喩として見ても間違いである。なぜならば、総裁は目玉焼きの白身を「変わるもの」の比喩として語っているが、目玉焼きの白身は時代が変わっても色や形が変わることなど無いからである。次にその具体的な説明(1)〜(3)。

(説明1)
目玉焼きの白身は信号のランプではない。もし白身が信号のランプならば、色が時間とともに赤になったり青になったりするだろうが、白身の色は赤にも青にもならない。

(説明2)
目玉焼きの白身は、皿の上に乗っていれば何年たっても形が変わらない。かえって黄身のほうが潰れやすく、形が変わりやすい。

(説明3)
ついでに。目玉焼きの白身は、その中身も時代とともに変わるなどということはない。白身はほとんどがタンパク質で構成されている。その白身の栄養分が、時代の変化とともに次第にカルシウム100%に変わっていった…ということもない。

このように目玉焼きの白身は色も形も中身も変わらない。だから、「白身は時代とともに、社会や人々に受け入れられるように変わっていく」と主張する総裁の「宗教目玉焼き論」は、比喩としても間違いである。間違いというよりも、人々を欺くための詭弁である。

少し余計なお節介かもしれないが、昔、雅宣総裁は、「これからは会議の結果や成果をフルーツと呼ぶことにしよう」と提案して英語通を見せつけようとしたことがおありだった。それも良いのかもしれないが、それ以前に、言葉にたいする誠実さを肝に銘じて(言葉は単なる道具ではない)、そのうえで基本的な比喩の使い方を勉強なさるのがよい。





生長の家の教義の核は「人間はみな神の子」、つまり生命尊重です。

この「人間はみな神の子」という発言が総裁の本心とはとても思えない。この「人間はみな神の子」という言葉は、「総裁の生活習慣から出た決まり文句」にすぎない。次に、その理由(1)と(2)。

(理由1)
もし総裁が本当に「人間はみな神の子」と思っているのならば、生長の家の総裁はすべての人を礼拝しなければ嘘である。たとえば、谷口雅春先生は御著『生活と人間の再建』のなかで、

     神は吾々の愛深き父であり、神の子たる人間のただ「善」のみを見給うので
     ある。その如く吾々人間も、すべての人間の内にある「神なるもの」・・・を見て
     礼拝しなければならないのである。
     (188頁。点線は省略部。下線は引用者) 

と、説いておられる。

また、総裁自身も、『日々の祈り 神・自然・人間の大調和を祈る』のなかの、「すべての人々の実相を讃える祈り」のなかで、

     我はいま神の御前に座し、すべての人間の実相を感ずるに、すべての人々は
     我と同じく神の子であることを知るのである。・・・全ての人々は実相において
     ことごとくわが兄弟姉妹であり、神の愛(いと)し子である。だから我は全ての
     人々を兄弟姉妹として讃嘆する
     (126頁。下線は引用者)
 
と、祈りの言葉を書いている。それにもかかわらず、

ア、総裁は著作のなかでも講習会でも、安倍元総理を称賛も礼拝もしたことがない。
イ、総裁が信徒に投票を薦めている野党の代表たちを称賛・礼拝したこともない。
ウ、総裁は政治家だけでなく日本会議の人たちを称賛・礼拝したこともない。

要するに雅宣総裁は政治家や政治関係者を称賛・礼拝したことが一度もない。今回の対談でも総裁はかつての政治家・玉置和郎について不満と批判を語るのみである。玉置和郎に対する称賛・礼拝の言葉はまったく見られない(たしか総裁は産経新聞社に入社したときに玉置の世話になったはずだが…)。総裁の「人間はみな神の子」という発言は「生活習慣から出た決まり文句」にすぎない。


(理由2)
・・・もっとも、総裁を支持する人のあいだから、「総裁先生は安倍元総理の間違った政治方針を是正しようとしているだけだ。安倍元総理を礼拝しないのではない」という反論が出るかもしれない。その反論には一理ある。しかし、それならば総裁はなおさら安倍元総理を礼拝したはずである。なぜならば谷口雅春先生は御著『幸福を招く365章』のなかで、

     今日、あなたは神の愛に満たされている…。あなたは、何が善、何が悪の標準
     をもっては人々を批判することをしないのである。ただ全ての人々に神が
     宿っていることを観て常に合掌礼拝するのである。あらゆる人はそれぞれ
     自由であって完全であるから、合掌礼拝するときその完全さがあらわれる
     (114頁〜115頁。点線は省略部。下線は引用者)

とも説いておられるからである。

雅宣総裁が安倍元総理や日本会議の人たちを合掌礼拝するときその完全さがあらわれて、安倍元首相や日本会議がより良い政治や政治運動を行うように変わる。だから総裁は安倍政治や日本会議の欠点を指摘・批判したあとで、その安倍晋三や日本会議のメンバーの実相を礼拝したはずである。しかし総裁は安倍元首相や日本会議の人たちを批判するだけであった。合掌も礼拝もしたことがなかった。 

それどころか、(これは政治がらみの内容ではないが)総裁は実母の危篤のさいに会いに行かず、ついに葬儀にも出席しなかった。総裁の、「人間はみな神の子」という発言は、「生活習慣から出た決まり文句」にすぎないと論評することができるはずである。





これは変わっていない。でも、「明治憲法復元」は核ではありません

この「明治憲法復元は核ではありません」という総裁発言は、総裁の論理展開能力に不安を感じさせる発言である。なぜならば、生長の家に関係する人間のなかで、誰も、「明治憲法復元が教えの核(黄身の部分)だ」などと言っていないからである。

谷口雅春先生も清超先生も、「明治憲法復元が教えの中核だ」などと言っておられなかった。また、聖経「甘露の法雨」にも『生命の実相』にも、「明治憲法に復帰せよ」とは書いてない。まして、「明治憲法に復帰しなければ、人間は神の子でない」などと書いてあるわけでもない。

総裁はこの発言によって、誰も言っていないことを、あたかも誰かが言ったかのように語って論を進めているのである。総裁のこの発言は、総裁の論理展開能力に強い不安を感じさせる。





——白身の部分であり、変わっていくのだ、と。

谷口
人間はみな神の子」という教義に立てば、一人一人の人間を尊重しているのは現憲法です。明治憲法のほうが人権に制限をかけている

この、「人間はみな神の子という教義に立てば、一人一人の人間を尊重しているのは現憲法です。明治憲法のほうが人権に制限をかけている」という発言は、哲学的思考力が乏しい者の寝言にすぎない。次に、その理由(1)と(2)。

(理由1)
この発言は、「形而上の概念(人間は神の子)」と、「形而下の概念(人権や憲法がどうのこうの)」を同一次元で直接接続するという致命的な誤りを犯しているから。

詳しくは拙論14906記事、
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3665
を見ていただきたいが、この発言にそって言うと、

     ア、人間がみな神の子ならば人間はみな完全に自由である。だから、現憲法
     が「人権」とかいうものを尊重しようが、あるいは明治憲法がその「人権」とか
     いうものを棄てようが、(人間はいつも完全に自由だから)「現憲法のほうが
     良い」とか、「現憲法のほうが教義に立っている憲法である」などという発言
     は意味を成さない。総裁発言は寝言を語っているにすぎない。

この説明アで総裁先生におわかりいただけるだろうか。これでおわかりいただけないならば、総裁先生好みの社会契約論的な用語を使って…

     イ、全ての人間は神から、「公共の道路を歩く権利」を与えられた。この権利
     は、だれも奪うことのできない永遠の権利である。その人権と神聖性を尊重
     しているのは青信号である。赤信号は人権に制限をかけて人間の神聖性を
     尊重していない。赤信号よりも青信号の方が神の教えに立つ信号である。

…おそらくこの説明イで総裁先生にご理解いただけるであろう。「人間はみな神の子という教義に立てば、一人一人の人間を尊重しているのは現憲法です。明治憲法のほうが人権に制限をかけている」などという愚論は、哲学的思考力がない者の寝言にすぎない。


(理由2)
「明治憲法が現憲法よりも人権に制限をかけている(だから現憲法のほうが良い)」ということは、人間は「人権」というものがないと自由になれない生き物だということである。そのような不自由な生き物を「神の子」などと言うのは宗教にかぶれた誇大妄想患者の寝言にすぎない…。

以上の(理由1)および(理由2)のどちらにしても、「人間はみな神の子という教義に立てば、一人一人の人間を尊重しているのは現憲法です。明治憲法のほうが人権に制限をかけている」などという総裁の発言は、哲学的思考力が乏しい者の寝言にすぎないという結論に到着する。





宗教団体も相当弾圧した。明治憲法のほうが理想的だ、とは必ずしも言えません

この「明治憲法のほうが理想的だ、とは必ずしも言えません」という発言も哲学的思考力が乏しい者の寝言にすぎない。次に、その理由(1)〜(3)。

(理由1)
まず、今の憲法は、「主権者である国民一人一人の権利の衝突と、その利害調節」を当然の大前提とする「社会契約思想」に立脚している(この論証は面倒だから省略)。よって現行憲法は、「国家は人間の神聖性が反映した存在である」という「君民同治の神示」から見て遠い。

それに対して明治憲法は、「国家は人間の神聖性が反映した存在である」という「君民同治の神示」、あるいは上記引用の雅春先生のお言葉「日本は天照大神の神勅が本質」、あるいは、その本質を具体化した神武建国の詔、「民にとって利益になることが聖人の行いだから、今から国を造って、みなでそれを実現しよう。それが、皇祖が私にくだした命令でもある」を国家理念として取り込んでいたから、雅春先生の国家理念から見ると、明治憲法のほうが遥かに理想的である。

     (このついでに触れておく。少し話がそれるが、この問題を法の効力として
     論じるならば、もし憲法のなかに「日本の政府は常に建国の詔を実現しなけれ
     ばならない」という一文を入れるならば、その一文を根拠にして現在の数ある
     人権をほとんど具体的な条文にすることが可能である。不勉強な総裁は勿論
     のこと、勉強しているはずの憲法学者たちも古臭い先入観にとらわれている
     ために、この効力に気づいていない)


(理由2)
たしかに戦前には多くの宗教団体が弾圧された。しかし谷口雅春先生の「生長の家」は困難を強いられたものの弾圧はされなかった。宗教団体であろうが金儲け団体であろうが、そのトップが自我を死にきっていない団体は、その心の反動として弾圧されることがある。しかし谷口雅春先生は常に自我を死にきっていたから弾圧されるようなことがなかったのである。

その戦前と比べると戦後の日本は宗教団体を弾圧する国家権力のパワーが弱くなった。その結果、戦後の宗教団体はトップに多少の自我があっても弾圧されることは少ない。そのかわり、トップの心の反映として「統一教会」やどこかの宗教団体のように17年後には消滅するような道を自然と歩むだけのことである。





現憲法があるのに明治憲法に戻すというのも立憲主義に反します

この発言は、緻密な思考ができない不勉強者の粗雑な発言にすぎない。次にその理由(1)〜(4)。

(理由1)
まず、再確認になるが、生長の家に関係する有力者のなかに、「今の憲法を明治憲法にもどして、まるごとそのままの状態で政治を行え」と主張した者は一人もいなかった。発言者の全員が、「今の憲法を明治憲法にもどして、今の時代に合うように、(人権条項等をふくめた)部分改正を行え」と主張したのである。それが事実である。

それにも関わらず総裁は、「現憲法があるのに明治憲法に戻すというのも立憲主義に反します」と発言した。この発言は、あたかも雅春先生が、「今の憲法を明治憲法にもどして、まるごとそのままの状態で政治を行え」と主張したかのような印象を読者に与えてしまう発言である。


(理由2)
次に、現憲法は「憲法の改正」を認めている。現憲法にも憲法改正に関する条項がある。日本国民が明治憲法に改憲して、さらに人権条項などの部分改正を行うことに何の問題もない(なお、ここでは憲法改正に関する限界論と無限界論の対立には触れない。この対立問題は憲法学の外にまで論点を拡大しないと決着がつかない問題である)。


(理由3)
さて、総裁が使っている「立憲主義」という言葉の意味についてであるが・・・。現在、「立憲主義」と言う言葉はいろいろな意味で用いられている。その意味によっては最後の結論が反対になることもないわけではない。だから「立憲主義」と言う言葉を使う人は、その意味を厳格に示してから使わなければならない。

それなのに、ここで総裁は自分が使っている「立憲主義」と言う言葉の意味を示していない。よって、総裁の発言を読んでいる読者が混乱する可能性が極めて高い。だから誰かが「立憲主義」と言う言葉の複数の意味を一つ一つ読者に説明しなければならない。

・・・ということで、「なぜ私が総裁のような粗雑な思考力しか持っていない者の尻ぬぐい的な補足説明をしなければならないのか・・・」と、愚痴を言いたくなるのであるが、手を出した私が悪かった。今となっては仕方がない。ということで・・・

「立憲主義」という言葉には大きく分けて(1)〜(3)のような意味がある。その意味によって異なる結論が出てくる。

     (意味1)
     一つ目は言葉本来の意味である。「立憲主義」とは「憲法に立脚した政治や法の
     解釈を行うべきだ」という主義。この意味にしたがうならば、昔の明治憲法は
     当時の日本人だけでなく世界中が承認していたから、今の憲法から明治憲法に
     もどること(もちろん今の時代に応じて人権条項等を部分改正すること)は、
     「立憲主義」に反するわけではない。よって、「現憲法があるのに明治憲法 
     に戻すというのも立憲主義に反します」という総裁の発言はまちがいである。

     (意味2)
     二つ目の意味は、西洋の近代以前の歴史に見られる「立憲主義」。たとえ憲法
     に立脚する政治や法解釈が行われても、その憲法がもともと権力者(多くは
     国王)のために作られた憲法なのでは意味がない。だから、「権力者の恣意的
     な政治や法解釈を制約する目的をもつ憲法」に立脚する政治や法解釈を行う
     べきだ・・・という意味。

     この「立憲主義」の意味に従っても、総裁のように、「現憲法があるのに明治
     憲法に戻すというのも立憲主義に反します」とは言えない。なぜならば
     明治憲法は、すでに具体的な証拠を明記したとおり、当時の国内状況さらに
     国際状況を睨みながら、「日本国家を安定させること」と、「国民の自由と権利
     を確保すること」との両立・調和を図って、ギリギリの点まで煮つめたうえで
     国民世論も納得できるように制定された憲法だったからである。

     しかも、明治憲法は、権力者の恣意的な政治や法解釈を制約する内容を持って
     いた。たとえば、明治憲法をつくるときに最も力をふるった伊藤博文に法学を
     教えたドイツの法学者グナイストは、「政府が議会の同意なく新しい税を国民に
     課する権限をもつようにすればよい」など政権に都合の良い多くのアドバイス
     を与えた。もしこの権限が政府にあれば、政府と財務省は消費税の税率を国会
     の承認なしで10%から20%に上げることができる。さらに新しい税を作り、
     それを国会の承認なしで国民に強制することもできる。

     しかし、このような政権に都合のよいアドバイスはほとんど伊藤たちが棄て去
     った。そして出来上がったものが明治憲法だった(もちろん、この背景には
     自由民権運動の強い圧力が伊藤たちを縛っていたことも事実である)。

     ともあれ、今の日本人が、「日本国家を安定させること」と、「国民の自由と
     権利を確保すること」との両立・調和を図って制定された明治憲法に戻り、
     同時に今の時代に応じた人権拡大の部分改正を行う(この設計図を前以て
     書いておくことが本来の憲法学者の実務的職責であった)ことは、決して
     「立憲主義」に反する事態ではない。

     (意味3)
     三つ目の意味。三つ目の「立憲主義」の意味は、西洋の近代以降の憲法史に
     見られる「立憲主義」である。具体的には、(意味2)の「立憲主義」に
     留まらず、もっと突っ込んで具体的に、「『国民主権』と『基本的人権の
     尊重』を明記した憲法」に立脚する政治や法解釈を行うべきだ・・・と
     いう意味である。

     もっとも、今の日本の論者のなかには、このほかに、「厳格な三権分立」
     や「恒久平和主義」を加える者もいる。しかしそれは一般的な支持を得て
     いない(その理由は今関係がないので省略)。

     この「立憲主義」にしたがうならば、今の憲法を明治憲法にもどすこと
     は「立憲主義に反する」ことになるかもしれない。なぜならば、
     明治憲法(大日本帝国憲法)の第1条が「大日本帝国は…天皇が統治する」
     と宣言し、さらに第4条が「天皇は国の元首であり、統治權を総攬し
     (すべてを握り)、この憲󠄁法の規定によって統治する」とも宣言している
     からである。つまり、天皇に「主権」があるように見えるからである。
     その理由で、総裁が「現憲法があるのに明治憲法にもどすというのも 
     立憲主義に反します」と述べているのは、それなりに筋が通る。

     しかし、実際にはそう単純に論が進まない。日本の憲法史には次のような
     事実(1)〜(3)があるからである。

       (事実1)
       明治憲法は「天皇主権」を宣言したわけではなかった。明治憲法の中に
       「主権」という言葉はない。明治憲法を作成した伊藤博文ほかの日本人は
       西洋由来の「主権」概念を日本憲法に持ち込むと、西洋政治の伝統とも
       いえる「国王と人民の闘争」という悪い構図を日本憲法に持ち込むことに
       なる…。これを警戒して「主権」という言葉を憲法の中で使わなかった。
       実際に、日本の国王ともいえる天皇は人民との対立・戦闘を行ったこと
       がなかった(これは当時の福沢諭吉も「帝室論」のなかで国民に力説した)
       のである。

       よって、「国民主権」を宣言している現憲法から、「天皇主権」を宣言して
       いない(それどころか、主権者確定を避けている)明治憲法にもどって、
       今の時代に応じた人権条項等の部分改正を行うことが「立憲主義に 
       反する」とは言えない。

       (事実2)
       日本の歴代天皇はほとんどが日本人民の自由と幸福を願って行動した。
       これが史実である。また、明治天皇と昭和天皇は明治憲法のもとにあり
       ながらも、自分の意見を政治家や役人に押し付けることがなかった。
       両天皇は常に国会や内閣の決定を尊重した。(この証拠と証明は省略)。

       その天皇の心を日本の権力者が準則として行動するならば、今の憲法の
       もとで権力者が権力欲による政治を行うよりも、実質的には「国民主権」
       の理想が実現する。よって、現憲法から明治憲法にもどって、今の時代に
       応じた人権条項等の部分改正を行うことは、必ずしも「立憲主義に反する
       とは言えないはずである。

       (事実3)
       実際に、日本敗戦とマッカーサーが憲法草案を日本政府に押しつける間に
       公開された(つまり今の憲法に変わる前に公開された)佐々木惣一博士の
       「帝国憲法改正案」は、明治憲法の人権条項を大幅拡大した内容だった。
       その結果、社会主義憲法を理想とする憲法学者・田畑忍からも、(不満を
       保留しながらも)「高野案にも劣らない点を有している」と評価された。
       高野案とは、社会主義的な憲法をストレートに目指した高野岩三郎の
       「日本共和国憲法私案要綱」(『新生』誌。昭和21年2月号に公開)の
       ことである。
       (なお、田畑忍の論文は、「同志社大学学術リポジトリ」
        http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000009484

       よって、今の憲法を明治憲法に復元して人権条項等の部分改正を行うことは、
       必ずしも「立憲主義に反します」とは言えないのである。

…ということで、雅宣総裁のための、やさしいパンパース的解説(尻ぬぐい解説)を終了する。


(理由4)
まず、拙論が長くなったので、ここで確認しておく。今、「生長の家classics」が述べていることは、総裁の「現憲法があるのに明治憲法に戻すというのも立憲主義に反します」という発言が、緻密な思考ができない不勉強者の粗雑な発言にすぎないことの証明である。

ここで日本を離れて世界の歴史を眺めると、世界史は共和制(国王がいない国家制度)から君主制(国王がいる国家制度)への転換が多くあったことを示している。たとえば、次の4件。

     (事実1)
     世界中の人権宣言のなかで最も有名な人権宣言を発したフランスは、その後
     君主制の憲法にもどった。そのあとまた共和制憲法に変わった…と、コロコロ
     変化した。そのような変化を「立憲主義に反する」と言う者はいない。

     (事実2)
     イギリスも清教徒革命による共和国がチャールズ2世の即位によって君主国
     に変わった。これは長くは続かなかったが、イギリスは今も立憲君主国である。
     この変化と今のイギリス憲法を「立憲主義に反する」と言う者もいない。

     (事実3)
     第二次大戦以降に限っても、スペインが共和制国から君主制国に転換した。
     その憲法が今の憲法である。今のスペインの憲法「1978年憲法」は国王を
     認めている。国王を、”The King is the Head of State, the symbol
     of its unity and permanence. “と規定している。この規定は国王を
     元首(the Head of State)としているから、今の日本国憲法よりも重い
     国王の位置づけである。スペインの人達はこの憲法を、「民主化運動によって
     成立した憲法である」と意義付けている(以上、ウィキペディア「スペイン
     1978年憲法」)。これを「立憲主義に反する」と言う者は一人もいない。

     (事実4)
     朝日大学の法学部や大学院で法学を講じておられる下條芳明氏は、
     「象徴君主制憲法史としての21世紀一日本とスウェーデンとの比較考察―」
     (そのURLは、http://repository.kyusan-u.ac.jp/dspace/
     bitstream/11178/6142/1/KJ00004853166.pdfを直接接続)
     のなかで、

     「二十世紀前半が君主制の凋落の時代であるのに対して、二十世紀後半は
     君主制(あるいは、君主制的なもの)の復権の時代であった…ということが
     いえるのではないか」(1頁〜2頁)との問題提起を行っている。もちろん、
     下条氏はここで明治憲法について語っているのではない。氏は世に言う、
     「1974年スウェーデン象徴君主制憲法」に関する解説を行っている。
     しかし二十世紀後半が君主制(あるいは、君主制的なもの)の復権の時代
     であったことを「立憲主義に反する」と批判できる人は少ない
     だろう。

以上の(1)〜(4)の理由で、日本国の現憲法(国王らしい天皇はいるが政治権力がない憲法)から、明治憲法(国王天皇がいて政治権力もある。しかし国王が政治権力を行使せずに国会と内閣が政治を執行する憲法)に変わることが「立憲主義」に反するとは必ずしも言えないはずである。

雅宣総裁の「現憲法があるのに明治憲法に戻すというのも立憲主義に反します」という発言は、緻密な思考ができない不勉強者の粗雑な発言であると論評せざるをえない。





どう見ても覚者・信仰者とは思われない自称宗教家。 (15154)
日時:2024年04月02日 (火) 16時03分
名前:生長の家classics

どう見ても覚者・信仰者とは思われない自称宗教家


——そうした中で起きた旧統一教会の問題です。教団が政治から離れて四十年になりますが、宗教と政治の接近を改めてどう考えますか。宗教団体にとって、政治への接近は「うまみ」があるのでしょうか。

谷口
「うまみ」は「悪いこと」の裏返しです。昔は宗教と政治は事実上一体化していました。それで宗教はどんどん腐敗し、堕落した。キリスト教でいえば、それで宗教改革が起こり、プロテスタントが生まれました。政治と近づくと権力が手に入り、お金も入るようになる。それが「うまみ」に映っても、宗教としては一番まずいことなのではないかと思います。

——選挙支援は大変な負担だということでしたが、旧統一教会の信者は自民党議員の支援を続けています。なぜでしょうね。

谷口
それは生長の家がなぜ政治運動を懸命にやったか、ということにも重なります。宗教(団体)では「上」がやれと言ったことは「下」は懸命にやるものです。それが宗教の怖いところです

これも、粗雑な思考力しか持っていない者の不勉強を示す発言であると論評せざるをえない。次に、その理由(1)と(2)。

(理由1)
もし、上の者が「やれ」と言ったことを下の者が懸命にやらないのが良い宗教ならば、その宗教団体は何もできないことになってしまう。たとえば、どこかの宗教団体のトップが東京第一教区に「来年御講習会を開催するから準備しろ」と命令しても教化部長以下が動かなければ御講習会は開催不可能になる。しかし雅宣総裁は教化部長以下が上の者の命令通り懸命に行うことを「宗教の怖いところ」などと言っている。 

(理由2)
もし、総裁がここで政治運動に限定して、「上の者が(政治運動を)やれと言ったことを下の者が懸命にやる点が宗教の怖いところである」と主張しているのならば、それならば理屈の筋は通る。この理屈は、言い換えると、「教化部長以下の者たちは、生長の家総裁の政治的な指示や命令には従わない方が良い」ということである。

それならば、雅宣総裁が下の者たちに、「国政選挙で与党に投票するな。野党に投票しろ」という政治的な指令を出しても、下の者たちはその指令に従わないであろう。それでは総裁が指令を出した意味がない。そのような意味不明の指令を雅宣総裁は今までに三回も出していたのである。

総裁は、この対談で自分が語った言葉の意味と、自分が過去に三回も行ったことが矛盾して逆方向を向いていることに気付いていない。「宗教団体では上がやれと言ったことは、下は懸命にやるものです。それが宗教の怖いところです」などという総裁の発言は、粗雑な思考力しか持っていない者の不勉強を示す発言である。





信仰と盲従に実は大きな差はない

これは…。

これは何とも信じられないような妄言である。次に、その理由(1)〜(4)。

(理由1)
西洋キリスト教初期時代のパウロは、はじめはキリスト教徒を迫害していた。しかしのちに回心して有名な宣教者になった。そのパウロはイエスの死後に回心したのだった。パウロは決してイエスその他の人に盲従してキリスト教を信仰したのではない。それなのに、雅宣総裁はパウロの信仰を「盲従と大差ない」と断言している。何とも不可解な総裁の発言である。一体、総裁は本当に宗教家であるのだろうか。

(理由2)
東洋では、釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が菩提樹の下に一人で瞑想して悟りを得た。釈迦はそのときに村娘のスジャータからミルク粥の布施を受けた。しかし釈迦はミルク粥に盲従して悟りをえたのではない。釈迦は誰にも盲従していない。それなのに、雅宣総裁は釈迦の悟りを「盲従と大差ない」と断言している。何とも不可解な総裁の断言である。一体、総裁は本当に宗教家であるのか…。疑問に思うのは「生長の家classics」だけではないだろう。

(理由3)
谷口雅春先生は神啓をうけてお悟りを開いた。しかし神啓に盲従したのではない。神啓や神示は自己神格の内流である。本当の信仰とは、外にあるもの(神仏を含む)に盲従することではない。しかし総裁の発言によれば谷口雅春先生のご信仰も「盲従と大差ない」。そのように断言した雅宣総裁は本当に雅春先生の後継者であるのだろうか・・・。さぞかし寒心に堪えない人が多いことであろう。

(理由4)
おそらく雅宣総裁はここで、「一般人の信仰は盲従と大差がない」と言いたいのだろう。しかしそう言っている総裁が信仰をもっていない。総裁が谷口雅春先生の教えを信じていないことは総裁の著作『日々の祈り 神・自然・人間の大調和を祈る』のサブタイトルからも明らかである。

このサブタイトルは「神・自然・人間の大調和を祈る」である。このサブタイトルは「神」を「自然や人間」と同次元に位置付けている。しかも、この神は人間に祈ってもらわなければ自然や人間と調和できない神である。このような「神」は絶対に谷口雅春先生がお説きになった「神」ではない。

たとえば、総裁も毎日読誦しているはずの聖経「甘露の法雨」の「神」の項には、

     神こそすべてのすべて。神はすべてにましまして絶対なるがゆえに神の外に
     あるものなし…。

と書いてある。谷口雅春先生がお説きになった「神」とは、神の外に自然や人間があるような「神」ではない。また、同じ「神」の項には、

     神があらわるればすなわち善となり、慈悲となり、調和おのずから備わる…。

とも書いてある。

本当の神は、調和の原理そのものである。人間に祈ってもらわなければ自然や人間と調和できないようなポンコツの神は、谷口雅春先生がお説きになった「神」ではない。総裁は雅春先生がお説きになった教えを信じていない。総裁のほとんどの発言は、唯物論的科学主義まる出しの非宗教家的発言である。そのことは、次の総裁の発言にも見られる。





聖書には、キリストはガリラヤ湖を歩いて渡ったと書いてありますが、これを一字一句信じるか、あるいは別の意味が込められていると考えるか。指導者が節度をもって指導するならよいのですが、そうでないとおかしなことになってしまう

この発言には、雅宣総裁が本来の生長の家の信仰をもたず、唯物論的科学主義を盲信しているらしいことを示している。次に、その事情を。

まずこの総裁発言は、『新約聖書』の「マタイによる福音書」に書いてある記述を基にしていると思われる。「夜にイエスの弟子たちがガリラヤ湖に漕ぎだした舟が逆風に難渋して、なかなか進むことができなかった。そこへイエスが湖の水の上を歩いて弟子たちの舟に近づいてきた。イエスが舟に乗り込むと、舟の進行をさまたげていた強い逆風が収まった」という話を指している。総裁はこの話を事実と見なしていない。何か「別の意味が込められている」と考えて、「生長の家」の信者がこの話を「事実」と考えないように指導者が指導しなければならない…と主張している。

総裁は、「神癒」あるいは「奇蹟」と呼ばれている話を「事実」として認めず、「単なる偶然を語っているだけの話」、あるいは「何かの間違いを語っているだけの話」、あるいは「何らかの意味が込められているだけの話」と理解しているのである。

もちろん、「神癒」あるいは「奇蹟」と呼ばれている話を、総裁が「事実」として認めることを拒否するのは総裁の自由である。しかし、生長の家で「神癒」あるいは「奇蹟」と呼ばれている話を「事実」として認めない態度は、生長の家の指導者の態度ではない。それにも関わらず、生長の家で「神癒」あるいは「奇蹟」と呼ばれている実話を、総裁が「事実」として認めて教えを説いたことがほとんどない。

たとえば、古い生長の家の信徒ならば誰でも知っているような奇蹟的な実話がある。それは長崎に原爆が落ちて爆発したときに、下から米軍の飛行機を眺めていて、落下傘にぶら下がった原子爆弾を見ていたらその原爆が爆発して、その人が気絶したけれどもあとで気が付いたら傷ひとつ負っていなかった。そのかわりに聖経『甘露の法雨』が体を覆っていた・・・という実話である。

この話を谷口雅春先生は、『奇蹟を生ずる実相哲学 下』の「はしがき」の中で説いておられる。下に雅春先生のお言葉を引用する。ここでは正確さが要求されるので、少し長いがそのまま引用する。

     天辰静雄(あまたつしずお)という人…は…四百メートルの至近距離から…
     「あれは空襲に来たアメリカ空軍兵が日本の高射砲でやられたので落下傘
     で降りるところだ」と思って、落下傘にぶらさがっていた黒いものを仰いで
     見ていたら、その黒いものは「逃げて降りる敵兵」ではなくて原子爆弾で、
     それがそんな至近距離で爆発したのだった。

     天辰静雄君は、ひとたまりもなく原子爆弾の放射能と爆風とを、何の身を
     覆う物もなく、赤裸のまま晒しながら身に受けて倒れた。それから幾時間が
     経ったかわからないが、天辰君は目を覚ました。しかし、不思議にも全身の
     どこにも被爆のための傷跡もなかった。

     天辰君の全身には…『甘露の法雨』…が延び拡がって、自分の全身を覆って
     いたのだった。彼の近くには、点々と真黒焦げになった被爆した人たちの死骸
     が倒れていた。そんな至近の距離から原子爆弾の放射能を受けると、黒い物
     は火を発して燃えたのである。爆風の直撃のショックで気を失って倒れていた
     人たちや死者の着衣が黒い場合、それは燃えて黒焦げになっていたのだ…。

     私は…「あなたの体を被うていた…『甘露の法雨』はどこから来たのですか」
     とたずねた。天辰静雄君は次のように答えた。「あれは私の家の『甘露の法雨』
     です。…サックに入れないで、聖経を折り畳んだだけで仏前に置いてあった
     のです。すると、原子爆弾の爆風でそれが吹き飛ばされて、倒れつつある私の
     全身の上にかぶさったのです。お蔭で私は傷つかないで救かったのです」

     聖経『甘露の法雨』と尊んで呼ばれている私の詩が、このような奇跡的功徳を
     生ずる。普通は、宗教で奇蹟を生ずると言うのであるが、実相哲学の中心骨髄
     ともいうべき要点の抜粋が、このような素晴らしい奇蹟を生ずるのである。
     (以上、はしがきの5頁〜7頁)

ついでに、もう一つ実例をあげる。生長の家の信徒ならば毎日読誦している聖経『天使の言葉』のなかの次の一節である。

     現世においても優れたる科学者は人間を肉体なりと観ぜず、感覚は肉体の背後
     にある心の感じなることを明らかにせり。かつて伊太利の大医ロンブロゾーが、
     ある神経病者を取り扱いし記録を見ずや。患者は感覚の転位を起こして、眼球
     をもって物象を見ることを得ず、指先をもって物象を見ることを得しにあらず
     や。指先には眼球なく、網膜なく、視神経なし。されど彼の指先はよく物象を見
     ることを得しにあらずや…。 
 
さて、この二つの実体験を総裁は「事実」として認めるのであろうか。

一度総裁に尋ねられるのならば尋ねてみたいものであるが、ロンブローゾの記録は信用できるものとして今も研究者が引用している。また、谷口雅春先生は天辰氏の発言を「事実」として信徒たちに紹介されたのである。

総裁はこの二つの奇異なできごとを「事実」として認めるのであろうか。まんいち雅宣総裁がこの二つの事実を、「何かの比喩にすぎない」と仮に言うのならば、総裁は宗教家を自称する必要も権利もないだろう。総裁はさっさと生長の家の指導者を辞して、唯物論的評論家を公称するのがご自身の思想に最も忠実な態度であると論評しておく。





雅宣総裁の妄言を徹底粉砕した生長の家classicsさんの論評に心から感銘しました! (15159)
日時:2024年04月06日 (土) 16時25分
名前:生長の家classicsさんの論評に感銘した者

 教団機関誌の本年2月号の谷口雅宣総裁の毎日新聞記者のインタビュー記事は、古くからの信徒である者にとっては、あまりにも残念なものであり、当時の真実を認識している世代の者からは妄言と論評されてもやむをえません。

 生長の家classicsさんは、前回の投稿等から拝察しますと、比較文明論や近現代の政治思想史に造詣の深い研究者でいらっしゃるようですが、このたびの論評を拝読し、心から感銘しました。

 大げさと思われるかもしれませんが、このたびの生長の家classicsさんの論評は、あの宗教改革者マルティン・ルターが腐敗した教会権力に対して突きつけた『九十五箇条の提題』に相当する歴史的意義を感じます。

 長文の論評ですが、改めてのご精読をお勧めします。



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