《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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則天去私氏の反論に関する論評。および、「少々お待ちを」のお願い。 (15077)
日時:2024年03月13日 (水) 12時12分
名前:修繕屋

【1】 則天去私氏の反論に関する論評

(1)
則天去私氏の一回目の反論
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/88689061.html

則天去私氏の二回目の反論
http://tecnopla1011.blog.jp/archives/88691127.html


一回目。
上記が章立て変更?思わず失礼ながら笑いました。
ずいぶん偉そうネ。

あまりにも全体的な反論としては幼稚すぎます。
ちょ〜上から目線。

二回目。
「修繕屋」さんの質問には「根本的な事実確認の誤認と欠落がある」ということです。
ものすごい決めつけ。
昔、テレビの人気番組『ズバリ言うわよ!』に出ていた占いおばさん、「六星占術の細木数子」の決めゼリフを思い出した。強引に決めつけるところがよく似ている。

この一言で用を為します。
説明なしかよ…。
細木数子でも胡散臭い説明をしていたのに…。

説明なしの決めつけをする人は、「その人が根本的に自信を持っていない証拠である」ということです。この一言で用を達します。

…ついでに。細木数子さん。いや。則天去私さん。日本国語で「用を為す」とは言わない。おそらく則天去私さんは「用を成さない」の反対の意味で「用を成す」と言ったのだろうけれども、「用を成す」とは言わない。「用を足す」あるいは「用を達する」という。しかも「用を為す」は困る。これでは「用事を行う」という意味になってしまう。たとえ間違えても「用を成す」にしてほしい。

さらに「事実確認の誤認」などという日本国語はない。「事実確認の誤り」あるいは単に「誤認」で充分。則天去私さんの日本語はいつもおかしい。ときには無茶苦茶(下に実例集を付けたからご参考に)。則天去私さんの異様な日本語は、いつまでたっても直らない。則天去私さんは自分の異様な日本語を本気で直そうとする気がないのだろう。

…それにしても、どうして則天去私さんは修繕屋が4回にわたって主張した内容に反論しないのだろうか。

修繕屋が合計4回も提出した主張のうち、則天去私さんから反論があったのは一回目だけ。しかもその前半についてだけ(それには後日必ずお答えする)。

則天去私氏は修繕屋の2回目の主張にまだ反論してこない。

修繕屋の2回目の主張。『聖書』は何回も編集(改変)されてきたのに世界中の人間がそれを批判しなかったから、則天去私氏は、本当は、「聖書が何回編集されても批判されなかったから、『新編』の小さな編集も認められなければならない」と言うのが正しい…。修繕屋はこのように主張した。この修繕屋の主張に対して、なぜ則天去私氏は反論してこないのだろうか。則天去私氏は1回目の反論のなかで、修繕屋の主張を、「あまりにも全体的な反論としては幼稚すぎます」と、こき下ろしていたのに…。

則天去私さんは修繕屋の3回目の主張にも反論していない。

修繕屋の3回目の主張。則天去私さんの「旧仮名遣ひ」は、思い付きの、気分次第でコロコロかわる「旧仮名遣ひ」にすぎない。しかも則天去私さんは「厳」と「嚴」と「巌」と「巖」の違いが解っていない…。修繕屋はこのように主張した。この修繕屋の主張に早く反論してほしい。もちろん、「旧仮名遣ひ」で。さうすれば、こちらも旧仮名でお答へする。さうして、おたがひに相手の旧仮名づかひを添削しませう。それをしなければ、おたがひに「旧仮名がどうのかうの」などと、偉さうなことを言へない。はやう則天去私氏に反論してほしい。

則天去私氏は修繕屋の最後の主張にもまだ反論していない。

修繕屋の最後の主張。「則天去私氏は、『徳久先生は章変更をしてはいけないと書いている』と断言したから、具体的な徳久先生の言葉を提出して社会事業団を批判しなければならない。そうしないと、則天去私氏の『生命の實相』出版史に関する発言が第三者から信用されなくなってしまう…。このように修繕屋が主張した。それなのに、則天去私氏は何も反論してこない。則天去私氏はすでに新しい記事を二回以上も投稿しているのに、氏はまだ徳久先生の言葉を具体的に提出していない。このままでは則天去私氏が、「私の『生命の實相』出版史に関する発言はデタラメでした」と認めたことになってしまう…。これは何とも気の毒なことである。則天去私氏には、はやう「旧仮名」で反論してくださるやうにお勧めまうしあげる。



(2)
則天去私氏の二回目の反論は、何を言っているのかさっぱり解らない。

則天去私氏は二回目の反論のなかで、

以前にもこの掲示板に同じ戦前の内容である資料を貼付けしていますので、学ぶ会の関係の人ですね。以前と同じ内容ですので、それを見ないで書いてくる。余程、腹を立てておられるようです。

と言っている。

しかし修繕屋は今まで則天去私氏のブログにも第二掲示板にも、「戦前の内容である資料」などを貼り付けしたことはない。則天去私氏は修繕屋を誰かと混同しているのではないか。…そうとしか思えない。

まして、則天去私氏が夢遊病者のように語っている言葉、

それと新編『生命の實相』の巻数の後半になればなるほど、脚注等を見ると非常に良く調べられているのには目を見張るものがあります。そのような所は高く評価しています…

から後のひとりごとについては、「氏は気が狂ったのか」と言わざるをえない。

修繕屋はたしかに新編『生命の實相』を弁護している。しかし修繕屋は新編『生命の實相』を編集しているわけではない。則天去私氏から「目を見張るものがあります。そのような所は高く評価しています」と褒められる理由も道理もない。修繕屋は、「なぜ自分がそのようなことで褒められるのか?」と、不思議でならない。則天去私氏は修繕屋を光明思想社の編集者か工作員だと思い込んでいるのではないのか。

ここで念を押しておく。修繕屋は絶対に光明思想社の編集者でも工作員でもない。それなのに則天去私氏は修繕屋を光明思想社の編集者か工作員と思っている。これはまことに強烈な氏の思い込みである。 

これと似た氏の不思議な言葉はまだある。

則天去私氏は二回目の反論のなかで、修繕屋に対して何度も、

〜が、このような間違った質問をされる要因です。

とか、

私に質問する前に…

とか、

よく見てから質問を宜しくお願いします。

とか言っている。

しまいには、

最後に何回も言って申し訳ないが失礼ながらもう少し勉強なされてから質問して下さい。

などと言いだした。

だが、修繕屋は1回目から4回目までのなかで則天去私氏に「質問」など一つも提出していない。修繕屋は、「教えてください」とも、「〜でしょうか」とも言っていない。修繕屋が全4回のなかで語っている内容は則天去私氏への批判だけである。そのようなことは読めば簡単にわかるはずだ。

それにも関わらず、則天去私氏は、修繕屋が何かを質問したと言っている…。なんとも恐ろしいほどお粗末な日本語理解力である。則天去私氏は思い込みが強く理解力は弱い…。もしこれが反対ならば修繕屋も楽なのだが…。いまさら嘆いても仕方がない。

…ということで日本語を書く能力に問題があり、思い込みが強くて理解力が弱い則天去私さんにお願いがある。



【2】 則天去私氏に、「少々お待ち下さい」の依頼

則天去私さんは修繕屋に何度も、

章立て変更に対しての認識を理解されていない…

と、(少し怪しげな)日本語を駆使して修繕屋を批判している。

しかし、実は、その「章立て変更」が杜撰きわまるポンコツの概念なのだ。

…といっても今の則天去私さんには理解できないだろう。則天去私さんは怒りだすかもしれない。しかし則天去私さんが今までに何度も主張してきた「章立て変更」に関する説明は多くの矛盾を含み、その結果、沢山の混乱を導き出す概念なのである。

そのことを修繕屋は則天去私さんと一般読者に説明しなければならない(それをしなければ則天去私さんの間違いが解明されないままで終わってしまう)。

ところが則天去私さんは日本語をまともに書く能力に問題があるだけでなく、思い込みが強くて理解力が弱い人である。そのような人と一般読者のために「修繕屋」がわかりやすく説明するためには多くの工夫と証拠資料と時間を必要とする。だから、「則天去私氏が書いた合計二回の反論に対する修繕屋からの再批判を少し待ってもらいたい。必ず行うから…」とお願いする。

もっとも、このように言うと則天去私さんと読者の一部は、「修繕屋が逃げ口上を語り出した」と思うかもしれない。しかしこれは逃げ口上ではない。逃げ口上でない証拠に、則天去私さんが言う「章立て変更」の概念が杜撰で矛盾を含んでいることを箇条書きにする(どうせ今は理解できないだろうが…)

(1)
則天去私さんは一回目の反論のなかで、
章立てとは文章を構成する章の立て方や並べ方。
と言った。
これは正しい。一般の辞書には同じような説明が書いてある。

ただし、この正しい意味は、文章を構成する「章」というものがあって、その「章」の立て方や並べ方が「章立て」だ…という意味である。

ところが則天去私さんは、続けて、
章立てとはいわゆる目次とほぼ同じ意味ですが、主に本文の章・節・項などについて表すことが多い。
とも言った。

この説明は間違いである。日本にあるいかなる辞典や事典にも、このような説明はない。この説明は、則天去私さんの癖である「思いつき」、「気分次第でコロコロかわる」説明にすぎない。大体、「章の立て方や並べ方」が、目次(章よりも大きな枠組みである「篇」を含んでいる)と同じ意味になるはずがない。則天去私さんがこの説明のなかで「いわゆる」を付けて誤魔化そうが、「ほぼ」を付けてチョロまかそうが、「章の立て方や並べ方」にすぎない「章立て」が、「章」よりも遥かに大きな枠組みである「篇」を含んでいる「目次」と同じ意味になることは絶対にない。
 
…この説明が則天去私さんに解るだろうか。おそらく解らないだろう。だから「解りやすく説明するから、少し待ってほしい」とお願いしている。

(2)
則天去私さんは何度も、「新編が、『総説篇・實相篇』の順番を『総説篇・光明篇』の順番に変えてしまった。これは章立て変更だ。ケシカラン」と主張している。しかし、ここで厳密なことをいうと、「實相」と「光明」の順番を変更したことは「」の順番の変更である。だから正確にいうと、これは「立て変更」である。決して「立て変更」ではない。そもそも「章立て変更」とは、則天去私さん自身が上で説明したように、「の立て方や並べ方」であった。『新編』が『實相』と『光明』の立て方を変更したことは「」の変更であって、「」の変更ではない。

「それがどうした。たいしたことではない」と則天去私さんは言うかもしれない。しかし、則天去私さんの「章立て変更」概念は大変な混乱と矛盾を招く致命的な欠点なのだ。

そもそも則天去私さんの頭のなかに「篇立て変更」という概念はない。ブログ「則天去私」のなかに「篇立て変更」という言葉は一つもない。しかし、それでは大変な混乱が発生する。

たとえば、ある「篇」の中の「章」を分割して、別々の「章」とするならば、それは本当の「章立て変更」である。実際に…ここでは詳述できないが…そのような関係が『生命の實相』のある「版」と別の「版」のあいだに存在するのだ。

ところが則天去私さんは、このような「本当の章立て変更」も、「本当は篇立て変更」も、どちらも「章立て変更」と言っている。その結果、則天去私さんが「章立て変更がある」と言った時に、その「変更」が「本当の章立て変更」なのか、それとも「本当は篇立て変更」なのか…。誰にもこの区別がつかないのである。

…ということで、この説明が則天去私さんに解るだろうか。おそらく解らないだろう。だから「解りやすく説明するために、少し待ってほしい」とお願いしている。

(3)
さて、ここで「章立て変更」から少し離れる。それは則天去私さんの論理構造にも矛盾や混乱があるからである。たとえば則天去私さんはしきりに、「雅春先生が『章立て変更』を行うのは問題ない。しかし雅春先生でない者が『総説篇・光明篇』の順番に変えたことは許されない。すべて雅春先生の心に従わなければならない…」と主張している。それは今、一応認めるとしよう。しかし、それならば則天去私さんは、「雅春先生が最後までこだわられた『旧仮名づかい』と『旧漢字』を頭注版でも新編でも使用しろ」と主張するはずだ。しかし則天去私さんは一度もそのような主張を行わなかったのではないか。

たとえば『生命の實相』頭注版の「第14巻。倫理篇 下・教育篇」は1963年6月に初版が発行されて、新仮名と新漢字を使用している。それに対して、愛蔵版の「第7巻。教育篇・倫理篇」は、それより後の1971年10月に初版が発行されて、旧仮名(歴史的仮名遣い)と旧漢字を使用している。旧仮名を使用している愛蔵版は、新仮名を使用している頭注版のあとに刊行された。つまり谷口雅春先生は頭注版の「新仮名・新漢字」使用を、愛蔵版で「旧仮名・旧漢字」使用に修正なさったのである。

則天去私さんは、『新編』が「實相篇」の内容も「光明篇」の内容もまったく変えていないにもかかわらず、この二つの篇の順番を入れ替えただけで、「これは尊師の心に背くことだ。許せない」と主張する。しかし則天去私さんがそれほど尊師のお心にこだわるのならば、則天去私さんは、(尊師がわざわざ愛蔵版で旧仮名・旧漢字にもどされたお心を知っているのだから)、「頭注版や新編も旧仮名・旧漢字を使用しろ!」と言うべきなのだ。

それなのに、則天去私さんは一度も、「頭注版や新編も旧仮名・旧漢字を使用しろ」と言ったことがない。これでは話があわない。まして、則天去私さんは自分自身が頑張って旧仮名で記事を書いていたのだ(もっとも、デタラメばかりだったが…)。…ということは、要するに則天去私さんの『新編』批判は、単に社会事業団や「学ぶ会」あるいは光明思想社に対する不満や反抗心だけから出てきた批判にすぎない…ということである。

…この説明が則天去私さんに解るだろうか。おそらく解らないだろう。だから「解りやすく説明するために、少し待ってほしい」とお願いしているのである。

このほかにも色々わかりやすく説明しなければならないことがある。(『漱石全集』もその一つである)。決して則天去私さんの反論から逃げるわけではない(逃げているのは上記のように則天去私さんの方である)。今から修繕屋がわかりやすい説明を考え、多くの証拠資料を集めるだけでも時間がかかる。しばらく待っていただきたい。



【 ご参考まで。則天去私さんのための、某ブログの壊れた日本語集 】

私は当初に意見を言っていたのは、私を含めて元理事の二人と同じ意見だったと思います。(2022年2月6日07:11)

一体、だれが「私を含めて元理事の二人と同じ意見だった」の?
その会合には透明人間が参加していたのか?
それとも、この記事を書いた人はそのころ理事であった?
それならば、すごい。前〇代表や久〇理事長もかなわない。
そうか。それでこの人は前〇先生や久〇理事長に無礼な発言を平気で行っているのだ。



私はこうした『学ぶ会』広報官という人が言われていることは、確証するようなことはないことも含んでいます。(同記事)

「私は…含んでいます」と言われても…。
まさか妊娠しているわけでもないだろうに…。

いくら「『学ぶ会』広報官という人」という人がお嫌いでも、わけのわからないことをおっしゃると、「学ぶ会」の女性たちに笑われます。



私は学ぶ会の信徒は正直に話をしてくれます。 (同上)
えっ…?
「私は…正直に話をしてくれます」…?
この言葉の意味は、「私は学ぶ会の信徒には正直に話をしています」なのか…?
よくわからない。

それに対してどんなに恥ずかしい事をしているか、学ぶ会からの数名の人から聞いている。 (同上)
「それに対して私はどんなに恥ずかしい事をしているか」…要するに懺悔話ネ。
この人は「学ぶ会」から来た数名の人に叱られたらしい。
しっかり反省しなさい。



「私は監禁したのは本当なのか?」と記載したが、ときみつる會の代表婦人 宮澤壽美氏が記載されている。 (2023年12月24日12:15)

「私は監禁したのは本当なのか?」と言われても…。
自分が監禁したことを、一体、なぜ他人に尋ねるのですか?
そもそも自分がしたことは自分が一番よく知っているはずでしょう。

それにしても、一体、だれが「私は監禁したのは本当なのか?」と記載したの?
またまた透明人間がやって来て、「私は監禁したのは本当なのか?」と記載した?



今、中国に被害とか言って、それを拡大しているが、もはや無理難題の子供である。少し勉強すればわかる。私はそれよりも深刻なのが、中国のトリチウムの方である。 (2023年9月3日11:16)

「私はそれよりも深刻なのが、中国のトリチウムの方である」のあとに、「〜と思う」を付けなさい。

中国のトリチウムよりも遥かに深刻なことは、まともな日本語を使う意志も能力も持っていない大人が増えることです。

…ということで、このあたりで則天去私さんのためのブロークンジャパニーズのご紹介を終了。




管理人から報告です。 (15108)
日時:2024年03月19日 (火) 21時28分
名前:管理人

このスレッド記事の下に15078記事がついていました。

しかし、本スレッドを立てた人がその15078の下に「邪魔だから削除してほしい」旨の記事を付けたにも関らず、15078の投稿者は理由なく丸5日以上のあいだ15078記事を削除せずに放置していました。

それで管理人が15078投稿者の態度を悪質と判断して15078記事を削除、さらにその投稿者を投稿禁止にさせていただきました。

本スレッドの投稿者と15078投稿者の御了解をお願いいたします。


管理人   





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