《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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奉祝皇紀二千六百八十四年! そして皇紀二千七百年に思ひを馳せて (14995)
日時:2024年02月11日 (日) 06時57分
名前:立葵

・本日の紀元節(建国記念の日)を心よりお祝ひ申し上げます。

・皇紀二千六百年(昭和十五年)の慶事は國民擧つて奉祝しました。尊師谷口雅春先生が筆を執られた眞理の書物にも奉祝の御言葉が溢れてゐました。

・例へば昭和十三年から昭和十五年にかけて各卷に聖經『甘露の法雨』の附いた携帶版叢書『生命の實相』全二十卷が順次刊行されました。(菊半截判(きくはんせつばん)=文庫本位、函入り)各卷の卷末には贈呈用の署名を書き込むためのページがあり、「皇紀   年」といふ空欄を埋める皇紀の年の記入欄がありました。

・(現象の生長の家ヘ團に非ずして眞の)生長の家信徒は、天照大御~の大みことのり(天壤無窮の~勅)のまにまに萬世一系の皇統を今に仰ぐ喜びを新たにし、それを大いに弘め傳へて來(きた)る紀元二千七百年を再び國民擧つて奉祝する擔(担)ひ手となつて參りませう。


合掌 
 紀元節の現在の名稱「建国記念の日」の制定に盡力され、敗戰による占領下に否定された我が國の肇(はじま)りを明らめて下さつた先達の竝々ならぬ御努力を空しくせず、尊師谷口雅春先生が御言葉を盡しておヘへ下さつた「~國日本」「天皇國日本」の實相を學び傳へる使命ほど大なるものはないと思ひます。

 今から八十四年前の紀元二千六百年(昭和十五年)の慶事にあたりましては國民が擧つてこれを奉祝しました。勿論私も當時は生れてをりませんので、承る奉祝の機運はその極く一部に過ぎないと思ひます。

昭和天皇御製
朝海(あしたのうみ) 昭和八年
天地(あめつち)の~にぞいのる朝なぎの海のごとくに波立たぬ世を
に對し奉り、紀元二千六百年の昭和十五年に~樂舞「浦安の舞」として作舞され、現在も各地のお宮の御~前に奉納されてゐます。

 紀元二千六百年の奉祝事業として各地の初代~武天皇の東征の傳承地に顯彰碑が建立されました。その顯彰碑を巡り歩いて直接~武建國のみあとを辿つて偲ばれてゐる方々の營爲を尊いことと仰ぎます。

 北原白秋作詞、信時潔作曲による奉祝の交聲曲「海道東征」は北原白秋の晩年の渾身の叙事詩でした。先年心有る方々の御盡力で實現した再演を鑑賞出來たことはこの上なく有難く幸せなことでした。

 東京音樂學校作詞作曲の「紀元二千六百年頌歌」と共に、日本放送協會公募での民間人の作に成つた國民奉祝歌「紀元二千六百年」も今なほ色褪せず明るく國民の心を鼓舞する素晴しい一曲だと思ひます。

 戰局がいよいよ重大局面に向かつてゐた當時、我が日の本が~武創業以來二千六百年にわたつて天照大御~のみたまを受け繼がせ給ふ萬世一系のすめらみことを戴く~國であり續けてゐる事實は如何許りか人々を生かす力でありましたことでせうか。

 ~の子人間、~の國日本の實相をおヘへ下さいました尊師谷口雅春先生は~武天皇の建國を元年とする「皇紀」を以て日附を書き記されることが度々おありでした。
 御著書の「はしがき」や「序」等の卷頭の御文章の末尾の日附の數例を謹掲いたします。

・皇紀二千五百九十八年五月十五日  著者識
(昭和十三年五月二十五日發行『人間・力は無限力』)※謹註有

・皇紀二六〇〇年彌生の月 著者識
 (昭和十五年三月二十日發行、谷口輝子先生との御共著『法悦の力』)

・皇紀二千六百年明治節の佳き日に  著者識
 (昭和十五年十一月二十日發行『人生は心で支配せよ』)

・二千六百一年紀元の佳節に  著者識
 (昭和十六年三月一日發行『信の力』)

・皇紀二千六百一年陽春  著者識
 (昭和十六年四月二十五日發行『生きる道』)

・皇紀二千六百一年五月  著者識
 (昭和十六年五月二十五日發行『繁榮の書』)

・皇紀二千六百二年三月一日滿洲國建國十周年記念の日  著者識
 (康コ九年五月十五日發行『新日本の心』公事結社生長の家滿洲ヘ化部出版部發行、株式會社滿洲光明思想普及會)

・皇紀二千六百二年九月  著者識
 (康コ九年九月三十日發行『人物鍊成法』公事結社生長の家滿洲ヘ化部出版部發行、株式會社滿洲光明思想普及會)

※謹註:最初の引例『人間・力は無限力』の「本書を讀まるゝ人々へ」より
「なほこの書は全集版『生命の實相』第一卷をばこの非常時に際して日本全國民に讀んで頂いて、各自が生命内在の無限力を招び出し、病める人には起上つて頂き、健康なる人にはu々能力を擧げて頂く目的で廉價版假裝として出版して貰つたのである。」


 加へて~誌より、
~誌の一例目
『生長の家』誌昭和十五年一月號「近況通信」より(引用元:『明窓淨机』發展篇S55.3.1日本ヘ文社刊)
◯お目出たうございます。~武奠都二千六百年の春がまゐりました。

~誌の二例目
『生長の家』誌昭和十五年十一月號95頁の行事案内ページより
 二千六百年祝賀晝(昼)間臨時開催「優良兒を作る」講習會
 「生長の家滿十周年秋季記念日を期し皇紀二千六百年を祝賀する講習會が本部で開催されることになりました。谷口先生の誕生日を中心に、前後一週間を國に優秀能力の健康兒を育成し、兼ねて家庭調和、能率増進、日本拐~を育成する此の優良兒を作る理論と實際を谷口先生から直接口授されるのは、皆さまの御子樣を谷口先生の如く優良兒たらしめ、家庭を修め國家に奉公の誠を捧げる上に大いに意義あることだと思はれます。(後略)」

 また、冒頭にも記しました通り、昭和十三年から昭和十五年にかけて各卷に聖經『甘露の法雨』の附いた携帶版叢書『生命の實相』全二十卷が順次刊行されました(菊半截判(きくはんせつばん)=文庫本位、函入り)。
 各卷の卷末には贈呈用の署名を書き込むためのページがあり、「皇紀   年」といふ空欄を埋める皇紀の年の記入欄がありました。
※謹註:「皇紀   年」の欄は、篇によつて「皇紀二五  年」「皇紀二   年」「皇紀二六  年」等、途中まで印刷されたものもありました。發行年次に合つた記入がなされたものと思ひます。
(令和六年二月十三日一部訂正)

 以上長々と例示をしてしまひましたが、紀元二千六百年の慶事を中心として我が日本の國民は「皇紀」の年號を昭和の元號と共に大いに使ひ、その言葉の力(言葉は~なり)によつて~武天皇が國をお肇めにならせ給うたそのかみをおのづから偲びつつ生きてこられたのでせうと感じます。それを御自らの御著作に於て領導して下さつた御方が尊師谷口雅春先生でした。

 今日皇紀はなかなか使ひません。それどころか多くの新聞や嘗ての愛國團體までもが令和の元號すら無視して使はないものまであります。西曆を先にして括弧附きで辛うじて元號を倂記してあればまだ良い方だといふ現狀です。

 言葉は使はなければ忘れられてしまひます。元號は尊師谷口雅春先生への報恩報謝の思ひによつて起たれた生長の家信徒をはじめとする愛國の先達の身命を賭した働きかけによつて法制化が遂げられました。ところがそれを極力使はなかつたり殊更に西曆(外國の紀元の傳承による)の下位に置いたりして言葉の力によつて日本人の心から遠ざけようといふ反日勢力の思ふ壺です。

 紀元二千六百年より間もなく一世紀を迎へます。この間、一貫して變はらぬ天皇樣の祈りをかがふる祖國日本の輝かしい皇紀二千七百年の節目を奉祝してゆく擔ひ手となつてゆくことが谷口雅春先生への第一にして最大の報恩ではないでせうか。

 そのことは、その後迎へてゆく終戰より百年の時にあたり、占領軍によつて剝ぎとられた祖國日本への誇りを取り戻してゆけるか、或は植ゑ附けられた自虐史觀をu々定着せしめてしまふかの重大な岐路にもなります。(このことは或る講演を通してヘへられて思ひを同じくいたしました。)

 紀元二千六百八十四年の佳き日にあたり、天皇國日本の隆昌と皇室の彌榮を祈念し奉ります。
  再拜



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