《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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世界で認められ慕われた安倍元総理であればこそ出来る「世界平和」への第一歩 (14440)
日時:2022年07月23日 (土) 20時30分
名前:コスモス


https://blog.goo.ne.jp/isehakusandou/e/910791c5aa7386b2ecba91274e3f3589


     日本の使命が表われ始めます


 安倍元総理の国葬が閣議決定されたことを受けて、賛否両論が沸き起こっています。ただ既に、日本外務省は199の国と地域に国葬を行うことを伝える方針であり、既に多数の国から参列希望者が相次いでいるようです。


 ネット情報では、米国大統領の経験者の複数が参列希望だとか、ロシアの大統領も参列を希望しているという話も見られます(今の時点では日本は拒否の方向)。

とにかく世界中から超要人たちが武道館に集合すると成りますと、警備費用の意味でも日本国として国葬にせざるを得ないと感じます。


元総理個人の葬儀に焦点を当てますと、国費での賛否両論は分かります。しかし、外交関係の安全を守る意味、日本の今後のために、国葬に格上げして世界平和への国際会議の機会にして欲しいと思います。
ここに、日本が持つ使命を私は感じます。



元総理が残した置き土産、

・ それは今の紛争を止めて、平和に戻すこと。

・ そのために、世界の要人たちを日本に集めて、とにかく話し合って欲しい。

・ 実際に会えば、分かり合えることが有る。

このように元総理が、これから陰から奔走されることを感じます。


昨日の記事で書いた、
・ 自分の心が話す言葉と、自分が出している言葉は、一致していますか?

これは、「腹に一物(いちもつ)を持たない」ことが大切の意味でした。

「腹に一物」とは、表向きは何もなさそうに装い、心の中では密かに悪いたくらみを抱くことを表すことわざです。


そして、善意からの、思いやりからの、配慮からの、本心と不一致の言葉を出すことは許されるという意味で書きました。


今回のように人の死で集まる場は、「腹に一物を持たない」で要人たちが集合できる数少ない機会だと思います。


これを有効に活用して欲しいと、元総理ならば御希望されることでしょう。
死してもなお、お仕事をされるのは元総理らしいと思います。


これからの日本の使命。


これを見て置いて欲しいと思います。
ここに神様の実在を世界に見せると、私は感じています。


今朝に海外の有力な投資家の論文を読んでいたのですが、
・ 今の円安を利用して、
・ 今の世界の三すくみ、四すくみ状態で、様々な分野で停滞が発生している御蔭で、
・ 一番ダメダメで弱いと思われている日本だけが、経済では「一人勝ち」する可能性が2025年に向けて有る。
という解説を読みました。


投資では、大穴、ダメだと思われているのが残ることは、良く起こります。
投資とは90%の敗者と、10%の勝者であることが利益を生みます。
宝くじのナンバーズで、もし1億人が1等を当てれば、賞金は1円にも成らないという理論と同じです。


元総理は、死後のほうがより良く活動が出来て、日本を助けてくれると私は思っています。


これからの日本を見て置いてください。
その日本再生の第一歩が、9月下旬の葬儀からだということです。

 (後略)

ーーーーーーーー

 以前に全く同じような事をある方がフェースブックで書いておられました。
 谷口雅春先生が常々お話しされていたのは、「天皇国日本の実相とその使命」という事でした。『聖なる理想・国家・国民』には次のように書かれています。(P186)


海外の諸国には帝王はあっても天皇はない


 海外には王様がある、帝王がある、けれども天皇は無いんです。   
国家の中心者の存在の原点が異なるのであります。海外の国王たちは、名称は異れども、色々の海外の王様は、武力によって弱い者たちを征服し、あるいは住民たちの選挙によって国の政治を司る主権者となった。けれども日本天皇は住民の大多数又は皆んなが選挙してこしらえたものでもなければ、或いは武力によって弱い国や王を征服して自分が王様になったのでもない。存在の原点の初めから、一切のコトバがすべての事物となって生れる其の元の、"ス"の本源のコトバ――全一包容のすめらみことであらせられるのです。


    天皇の御本質は"無"にして"絶対"である


 だから天皇は"無"にして"絶対"であらせられる――それが、日本天皇の御本質であるわけです。絶対というのは対立がないんです。対立を絶しているから絶対と書くのであり、絶体と書いてはいけません。対立が無いから君主と国民というふうに相対してし君主が民を治めるというような専制君主的な又は覇権的な対立は無いんです。日本天皇は全一包容の"すめらみこと"であらせられるから一切生命がそこに帰一するとき安穏なるを得るのであります。天皇は絶対であるから、個我がない。個我がないから無我なんです。

 この絶対にして無我である天皇の御本質が、大東亜戦争終結当時の、今上陛下の「自分のカラダはどうなってもよいから、国民をたすけるために戦争を止める」とおおせられた御言葉の中に端的に表現れているのです。(p187)


このような世界に類を見ない素晴らしい天皇陛下に生かされている私達国民は、その天皇陛下に中心帰一して、日子、日女としての神の子の自覚をもって、国内はもとより世界平和の為に生きることが日本国民の使命だと「国民同治の神示」に書かれいています。

 谷口雅春先生は同書の中で次のように述べられています。
(p188)


 今日のテキストになっている『秘められたる神示』の一〇七ページに「君民同治の神示」というのがあります。この中に絶対者にまします"神"と"天皇"と国民との関係がハッキリ書かれているんです。神とはなんであるかというと、「"無"にして"絶対"であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主催者である」とあります。従って神の生命を分かち持つところの"神の子人間"も"無"にして"絶対"であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主催者でなければならない。


 と書かれています。    (つづく)


大調和の神示(『七つの灯台の点灯者』の神示)が天下った日に安倍元総理の国葬が行われることの意味 (14441)
日時:2022年07月23日 (土) 22時25分
名前:コスモス

 思いがけず私達生長の家の信徒にとっては大切な日、昭和天皇様が、マッカーサー元帥を初めて御訪問になった日であると共に、「大調和の神示」が天下った日に、安倍元総理の国葬が行われる事になったことは、決して偶然ではないと思われます。

 谷口雅春先生は次のように書かれています。
(同書194ページ 読み易くするために数カ所改行しました)



      天皇の捨身の御慈悲に生かされていない国民は一人もない



  天皇陛下が占領軍総司令官マッカーサー元帥を初めて御訪問になったのは昭和二十年九月二十七日で、奇しくも『甘露の法雨』の巻頭にある「七つの灯台の点灯者の神示」の出た日と、年は異なるけれども同じ日でありました。

 その時間まで公式にマ元帥には通告されていましたが、マ元帥は、天皇を尊敬して迎えるような気持は全然なかったので、その時間が来てもワイシャツ一つで、天皇と並んでそれを写真にとらせたりしたのです。

 それは第一次世界大戦の終ったとき、ドイツの皇帝カイゼルが占領軍総司令官を訪問したときにカイゼルが何を求めて訪問して来たかを思い出していたからです。

 カイゼルは自分自身が戦犯として処刑されないように、そして皇帝の財産を衛ってもらうように、つまり自分の利己のために頼みに来たのだった。つまり命が惜しい、財産が欲しい、助けてほしい、そればかりだったのです。

 敗戦国の日本の王様も占領軍の総司令官に会いに来たのは、あのドイツのカイゼルと同じことだろうと思って馬鹿にしておったのです。されだから天皇さまが右手を伸べて儀礼の握手をなさろうとしてもマ元帥は、手を引っ込めて、その儀礼を受けようとしなかった。

 そしたら天皇陛下は重々しい口調でこう言われた。

 「あの戦争には私は重大なる責任を感じている。皆私の責任だ。戦争責任を問われるならば私を処刑して頂きたい」こう言われた。

 "宣戦布告の詔勅"が起草されたときには、天皇は、それをお読みになって、"朕は戦争に反対である。けれども事情止むを得ざるために、この詔勅に御璽を押すから一句書き加えてくれ"と仰せられて、あの「宣戦の詔勅」には「洵ニ已ムヲ得サルモノアリ豈朕カ志ナラムヤ」とハッキリ天皇の御意志でないことが、明記されているのであります。

 天皇さまを中心に軍の首脳及び閣僚及び枢密院議長をまじえての、アメリカを討つべきか否かの御前会議において、天皇は「四方の海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」という明治天皇の平和愛好のおん歌を朗読なさって平和愛好戦争反対を表明された。

 その天皇様が、いよいよ敗戦となり、占領軍総司令官の前に出たとき、あたり前の人間なら、「この戦争は私の責任ではない。戦争反対を終始説いて来たけれども、事情止むを得ざるものあり、多数決で押し切られたのですから、私を処刑しないで助けて下さい」といっても当然の弁解が成り立つのに、天皇さまは、国民を助けるために一切の戦争責任を自分に背負われ、

 「責任は皆私にある。日本国民はみんな私の臣民であるから、私が"戦争せよ"と言ったら戦争せずにいる自由がないのである。みんな私の責任です。だから処刑するなら私を処刑して下さい。絞首刑でも何でも皆んな私が悪いんですから素直に私はそれを受けます」
 と、こうおっしゃったのです。

 マッカーサー元帥はびっくりした。ドイツのカイゼルの事と全然反対なんですね。天皇さまは、自分が助かりたいんじゃなくて、自分が国民全体の罪を背負って、

 「私は戦争責任で処刑されてよろしい。皇室の全財産みんな司令部の自由に任せるから、それと交換に国民が飢えないように食糧を送ってやって下さい」
 という自分のいのちと全財産を投げ出しての願いなのです。

 マッカーサー元帥は本当にびっくりした。

                (つづく)


昭和天皇の言葉に態度に「再臨のキリストを幻想した」マッカーサー元帥 (14442)
日時:2022年07月24日 (日) 02時16分
名前:コスモス


  同書197ページより

     
      天皇に再臨のキリストを幻想した


 その時の天皇さまは、「ちょうどイエス・キリストが人類全体の罪を背負って、自分が身代わりのはりつけにかかられた、その則天無私の大愛の、そのキリストさまの大愛が人間の姿をして今ここに現実に現われておられるのが天皇陛下なのだ」と彼マッカーサー元帥には直感されたんですね。マ元帥は天皇に於いて再臨のキリストの姿を幻想したのだった。

 びっくりした元帥は、今まで天皇さまが握手の儀礼に手を差し出されても、握手を拒絶してひっこめていたその手を出して、天皇陛下の手を両手で握って「陛下!!」(Your Majesty!)と感動の叫びで言ったわけであった。

 日本の天皇は海外諸国の王様とは異なるのです。「とこしへに民安かれと祈るなるわがよをまもれ伊勢のおほかみ」という明治天皇の御製がありますが、まことにその通りなのです。

 「事情止むを得ざるものあり」ということも、日本の事情じゃないのです。あの時既にアメリカからは日本が開戦するより他に道がないような最後の通牒が来ていたのです。

 その間の事情は、最近平泉澄博士の『日本の悲劇と理想』と題する本が原書房から出ましたが、それに詳しく書かれているのです。

 ともかく、その時、元帥は感きわまって、敗戦後の王様が訪問して来ても出迎えもしないし、見送りもしないという通告が出してあったにかかわらず、みずから天皇を玄関まで送って出られた。

 その後天皇陛下はマ元帥を数回訪問せられたが、その訪問を受け対話を交えるたびごとに、ますますマッカーサー元帥の天皇陛下の御人格に対する尊敬心が高まって来まして、最後の訪問を受けた時など、ワイシャツ一枚どころか大礼服を着て天皇の御訪問におこたえしたと伝えられています。しかしまだ、アメリカは翌年の三月までは日本へ食糧を補給しようとしなかった。

 昭和二十一年の三月になるといよいよ日本の食糧はとぼしくなり、当時の六百万の都民を抱えた東京都など、一人当り一握りの米の配給量があと三日間しかないということになった。天皇陛下はその事をおききになって、時の農林大臣副島千八さんをお呼びになって、

 「もう皇室財産は全部マッカーサー元帥に出したから、今は食糧の見返りに出すものはないが、まだ宮中には歴代の天皇から伝えられている御物がある。その中には国際的に見て非常に高価なものがある。それを元帥に差し出して食糧の補給を願うために、御物の目録を早速作るように」と命ぜられた。

 それをきいた時の総理大臣幣原喜重郎氏はマ元帥のところへ急遽とんで行って天皇の御意志を伝えられたら、マ元帥は、さらに一層天皇陛下の国民を愛し給う御心に感動して、ガリオア資金という名前で食糧を補給してくれる事になり、エロア資金という名前で産業復興資金を貸してくれるという事になったのであります。

 そのため、日本はこんなに早く復興して、自由主義国家群の中で第二位の国民総生産をする実に偉大な経済大国にまで伸びる事ができたのであります。

 これはアメリカが寛大で敗戦のかつての敵国であるにもかかわらず、日本の防衛を引き受けてくれ、食糧を送ってくれ産業復興資金を貸してくれたそのお陰でそうなったのであります。

 もしマ元帥が、天皇陛下の御人格に尊敬措く能わず何でも天皇陛下のご希望は叶えてあげたいという気にならなかったら、その頃の日本国の人口の三分の一位は餓死か、栄養失調で死んでしまっていたはずなのであります。

 それなのにほとんどひとりも餓死することなく隆々と日本国が経済大国になることができたのは、天皇陛下が、自分のいのちを捨てて「自分の身体はどうなってもいいから戦争を止める」と言われて、その戦争を止められ、さらに、「あの戦争の責任は皆んな私にある」と言われたことがマ元帥を感動させた結果であることを考えますと、

 日本国民は天皇さまによって生かされているのだという実感を深うするのであります。すべての人間は皆"神の子"なんですから、みんな神が現われているわけですから、天皇さまと同じように現人神とか「あきつみかみ」とか尊称しても差支えなさそうでありますが、

 人間はみな"神の子"だけれども、その"神の子"の中で一番神の聖愛が完全に現われて少しも利己主義も我欲も何にも無い、皆の国民を幸福に、ゆたかに生かしてあげたいという神様の御心を常に生活に実践し、神様の愛の心に常に満たされていらっしゃる人は天皇陛下の他には実際にないのであります。

 それだから、あらゆる人間は皆"神の子"だけれども特に天皇こそ神の愛そのままが少しも歪まず現実に現われていらっしゃるところの完全人間の理想像であるとして、我々は天皇陛下を現人神として尊敬するのであります。

             (つづく)


昭和天皇さまの素晴らしい御人格に感動したマッカーサーにより日本の五分割統治案やソ連による北海道統治は退けられた (14445)
日時:2022年07月26日 (火) 00時14分
名前:コスモス

 昭和天皇さまの素晴らしい御人格にマッカーサーは非常に感動し、その後回を重ねるごとにその信頼は強くなっていったのでした。そのお陰で日本は食糧と復興のための資金を借りる事ができましたが、もう一つ大きな問題がありました。

 それは終戦と共に、連合国側は、日本を分割して統治する予定であったことです。以下日本の分割統治計画から引きます。

ーーーーーーー
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E8%A8%88%E7%94%BB


 ポツダム会談へ向かう代表団は、米軍負担の軽減化のため、連合国による日本共同占領案が高まり、日本降伏の翌8月16日に、ペンタゴンの統合戦争計画委員会(Joint War Plans Committee,JWPC)が起案した日本占領案「日本とその領土の最終占領(Ultimate Occupation of Japan and Japanese Territory)」(JWPC385/1)が成立した[8]。それによれば、


占領開始期は、米国が単独で占領せざるを得ず、二十三個師団・八十五万人の米軍を投入する。組織的抵抗、反乱のため一年間は維持する。
三ヶ月目からは、米軍を撤収させ、各国軍に占領させる。


ソ連:北海道、東北地方。
アメリカ:本州中央(関東、信越、東海、北陸、近畿)。
中華民国:四国。
イギリス:西日本(中国、九州)をそれぞれ統治
東京は四カ国共同占領。
一年後、各国兵力を半数以下に削減し、米軍は13万5千人程となる。


ソ連の北海道占領計画

ヤルタ会談でソ連は対日参戦の見返りとして北方領土を占領することが認められていた[1]。しかし、 8月16日にスターリンは、北方領土だけではなく、北海道北東部(釧路-留萌を結んだ直線以北)の半分をソ連占領地とするよう、トルーマン大統領に求めた「北海道スターリンライン」や「留釧の壁」と呼ばれた[7][1]。

詳細は「樺太の戦い (1945年)」を参照
詳細は「占守島の戦い」を参照
アメリカによるソ連北海道占領案拒否と単独統治 (SWNCC70/5・150/3)


8月18日、トルーマン大統領は、スターリンの要求を即座に拒否し、分割占領を回避することを勧告する国務省案である SWNCC70/5 を承認した[7][1]。

8月22日、さらにトルーマン大統領は SWNCC150/3 を承認し、日本政府を介した間接統治方式を最終的に承認した[7]。


なお、スターリンは8月23日に極東地域の日本軍捕虜50万人を、シベリアに移送するよう命じた[1](シベリア抑留)。

戦後、ソ連はアメリカに対して日本への分割統治を強く求めたものの、マッカーサーがこれを拒否した[9]。


イギリス連邦占領軍による中国・四国統治
詳細は「イギリス連邦占領軍」を参照
1946年2月にはイギリス軍、オーストラリア軍、ニュージーランド軍、インド軍などのイギリス連邦占領軍(the British Commonwealth Occupation Force ,BCOF)が中国地方、四国を統治した[10]。

ーーーーーーーーー

 戦後しつこく北海道を寄越せと迫るソ連にきっぱりとマッカーサー元帥が拒絶できたのは、彼が天皇さまに深い信頼を寄せており、日本における天皇さまの何たるかをよく理解し得ていたからだと思います。

 結局間接的に私達は、昭和天皇さまによって様々な面で救われていたと言えると思うのです。

 それは当時の日本国民だけでなく、ドイツや南北朝鮮のような不幸にあわずに済んだことは、現在の日本国民だけでなく、これから生まれてくる日本国民も昭和天皇さまによって救われたと言えると思うのです。



             (つづく)


「大調和の神示」が天下った日に世界の首脳が日本に集まることは霊的に大きな意味があると思います (14446)
日時:2022年07月26日 (火) 01時49分
名前:コスモス

 
 かつて日本で、当時の安倍総理の指揮の下、伊勢志摩サミットが開かれ、世界七カ国の首脳が宇治橋を渡って、身を清めて伊勢神宮に参拝した時、私はこれには大きな霊的な意味があるに違いないと思い、非常に感動したのですが、

 今回また、「大調和の神示」が天下った日に、数百の世界の首脳や要人が安倍元総理の葬儀に集うということは、やはりこれからの世界情勢に大きな影響を与えるのではないかと思っております。

 単に会議に参加するような事ではなく、世界各国が認める政治家であったその人の大切な葬儀に集うことは、色々な駆け引きや自国第一の戦いの場などではなく、

 恐らく自然とその場を浄め導き給う神様が必ず顕れて、自然と人々の心が穏やかに愛他の精神に導かれるものと私は信じているのです。是非そうあってほしいと切に祈っています。

 最後に改めて「七つの灯台の点灯者の神示」を書かせて頂きます。


  『七つの灯台の点灯者』の神示


 汝ら天地一切のものと和解せよ。天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。汝が何物かに傷つけられたり、黴菌や悪霊に冒されたりするのは汝が天地一切のものと和解していない証拠であるから省みて和解せよ。われ嘗て神の祭壇の前に供え物を献ぐるとき先ず汝の兄弟と和せよと教えたのはこの意味である。汝らの兄弟のうち最も大なる者は汝らの父母である。神に感謝しても父母に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ。天地万物と和解せよとは天地万物に感謝せよとの意味である。本当の和解は互いに怺え合ったり我慢しているのでは得られぬ。怺えたり我慢しているのでは心の奥底で和解していぬ。感謝し合ったとき本当の和解が成立する。神に感謝しても天地万物に感謝せぬものは天地万物と和解が成立せぬ。天地万物との和解が成立せねば、神は助けとうても、争いの念波は神の救いの念波を能う受けぬ。皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ。汝の夫又は妻に謝せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物に感謝せよ。その感謝の念の中にこそ汝はわが姿を見、わが救いを受けるであろう。われは全ての総てであるからすべてと和解したものの中にのみわれはいる。われは此処に見よ、彼処に見よと云うが如くにはいないのである。だからわれは霊媒には憑らぬ。神を霊媒に招んでみて神が来ると思ってはならぬ。われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解して我を招べ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。
           (昭和六年九月二十七日夜神示)


ーーーーーーー

 《われを招ばんとすれば天地すべてのものと和解して我を招べ。われは愛であるから、汝が天地すべてのものと和解したとき其処にわれは顕れる。》

  この神示の中には、和解と感謝の同義語が、27回書かれています。飛田給道場の玄関には「神は愛也」と大書されていますが、天皇さまは愛そのものでいらっしゃり、神の子の私たちも同じであると谷口雅春先生は説いていらっしゃいます。世界の首脳者が愛によって、「和解と感謝」が実現される場でありますようにと、ロシアとウクライナの戦争が一日も早く終結しますようにと心から祈ります。


                     感謝合掌




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