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ロシア兵の一つの現実 余りにも愛の無い現在のロシアに驚きました (14343)
日時:2022年06月04日 (土) 20時25分
名前:コスモス

 https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E5%85%B5%E6%8D%95%E8%99%9C200%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A8%BC%E8%A8%80-%E5%85%A5%E9%9A%8A%E3%81%AE%E5%8B%95%E6%A9%9F%E3%81%AF-%E7%B5%A6%E6%96%99%E3%81%A0%E3%81%91-%E6%AD%A6%E5%99%A8%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%9F%E3%81%9A%E3%81%AB%E5%9B%BD%E5%A2%83%E8%B6%8A%E3%81%88/ar-AAY3WRt?ocid=msedgdhp&pc=U531&cvid=6053f75b7061475b82c9179f389067dd

 
 ロシア兵捕虜200人の証言 入隊の動機は「給料だけ」 武器を持たずに国境越え...


 ウクライナのユーチューバー、ボロディミル・ゾールキン氏は、ロシア軍の侵攻が始まってから、ウクライナの遺体安置所に収容されるロシア兵の遺体を撮影し、ネットにアップしようと思いついた。


 戦争犯罪につながる証拠を押さえられるかもしれないという思いと、持ち物やネームタグ、番号なども撮影してアップすることで、行方不明となっている兵士の、ロシアに残された家族から反応があるかもしれないと考えたからだった。



 ウクライナ軍との関係ができたゾールキン氏は、今度はロシア人捕虜とのインタビューを記録に残すことを提案した。この提案も実現し、これまでに200人以上の捕虜をインタビューした。ウクライナ国防省によれば、戦争開始以来、ロシア軍兵士の捕虜の数は1000人前後ということだから、その2割の声を聞いたことになる。



 この記事は、5月24日にウクライナのウェブサイト”V gostyakh u Gordona”にアップされたゾールキン氏の話を筆者がまとめたものである。



 ゾールキン氏によれば、ロシア軍兵士のほとんどが貧しい地方出身の、軍務経験のない若者で、支給される給与を当てにして志願兵契約を結んだという。



 捕虜の中には武器さえ持たされずに国境を越え直後に攻撃を受けた者、自ら武器を置き投降した者など様々いるが、総じて戦闘へのモチベーションは低く「自分の考えも持っていない」とゾールキン氏は指摘している。



 ゾールキン氏はキーウに住む41歳のユーチューバー。米国の雑誌『ニューヨーカー』(3月21日)や英国の有力紙『ガーディアン』(4月5日)にもその活動は詳しく紹介されている。


  ANN元モスクワ特派員・武隈喜一(テレビ朝日)


◆大多数が地方の貧困層出身 入隊は「最低限のチャンス」


 これまでに200人の捕虜にインタビューした。1日で16人にインタビューしたこともある。全員と心を開いて話をするというわけにはいかなかったが、具体的な質問を繰り返すことで、その答えから平均的な兵士像が見えてきた。



 ロシアでは、若者は兵役に行かないと、その後まともな就職口がないという実情がある。彼らから直接聞いた話だ。モスクワやサンクトペテルブルクに住んでいて高等教育を受けていれば、なんとかそれなりの仕事に潜り込むことはできる。


 だが、兵士たちは多くが地方の出で、田舎では兵士になる以外の道はない。モチベーションもなく、国を守りたいという強い気持ちがなくても、そうせざるをえないのだ。



 しかも地方からの徴集兵は、徴集兵役期限の1年が終わるのを待たずに、すぐに志願兵契約にサインしてしまう(徴集兵と志願兵契約については『前線へ送られるロシア兵の現実――「兵士の母の会」の告発』4月3日、参照)。



 志願契約兵は徴集兵よりも良い給与がもらえるからだ。そしてその契約期間を終えても、多くの者はさらに契約を更新して軍隊に留まるか、警察などの治安機関に就職する。正確な数はわからないが、ロシアの成人男子の4割近くが軍務か治安関係についているのではないだろうか。



 捕虜になった兵士のほとんどはロシア人で、地方出身者、平均年齢は23歳だ。インタビューした兵士のうち、外国へ行ったことのある者は一人もいなかった。ほとんどが自分の故郷からも出たことがない若者だ。


 テレビの報道を信じていて、ロシアテレビのMCが「2+2は25だ」と言ったら、彼らはそう思うし、次の日に「2+2は27」と言ったら、彼らはそう信じる。



 彼らは自分の狭い生活圏内のことと給料のこと以外には興味も関心もなく、人生は灰色だし、頭の中にはテレビと酒以外ない。



 話を聞いた200人のうち2人だけがサンクトペテルブルク、3人がモスクワからだ。そのうちの一人はモスクワ出身ではなく、他の町からモスクワに出稼ぎにきた若者だ。



 つまり、圧倒的多数が、地方の貧困な家庭の出だ。彼らは地方ならとても稼げない額を軍隊で稼いでいる。彼らにとっては人生の最低限のチャンスの尻尾を捕まえる機会なのだ。この先、どんな人生が待ちうけているか、よくわかっている。まず兵役を経験し、そのまま軍人になるか、あるいは警察官になる。その後は年金生活――それがすべてだ。他の生き方など知らないし、考えたこともない。



 彼らは家族や妻や子どもを愛している普通の人間だ。話していると泣きだす者もいる。ただ、彼らの世界はそこで終わっていて、その小さな世界の外に出ることがない。



◆「キエフでバラライカが待っている」と言われ



 いちばんよく聞く話は、「演習だと言われていて、ウクライナに進軍するとは知らなかった」というものだが、別の話もある。



「キエフ(キーウ)に進軍するが、キエフではバラライカとマトリョーシカが待っている。ウクライナ政府と話がついている。良いことずくめだ」と言われてきた、ということだ。



 三つ目の話として、チェチェン紛争でも戦った将校の話では、侵攻直前の2月20日、21日、22日には従軍拒否書を出した者が何人かいたということだ。つまり、どこへいくのか、どこへ送られるのかを知って、拒否書を書いた将兵もいたというのだ。



 ある19歳の徴集兵は、自動小銃さえ渡されなかった、と言っていた。徴集兵は前線には行かないなどというが、実際は確実に前線にいる。


 
 演習で草原を行ったり来たりしていて、国境付近で焚火をしていたところに急遽点呼がかかり、軍用車両に乗ったら、「武器がなくても怖がることはない」と言われて、そのまま国境を越えた、と話してくれた。



 国境を越えた途端、前方で何台かの車両が炎上し、後方でも車両が炎上、仲間の兵士の体が燃えているのが見えた。手足が吹っ飛んだ者もいた。どこへ送られるのか知らなかったのだろう。この兵士はすぐに捕虜になった。



 ロシア語話者が迫害されているからウクライナとの国境を越える、と言われた者もいる。「黒い制服を着た奴は皆ナチスだ」と言われた者もいる。



 国境を越えてすぐに撃破された者もいる。「ウクライナでは捕虜になると過酷な拷問にかけられて、ひどい目にあわされる」とか「ウクライナはナチスばかりだ、絶対に捕虜にはなるな」と言われてきている。



◆「モチベーションはない。給料をもらっているだけだ」



 しかし、「ナチス」と戦うためにここへ来たのだというイデオロギーと信念に満ちあふれた、かたくなな捕虜は一人もいなかった。



 ロシアのテレビのプロパガンダや嘘で固めた情報の上に成り立つ信念などは、素朴な質問を一つ二つすればすぐに吹き飛んでしまう。たとえば、「目的は?」と聞くと「わからない」。「モチベーションは?」「モチベーションなどない。軍隊に入って給料をもらっているだけだ」


 「ではあなたは殺人用の傭兵なんですね。他人の国に来てカネのために人を殺しているんだから」ときいても、「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」という曖昧な答えが返ってくるばかりだ。



 つまり彼らには、給料をもらうという以外に目的もモチベーションもない。訓練された戦闘員でもない。兵役につくということは、格好いい軍服を着ることだと思っていただけなのだ。



 自分から投降してきた者の数とウクライナ軍によって捕らえられた者の数は、だいたい半々だろう。けれどもなかには、自分たちの車列が攻撃された時、部下たちにも子どもや親がいる、という責任を感じ、部下に銃を置いて捕虜になることを命じた賢明な中尉もいた。これは驚きだった。
 かと思うと、眠っていて起きたら捕虜になっていた、という者もいた。



 捕虜の中には国語の先生も、学校の警備員もいた。引っ立てられて戦闘服を着せられて、前線に送り込まれてしまったわけだ。大多数が普通の市民だ。



◆クリミア併合後、「ロシアでは何もいいことがない」



 捕虜たちの共通の特徴は、自分が何者かを語ることが困難なことだ。ロシア人なのかウクライナ人なのか聞いても答えられないし、ロシアへ戻りたいのかウクライナに留まりたいのかと聞いても戸惑うばかりだ。でも3割はこのままウクライナに残りたいと答えている。できればウクライナに残って難民申請をしたい、と言っている者もいる。


 クリミア半島併合の2014年の後、ロシアでは何ひとついいことがない。炭鉱は閉じるし、物価は上がるし、仕事はない、と言っている。それにしても、まさかウクライナの戦場へ送られるとは夢にも思っていなかったのだ。



 ところが、現実にはウクライナの最前線に来て、森の中に放り出され銃撃される羽目になった。戦うつもりなど毛頭ない。自分から捕虜になった兵士もたくさんいる。夜中にこっそりと武器を置き、捕虜になった者もいる。



 個人的な見解だが、こういった捕虜は難民として扱うべきだと思う。そうすることで、他のロシア兵にも、降伏する道があるということを知らせることができる。武器を捨てて降伏してもウクライナではひどい目にあわされることはない、ということを知らせることが必要だ。




 ただ、わたしたちには、ウクライナの民間人を殺したり強姦したりした兵士への接触は認められなかった。



 ひとり、民間人を撃った兵士にインタビューしたが、この兵士は、住民に追いかけられて身の危険を感じ、ピストルを抜いて住民を撃ったということで、他の方法はなかったと言っていた。


 この兵士の妻に電話したが、この電話で、兵士は、自分の妻と母親がモスクワの軍関係の役所に行って、夫が捕虜になったようだと確認にまわったが、それは「虚偽の情報」だと言われたようだ。実際に捕虜になっていてもロシアは認めないのだ。ロシアにとって兵士は使い捨てなのだ。



◆「お前は洗脳されたんだ!」と母親は叫んだ


 兵士たちが親と話すのを聞いて驚いたのは、冷淡で、息子のこれからのことにあまり関心を寄せず、息子が生存していたことに失望さえ隠さない親が少なからずいたことだ。


 死亡補償金の500万ルーブル(約1000万円)が目の前にぶら下がっていたのに、生きていたとなると水の泡になるからだろう。自分の息子に対してどうしてああ冷淡でいられるのか、自分にはわからない。



 別のケースもある。息子が母親に電話して、ウクライナの状況を伝え、ロシアのテレビの報道とは全然違うと言ったとたん、母親がテレビで言う通りのプロパガンダを繰り返して息子を非難し、「お前はそっちで洗脳されたんだ!」と叫び出したことがあった。


 また、2カ月間音信不通で、軍から戦死通知が届いた母親と、こちらで捕虜となって生きている息子が電話で話をしたこともあった。これは普通のお母さんで、わたしが「息子さんと話しますか」と受話器を息子に渡すと、母親は本当に感激していた。いろいろなケースがある。




 ただ言えることは、捕虜になった兵士は、まれな例外を除いて、ほとんど全員が、ウクライナは、ロシアのテレビが報道していたのとはまったく違う、ということを理解したことだ。


 だからといって、捕虜となった兵士たちがロシアに戻って、健全な考えを持つ市民になるとはこれっぽっちも思っていない。彼らには自分の考えがないのだ。あまりにもあやふやなのだ。



 ウクライナでは、人は何を信じるか、どう行動するかは、すべて自分の判断にかかっているが、ロシア人のメンタリティーにはそういう考えはない。ロシア人にもまともな人間はいるので、あまり一般化したくはないが。



◆ロシア人を“脱洗脳”する仕事を続けたい



 ウクライナに送り込まれたロシア人将兵の情報をアップするサイトができて、ロシアにいる母親や妻たちがアクセスできるようになったのだが、ロシアでは開設直後ブロックされてしまった。ロシア政府は捕虜の数や戦死者の数を隠したいのだ。



 わたしたちのYouTubeサイトも2度ブロックされたが、ウクライナの専門家たちが無料でリカバリーしてくれた。彼らの協力があるから、この捕虜のインタビューサイトも続けていられる。そうでなければ確実にブロックされている。ロシアは1時間に5000のサイトをブロックしているといわれている。



 わたしの捕虜インタビューサイトも、ロシア側から「フェイクだ」というプロパガンダが来たり、わたし自身も誹謗中傷されたりすると思っていたが、そうしたことはひとつもない。彼らもこのインタビューが真実だと認めざるを得ないのだろう。ロシアのメディアから一度、電話がかかってきたことがあったが、諜報機関の回し者だろうから、すぐに断った。



 この戦争が終わって、捕虜のインタビューなんか撮らなくてもいいようになりたい。



 このインタビュープロジェクトは、ドイツやイタリアでも注目されているが、戦争が終わってもロシア人を“脱洗脳”する仕事は続けたい。


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 この記事を読んで私自身初めて知るロシア人の若い兵士の現実に触れ、色々な意味でショックを受けました。

 少なくとも若い青年達を戦場に送り込むのに、こんないい加減な国があるというのも驚きでした。

 ロシア国民の生命を何とも思っていない現在のロシアという国、その国に生を享けたばかりに、プーチンを始めとする政治家に余りにも愛が無い事を知り、哀しい気持ちでいっぱいになりました。

 ここからは私の夢想ですが、もし、生長の家の尊い御教えが、ロシアでもどんどん布教されて、神の子の尊さに彼らが目覚めたら、そして愛深い神の存在を知ったならば、どんなに良いだろうと思いました。いつの日か、その様な日が来ることを祈ります。




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