《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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主權囘復記念日、そして昭和の日 (14272)
日時:2022年04月29日 (金) 01時35分
名前:立葵

合掌
 昨日四月二十八日は昭和二十七年にサンフランシスコ講和條約が發効して主權を囘復してより七十年の佳節でした。
 愛國掲示板には、長崎でこの日を祝日にと呼び掛ける「日の丸大行進」が行はれたといふ紹介の御投稿もありました。

 發効の當時には生まれ合せてゐなかつた世代の一人ですが、だからこそ、この日を迎へるまでの日本民族の先人の苦難と努力、獨立の歡びとを懸命に「憶ひ出して」「心に蘇へらせて」後世に傳へ續けてゆく責務を擔へますやう努めたく思ひます。

 とりわけ本年は、現在進行形で、自國の主權が强引に奪はれさうな危機に瀕してゐる國が目の前にあることを思ひ知らされてをります。

 目に見えないが儼然として存する「主權」を護る戰ひに生命を賭してをられる彼の國の方々から、我が國では戰後のヘ育現場からも一般社會からも放逐されてしまつた「國を護る」といふことの意味を、御身を以てヘへていただいてゐるのだと感ぜざるを得ません。

 昭和天皇御製には講和條約發効のそのかみの御感懷が畏くも詠ひ上げられてゐます。
 
風さゆるみ冬は過ぎてまちにまちし八重櫻咲く春となりけり
國の春と今こそはなれ霜こほる冬にたへこし民のちからに

 そして尊師谷口雅春先生は、發効の前年昭和二十六年九月八日に同條約が調印されて公職追放が解かれるや早速、昭和二十六年九月二十五日付で『新生の書』を上梓なさいました。

 この御本に雅春先生が初めに付けられてゐた書名は『青年の書』でした。
 ところが昭和二十三年に雅春先生は公職追放の憂き目に遭はれてしまつたためにこの書物は出版の保留を餘儀なくさせられました。

 その間の昭和二十四年に別の内容で(こちらも大變素晴しい)『青年の書』が出版されたため、封印の解かれた從前の書物の題は『新生の書』となりました。

 このことは數多くの先師及び諸先輩方には周知のことであつて、私はさうした方々からヘへていただいたこと(書かれたものを拜讀したものも含む)を紹介させていただいてをります。
 その序文より謹んで摘記いたします。

「本書は大戰直後、國内の秩序が回復せず匆忙のうちに筆をおろしたものであつて、當時(現在もまださうだが)行き過ぎや、とり間違ひの民主主義に國が亂れさうに思はれたとき、今後世界の正しき指導原理を示すべく剞劂に附したものであつたが、時期のくるまでその發表を隱忍せざるを得なかつたものである。今や、時期來つてこれを公表する。本書は左右兩翼を斬るかも知れないが、これこそが中道を歩むべき今後の日本人の進むべき道であると信ずる。」
(序文の4頁より)
(引用者謹註 @ 剞劂に附す(きけつにふす)=出版物の板木を彫る A原文の「匆忙(そうばう)」の「匆」のかまへの中は「夕」)

 そして本日は昭和の日です。敗戰を境に失はれた物事は多々ありませうとも昭和生まれの者にとりましては當然であつた日々も、その後に生まれ育つた昭和を直接知らない世代には遠いものとなつて參りました。

 そのため、昭和と申しますと、いつしか單に表面的な生活樣式などを囘顧するといつたことになりつつあるやうに思はれます。

 昭和の日は初めは「みどりの日」として定められました。
 それでは世代交代を繰り返すうちに昭和天皇樣の御遺コが忘れられてしまふ、何故この日が祝日なのかわからなくなつてしまふとの危機感を持つた有志による働きかけが天に通じて平成十七年に改正祝日法が成立して平成十九年に施行、やうやく昭和の日とする悲願が實現しました。

昭和の日(祝日法)
「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」

 この條文の言葉の奧には昭和天皇樣の限りない乾コがありますことは申すまでもありません。
 昭和天皇樣の聖コを仰ぎまつりて、皇恩への感謝の念を新たにし、萬世一系の男系男子の皇統の永遠の存續に叡智を結集いたしませう。
 再拜



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