《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「あなたの考えは『平和主義者』のたわ言ですよ」…今回のウクライナの惨劇は、戦後日本の所謂平和主義≠ニいうものが如何に「たわごと(戯言)」に過ぎなかったかを明らかにしています! (14233)
日時:2022年03月30日 (水) 10時56分
名前:破邪顕正


表題は、「産経新聞」令和4年3月29日付けの「緯度経度」を読んで痛感したことです。

まず、そのタイトルが目をひきます。

東欧が「反戦」嫌う理由

「反戦」は、いいこと。

嫌うなんてあり得ない、それが戦後日本では当たり前のことでした。

しかし、それが「東欧」では通用しないということ。

三井美奈 (パリ支局長)は、こう書いています。

〈「あなたの考えは『平和主義者』のたわ言ですよ」ウクライナの隣国で、取材先からこんな言葉を浴びた。相手は、ポーランド国際間題研究所のロレンツ・ボイチェフ研究員(52)だ。
 私の質問は「一刻も早い停戦を優先すべきではないか」というものだった。ボイチェフさんは「何も分かっていない」と言わんばかりに、停戦と「真の平和」の違いを語った。
 筆者が住むフランスには、「人命第一。どんな手段を使っても、攻撃をやめさせろ」議論がある。〉

なるほど、フランスでもそうなのか…。

とにかく、停戦、そこにもっていくことが何よりも優先される…。

今の日本の雰囲気も同様と言っていいでしょう。

これに対して、ボイチェフさんはこういうのです。

〈「そんな西欧の厭戦気分を、ロシアは常に利用してきた。侵略を追認させるために、です」〉

この厭戦気分=Aまさしくそれこそが「侵略者」にとっては何よりも利用すべき価値としてあるということです。

かつてのヒットーがそうでした。

「反戦」を厭戦≠ニ捉え直してはじめて「侵略者」に抵抗できるのだと思います。

ボイチェフさんは、語を継いでこう言います。

〈ロシアに交渉で攻撃停止を求めれば、必ず「それなら、こちらの要求をのめ」と言ってくる。それは、ウクライナにおける親露派の政府樹立だったり、武装解除だったりするだろう。〉

つまり、「侵略者」の云う事を飲めば、確かに停戦にはなる。

しかし、その停戦=真の平和ではない、問題はその後にあるのだとボイチェフさんはいうのです。

それは、実際に、かつてのソ連に支配されたときの苦しみを知っているものでなければとても理解しえないものだと…。

記事はこう言います。

〈第二次世界大戦後、東欧諸国は旧ソ連の支配下に置かれた。「ソ連がすべて正しい」という歴史観を押しつけられ、絶対忠誠を誓う共産主義政党が政権を握った。学校で、子供はロシア語をたたき込まれた。ボイチェフさんは「私はその世代です」と言った。戦争をしない代償として、国民はソ連に心まで支配された。〉

心まで支配された

この言葉の重みをどれだけ深刻に受け止めることができるか。

「すぐ降伏して生き延びろ」

戦後日本では、それが当然の如く言われてきましたが、そういうことを平然と言い募ることができるのも、結局、心まで支配される≠アとの恐ろしさを実感として受け止め得ないからでありましょう。

記事には、ワルシャワ郊外で、ウクライナ難民の支援活動をするミハル・ベグレビチさん(41)が登場します。

氏の父親は、非合法だった自主管理労組「連帯」の活動家で、生まれたときには、父親は反体制派として投獄されていたと言います。

その痛苦な体験をもつ、氏はこう言います。

〈「自由の中で育った人は『平和を』と簡単に言う。だが、戦争がなければよいのでしょうか。言いたいことも言えない暮らしが、平和と言えますか」…難民を助けるのは、単なる親切心からではない。「ロシアにあらがうウクライナ人の戦いは、私たちにとって人ごとではないのです」〉

この二人の話を聞いて、三井記者は目が覚めたとこう書きます。

〈日本は戦後、米国に占領された。一方的な戦犯裁判を押し付けられたにせよ、民主主義と自由経済を育むことができた。かつての西ドイツも同じだ。だが、ポーランドやウクライナの人たちにとって、ソ連支配下の平和は自由の死であり、民族の消滅だった。魂を奪われることだ。ソ連がロシアになっても、脅威は同じ。今のウクライナの戦いは「二度と、隷属の民にならない」という決意が支える。〉

隷属の民となっていいから、いのちあっての物種、降伏したがいい…。

隷属の民となるぐらいであれば、敢えて、真の自由を求めて戦う道を選ぶ…。

前者が戦後日本であり、後者が今のウクライナであり東欧・ポーランドということでありましょう。

改めて、ウクライナは、戦後日本にとっての反面教師として、その鏡として、本質的な問いを突きつけている…。

そう思わないではいられません。


「あらゆる戦争が悪であると述べることは、正しいようでありながらも、20世紀の国際法と国際的規範の歩みを全否定すること」こういう認識が広がってほしいと思います… (14235)
日時:2022年03月31日 (木) 08時35分
名前:破邪顕正


表題は、国際政治学者として知られる慶應義塾大学の細谷雄一教授の言葉です。

戦後日本では、「戦争=悪」とにかく「戦争はいけない」の一点張りであったように思います。

だからでしょう。

今回も、戦争そのものが悪という立場から、「ロシアも悪いがウクライナも悪い」という意見が散見されるのです。

それについて、細谷教授は、国際法の立場から、それは適切ではないと指摘します。

つまり、ロシアのやっていることは「国際法を無視した侵略的な武力攻撃、さらには無差別な一般市民の殺戮」であって明らかに悪≠ナある…。

一方、それに対するウクライナの反撃は、「侵略から国民の生命を守るために自衛的措置をとる行動」であって、それは合法であり正当な行動であると言うのです。

だから、表題に掲げたように、「あらゆる戦争が悪であると述べることは、正しいようでありながらも、20世紀の国際法と国際的規範の歩みを全否定すること」と指摘するのです。

戦争そのものをすべて悪としてしまえば、自衛のためのそれをも否定せられてしまいます。

つまり、「戦争=悪」と決めつければ、侵略者への抵抗の闘いも許されない…、ということになってしまうのです。

ということは、何のことはない、それはとりもなおさず、降伏主義を称揚することと同義ではないか…。

今日、我が国で、かくも降伏主義が罷り通るのは、その背景に「あらゆる戦争が悪」と決めつけられてきたことに起因すると私は考えます。

これが何故、オソロシイことになるのか。

よし、「あらゆる戦争は悪であってどちらが正しいというわけではない」となれば、北朝鮮が韓国を侵略しても、中国が台湾を武力統一しても、「双方が悪い」となって、侵略行動を是認、誘発しかねないからです。

そこのところをきちんと見極めておかないと、「戦争=悪」の考えは、侵略者≠ノとっては格好の、そこにつけ込むスキを与えることになりかねない…。

そろそろ「あらゆる戦争が悪」というドグマから解放されようではありませんか。

そうでないと、第二、第三のウクライナが生まれてしまいます…。

侵略≠ヘ、想像以上の抵抗にあって、却って自らを亡国≠ヨと誘ってしまう…。

侵略者≠フ悪辣なる意図を挫くには、その教訓を与える以外にはない…。

だからこそ、ウクライナを挙って支援すべきであると私は思っているのです。


所謂降伏論者≠ノ著しく欠落しているもの、それは祖国喪失≠ェ如何なる事態を招来させるか、その想像力のなさにあるのではないのか… (14240)
日時:2022年04月01日 (金) 13時50分
名前:破邪顕正


表題は、「週刊新潮」2022年3月31日号に掲載された記事を読んでの感想です。

この記事は、スピルバーグの映画「ターミナル」から始まります。

トム・ハンクス扮する東欧の旅行客がNYの空港に降り立つと、突然、祖国を失ったことを知らされる…。

それによってもたらされる戸惑いや苦悩…。

日本人にしてみれば、なかなかその実感というか、共感が湧かない話ではあります。

そもそも、日本人は祖国喪失の歴史的体験がありませんから…。

どうも、祖国のありがたさというものは、失ってみてはじめてわかるようなことなのかもしれません。

本当の感謝とは、失なう前にその有り難さに気づくことだと言われますが、しかし失ってからでは遅いのです…。

祖国喪失となったら、もはや取り返しのつかない事態に立ち至っているからです。

だからこそ、叡智をふりしぼって、祖国喪失にならないようにしなければならないのです。

しかし、祖国を失うということを一度も経験したことがない私たちは、どうしても祖国があるということの有り難みがわからない…。

感謝の反対語は当たり前だと言われますが、その当たり前になれすぎてしまっているのです。

それどころか、戦後日本では、脳裏に「国家=悪」が刷り込まれてしまっているがゆえに、祖国を護るということ自体、胡散臭いものとされてしまった…。

学生時代、紀元節の日に、極左ヘルメット学生が「嫌国°L念日」と印字したビラを配っていたのを今でも鮮やかに覚えています。

それが戦後日本の当たり前≠フ風景であったのです。

だからこそ、祖国を守るために戦うなどというのは、実に馬鹿げている…。

早く降伏して生き延びろという意見が、次から次と後をたたないのでもありましょう。

しかし、今回のウクライナの惨劇によって、その意見がここにきて痛烈な批難を浴びるようになったことは間違いありません。

前掲書は言います。

〈どこかでウクライナが退く以外に市民の死者が増えていくのは止められない〉(玉川徹・テレ朝系「モーニングショー」3月4日)

〈戦術核の利用もあり得るという前提で、もう政治的妥協の局面だと思います〉(橋下徹・フジ系「めざまし8」3月21日)

この同じ「徹」の二人の意見に対して、慶応義塾大学SFC研究所上席所員のダヴィド・ゴギナシュヴィリ氏は、故国ジョージア(旧称グルジア)が2008年に、領土の一部、南オセチア自治州をロシアに侵略されたという痛苦な体験からこう指摘します。

「ウクライナがロシアよりも先に手を挙げて“はい、戦争止めます”と言ったって、それで平和が得られるわけではないと思います。…南オセチアで何が起きたか見てください。我々は国際社会の仲介で、ロシアと停戦合意をしました。合意案には、ロシア軍の撤退が明記されていたのに、あの国は約束を破り、そのまま居座ってしまったのです。」

その結果、どうなったか。

「南オセチアは非常に悲惨な状況に置かれています。統治が行き届いておらず、街のいたるところで麻薬が売買され、誘拐も頻発している。毎日のように人権が蹂躙されているのです。平和とはほど遠い状況です」

無知ほどオソロシイものはありません。

結局、ロシアに占領されたらどうなるか、降伏論者≠ヘ知らなすぎるのです。

現実の厳しさを知る者からすれば、降伏論者≠ニは取りも直さずロシア支援者≠ノ他ならない…。

ダヴィド氏はそう断じて、こう言います。

「今、降伏を勧めたって、ロシアを励ますメッセージにしかならないというのが分からないのでしょうか。まるでロシアが流しているプロパガンダのようです。それ自体はウクライナに直接届かないかもしれませんが、日本の世論に与える影響力を考えると、見過ごすことはできません」

平川祐弘・東京大学名誉教授(比較文化史)もこう指摘します。

「ウクライナに降伏を促すのは、余計なお節介ですよ。そんなに言うなら、自らクレムリンに乗り込んで、戦争を止めるようプーチンを説得してほしいですね。…日本は島国という環境もあり、なんとなく安心感があって、特殊な平和主義が罷り通っているだけです。でも、その感覚は国際的に通用するものではないでしょう。自由とは本来、死を恐れていては得られないものなのですから」

何故、あれほどの辛酸を舐めつつも、ウクライナ人は抵抗をし続けるのか。

その背景には、祖国喪失が、如何に深刻な事態をもたらすか。

祖国喪失とは、自らの命をも奪われるに等しいものとしてある…。

だからこそ、ウクライナ人は、命を賭して戦うのです…。

平和ボケ≠ニ化した戦後日本に、ウクライナ人の祖国防衛の闘いは、これ以上ない警鐘を乱打しているのだと私は思っています。


ウクライナが教えてくれている祖国の有難さを知ってほしい (14241)
日時:2022年04月01日 (金) 21時37分
名前:コスモス

 「海外に行った事は無いけれど、海外から帰って来た体験はあります」と冗談交じりに言うと、皆さん怪訝な顔をなさいます。つまり、海外で生まれた引揚者の私は、父母から引き揚げに関する苦労話を聴きました。

 昭和20年に京城(ソウル)で生まれた私は、生後8か月で祖国日本へ無事帰還することが出来ました。

 10日間掛かって父の故郷である熊本に、祖父母、父母、叔父叔母たちと8人で帰国できました。

 母方の祖父は、奈良県出身で青年時代に単身ソウルに赴き、最終的に酒屋(卸と小売り)で財を成しました。
早くに実母を亡くした母は、女学校卒業と同時に、親友に勧められて東京の生長の家の花嫁学校に学び、生長の家の教えに生きて来ました。

 結婚する時に父も母に勧められて入信しました。敗戦と共にすべての財を喪い、大切にしていた『生命の實相』と作ったばかりの花嫁衣装などを船便で送りましたが、遂に届きませんでした。

 しかし8人の生命は助けられました。と言うのも、いよいよ乗船と言う時に父の大きなリュックサックの紐が切れ、次の船(興安丸)にしたのでしたが、乗る予定だった船は、博多沖で魚雷に遭い、ほぼ全員が死亡したのです。

 母の話によると、韓国人は日本の敗戦と知るや、ここぞとばかりに日本人を襲い、首だけ出して地中に埋めたり、様々な事をしたそうですし、引き揚げの汽車も,突然走り出したり、止まったまま動かなかったり、様々の意地悪をしたそうです。

 巻き寿司やハムなども、今で言えば1本1万円ほどの値段を請求したそうです。船が着いたのは、山口県の仙崎でした。夜だったので、真っ暗な海に、カンテラが心細く揺れている中を、赤子の私を前抱きして、高さ6メートルの船から揺れている小舟に飛び降りたそうです。私の祖国入りもなかなか派手なものでした。ただ一つ自慢できるのは、この引き揚げの10日間、親孝行の私は、一度も泣かなかったそうです。

 更に持てるだけ持った荷物をトラックに積んで、父の実家に辿り着いたそうです。北朝鮮や中国からの引き揚げ者の皆さまは、もっともっと酷い体験をなさっているのですが、どうにか生命長らえて帰国できた訳です。

 韓国の港の11月は、本当は物凄く寒いはずなのですが、沢山の引き揚げ者で埋まっていたので、寒さを感じなかったそうですが、いざ乗船の時は、もう力が抜けて、持てた荷物が持てなくて、港には沢山の荷物が置き去りにされていたそうです。

 どれ程の財だったか聞くと、土地建物の他に、今で言えば50億ほどの財はあったそうですが、当時の数万円しか持てず帰国。そこから様々の苦労が始まるのですが、幸いな事に生長の家のみ教えがありましたので、頑張って来られたのだと思います。

 田舎の学校でしたが、北京生まれや台湾生まれなど、外地生まれの同級生もいましたし、小学校時代にブラジルに渡った友もいました。ラジオからは、「尋ね人の時間」が流れ、「台湾の〇〇にお住まいだった××さんをご存じの方は、○○さんが捜しておられます。どこどこにご連絡ください」と毎日流れていました。

 今でも覚えているのですが、昭和26年に小学校に入学した私は、2年生の時と思いますが、2月11日の紀元節の日に、国民服を着た担任の先生から、全員が、小さな箱に入った紅白のお饅頭を頂きました。田舎だった故か、まだ汚染されていなかったのだと思います。

 つまり祖国に無事帰還するまでの間、私達一家は一種の難民状態だったのだと思います。現に、中国で父母と別れ、そのまま大陸に残された人々もあり、また帰国途中で命を落とした方々も沢山おられた訳です。

 勿論当時の日本人の殆どが戦争の悲惨さを身を以て体験し、また敗戦後の命懸けの日々を体験した訳ですが、祖国が落ち着いて生を享けた方々は、先進国入りした豊かな日本しか知らないので、能天気な事を言えるのだと思います。

 それでも私が大学に入った頃は、教授が教室を見まわして、「この間まで学生服に継ぎが当っているのが当たり前だったが、今はみんな新しい服なんだねえ」と言われた事を思い出します。

 私は終戦間近に生まれたお陰で、どん底から豊かな国になり、バブルを経て辛酸をなめた時代も経験したお陰で、精神的には理屈抜きで、祖国の有難さ、中でも天皇陛下の在す日本の有難さがしみじみと解り、皇恩に、父母先祖の恩に深く感謝合掌しております。

 テレビでは、隣国のポーランドに逃れた人々に、「特に女性や子供は、人身売買に気を付けて下さい」という張り紙がしてあると知り、何と卑怯なおぞましい事だろうと、涙が出ました。

 この様なリアルな悲惨さを、余りにも何も解っていない人々には、身を以て体験して頂くしかないのではないかとさえ思います。

 日本の罪は、お腹の赤ちゃんを殺し続けている事です。それをいいことに、500万人の外国人を入れて、日本人を雑種の民族にしようという組織があると知り、本当に悲しくなりました。

 日本の周りは、恐ろしいロシア、恐ろしい中国、そして核を打ち込めかねない北朝鮮なのです。永い眠りから覚醒しなければ、ウクライナが大きな犠牲を払って大切な事を教えてくれている甲斐がないではありませんか!


「コスモス」さん、投稿、ありがとうございました。 (14242)
日時:2022年04月02日 (土) 10時34分
名前:破邪顕正


ご自身の体験を書いていただき、誠にありがとうございました。

わが国は、安直に、「祖国喪失」の体験がないなどと書いてしまい、自らの不明を、今、心からお詫びする次第です。

そうでしたね、「コスモス」さんのように、大東亜戦争敗戦に伴う「祖国喪失」の悲惨さを嫌と言うほど思い知らされた方たちがおられたのでしたね。

そういう辛酸を舐めた方達のことを通して「祖国」の有り難さを教訓にする…。

とても大事なことなのだと思うのですが、しかし実際は、そういう教育は、一切、なされてこなかったのではないでしょうか。

それどころか、却って、そういう方たちのこともまた、戦争の犠牲者として一括りにされ、「戦争=悪」「国家=悪」の洗脳≠ノ利用されてきたのではないでしょうか。

そのことで思い出したのが、元海上保安官の一色正春氏の発言です。

一色氏は2010年9月、尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突の映像を“sengoku38”としてネット上に公開したことで知られる方です。

氏がこう言っています。

〈なんとなく世界がおかしくなってきていて、みんなが徐々に慣れていき、“現実になったのかな”という印象もあると思う。10年前だったらもっとショックは大きかっただろうし、10年前にはウクライナがこんなことになるとは、誰も想像していなかったのではないか。そして衝撃的なのは、核を持った国が理由なく攻め込んでくれば誰も止められないということだ。アメリカにも止める気があるのかないのか分からないし、国連も拒否権がある故に、決議すらできない。絶望的だ。名前を出したらまずいから言わないが、我が国の周辺にはそんな国がいくつかある。それにどう対応するか、この紛争から学ぶべきだと思う。〉

で、私が注目したのは、氏のこの発言です。

〈ロシアの例で言えば、先の大戦末期、満州では当時のソ連軍が素直に武器を置いた人たちをシベリアへ連行し、女性を暴行した。そんな中で根本博中将という方は、最後まで武装解除に応じず、住民をほとんど無傷で日本まで連れて帰った。そういう歴史があることを、日本の義務教育では教えてくれない。これを機会にソ連、ロシアという国が過去に何をしてきたか、そして大事なのは、これからそういうことをされないこと。広島・長崎の次の3発目を日本が食らうことがないように。これが一番大事なことだと思う。〉

ここに根本中将の話が紹介されたことに、私は大変な感銘を覚えました。

この根本中将については、門田隆将氏の著書『リ−ダの本義』の第三章、自らの使命に忠実だった「根本博陸軍中将」≠ノ紹介されています。

昭和天皇の玉音放送により、武装解除が命ぜられる。

しかし、このまま武装解除したらどうなるか。

根本中将は悩みます。

そのとき、紐解いたのが『生命の實相』で、「南泉猫を斬る生活」という箇所を読みます。

これは、新編『生命の實相』では第30巻にあります。

この箇所を読んで、中将は「内蒙古にいる4万人という邦人を守るため軍隊はあるのだ」と決意し、実際、見事に同胞を護り抜くのです。

こういう歴史を学べば、自ずと軍隊の必要性を実感するに相違ありませんし、かつて戦後日本に蔓延した「非武装中立論」など、一蹴されていたに相違ありません。

今回のウクライナのことで、改めて戦後の「平和教育」の問題性を痛感する次第です。


「祖国の土になる幸せ」 (14243)
日時:2022年04月07日 (木) 11時56分
名前:コスモス


 破邪顕正さま

 有難うございます。お礼が遅くなりました。

 想い出したのは、「祖国の土になる幸せ」という言葉です。これは宮城県の白鳩会の方が、北朝鮮からの地獄のような引き揚げをなされて、一人息子を亡くし、遺骨さえ抱くことが出来なかった辛い辛い想いの中で、

 やっと祖国の土を踏むことが出来た。祖国で死ねるということは、どんなに幸せであるかとしみじみと、心の底から思われた時に湧き起った言葉です。何度もこの言葉を口にされました。

 それほど祖国がある、祖国で暮らせることは幸せなのだという事を強く思われたのですね。

 ウクライナの人々が今、その言葉を噛みしめておられるのではないでしょうか。皇恩に、祖国に、祖国に尽くされた英霊の皆様のご恩を決して忘れてはならないと思います。




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