新編『生命の實相』を憎悪≠キる人達に思うこと (14133) |
- 日時:2022年02月07日 (月) 13時48分
名前:破邪顕正
「オアシスの老人」という話があります。
二つの町に挟まれたオアシスに、ひとり老人がいました。
ある男が老人に尋ねました。
「これから行く町はどんな町ですか?」
老人は質問に答えず、逆に聞きました。
「今までいた町は、あなたにとってどんな町でしたか?」
男はしかめっ面して「たちの悪い人間が多くて、汚い町ですよ」
老人は答えました。
「あなたがそう思っているなら、次の町もたちの悪い人間が多くて汚い町だよ」
しばらくすると、さっきの男が来たのと同じ町から「別の男」がやってきました。
この男もさっきの男と同じように聞いてきました。
「これから行く町はどんな町ですか?」
老人は質問に答えず、逆に聞きました。
「今までいた町は、あなたにとってどんな町でしたか?」
すると、今度の男は「親切な人が多くて、きれいな町です」
老人は答えました。
「あなたがそう思っているなら、次の町も親切な人が多い、きれいな町だよ」
老人の答えが真反対なのはどうしてでしょうか。
それは、二人の男の、ものごとをみる視点が違っていたからです。
最初の男は「汚いところ」に焦点をあてて見て≠「ました。
しかし、次の男は「好いところ」を観て≠「ました。
同じものでも、見方∞観点℃汨謔ナ、人はそれぞれ違う捉え方をしてしまうということです。
どうして、こういう話をご紹介したか。
新編『生命の實相』に対する捉え方が、まさしく、この寓話を想起させるからです。
新編『生命の實相』の一つ、気に入らないところがあれば、そのすべてが駄目だというように見てしまう…。
「新編には、こういう改良点がありますけど」といくら指摘しても、それに耳を貸そうとはしない…。
坊主憎けりゃ、袈裟まで憎し…。
そういう憎悪≠ノは、新編を続々と刊行して、その実態で勝負するしかありません。
既に、新編『生命の實相』は48巻まで発刊されているのです。
全65巻が発刊されたら、今の新編への憎悪≠烽ヌんどん過去のものとなっていくしかないと私は思っています。
だから、ただ粛々と、発刊し続けるのみです。
新編への憎しみは、全65巻の発刊で乗り越える…。
全65巻が出揃えば、もはや、何を言ってきても、「今更、何を言っているの」とまともには請け合ってもらえないでしょうから。
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