《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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お前、口を開けろ。おれがお前のお腹の中から才能とやらを引っ張り出してやろうじゃないか♂ヘ井寛次郎の言葉に感激しました! (14131)
日時:2022年02月06日 (日) 15時57分
名前:破邪顕正


表題の言葉は、本日(2月6日)、Eテレで、午前5時より放映された、アーカイブス「衆縁に生かされて―民藝(げい)100年―」で紹介された、河井寛次郎の言葉です。

河井寛次郎が『生命の實相』を愛読していたことは、以前、ご紹介させていただきました。

関心のある方は、これをお読みください。

〈“特に晩年は谷口雅春著『生命の實相』に感激し、神想観の文言の一部をよく口にしていたという” (3814)
日時:2016年10月18日 (火) 10時11分
名前:破邪顕正〉

河井寛次郎が、どういう人柄であったか。

お孫さんの鷺珠江(さぎたまえ)さんが、こう語っています。

〈身内でありながら祖父の河井寛次郎からは感銘を受けることが多くありました。その一つが執着のない生き方です。芸術家は、自分が心血を注いで確立した技術を大切に守るものですが、寛次郎はそれを手放せる人でした。陶芸で二度にわたって作風が変わり、陶芸以外にも様々な芸術作品を手掛けたのは、寛次郎の興味が新しい自分を求めて次へ次へと前進し続けていたからに他なりません。
「祈らない祈り 仕事は祈り」という言葉には、寛次郎にとっての祈りは日々の仕事であり、仕事を通じて生かされていることへの感謝を表現していたことが窺えます。寛次郎の芸術は、まさしく生命の歓喜から生まれていたのです。
 2012年に没した母も述懐していましたが、私たち家族は寛次郎から怒鳴られたことがなく、その口から嫌な話、人を非難する話も聞いたことがありませんでした。それは寛次郎が、生きることの素晴らしさを実感し、その思いを仕事を通じて表現したからだと思います。〉

まさしく『生命の實相』をそのまま生きた方であった、そう思います。

その寛次郎が、本気で怒った、それが本日の番組で紹介されていました。

島根県出雲にある出西窯。

戦後まもなく、多々納(たたの)弘光(ひろみつ)さんら5人の若者が新しい時代を夢見てやきものの窯を開いた。

彼らは当時、民藝(みんげい)運動を推進していた柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチらから直接教えを受けていた。

そのときのことを多々納さんがこう語っていたのです。

〈河井先生は、「私たちはそんな才能はないものですから」というと、あの一遍もお叱りにならなかった河井先生が、その質問の時だけは本気に怒られました。「何をお前は言っておるか。お前にはお父さんお母さんがある。そのお父さんとお母さんそれぞれにお父さんお母さんがある。十代遡ってみろ、何千人の自分たちの遠いお爺さんお婆さんが遡ればある。百代遡ると数え切れんほどの無数の人になる。そうすると、お前の血の一滴の中には、ありとあらゆるものが内在している。つまり恵まれている。才能がないなんて、お前、生きている自分に対するそんな不遜なことは絶対いけん。お前、口を開けろ。おれがお前のお腹の中から才能とやらを引っ張り出してやろうじゃないか」と言われた。その時の河井先生は恐かった。〉

寛次郎の考えの背景には、『生命の實相』がある。

改めてそれを確信させていただきました。

『生命の實相』発刊90周年。

これを機に、新編『生命の實相』を買い求め、一から勉強しなおそうと決意した信徒も出ています。

こういううねりを巻き起こしていきたいと念願しております。




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