《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「阪田先生」が、本来、指弾すべきは、著作権をもって『聖典』の絶版権≠ノ悪用している現総裁、現教団なのではありませんか… (14026)
日時:2022年01月20日 (木) 13時58分
名前:破邪顕正

「阪田先生」は、今回、社会事業団の著作権についていろいろと物議を醸すようなことを書いたわけですが、そんなに著作権に拘るのであれば、現総裁の「著作権」観についても、一言あって然るべきではありませんか。

「阪田先生」もご存じのように、今、数多くの『聖典』が重版未定、実質上の絶版¥態となっています。

何度も言うようですが、『生長の家五十年史』もそうです。

「阪田先生」なりに、精魂込めて書き上げたであろう書が、絶版状態になっている…。

どうしてですか。

そうです、その著作権が現教団にあり、その著作権をもって絶版権≠フ如く悪用されているからでしょう。

どんなに信徒が、『生長の家五十年史』の再版をお願いしても、著作権の厚い壁に阻まれて、その願いが通らないわけです。

本来、「阪田先生」が断腸の思いと言うべきは、まさしくこの事態でなければならないと私は思います。

ところが、「阪田先生」はそうではなかった、それが社会事業団に向けられてしまった…。

社会事業団とは何か。

私なりに一言にして言えば、『生命の實相』等の著作権を護った団体であるということです。

その始まりは、現総裁に著作権を握られれば、それはそのまま絶版権に悪用されてしまうという現実でした。

その実態を目の当たりにしてきたからこそ、『生命の實相』の著作権は何としても護らないといけない…。

護れなかったら、『生命の實相』も、その他の『聖典』と同じように、絶版の危機に瀕する…。

現総裁の鶴の一声で、絶版ということだって大いにあり得る…。

そうなったら、『生命の實相』は、もはやこの地上から消失してしまう…。

その危機感を痛感したからこそ、『生命の實相』を護るべく、覚悟して、叡智を振り絞って、最高裁まで戦ったわけです。

そして、その戦いに、見事に勝訴して、『生命の實相』を護ることができたわけです。

その社会事業団に、「阪田先生」はどうして、今回、急に牙を剥いてきたのか。

私だって、『光明の音信』第1号で「谷口雅春先生を学ぶ会」を分派∴オいされたとき、何を言うのかと、唖然としました。

しかし、一緒に、「生長の家教義研修講座」にご協力をいただいた、そのご縁というものを考えたとき、それを無にはできない…。

そう、自らに言い聞かせて、ここは眼を瞑ろう…そう思ったわけです。

しかし、今回の第8号で、その我慢も辛抱も忍耐も限界…。

むしろ、あのとき第1号での分派∴オいを黙過したのがいけなかった…。

今回のように「阪田先生」の認識の間違いを間違いだとしてきちんと指摘していれば良かった…。

そうすれば、ここまでの問題にまで発展することはなかったのではないのか…。

黙過したために、何を書いても反撃を受けることはないだろう、反撃を受けたとしてもそう大した問題にはならないだろう…。

「阪田先生」に、そういう予断を与えてしまったのではないのか…。

その反省に立って、もはやここまできたら、黙過することは却って大きな災いの元、そう判断するにいたりました。

だって、これは完全に、「阪田先生」の方から仕掛けてきた喧嘩だと思うからです。

売られた喧嘩は、しもそれが不当である以上、もう逃げることは許されません。

こちらの本気度を伝えていくしかありません。

それにしても、残念なのは、これが、尊師の教えを奉ずる信仰者のとるべき態度なのかということです。

「阪田先生」は、よく森田先生のことを引き合いに出しますが、それとても私にしてみれば実に非礼だと思っています。

だって、森田先生は、絶対に、後ろから鉄砲を撃つような、卑怯な、非礼なことはなされなかったからです。

森田先生は、現教団の批判もなされない代わり、本流復活のために人生を賭けている私どもに対しても、一切、公の場で、批判めいたことを仰ることはありませんでした。

だから、森田先生とは最後までよきお付き合いをさせていただきました。

毎年、12月14日には、私どもの思いを込めて森田先生の慰霊祭も執り行わせていただいております。

かつての仲間に対して後ろから鉄砲を撃つような「阪田先生」に、森田先生のことをあれこれと言ってもらいたくはありません。

ましてや、自分を正当化するために、森田先生を持ち出すとは、何という失礼な姿勢だろうかと私は思っています。

とにかく、本来、現総裁、現教団に向けるべきことを、あろうことか一緒に運動してきた私達の方に向けてきたこと…。

『生命の實相』が絶版に処せられるかもしないという、これほどない危機を救った社会事業団に弓を引くような、後ろから鉄砲を撃つような、こんな非礼はありません。

改めて申し上げます。

心からの謝罪をお願いします。




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