《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「破邪顕正」のハンドルネームに力を得て、これからも間違いは間違いとハッキリと言っていきます。 (14014)
日時:2022年01月19日 (水) 09時37分
名前:破邪顕正

私のハンドルネーム「破邪顕正」は、新編『生命の實相』第38巻「質疑篇」に由来します(167頁)。

《眼を瞑って神想観のつもりで精神を統一して、破邪顕正の無声の気合いを…》

「破邪顕正」には気合いが伴うということ、それはそうです。

脚注にはこうあります。

〈仏教語。邪説や邪道など誤ったとらわれを打ち破り、正しい道理をあらわすこと。〉

現教団と分かれて新しい宗教団体を創立していくと決意した以上、まずは、何故、そういう道を歩もうとしたのか、それを明らかにする必要があります。

即ち、現教団のどこがどう「邪説」「邪道」なのか。

それをきちんと説いていかなければならないと思ったのです。

この「破邪顕正」に関しては、『維摩経解釋』にもこう出てまいります(173〜174頁)。

《「伏心」というのは、邪なるを見て、それを調伏する心であります。和顔でなければならないし、忍辱よくたえしのぶことも必要でありますが、いやしくも真理にそむく邪まな説を立てる者に対しては破邪顕正の剣を揮わねばならないのであります。それが又、自分の魂をみがく道場となるのであります。》

なるほど、今、実感するのは、まさしく「それが又、自分の魂をみがく道場となるのであります。」これです。

当然、この「ハンドルネーム」で投稿していく以上、現教団信徒等からのものすごいバッシングを覚悟せざるをえないからです。

それはもう避けては通れない…。

何かをはじめようとすれば、当然、その反動は来る…。

それを恐れていては何も生まれない…。

その心意気、覚悟を示す意味で、「破邪顕正」というハンドルネームを使用しようと思った次第です。

さて、今、新編『生命の實相』は第48巻「聖典講義篇」まで発刊されています。

そこに「邪説を排撃するの可否」と題して、こう記されています(136頁)。

頭注版『生命の實相』では第30巻です(228頁)。

《これは別に人と争うために争うのではないのです。真理を述べる為に、他の間違った邪説と衝突するということはこれまた止むを得ないことであります。だから、自分が正しいと考えているところの真理に対(むか)って、反対者が間違っているというのならば、その間違っている点を挙げて、ここはこう間違っているといえと、こういう具合に言っておられるのであります。
「生長の家」の説くところを時々批難する人がある。真理のよく悟れた人は批難しないで讃歎されるのでありますが、充分真理の悟れない人や、いわゆる宗教業者で商売敵だと思って揚げ足取りして非難される人がありますが、そういう場合、生長の家では黙殺することもありますが、他の人に誤解せしめて真理を伝える邪魔になると思われるような場合には敢然としてその人達の妄論を反駁することもあります。すると「何じゃ、生長の家は総てのものと大調和をせよと教えておるのに、駁論なんかを発表するのは怪しからん。あんなことでは、生長の家本部そのものが生長の家の教えに背いている」という具合に考える人もあるようです。しかし、非真理に対しては、駁論を発表することが必要であることもある。非真理が滔々乎として弘まっている時代に真理を説くには、非真理の説を是正しなければならない。「虚妄を壊するものは真理のほかに非ざるなり」と聖経『甘露の法雨』の中に書いてありますが、邪説を打ち破るためには正説の法鼓を鼕々(とうとう)と打ち鳴らす必要があるのであります。正説の法鼓を打ち鳴らすことは大調和を破っているのではない、大調和を破っている邪説の領域を狭めて、大調和の領域を広めることなのであります。》

何故、ここをご紹介したか。

今回の「阪田先生」の問題は、「社会事業団」に対して、まさしくここに言われている「他の人に誤解せしめて真理を伝える邪魔になると思われるような」文章を書いたからなのです。

例えば、財団法人として、社会的な使命を帯びて様々な活動していることを、「阪田先生」は危惧していました≠ニまで書いたわけです。

「阪田先生」が、そんなに危惧するのであれば、「社会事業団」に直に問い合わせればよかったのではありませんか。

それもせずに、一方的に、こういうことを書いたというのは、「社会事業団」の信用を落とそうという、何らかの意図、思惑があってのことだと見られても致し方ありません。

であれば、もはや、これは完全に「社会事業団」への敵対行為に他ならない…。

それは、「社会事業団」を信じ、支えてきているあまたの人々へのそれでもある…。

有り体に言えば、「阪田先生」の方から、喧嘩を売ってきたという話です。

一旦、振り上げた拳を下ろしたくはないのかもしれませんが、「阪田先生」の事実′認が示されてきている以上、謝罪して済むことは早ければ早いほどいい、そういう判断を下してほしいと願うばかりです。

「地方の一栄える経営者」さんへ。誤読≠ニいうご批判に、正直、ビックリしておりますが… (14024)
日時:2022年01月20日 (木) 09時38分
名前:破邪顕正


「誤読でないのなら説明をお願いいたします。」

説明します。

著作権が社会事業団にあることは、ご指摘のとおり『解放への二つの道』にしめされていますし、最高裁判決でも決定してることなのです。

そして、そのことを「阪田先生」も知っていた…。

重要なのは、それを知っていて、なぜ、こう書いたのか、それが問われているのです。

〈「生命の實相の著作権が生長の社会事業団に託された」は間違いで、先生は事業団の運営のために著作権収入即ち印税を寄付されたのであって、著作権を託されたのではありません〉

「地方の一栄える経営者」さん、虚心坦懐、普通にこれを読んでみてください。

前段において「生命の實相の著作権が生長の社会事業団に託された」は間違いで≠ニ、ハッキリと間違いとまで書いておいて、その最後には「著作権を託されたのではありません」と来れば、これは印税を寄付されたのであって、著作権そのものを与えられたのではないと読むのが普通ではありませんか。

これが誤読≠ネのですか。

よし、「阪田先生」が本当に著作権は社会事業団にあることは知っていたとしましょう。

それでなおかつ、こういう書き方をしたというのであれば、何かそこには、社会事業団に著作権があることを素直に認めたくない…。

何かケチをつけたい…。

社会事業団の足を引っ張りたい…。

そういう思惑が働いてしまったからではないのか…。

つまり、社会事業団に著作権があることを知っていて、敢えてこういう書き方をしたというのであれば、却って悪質≠ナあると私は思うものであります。

「地方の一栄える経営者」さんへの回答の続きです。 (14025)
日時:2022年01月20日 (木) 11時24分
名前:破邪顕正


「木を見て森を見ず」というコトバは、「地方の一栄える経営者」さんもご存じだと思います。

その文意を解するときにも、これが当てはまると思うのです。

『解放への二つの道』という木だけを見て判断するのではなく、その背景にある森、即ち、それがどういう文脈の中で書かれているか、それを考えて見るべきではないでしょうか。

因みに、今回、問題になっている第8号の〈「生長の家社会事業団」に関する読者からの質問≠ノ答える〉の最初の所をご紹介します。

〈事業団は(中略)「谷口雅春先生報恩全国練成道場」を開設して練成会を始めたり、先祖供養の霊牌の推進や谷口雅春先生が飛田給練成道場のためにつくられた「聖経法供養」を模して「神癒・聖経供養」を実施したり、さらには「聖使命奉讃会」や「新編『生命の實相』奉讃会」をつくり、創立70周事業のための「特別献資」を募ったりして、まるで宗教団体のようなことをしていることに危惧していました。〉

明らかに、ここには、社会事業団のことを快く思っていない、むしろ、批判したいという思いが有り有りである…。

そういう文脈の中で、こういうことが書かれていくのです。

………………………………………………………

 つづいて事業団の文章には、
<(中略)であればこそ尊師は、この救国・救済運動のために聖典『生命の實相』、聖経『甘露の法雨』、住吉大神の神示等、宗教上の重要な聖典・聖経等の著作権を、当法人の基本資産として寄付されたのです。このことは、当法人に谷口雅春先生の「宗教的信念」を永遠に正しく護持すべき聖なる使命が託されたものであります。>
 と書いています。この文章のあまりにも事実と異なっていることに、驚きを通りこしてなぜこのようなまやかしの文章≠書いたのか、その意図はなにか、『五十年史』の編纂者の一人であり「通史」を執筆した者として、このような文章が活字になって配布されているかと思うと背筋が寒くなりました。

…………………………………………………………

「地方の一栄える経営者」さん、これをどう読まれますか。

私は、前段の事業団の文章を受けて事実と異なっている∞まやかしの文章≠ニ書いている以上、その中に、事業団が書いた著作権を、当法人の基本資産として寄付された≠ニいうことをも含むと解します。

社会事業団の文章を紹介し、その直後に、こういうことを書けば、普通、読者は、そう解するのではありませんか。

いや、その文章の全体を指して言ったのではないと強弁するのであれば、それならばそれで、読者に誤解を与えないよう、誤読されないよう、その文章の中のどこがどう事実と異なっている≠フかまやかしの文章≠ネのか、きちんと指し示すべきなのではありませんか。

何を申し上げたいか。

「著作権を、当法人の基本資産として寄付された」

それをしも事実と異なっている≠ニかまやかしの文章≠ニ書かれては、「阪田先生」が、如何に、著作権が社会事業団にあることは知っていた、と言っても、すんなりとは首肯しえない…。

ここでも、やはり「阪田先生」は、著作権が社会事業団にあることを認めたくない、印税だけを寄付されただけだというようにしたい、そういう思惑が過分にあったのではないのか…。

つまり、今回の「阪田先生」の文章の一貫した流れ、思い、文脈からしても、これを私の誤読≠ニ決めつけられるのは、とても納得のいくものではないということです。

以上をもって、私からの説明に替えさせていただきます。



追記…誤読≠ニいうのならば、「トキ」さんもですね (14028)
日時:2022年01月20日 (木) 17時46分
名前:破邪顕正


「地方の一栄える経営者」さんは、私の誤読≠盛んに喧伝されていますが、百歩譲って、それを誤読≠ニしましょう。

そうすると、誤読≠オたのは、「トキ」さんもそうだったということになるのではないでしょうか。

だって、こういう投稿をしているのですからね。

…………………………………………………………

「光明の音信」第8号 (46627)
日時:2021年12月28日 (火) 13時00分
名前:トキ

 元本部講師の阪田成一氏が、個人的に発行しておられる「光明の音信」第8号を読んだ人から、コピーがPDFで送られてきました。阪田氏は、この中で、以下のような趣旨の文章を書かれています。(筆者の理解した範囲で要約しました。)

 「生長の家社会事業団」が、最近、練成会を始めるなど宗教団体のような動きをしていることを危惧しています。特に、聖典の著作権について、谷口雅春先生が生長の家社会事業団の名称にしたのは、あくまでも経済的な支援の意味だったのに、それを糊塗するような文章を定期刊行物で発表していることに警鐘を鳴らしておられます。

 引用については、ご本人の許諾を得られていないので、差し控えますが、この阪田氏のご指摘は確かに正論だと思います。

……………………………………………………

重要なのは、ここで「トキ」さんが、筆者の理解した範囲で要約しました≠ニして、こう書いていることなのです。

〈聖典の著作権について、谷口雅春先生が生長の家社会事業団の名称にしたのは、あくまでも経済的な支援の意味だったのに、それを糊塗するような文章を定期刊行物で発表している〉

つまり、「地方の一栄える経営者」さんの論理に従えば、「トキ」さんもまた誤読≠オてしまったわけです。

どうしてでしょうか。

やはり、「阪田先生」が書いたことを普通に読めば、「トキ」さんが理解した如く、谷口雅春先生が生長の家社会事業団の名称にしたのは、あくまでも経済的な支援の意味だった≠ニ思ってしまうということなのではありませんか。

私も誤読≠オた、「トキ」さんも誤読≠オた…。

二人が揃って誤読≠オたと言うのでしたら、その誤読≠ノもそれなりの理由がある…。

つまり、誤読≠オてしまうような書き方を「阪田先生」がしてしまったからだとは言えないでしょうか。

だったら、そういう誤読≠ウれるような書き方をしてしまったことを、きちんとお詫びするのが礼儀というものではありませんか。

私は、そのことをただ「阪田先生」に言っているだけのことです。

「過ちては改むるに憚ることなかれ」で済むことなのですから…。

それとも、誤読≠オた方が悪いということで知らんぷりということなのでしょうか。


地方の一栄える経営者さん。あなたこそ大変な間違いをしています。あなたが引用しているサイトは、生長の家社会事業団の公式ホームページではありません! (14044)
日時:2022年01月21日 (金) 15時10分
名前:護法の天使

地方の一栄える経営者さん。あなたこそ大変な間違いをしています。あなたが引用しているサイトは、生長の家社会事業団の公式ホームページではありません!

私自身、不思議に思ったのです。

生長の家社会事業団の公式ホームページや、児童養護施設生長の家神の国寮の公式ホームページには、地方の一栄える経営者さんが引用している文章はないはずなのです。

(生長の家社会事業団の公式ホームページ)
http://www.seichonoie-sj.jp/

(生長の家神の国寮の公式ホームページ)
http://www.kamino92.or.jp/


それで、この引用されている文章を検索してみたところ、次のサイトにたどり着きました。

http://hikarinoshingun.giri.jp/81kankei-dantai/8102shakai-jigyoudan/seicho-no-ie-shakai-jigyodan.htm

このサイトページには、「財団法人生長の家社会事業団」という、10年前までの古い名称が掲示されていますが、生長の家社会事業団とは全く関係はありません。


谷口雅春先生を学ぶ会にも確認しましたが、同会も実は全く関係はないそうです。

推測しますに、本流運動を熱烈に応援している匿名の方が、勝手連的に作成されたサイトのようです。

同サイトを立ち上げた方の熱い思いはわからないでもないですが、第三者に誤解を与えるような表示は避けていただきたいと率直に思う次第です。

以上のとおり、地方の一栄える経営者さんには、ご引用の文章が、公益財団法人生長の家社会事業団の公式ホームページとは全く無関係であることはご承知いただきたく存じます。


地方の一栄える経営者様にお答えします (14047)
日時:2022年01月21日 (金) 18時17分
名前:護法の天使

 私の勝手な想像なのですが、「地方の一栄える経営者」様は、生長の家神の国寮の子どもたちのことをご愛念いただき、自立支援のために高額のご寄附をなさった某県の事業経営者の方ではないかな、と感謝の心をもって思う次第です。

 さて、地方の一栄える経営者様が、事業団HPを出典とされて引用されている文章は、生長の家社会事業団の公式ホームページに掲載している文章ではありません、ということをお伝えしました。

 それで、「護法の天使様に正しい情報をお願いします。」とお書きになっていますので、簡単ではありますが、私の現在の認識を申し上げます。

 実は、私自身、正直に申しますと、かなり以前は、漠然と、地方の一栄える経営者様と同様な認識だったと思います。

 古くからの信徒の方々にも同様に認識されている方は多いのではないかと思います。

 ところが、谷口雅春先生のご昇天後、(当時の勤務上の守秘義務もありますので、詳細は省略しますが)、著作権の問題で、徹底的に調査し、報告する必要が生じました。

 その過程で、関係者のご協力をいただき、次々と重要な法的文書を発見させていただき、複数の弁護士の「鑑定書」として、報告されました。

 その結果、「谷口雅春先生は、生長の家社会事業団に著作権収入すなわち印税を寄附されたのではなく、完全な著作権を譲渡された。」ということが教団の正式な機関で確認され、昭和63年、谷口輝子先生、谷口清超先生、谷口恵美子先生と、当時の事業団理事長とによって、文化庁長官に対して著作権譲渡の登録申請が行われ、国の「著作権登録原簿」に正式に登録されました。

 さて、地方の一栄える経営者様のご質問ですが、「雅春先生は神の国寮を託して著作権を寄付した」と言い切れないのです。

 根拠は、戦後復刊第1号の『生長の家』誌掲載の「財団法人生長の家社会事業団の設立」のご文章(『大和の国日本』に全文掲載)と、昭和20年11月14日に東京都に提出された「財団法人設立許可申請書」です。

 「財団法人生長の家社会事業団の設立」のご文章は、戦後日本再建の十大構想が提起してあります。

 その第一は、政治結社の設立です。(『白鳩』誌復刊第1号によれば、この政治結社は天皇制護持が主たる目的であることが明らかです。)

 そして、このご文章の中では、綜合学園設立や保育園等は明記されていますが、「戦災孤児等の収容哺育教養」は明記されていません。

 そして、同年11月14日「財団法人設立許可申請書」にこのことが寄附行為案の第4条の多くの事業の一つとして、上記の事業が初出しています。

 (神の国寮の設立が谷口雅春先生の御愛念の発露であることはまったくそうですが、そのためだけのために生長の家社会事業団が設立されたのではないことをご認識いただく必要があります。)

 また、谷口雅春先生は、上記申請書添付の寄附行為(財団法人の根本規則)に、全国都道府県に事業団の「支部」を置き、各個人が事業団の「団員」となる規定を設けておられます。

 実は、昭和24年7月以前は、全国の信徒誌友を組織する法人は存しなかったのです。

 戦前からの宗教結社「教化団体生長の家」を承継した法人は港区から調布市に移転し、現在の飛田給道場(正式には、宗教法人「生長の家本部練成道場」)となったのです。

 谷口雅春先生は、国家と人間の救済の大運動の中心機関を目指して生長の家社会事業団を設立されたのであり、そのために完全な著作権を託された(「与えた」の敬意を込めた表現です。「躍進する生長の家社会事業団」第3面の見出しに、「谷口雅春先生はなぜ『生命の實相』の著作権を与えられたか」とありますから、当然おわかりでしょう。)のであり、神の国寮はその救済事業の一つであって、それのみを目的として印税だけを寄付されたのではありません。

 地方公共団体の事業に協力された「地方の一栄える経営者」様、充分にご理解いただき、今後とも神の国寮とその子どもたちのご支援をよろしくお願いいたします。

 


 



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