《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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《“垂訓”を垂訓=昭和の「山上の垂訓」なれば令和の今こそ拝読を!》『生命の實相』「聖典講義篇 山上の垂訓の示す真理」は、山上でのイエス直伝の真理を赤坂の本部講堂で尊師が誌友に直伝された肉声なり! (13764)
日時:2021年10月17日 (日) 16時05分
名前:立葵

合掌
新編『生命の實相』の最新刊第48巻「聖書講義篇 山上の垂訓の示す真理」を拝読し、新約聖書の中で「山上の垂訓」と呼ばれる「マタイ伝」第5〜7章の世界に改めて惹き込まれました。(頭注版第30巻)

「山上の垂訓」は、イエスが修行の後に弟子達の前で最初に説いた教へであるとされてゐます。日頃聖書を読む機会のない人々にとっても、さう云へばこれは聞いたことがあるといふ有名な言葉も沢山あることに気付かされます。

「これは『山上の垂訓』といって、有名なところでありまして、イエスがヨハネに洗礼を受けてから、ヨルダン河の畔で四十日四十夜断食をして、坐っておられましたが、いよいよ霊覚を得て悟(さとり)を開かれた、その悟(さとり)の心境をば初めてここで説教された最も重要なところであります。」
(新編第48巻 11頁(頭注版第30巻142頁))

イエスが教へを説いた時代にイエスと膝を交へて「神の子・人間」の真理を直接聴いた弟子や集まった聴衆の僥倖が、今度は谷口雅春先生のお声を通して昭和十〜十一年に東京赤坂檜町の生長の家本部の講堂で再現されたのです。

そのことは、新編『生命の實相』の脚註によって知りました。以下の通り、赤坂の生長の家本部の講堂で講義された記録が『生長の家』誌に連載されたといふことです。
それがやがて聖典『生命の實相』聖典講義篇として現在に至るまで、永遠の文書伝道の拠り処として残されたのでした。
(最後の二回分は講演録ではなく書き下ろしかもしれませんが不明です。御存知の方がいらしたら御教示下さい。これを以て聖書の「マタイ伝」第5〜7章「山上の垂訓」の講義が完結してゐます。)

(一)新編第48巻 2頁(頭注版第30巻137頁)
『生長の家』昭和十一年四月號に掲載 『山上の垂訓』講義(一):昭和十年十一月三十日の講義録

(二)新編第48巻 73頁(頭注版第30巻185頁)
『生長の家』昭和十一年五月號に掲載 『山上の垂訓』講義(二):昭和十年十二月七日の講義録

(三)新編第48巻 117頁(頭注版第30巻215頁)
『生長の家』昭和十一年六月號に掲載 『山上の垂訓』講義(三):昭和十年十二月二十二日の講義録

(四)新編第48巻 175頁(頭注版第30巻253頁)
『生長の家』昭和十一年八月號に掲載 『山上の垂訓』講義(四):昭和十一年一月十九日の講義録

(五)新編第48巻 204頁(頭注版第30巻273頁)
『生長の家』昭和十二年一月號に掲載 聖書要點講義(一)一、山上の垂訓の一節

(六)新編第48巻 219頁(頭注版第30巻283頁)
『生長の家』昭和十二年二月號に掲載 聖書要點講義(二)『山上の垂訓』講義の部

『生長の家』誌に掲載された各回の本部講堂に於ける講義の詳細は、子記事としてこの後に続けて記します。(新編では、その小見出しが目次にも掲出されてゐます。)

ところで、『生長の家』誌にこの連載が掲載された昭和十一年には二・二六事件があり、前後して谷口雅春先生によって「光明思念の歌」が発表されました。
生長の家の白鳩會が結成されて『白鳩』誌が創刊しました。子供向けに真理を易しく書いた『光の泉』誌も創刊しました。
この年の初めに生長の家は「ヘ化團體生長の家」となり、本部も山脇高等女学校の旧校舎に定まりました。その講堂で聖典講義が行はれました。
(参考文献『生長の家五十年史』、『明窓淨机』草創篇等)

「山上の垂訓」の第一回目の講義録が掲載された『生長の家』昭和十一年四月號の巻末の「編輯室だより」には、その意義が次のやうに説かれてゐます。

佛ヘも「統(す)」のコトバの展開
本號は期せずして、~道、佛ヘ、基督ヘの講義が轡を騈べて(くつわをならべて)(引用者謹註・一緒に)掲載されることになりました。全ての宗ヘ『生長の家』に來つて手を繫ぐの壯觀は思ふだに欣懷(よろこび)の至りであります。人類よ、手を握れ。それには先づ宗ヘが手を握らなければならないのです。(中略)
日本の國は~に始まる、~がなければ日本の國はないのだ。併し眞佛ヘは然らず、蓮華藏世界の中心の『統(す)』、大日如來の蓮華坐が日本の國土であり、『統』のコトバの展開がすべての宗ヘのヘへとなつて天地八紘に滿つるのだ。佛ヘも基督ヘもそのコトバの、ミコトノリの展開に過ぎない。
(日本ヘ文社『明窓淨机 草創篇』157頁・昭和54年10月25日初版發行)

この御言葉を拝しますと、聖書の聖典講義が、昭和十年代に入って、かねてから「非常時」と云はれて国内外の情勢が日に日に緊迫する中で、仏教の経典の講義や古事記の講義と同時並行して開催されてそれらが神誌に次々と発表されていったのであったことに思ひ到ります。尊師谷口雅春先生の、人類救済と世界平和への熱禱に恐懼するばかりです。
再拝

『生命の實相』「聖典講義篇 山上の垂訓の示す真理」の小見出し一覧 (13765)
日時:2021年10月17日 (日) 16時11分
名前:立葵

合掌
この巻の小見出し(新編では目次にも記載)に目を通すだけでも生長の家の神様のお言葉が心に響いて参ります。
前掲の『生長の家』誌への掲載順に分けて謹掲いたします。
再拝

(補註:谷口雅春先生の聖書からの御引用文は一貫して現在の日本聖書協会(当時はその前身)発行の文語訳聖書『舊新約聖書』のやうです。同じ文語訳の聖書でも他の翻訳者による版との間には、原書からの和訳文に異同もあるさうです。
その一例ですが、新編第48巻201頁(頭注版第30巻271頁)には、
生命のことを思ひ煩ったからと云って[誰が身の丈(謹註・身長)を一尺でも伸ばせるのですか]、
生命のことを思ひ煩ったからと云って[誰が寿命を僅かでも伸ばせるのですか]
といふ二通りの和訳があるといふ旨が書かれてゐます。)


※漢字の字体と仮名遣は新編に拠って謹掲いたします。
(一)新編第48巻 2頁(頭注版第30巻137頁)
『生長の家』昭和十一年四月號に掲載 『山上の垂訓』講義(一): 昭和十年十一月三十日の講義録
生長の家はキリスト教を真解する
「マタイ伝」の真解で乱視が治る
子宮筋腫の行方不明
山上の垂訓「心の貧しき者」
細菌恐怖症の奥様の話
偽我を悲しむ者
真理の穿き違いの話
実相とは所を得た世界
誰でも一様に異性を愛し得るのは悟か
幸福なるかな柔和なる者
義に飢え渇く者
義に捉われるな
憐れみある者
幸福になる道
霊界にも働く心の法則
本当の歓びは利己主義では得られぬ
神と繫がる所に無限供給はある
心の清き者
先入観念を捨てよ
平和ならしむる者
義の為に責められたる者
本当の味は慣れて来なければ判らぬ
燈火を桝の下に置くな

(二)新編第48巻 73頁(頭注版第30巻185頁)
『生長の家』昭和十一年五月號に掲載 『山上の垂訓』講義(二): 昭和十年十二月七日の講義録
全ての宗教を成就する者
過去の教えを毀たず
律法の完全なる解放は律法を却って成就する
「ねばならぬ」を捨てる教え
因果は果さねばならぬ
実相を悟れば自然に矩を超えず
形よりも心が主
神は「和解」の中に在す
花は紅柳は緑
夫婦は神の合せもの
誓うなかれ、唯諾々(はいはい)と言え

(三)新編第48巻 117頁(頭注版第30巻215頁)
『生長の家』昭和十一年六月號に掲載 『山上の垂訓』講義(三):昭和十年十二月二十二日の講義録
神の光は善人をも悪人をも照らす
生長の家は如何に神の光を観るか
神罰らしいものが現れる裡由
六年間固定した肺臓が動き出す
仏教で言う因果の法則
解脱自由の境地
イエスは必ずしも無抵抗に執われず
邪説を排撃するの可否
キリストは大芸術家
本当に美しきもの
全ての人間を神の子として愛せよ
偽善の戒め
人間は既に全てを与えられている
集団の祈りの功徳
偽善行為は何故悪いか
感謝の祈り、自然に実相の流露する祈り
現実が浄土に変貌する
主の祈りの解釈

(四)新編第48巻 175頁(頭注版第30巻253頁)
『生長の家』昭和十一年八月號に掲載 『山上の垂訓』講義(四):昭和十一年一月十九日の講義録
普門成就の教え
本当の断食の意義
断食も無一物も形ではない
本当の質素の意味
神と富とに兼事え得るか
使うほど殖えるのは噓か
個我の殻を破れ
生命の事を思い煩うな
野の百合の装いはソロモンの栄華に優る

(五)新編第48巻 204頁(頭注版第30巻273頁)
『生長の家』昭和十二年一月號に掲載 聖書要點講義(一)一、山上の垂訓の一節
今を生きて明日を思い煩うな

(六)新編第48巻 219頁(頭注版第30巻283頁)
『生長の家』昭和十二年二月號に掲載 聖書要點講義(二)『山上の垂訓』講義の部
咎める心を持つな



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