《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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四先生に倣って令和四年歌会始 お題(勅題、御題)「窓」に詠進いたしませう (13695)
日時:2021年09月02日 (木) 17時47分
名前:立葵

合掌
九月は令和四年歌会始の詠進の締切月です。

お題(勅題、御題)「窓」の語を詠み込んだ五七五七七の三十一文字を天皇皇后両陛下の御もとにお届け申し上げませう。
(勿論初めは宮内庁式部職宛に送りますが、後に詠進歌は都道府県別に綴ぢられて両陛下のお手元にお届けいただけると漏れ承ってをります。)
詠進要項のリンクを貼らせていただきます。

https://www.kunaicho.go.jp/event/eishin.html

歌会始には谷口雅春先生、輝子先生、C超先生、惠美子先生が例年詠進なさってこられました。昭和二十八年から昭和五十五年までの御詠歌が『生長の家五十年史』の70頁より「御題詠進」として掲載されてゐます。
以下に宮内庁ホームページおよび『生長の家五十年史』より謹掲いたします。(ルビは原典のまま、それ以外は難読語でもルビは遠慮いたします。)

 昭和二十八年  船出
御製(昭和天皇御製)
しもにけぶる相模の海の沖さして舟ぞいでゆく朝の寒きに

谷口雅春先生
初船出むかふる如く輝ける雲をそびらに澪標(みをつくし)立つ

翌昭和二十九年より三先生の御詠歌が掲載、そして昭和三十四年からは惠美子先生の御詠歌も加はります。
実際の詠進は一人一首ですが、四先生はその年々の勅題に複数の御歌をお詠みになられたと拝されます。そのまま連作の形で記載されてゐます。

令和四年のお題(勅題、御題)「窓」は、昭和天皇の大御代の昭和三十四年にも賜りました。
上皇陛下(当時は皇太子殿下)の御成婚の年の年頭の歌会始の勅題でした。

 昭和三十四年  窓
御製(昭和天皇御製)
春なれや楽しく遊ぶ雉子らのすがたを見つつ窓のへに立つ

皇太子殿下お歌(上皇陛下御製)
冬日さす木斛の葉は白く光(て)り風にゆらぎて窓にうつれり

※宮内庁ホームページ内での「御製」等の表記は、天皇陛下は「御製」、皇后陛下は「御歌」、他の皇族方は「お歌」でしたので、そのやうに謹写しました。

 昭和三十四年  窓
谷口雅春先生
寂寞(じゃくまく)の窓一つ見え霧ふかき谷の傾斜(なぞへ)はいま夜明けんとす
寂寞の窓にかかれる霧晴れてただ鶯のひと聲すなり
年若き尼僧のひとり住むといふ庵の窓ゆ誦經の聲す

谷口輝子先生
はだら雪風すさめども窓ぬちにあたたかきかな寄りそふ心
月かげのさし入る窓のうち深く國おもふ年のこゑはすがしも

谷口C超先生
わが窓に妻と植ゑし朝顏は木枯(こがらし)ふけどなほも咲きつづく

谷口惠美子先生
水玉の白くけぶりし窓ガラスにけふもをかしき子等の指あと
こどもらのゑがきし窓の指あとに目をあてみればけふも晴れをり
(謹掲、以上)

今日、どれほど通信技術が進歩しましても、我が国の人々が、上は貴き御方々より下は名もなき民の一人まで、美しい国語の三十一文字で等しくその時々の思ひを表してきた歴史と伝統の重みは不朽のものだといふ感慨は尽きません。

現在多くの都道府県に緊急事態宣言や「まん延防止等重点措置」が発出されてゐますが、その状況下でも懸命に生きる中から湧き上がる思ひを、お題(勅題、御題)「窓」の言葉を通して三十一文字に表現してみる営みは、生涯を通してこの時の心の記録として大切な一首となるのではないでせうか。

そしてそれを毛筆で自筆して詠進して、天皇陛下をいただく日本に生きる歓びを新たにいたしませんか。
(毛筆の自筆が困難な方の詠進につきましては宮内庁ホームページを御参照下さい。)

谷口雅春先生を師と仰ぐ一人でも多くの方々と詠進するお仲間になれましたら嬉しく思ひます。
再拝

御題「窓」 (13719)
日時:2021年09月15日 (水) 10時07分
名前:謙信

立葵さんから御題詠進の勧めの投稿上げられました。後、締め切日迄僅かですが「窓」の言葉を鍵として過ごして参ります。
さて立葵さんの導入にも記されてゐましたが、御題「窓」は昭和34年にもなりました。
この年、目出度くも皇太子殿下美智子皇太子妃におかせられてはご成婚になりました。
平成21年、陛下ご自身がご成婚50年を振り返られ、その頃(昭和34年)お詠みになられたお歌を紹介されました。
 語らひを重ねゆきつつ気がつきぬ
 われのこころに開きたる窓

以下、ご会見のお言葉を引用します。
天皇陛下
私のプロポーズの言葉は何かということですが,当時何回も電話で話し合いをし,ようやく承諾をしてくれたことを覚えています。プロポーズの言葉として一言で言えるようなものではなかったと思います。何回も電話で話し合いをし,私が皇太子としての務めを果たしていく上で,その務めを理解し,支えてくれる人がどうしても必要であることを話しました。承諾してくれたときは本当にうれしかったことを思い出します。

結婚50年に当たって贈るとすれば感謝状です。皇后はこの度も「努力賞がいい」としきりに言うのですが,これは今日まで続けてきた努力を嘉よみしての感謝状です。本当に50年間よく努力を続けてくれました。その間にはたくさんの悲しいことや辛いことがあったと思いますが,よく耐えてくれたと思います。

夫婦としてうれしく思ったことについての質問ですが,やはり第一に二人が健康に結婚50年を迎えたことだと思います。二人のそれぞれの在り方についての話合いも含め,何でも二人で話し合えたことは幸せなことだったと思います。皇后はまじめなのですが,面白く楽しい面を持っており,私どもの生活に,いつも笑いがあったことを思い出します。また,皇后が木や花が好きなことから,早朝に一緒に皇居の中を散歩するのも楽しいものです。私は木は好きでしたが,結婚後,花に関心を持つようになりました。

語らひを重ねゆきつつ気がつきぬ
われのこころに開きたる窓

婚約内定後に詠んだ歌ですが,結婚によって開かれた窓から私は多くのものを吸収し,今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます。

終わりに私ども二人を50年間にわたって支えてくれた人々に深く感謝の意を表します。

皇后陛下
たくさんの質問があって,全部はお答えできないかもしれません。とりわけ婚約のころのことは,50年を越す「昔むかし」のお話でプロポーズがどのようなお言葉であったか正確に思い出すことができません。また銀婚式を前にしてお尋ねのあった同じ質問に対してですが,この度も私はやはり感謝状を,何かこれだけでは足りないような気持ちがいたしますが,心を込めて感謝状をお贈り申し上げます。

次の「夫婦としてうれしく思ったこと」。このようなお答えでよろしいのか,嫁いで1,2年のころ,散策にお誘いいただきました。赤坂のお庭はくもの巣が多く,陛下は道々くもの巣を払うための,確か寒竹だったか,葉のついた細い竹を2本切っておいでになると,その2本を並べてお比べになり,一方の丈を少し短く切って,渡してくださいました。ご自分のよりも軽く,少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもそのときのことを思い出すと,胸が温かくなります。


貴い御製のご紹介をありがたうございます (13720)
日時:2021年09月15日 (水) 17時48分
名前:立葵

謙信様

合掌

語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓

上皇陛下の御婚約内定後に詠ませ給うたと承ります御製と、上皇陛下ならびに上皇后陛下の御会見でのお言葉のご紹介をありがたうございます。
感謝申し上げます。
再拝



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