本日(5月30日)午前11時より、「御神像を取り戻す誓いの日聖経読誦」を執り行わせていただきました。 (13434) |
- 日時:2021年05月30日 (日) 12時40分
名前:「谷口雅春先生を学ぶ会」本部
合掌 ありがとうございます。
クレーンにて つり下げられし 御神像 十字架上の キリストに似て
本日は、原宿本部会館から「御神像」が撤去された悲しき日であります。
あの日、五月雨の降る中、吾々は再びお迎えする=|そのことを堅く誓い合ったのでした。
以来、毎年、この日には、その誓いを確認し合う「聖経読誦」を行ってきました。
歴史的に、この日が、どんな意義をもっているのか。
『「生長の家」教団の平成30年史』にはこうあります(91頁)。
〈原宿の本部会館正面玄関上に安置されていた「ご神像」を撤去。「森の中のオフィス」へ搬送。(5月30日)
※古毛布にくるまれ、土足で踏みつけられながらの撤去作業。本部職員の見送りなし。〉
振り返り見れば、その3日前には、実に重大なことが起きていました。
『前掲書』にこうあります。
〈『生命の實相』等の著作権裁判の最高裁判決。教団・日本教文社の完全敗訴。(5月27日)〉
つまり、『生命の實相』「聖経」等の著作権は「公益財団法人生長の家社会事業団」にあることが法的に確定し、現教団は、『生命の實相』も「聖経」も失うこととなったのです。
そして、3日後、今度は「御神像」が東京から八ヶ岳へと移転することになったわけです。
本部会館の、この「御神像」は皇居の方角を向いて安置せられていました。
それを撤去するということは、とりもなおさず、「生長の家」から鎮護国家、国体護持の使命をも外した、その象徴的出来事としてあったと見ることができるのです。
5月27日、『生命の實相』も「聖経」も失った現教団は、その3日後には、今度は鎮護国家、国体護持の使命をも失ってしまった…。
何だか、この二つの日は、そのまま今日の教団の変質(サヨク教団化)を予言していたように思えてなりません。
「御神像」を取り戻すというのは、そのまま尊師の教えを取り戻す、そのための誓いの日でもあるのだということを申し上げておきたいと思います。再拝
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