「トキ」さんの指摘した総裁個人の趣味の会≠ヘ実に言い得て妙なり! (13430) |
- 日時:2021年05月28日 (金) 10時22分
名前:破邪顕正
「第1回ノンロック・リレー」とありましたので、当然、「第2回」があるものと思っておりましたら、果たして、そうでした。
「トキ」さんがこう報告しています。
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続 ノンロックリレー (41139) 日時:2021年05月28日 (金) 04時04分 名前:トキ
先日、本部が谷口輝子先生のご命日に「ノンロックリレー」と称して、自転車イベントを開催したのは以前に紹介しました。
先日、本部は、この自転車イベントを継続して開催するために、「ノンロックワン」と称する運動体(組織?)を立ち上げることにしたみたいです。
別に自転車イベントを開催するなと言うつもりはないです。が、あのような遊びを定期的に開催するのに、「信仰の深化」を言い出し、この種のイベントが「従来型の行事よりも優先する」と言い出すのはおかしいです。
昔、一部の高校で学校の授業よりもクラブ活動を優先するところがありました。大会で良い成績が取れたら、学校の宣伝になると言うのですが、学力が身につかないで、本人のためにはならないと思います。それと同様の話だと思います。
この種のイベントをするとしたら、やはり基本的には従来の運動を優先し、その上で、「信仰とは直接、結びつきませんが、信徒の融和と組織の円滑、組織外の人々への宣伝を兼ねて開催します」とした方が説得力はあります。しかし、現在の考えでは、生長の家は、信仰よりも総裁個人の趣味の会になってしまうと言う印象を与えます。
この点、本部は,「ノンロック」について、再考されるべきだと思います。
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「トキ」さん、今回も有益な情報の提供、誠にありがとうございました。
「第1回」と称した以上は、「第2回」「第3回」とあるものとは思いましたが、何ですか「ノンロックワン」と称する運動体(組織?)を立ち上げ∞定期的に開催≠オ、それが「信仰の深化」≠ノつながり、「従来型の行事よりも優先する」と≠ワで言いはじめたというのを聞いては、本当に呆れ果ててしまいました。
相変わらず、最後は、「トキ」さんお決まりの「べき論」で終わっていますが、これもまたご多分に漏れず一顧だにもされず、何ら相手にもされず、スルーされて終わりでしょう。
今や、現総裁は絶対権力者であり、すべては現総裁の一言で決まってしまう、それが現教団の体質だからです。
現総裁が、カラスは白いと言えば、信徒は「ハイ、白いです」と言わなくてはならないのです。
「いや、カラスは黒い」とでも言おうものなら、間髪を入れず「スリーパーセル」という汚名≠着せられ排除されてしまう…。
そういう教団になってしまったのだという認識から出発すべきだと私は思います。
現教団に所属していた頃、こんなことを言われたことがありました。
「会社でも、社長が変われば経営方針が変わる。今は3代目総裁の時代なのだから、教団の方針が変わるのも仕方がない。それに素直にハイ≠ニ従うのが中心帰一だ。」
それに対して、私は反論しました。
「信仰の世界を会社経営と同じ次元で論じられることには納得がいきません。今は単に方針が変わったという次元とは違います。尊師の教え、思想とは根本的に相容れないことが説かれている…。それこそが本質的な問題なのです。自分の信じてきたことが否定されているのに、それにハイ≠ヘできません。それにハイ≠するということは、そのまま自己否定になってしまいます。」
自己否定してまで、自分を偽ってまで、そこに留まっていいのか。
それこそこが問われているのではないでしょうか。
もし、そのまま現教団に留まっていれば、現総裁の趣味の会≠ノお付き合いしていかなければならなかったわけです。
こんなことをするために、自分は「生長の家」に入ってきたのか…。
その煩悶・葛藤がずっと続いていたでありましょう…。
不平、不満が渦巻き、少しも心が晴れない、そんな人生になっていたであろうことは容易に想像がつきます。
分裂≠ヘ良くないとして、ジッと我慢して現教団に留まり続けていたら、自分の精神がもたなかった、それこそ分裂していたのではないのか、そんな気がしています。
「トキ」さんの今回の投稿で、改めて分裂≠アそが、尊師の教えを護り抜く唯一の道だったと確信した次第です。
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