《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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今日のコロナ禍にあって、私たちはどういう生き方をし、また人類光明化運動をどう進めるべきかをともに考えていきたいと思います… (13392)
日時:2021年05月13日 (木) 16時36分
名前:破邪顕正


今、私たちが考えるべきは、次の2点にあると思います。

まず、一つは、コロナウィルスをど捉えるのかということです。

次に、コロナ禍による恐怖感をどう克服していくのかということです。

それぞれについて、思うところを述べていきたいと思います。

まず、コロナウィルスのことをどう捉えるか、ですが、これは『神 真理を告げ給う』にあるご文章が大変、重要だと思います(17〜18頁)。

≪どんな微生物でもわたし≠ェ生かしているのである。
あなたが病菌であるといっておそれている微生物も、本来病菌≠ナはない。
それはわたし≠ェ生かしているのである。
その病菌と見えている者が、実は、あなた達の間違った心の思い≠竍生き方≠警告して、それを是正させるためにわたし≠ェ姿を病菌の如くあらわしていることがあるのである。
わたし≠ヘ、どんな消毒薬よりも強いのである。
わたし≠ヘその人間の魂に警告を与えて、正しい生き方に還らせようとして病菌としてあらわれている場合には、その目的を達しない限り、どんな薬剤を与えても、その病菌は消えるものではない。
しかしその目的を達して人間たちの心が正しくなったとき、わたしはその微生物を現象界から生命の素材の世界≠ヨ引き戻す。
その時、あなた達の病気は癒えるのである。》

今回のコロナ禍を、私たちは、ここに示されておりますように、「正しい生き方に還らせようと」の警告≠ニして受け止める必要があるのではないでしょうか。

それでは、どのような生き方をしなければならないのか。

新編『生命の實相』第25巻「人生問答篇」にある、このご指導が参考になると思います(121〜122頁)。

誌友の大村さんが、尊師・谷口雅春先生にこう問いかけます。

《大村ーー或る霊学者の説によると病気のほとんど全部は、悪霊の災いで、黴菌や災難も皆な悪霊が武器として使うものだというじゃありませんか。》

それに対して、尊師は、こうお答えになっておられます。

《谷口ーーそれはなるほど、一面の真理であります。
医者は悪霊が武器として使った黴菌を征服する方法を考えています。
…「生長の家」ではその悪霊と共鳴するような悪精神波動を起さないようにして、悪霊がいても害をすることが出来ないようにするのです。
悪霊は魚みたいなものです。
迷いの精神波動はその魚の泳いで来る波のようなものです。
その波を干上(ひあが)らしてしまえば悪霊が禍(わざわ)いをしようと思っても水のない魚のように禍いが出来なくなるのです。
そうさせるのが生長の家の「神想観」であり、聖典の一章の毎日読誦であります。》

日々「神想観」を実修し、聖経・聖典を拝読して、真理の光によって、コロナウィルスを干上がらせることが大事なのだと思った次第です。

こういうときこそ、信仰の原点に回帰することなのだと改めて痛感した次第です。


毎朝、6時30分より「龍宮無量寿国に入る祈り」を拝読してまいりましょう。 (13399)
日時:2021年05月14日 (金) 10時48分
名前:破邪顕正


今、「谷口雅春先生を学ぶ会」では、毎朝、6時30分から、「龍宮無量寿国に入る祈り」を拝読する運動を勧めております。

日々、実修させていただいて、その祈りの素晴らしさに感動しております。

《…住吉大神、龍宮無量寿いのちの泉を汲み給いてわれに灌ぎ給うのである。いのちの泉、五彩七彩の色を放ちてわれに灌がれ、淊々乎(とうとうこ)として光の波となって、わが全身に流れ亘り、わが全身ことごとく潔められて、すべての汚れと濁りとは完全に洗い流され、全身の細胞ことごとく龍宮無量寿のいのちに満たされ賦活せられ、若返り、ひとつひとつの細胞ことごとく最高のダイヤモンドの輝きに優りて、無量寿の生命の光輝を放つ。その光荘厳を極めて、如何なる悪しき微生物も病菌もヴィールスも近付くこと能わず、もし近づけば、光に近づく暗の如く消えてしまうのである。…》(17頁)

本日は、この文中にあるわが全身ことごとく潔められて≠ノ目が留まりました。

何よりも潔まる≠アと、これが大事なことなのだと思うのです。

手洗い、うがい、消毒等々、コロナ禍で、その重要性が盛んに喧伝されていますが、それは外なる肉体を清潔に保つことの大切さを言っているのだと思います。

もう一方で、内なる世界も浄めていかなくてはなりません。

そうすれば、全身の細胞ことごとく龍宮無量寿のいのちに満たされ′輝くようになる…。

病菌もヴィールスも近付くこと能わず、もし近づけば、光に近づく暗の如く消えてしまうのである

いたずらに、コロナウィルスを恐怖する必要は無い…。

コロナ禍をもって却って幸いと為す。

自らの信仰がより強く、より深まりました…。

そう言えるように、ますます行に励んでまいりたいと思います。


コロナウィルスに対して現代医学は「縁」の消去を目指す、それに対して生長の家は「因」そのものを無くしていく… (13400)
日時:2021年05月15日 (土) 10時46分
名前:破邪顕正


こんなニュースが目に留まりました。

〈ヤンキースは11日(日本時間12日)、既にワクチン接種を完了しているP・ネビン三塁コーチがコロナ検査を受けて、陽性結果が出たと発表した。〉

ワクチンの接種が決して万全ではないということをこれは示しているように思います。

この報に接して思ったのが、新編『生命の實相』第46巻「女性教育篇」にある次のご文章です(140〜144頁)。

《現代医学は何を研究するかといいますと、これは因縁の「縁」の方を研究するのです。
吾々の方は「因」の方を研究する。
…医者の方では、冷たい風に吹かれたら風邪を引くぞ、或は結核菌に触れたら肺病になるぞというふうに、病気を起すところの「縁」をなるべく遠ざけるようにするのであります。
これが医者の役目であって、心の世界に病気の「因」があっても、その「因」をして「果」を結ばせる「縁」をなくして病気の「果」を結ばぬようにするのが、医者の分担であります。》(140〜144頁)

ここで申し上げたいのは、「縁」をなくしても、「因」があれば、また再発することも大いにあり得るということなのです。

で、「縁」の不思議さは、「縁」があれば必ずみんながそうなるとは限らないという点にあります。

『前掲書』は続けてこう言います。

《因縁二つ揃うて吾々の病気・不幸・災難というものは現れて来るのですから、「因」と「縁」とのうち、どちらをなくしても病気は消えるのです。
どちらをなくしても病気は消えますから、医学が病気を誘発する「縁」を研究して、その「縁」を除くために色々と努力してくれることは有難いことなのです。
しかし、今迄医学で病気の原因だと思われていたものは病気の助縁に過ぎないのであります。
冷たい風が風邪の原因ならば冷たい風に当る人は皆風邪を引かなければならないのに風邪を引かない人があるのは、冷たい風は風邪の縁であって原因ではないからです。
結核菌が肺病の原因であるならば結核菌に触れた人は全部肺病にならなければならないのに、必ずしも肺病にならないのは結核菌は肺病の原因ではなく、原因は「念」にあって、そういう「念」を蓄積した人が結核菌という「縁」に触れて肺病を形の世界に発芽させるのです。
ですから「縁」を断ち切ることは必要でありますが、「因」が心の世界に蓄積してある限りはいつかは「縁」に触れて果を結ぶのです。》(141〜142頁)

マスクをする、手洗いをする、三密を避ける等は、ここで言う「縁」に触れないようにするということに当たります。

しかし、それだけでは決して十分ではないのです。

続けてこうあります。

《如何に衛生に注意しても、如何に毎日強壮剤を服んでも栄養剤を食べても決して病気を起す「縁」に触れないというわけに行かない。
ですから、生長の家では出来るだけ自分達の心の世界に病気を起すような「因」を拵えないようにしておこうじゃないかというわけです。
また、今迄そういう「因」を心の世界に拵えたならば、その因を壊ってしまっておこうじゃないかというのであります。》(142〜143頁)

それでは、どうしたら「因」を拵えないですむか。

それには、悟るしかないのだと『前掲書』はこう切言します。

《この「肉体」を無いのだと忽然と悟るのです。
ありと見ゆれども本来ないのである。
そうなった時に吾々は、今まで犯したと見えるところの罪悉くが消えてしまうのです。
もうその時には自分の存在は肉体的存在ではなしに、ここに生きているところの生命は神の生命そのままである、大生命の生命そのままである、み仏の生命がここに生きているのである、と悟ることが出来るのです。
み仏に何の罪あらんや、大生命に何の罪あらんや、神に何の罪あらんや、ここにはもう罪がない!
罪がなければ罪の報いとしての病気もない!
災難もない!
不幸もない!ということが判るのであります。
かかる悟りに到達するのには、どうしたら好いか。
生長の家では、ただ只管『生命の實相』を読めというのであります。
理屈ではない、真行であります。
読み又読みさえすれば神のコトバでありますから、コトバの力で実相を悟ることが出来るのであります。》(151頁)

『生命の實相』を只管拝読する、それが悟りへの道だということです。

この『生命の實相』がなくてどうして「生長の家」を名乗ることができるでしょうか。

このコロナ禍、信徒としての真行に大いに励んでまいりましょう。



コロナ禍の恐怖感に満ちた人類意識≠「神の子・大安心」の意識に変えるのが、今日の人類光明化運動である… (13426)
日時:2021年05月26日 (水) 09時50分
名前:破邪顕正


『生命の實相』を拝読していると、50代60代で老人≠ニ見なされているというご文章に出会います。

それが、当時の、いわば人類意識≠セったということでしょう。

この人類意識≠ニいうものが、如何に大きな影響を及ぼすものであるか。

例えば、新編『幸福を招く365章』には「老衰を避けるには」と題してこうあります(176〜177頁)。

《人間は物質的肉体だと云う信念から人間は老衰するのである。この観念は人類一般に共通的に懐かれている考えであり、それが集って「人類意識」と云う大いなる意識の海原をなしているのである。人間はこの人類の一員として人類意識の影響を受けることなしに生活することは難かしい。従って、「人間は老衰する」と云う観念から完全に超出することは極めて困難である。従って真理を知ったと云う人でも多少は老衰して行きつつあるのである。だからと云って「仕方がない」と人類意識の波のまにまに沈没せしめられてしまってはならないのである。老衰を避けるには、先ず人間は肉体的存在だと云う観念を「人間は霊的存在であり、霊は老いず、傷つかず、病まざるものである」と云う観念に置きかえることが必要である。》

しかし、今は、どうでしょう。

60歳を老人≠ニは見ません。

それだけ、人類意識≠ェ変わったのです。

人生50年から、今や人生100年という時代へとなりましたから。

その伝でいうと、65歳を「前期高齢者」の仲間入りというのもナンダカナアと思ってしまいます。

そこへゆくと、アメリカの「シルバーの呼び方」には大いに学ばされます。

○65〜74歳は「ベビーオールド」(赤ちゃん老人)

○75〜84歳は「リトルオールド」(子供老人)

○85〜94歳は「ヤングオールド」(若い老人)

○95歳以上が 「リアルオールド」(ホントの老人)

閑話休題。

今日のコロナ禍、「人類意識」は今、不安、恐怖に包まれています。

だから、猫も杓子も、ワクチン接種へと殺到しているのでもありましょう。

ワクチンを接種すれば大丈夫という、今度はそういう人類意識≠ェ働いていると言えるのかもしれません。

それはそれとして、尊師の教えを学ぶ吾々はどうすべきか。

その答えが、『真理の吟唱』「恐怖を克服して不幸の根因を断つ祈り」にあるように思います(244頁)。

この中にこういうご文章があります。

《聖経『天使の言葉』には「恐怖滅すれば一切の不幸なし」と示されているのである。
恐怖心を起すものは、心に描いた恐怖すべきものを、自分の念の力によって引寄せ、それを実際に現実化するのである。
「旧約聖書」にあるヨブという聖者は実に立派な人であったが、恐れたが故にいろいろの艱難と苦痛とに遭い、「わが恐れたるところのものすべて我れに襲いかかれり」といって歎いているのである。
神は決してわれらに艱難を与え給うものでもなければ苦痛を与え給う方でもないのである。
艱難と苦痛とは決して神からきたらないのである。
それはみずから恐怖し恐怖によって恐るべきものを想像し、その想像力が具体化して艱難や苦痛があらわれるのである》

これが艱難や苦痛がなぜ現れるのかの手品の種≠ネのです。

種明かしされれば、なーんだということになります。

幽霊が怖いのは正体がわからないからこそです。

正体がわかれば、何も怖いことはありません。

そこで、『前掲書』はこういうのです。

《手品の種≠知ったのであるから、もう運命という手品師は、私たちを誤魔化して本来存在しない不幸・病気・貧乏・争いなどと称する艱難や苦痛を、あるかの如く現わして見せることはできないのである。》

こういう真理の言葉を拳々服膺して、潜在意識を浄め、あらゆる不安・恐怖心を取り除いていくこと、それが今日の人類光明化運動であると思う次第です。


コロナ禍の不安・恐怖を払拭するために、日々「神想観」に励みましょう… (13429)
日時:2021年05月28日 (金) 09時15分
名前:破邪顕正


なかなか終熄が見えない今日のコロナ禍、それでなくても不安、恐怖が募るというのに、それにマスコミの煽情的な報道が更に拍車をかけています。

何か、感染者数が減ったら都合が悪いような、嬉しくないような雰囲気が感じられて、実に不快です。

そこにきて、今度は立憲共産党≠ネどが、オリンピック中止を政治問題化にする挙に打って出ました。

それを「朝日新聞」は社説にまで書き立て、オリンピック中止の世論喚起に躍起となっています。

その一方で、「朝日新聞」は、オリンピックのオフィシャルパートナーに名を連ねているわけです。

何たる矛盾でしょうか。

結局、何でもかんでも、政権交代に利用できるものならば利用しようという魂胆があるからでしょう。

それが透けて見えるから、実に嫌な気分になるわけです。

日本がどんどん劣化しているようで、何だかいたたまれない気持ちになってしまいます。

問題は、そういう気分がどんどん潜在意識にたまることではないでしょうか。

コロナ禍で、国民の深層心理がどんどん悪くなっていっている、それを最も恐れます。

頭注版『生命の實相』第38巻「幸福篇下」にこうあります(93頁)。

《業が業として人間を縛るのは、心で業をつかむからである。もっともその「心」というのは現在意識ばかりではない。人類意識の通念(共通の観念)の中にあって動かされている個人の心は、無意識のうちに業をつかんでいるのであって、過去の波動をつかんで、それを実在のごとく見るのはちょうど映画において過去にロケーションしてフィルムに描いた光の波動が、ずっと後になって映画館で実在のごとく映写されて見えるのと同じことである。かくしてありもしない存在、ただの映像にすぎないものを実在するがごとく見るのである。かくして、貧乏や、病気や、いろいろの不幸災禍を見るのである。われわれはそのような不完全な姿を非実在と否定しなければならない。》

ここにあるように、今のコロナ禍も悪しき現象も、これはただの映像にすぎない≠ニいうことを改めて認識し直しましょう。

本来、実在するものではない…。

映像にすぎないものは、いずれは消えてなくなるのです。

夢から覚めれば、夢の世界は跡形もなく消えてしまうように、今、大事なことは目覚めること。

『真理の吟唱』「金剛不壊の真身を自覚する祈り」(283頁)の中にある、このご文章が目に留まりました。

《われ今、存在の実相を観ずるに、いかなる微生物といえども、存在する一切の生物(いきもの)の生命(いのち)は神よりいでたるものであるから、すべての微生物も生命(生命)を有する限り神の子であり、いかなるヴィールスも、細菌も、真菌も、原虫も、人間を侵害して病気を起さしめることはあり得ないのである。それゆえに、人間が微生物に侵されて病気に罹るなどということはこれまた夢であり、幻であるに過ぎないのである。夢よ覚めよ、幻よ覚めよ。覚めて汝が神の子≠ニして永遠に病まざる老いざる金剛不壊の真身を有することを自覚せよ。》

この自覚を深めるにはどうしたらいいか。

『前掲書』はこう言います。

《なお深くこの真理を潜在意識の底にまで印象せしめ給わんがために、我ら今、毎日神想観を修することを大神の御前に誓いたてまつる。》

善一元、光一元の実相世界を観ずる「神想観」に、より一層、励んでまいりましょう。




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