教団内分派≠ヘ家庭内別居≠ニ同じ。尊師からすればそれもまた歎きの対象とはなりませんか… (13384) |
- 日時:2021年05月11日 (火) 13時33分
名前:破邪顕正
分派≠ェ宗教法人となったことで、尊師が歎かれるという言い方をする人は、自分達が教団内分派≠ニして見られているという自覚がないのではないかと思われてなりません。
いくら現教団に所属しているからと言って、その存在は、現総裁にとっては、決して快く思われてはいないわけです。
それが証拠に、現総裁は、そういう人達をスリーパーセル≠ネどと称して指弾したではありませんか。
つまり、現総裁は、自分についていけないと思うのであれば、サッサと退会して出て行ってほしいと言ったわけです。
にもかかわらず、退会しないで、なおかつ現教団に留まって、内部で尊師の学びをするということは、現総裁が最も忌み嫌うことをやっているということになりはしませんか。
これを解りやすく言うならば、教団内分派≠フ存在は、いわば家庭内別居≠ノも当たるということなのです。
尊師からすれば、この家庭内別居≠烽ワた歎かれる、悲しまれるお話なのではありませんか。
谷口輝子先生が、尊師の最期のご様子を『白鳩』誌・昭和六十年十月号にお書き下さっています。
その中に、こういうご文章があります。
〈…十二日の午後十二時過ぎ、先生は、 「病院には食事が出るんじゃなかったですか」 と言われたので、看護婦さんに伝えると、午後五時三十分頃食事が届けられた。先生に、 「お粥と梅干でございます」と申上げ、お見せすると、先生は、 「僕は病人ではないから、お粥はいらない」 と言われた。その看護婦さんがお食事をすすめると、先生は顔を横にふられて、 「食事というものは一家団欒で食べるのを食事というんです」 と言われ、食事はなさいませんでした。〉
家庭内別居≠ヘこの一家団欒を壊すものに他なりません。
そうであれば、教団内分派≠フ皆さんが、外に出た吾々の宗教法人取得を尊師は悲しまれていると断ずるのには、とても納得がいきません。
だって、そういう皆さんもまた家庭内別居≠ニして尊師は悲しまれている存在して見られていると思うからです。
こちらへ向けたブーメランは、皆様も受けなくてはならいということです。
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