「母の日」を迎えて、改めて「住吉大神」を脇神に押しやったことの間違いを思う… (13381) |
- 日時:2021年05月10日 (月) 17時02分
名前:破邪顕正
昨日(5月9日)は「母の日」でした。
この「母の日」で思い出すのが、詩人・三好達治の言葉です。
〈海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がいる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある〉
こういうことです。
海という漢字には、母という言葉が入っている。
一方、フランス語は、逆に母(la mere)の中に海(la mer)が入っているというわけです。
「母なる海」という表現もありますように、海はすべての生命の源です。
その発想から、日本語もフランス語も海と母とを結びつけたのではないでしょうか。
実際、「うみ」は「産む」の産み≠ノも通じます。
この「母」という漢字の成り立ちは、「女」という文字に、乳房を表す2つの点(ヽ)を加えた象形文字でできています。
母の子宮(子の宮と書くところがまた素晴らしい)で、十月十日を過ごし、産道(子の宮ですから参道≠ナもあるわけです)を通って、神の子が生まれてくる…。
で、生まれてからはその乳房で神の子は大きく育っていく…。
それへの感謝の思いを現すのが「母の日」なのだと思います。
で、この「産み」「海」で思い出すのが『美しき日本の再建』のこのお言葉です(155〜156頁)。
《塩椎神は水火津霊神(しほつちのかみ)であり、陰(水)と陽(火)を連結(津、つなぐ、つづける等)して、一切を生み出し給う実相・竜宮海の創造神にましまし、産み≠フ本源神であるから、海の神≠もって表現し、綿津見大神とも申し上げるのである。 ワダとは海原のことであり津≠ヘ接続しであり見≠ヘ身≠フ発音類似のアテ字≠ナあって、本体≠ニいうことを意味する。 それゆえにワダツミノ大神とは、「産み(創造)の御本体の大神」を意味するのである。 水火津霊大神と申上げるときは、その陰陽和合して一切を産み給う御はたらきの方に重点を措いた表現であり、住吉大神と申上げる場合は、その創造の御はたらきを汚れなき状態にあらしめて住み吉き世界を実現するための創造の御はたらきを浄化し給う御使命を表現した御神名であり、綿津見大神、塩椎大神、住吉大神は三神にして同時に一神にてましますのである。》
ご存じのように、現教団は、この住吉大神を脇神にして、所謂造化の三神≠勧請したわけですが、これはやはりやってはならない、神様を冒涜する以外の何ものでもないと改めて思います。
本来ならば、綿津見大神、塩椎大神、住吉大神は三神にして同時に一神にてまします≠アのことをこそ伝え遺さなければならなかったのではないのか…。
「母の日」に因んで、そういうことを考えさせられた次第です。
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