『“新しい文明”を築こう 中巻 実践篇』において、先祖供養祭で「讃歌」を読誦することが、はっきりと記されています!つまり、これが現教団の方針なのです! (13378) |
- 日時:2021年05月09日 (日) 17時22分
名前:破邪顕正
東京第二教区の三浦教化部長、福岡教区の大塚教化部長はいずれも参議長経験者です。
前者は、教区の機関紙において、こう書いています。
〈聖経『甘露の法雨』など聖経等の読誦は、最も貴い「法施」であると云えます〉
何故、「聖経」といわず、わざわざ聖経等≠ニ記さなければならなかったのか。
で、後者は、堂々と『観世音菩薩讃歌』での招霊を実修しています。
つまり、この二人の参議長経験者によって、もはや現教団の先祖供養祭においては、『讃歌』を読誦することが一つの既定路線であるということなのです。
それもその筈、表題に掲げたように、そのことは既に『“新しい文明”を築こう 中巻 実践篇』に、「祖先供養及び霊魂祭祀の方法(要項)」と題して、次のように記されているのです(251頁)。
〈四、聖経または讃歌の読誦
次に、聖経または讃歌を読誦します。その前に次のように唱えます。 「唯今、これより生長の家の『○○○○』という聖経(讃歌)を読みます。この聖経(讃歌)はあなたが先祖代々伝承して来られた××教の教えの真理を、わかり易く現代語に表現したものですから、心を集中してお聴き頂き悟りを開き、仏の境涯に達し給え。今後は毎日この時間に読誦いたします」〉
ここで、興味深いのは、三浦教化部長は、どうして聖経等≠ニいう表現を用いたのかということなのです。
はっきりと、現教団の方針にあるとおり、こう書けば好かったのです。
〈聖経『甘露の法雨』や『観世音菩薩讃歌』の読誦は、最も貴い「法施」であると云えます〉
私は、そう書けなかったところに、三浦教化部長の本心が透けて見えたような気がしています。
つまり、三浦教化部長にしてからも、『観世音菩薩讃歌』の読誦は、最も貴い「法施」である≠ニまでは言い切れない…。
内心、先祖供養は「聖経」だけでいいのだがな…という思いが、心のどこかにある…。
かといって、参議長経験者としては、本部方針に反することはできない…。
だから、聖経等≠ニいう表現で、苦渋の誤魔化しをした…。
そういうことではなかったか。
何を申し上げたいか。
結局、みんな、本音では、「聖経」だけの読誦でいいと思っているということなのです。
そういう本音を隠したところで実修される現教団の先祖供養祭。
それで、果たして、本当にご先祖さまの御霊が救われるものなのでしょうか。
そこのところをぜひ、お考えいただければと思うものであります。
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