智慧のない愛≠ナはないのかと憂えます… (13302) |
- 日時:2021年04月13日 (火) 09時17分
名前:破邪顕正
「立葵」さんの投稿を読んで、私が思ったのが、谷口輝子先生の『めざめゆく魂』にある、尊師のこのお言葉です(145頁)。
《「愛だけあって、智慧と生命とが欠けていたのだね。 智慧のない愛であったから、悪人に利用されるだけで自分は失う一方だった。 明るい智慧がないから悪人にはますます悪を増長させ、光へ導くことができなかったのだ。 ただ善良だというだけでは駄目だ。 生命の生々と躍動している善良さでなくては生長はしない。 微笑の奥に、平和の底に、生命の生々しさのないものであったらそれは力のない善さであって、発達向上はしないものだ。 智慧と生命との伴わない愛は完全な愛ではない。 本当に自己を生かし、また他をも生かすには、智慧と生命の融け合った愛でなくてはならないのだ。」》
ここに言われる智慧≠私はどう捉えているか。
「女性宮家」といい「女系天皇」といい、それを推進すべく蠢く政治勢力とは何か。
それを見抜く力だと思っています。
「立葵」さんの言葉を借りれば、将来的には皇統を断絶させたい勢力の深謀遠慮≠ニいうことになります。
ただ善良≠ニいう人は、どういう人か。
結果を見て、こんなことになるとは思っていなかった…。
そんな筈ではなかったのに…。
こういうことを言う人なのだろうと思っています。
天皇制打倒を叫んでいた日本共産党が、なぜ、ここにきて猫なで声で「女系天皇」推進を言いはじめたのか…。
そういうことを少しでも考えてみる…。
その想像力がどうして働かないのか…。
そういう人は、当然、利用されるだけ≠ニいうことにも思い及ばないのでしょうね。
改めて、尊師の教えを深く学ばないとただ善良≠ナ終わってしまう、そんなことを考えています。
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