《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「トキ」さんの二つの投稿から、現総裁は確信犯≠ニいうよりかは、もしかしたら生長の家赤化工作員≠ニ見たがいいのではないのか… (13282)
日時:2021年03月22日 (月) 09時26分
名前:破邪顕正


所謂、「トキ掲示板」に注目すべき投稿がありました。

全文はそちらを見ていただくとして、私の関心事の箇所のみ、引かせていただきます。

〈雑感 (39826)
日時:2021年03月20日 (土) 22時26分
名前:トキ

 私の周囲では、もう総裁がいうことを真に受ける人はほとんどいません。最近では、機関誌のみても石を拝み出したので、私の知人の役職者は「とうとうここまできたか」と嘆息しているぐらいです。以前は、総裁の方針に疑問を呈する人には、偉い人はあれやこれやと屁理屈を並べて「現在の総裁は、谷口雅春先生の教えの忠実な継承者」と信徒を説得しようとしておりましたが、最近は、そういう姿勢も見せていません。もう、誰がみても総裁の言っていることが、谷口雅春先生の教えから逸脱しているのは明らかだからでしょう。もちろん、何万人もまだ信徒がいますから、中には総裁を援護する人もいます。ただ、そういう人が総裁の言う教義を伝道しているともあまり聞かないので、組織はこの先、衰退の一途をたどります。(略)

 では、生長の家の衰退を総裁個人の責任だけにしても良いのか。私は、総裁の暴走もさることながら、それを容易にした組織上の問題点、特に総裁の独裁を合理化した教義のあり方を再検討するべきだと思います。今回はたまたま左の暴走でしたが、今度、別の総裁が出たら、右の暴走もありえるかもしれません。純粋な生命の実相に書かれている通りの信仰への回帰が必要ではないか、と感じる次第です。〉

ここで、「トキ」さんが指摘している総裁の独裁を合理化した教義のあり方を再検討するべき≠ェ具体的に何を指すのか、それが詳らかではない憾みはありますが、もしそれが「生長の家大神−総裁・副総裁−御教」を指すのであれば、私は賛意を表します。

これについては、私もかつてこう書いたことがあります。

……………………………………………………、

“不要なものは処理した”という言葉から垣間見える世界とは… (12548)
日時:2020年08月16日 (日) 14時06分
名前:破邪顕正

表題にある“不要なもの”という判断は、言うまでもなく、総裁自身によるものです。

そして、そう判断したら、そのまま「処理」することもできる…。

これをもって、私は、もはやこれは“総裁”でもなんでもない、これは“独裁”そのものであると言っているわけです。

それでは、その所謂、絶対権限は一体、どこに由来するのか。

そう考えたときに、俄に浮かび上がってくるのが、「人類光明化運動指針」の【第九条】にほかなりません。

まさしく、これこそが、総裁に絶対権限を付与した根因であると私は見ています。

それを誰よりもよく知悉していたのが、他ならぬ総裁自身だったのではないでしょうか…。

だからこそ、この度の『“新しい文明”を築こう』上巻において「人類光明化運動指針」13箇条の中から【第九条】のみを掲載しているのだと思うのです(76頁〜)。

「生長の家大神−総裁・副総裁−御教」

つまり、これによって、総裁は何を手中にし得たのか。

「総裁」に就いた瞬間、自らが最上位となり、過去の総裁の発言は、どのようにでも処理できる権能を有したということなのです。

創始者だろうが、何だろうが、どうにでもできるのが「総裁」である…。

「総裁」の考え方、それ次第で、教義であろうと運動であろうと何でも自分の思いのままに自由に変えることができる…。(中略)

つまり、信徒は、この【第九条】に縛られて、総裁にハイ≠キるしかできないように仕向けられていくのです…。

「総裁」に依存して生きるしかないのです…。

そういう総裁の絶対権限下で、果たして、尊師の教えを護り抜いていくことができるのか、そのことを本気で考えてほしいと思っています。

………………………………………………

もう一つの注目すべき投稿がこれです。

〈共産党と公明党 (39845)
日時:2021年03月22日 (月) 00時48分
名前:トキ

 最初にお断りしておきますが、私は、教団は政治とは距離を置くべきだと考えております。本来、ここにも私は政治のネタは書くべきではないと考えております。その上であえて書きます。

 こんな記事がありました。

「40年来の公明支持者」装った共産党地区幹部、盲点はファクスの「発信元」」

https://news.yahoo.co.jp/articles/c54c9e0dd084a230dde2ae2f6fc37a2bdaaf7d63

 基本的に、これは公明党や創価学会と共産党のことですから、関わるべきではないのです。

 ただ、40年来の公明党支持者(つまりは創価学会員)を装って公明党の政治家に方針を変えろと圧力をかけたのですが、それをしたのが共産党の現役の幹部で、共産党の施設からファックスを送ったと言うのです。末端の会員がしたと言うのなら個人の暴走で済む話ですが、上級幹部がしたと言うことは組織的な関与が疑われる事案です。今回は、たまたま公明党が相手だったが、他の組織に対しても同様の行為をしていても不思議ではないと感じます。

 実は、最近の生長の家の無茶苦茶な指導内容を見て、外部の影響を指摘する声は出ています。私は具体的な証拠を知りませんが、それを憂いる声は私も聞いております。今回は共産党を例にあげましたが、他の組織の影響力を指摘する声もあります。

 会員各位は、本部の言うことを盲従しない姿勢が必要だと思います。〉

ご存じのように、私は一貫して、現総裁のことを確信犯≠セと評してきました。

「鎮護国家」「愛国思想」が嫌いで、その教えを何としても「生長の家」から排除したい…。

そういう意味での確信犯≠セと思っていたのです。

しかし、「日本学術会議」の件があって以降、もはや、現総裁は単なる左翼思想をもった確信犯≠ニいう次元に留まらないのではないのか…。

端っから、「生長の家」をして日本共産党のフロント組織に切り替える、そういう意図をもって乗り込んできたのではないのか…。

日本共産党は、創価学会に40年にもわたって入り込んで工作活動を行っていたという事実を私は決して他人事とは思いません。

日本共産党の工作は、当然、「生長の家」教団内にも及んでいる、そう見たがいいと思うのです。

そして、その日本共産党の赤い魔手が「現総裁」にまで伸びていたとしたら…。

現総裁一人の個人的な左翼思想から始まったことではなく、その背後で、日本共産党の工作が蠢いていたとすれば…、生長の家赤化工作の一貫としてあったと考えてみれば、全てが腑に落ちるのです…。

もはや、「トキ」さんがいうような会員各位は、本部の言うことを盲従しない姿勢が必要だと思います≠ニいうレベルを超えて、現総裁のトップダウンによる赤化工作を如何にして阻止するか…。

その工作から信徒を如何にして救うべきか…。

そういう段階にきているのではないのか、そう思うものであります。


「トキ」さんの投稿にあった石を拝み出した≠ニいう意味をご紹介します。どうも現教団は、石≠フ信仰に突入したようです… (13284)
日時:2021年03月23日 (火) 12時35分
名前:破邪顕正

表題の件は、2月24日付けで、全国の教化部長宛てに送付された2021年4月度/5月度「地方講師・光明実践委員研修会」のテーマについて≠フ5月度の資料に詳しく紹介されています。

これを知ったら、「トキ」さんならずとも、本当に「教団は大丈夫か?」と呆れかえってしまうのも無理はないのではないでしょうか。

それでは、その呆れかえってしまう実態をご紹介します。

…………………………………………

<2021年5月度>
◎テーマ:「石上げ」とは何か。

※機関誌『生長の家』2021年2月号に掲載されている、総裁・谷口雅宣先生のご文章「八ヶ岳で石を上げる」を精読し、また、生長の家総裁のFacebookページ動画【九折スタジオから㊹】―石の力」を視聴して、以下のポイントについて理解を深める。

▲生長の家国際本部で始まった「石上げの行」とはどのようなものか。
▲石と人間との関係性は、古来どのようなものであったか。

◎テキストおよび動画:
@機関誌「生長の家」2021年2月号(4〜9頁)
A生長の家総裁のFacebookページ動画【九折スタジオから49】―石の力
※生長の家総裁の動画リンク一覧↓
https://snivideolinks.ubemstudygroup.com/home/p_listoflinks/

◎サブテキスト:
@機関誌『生長の家』2020年9月号(4~16頁)「石と信仰(1)」
A機関誌『生長の家』2020年10月号(4~15頁)「石と信仰(2)」

<テキスト@からの引用文>
 今日は皆さんに、最近“森の中のオフィス”で始まった新しい儀式についてご紹介したいと思います。オフィスの敷地内のエネルギー塔と呼ばれる場所の北側に、祠があります。今までは小川のほとりにあったのですが、このたび移設しました。皆さんもご存知だと思いますが、天之御中主大神、高御産巣日神、神産巣日神の造化の三神を祀ったお社です。この祠のすぐ後ろに、大きな岩があり、私たちはこれを「ムスビ岩」と呼んでいます。なぜムスビかというと、もともと一つだった岩が二つに割れているからです。
 このムスビ岩の周りに石を並べました。ピンと来る方もいらっしゃると思いますが、縄文時代からある風習といいますか、宗教儀式の原型――最も古い形のものを再現いたしまして、「ムスビの庭」を作りました。環状列石という言葉を使うこともありますが、そういうものを作り、この一番大きなムスビ岩の北側に、私たちが三角形を刻んだ石を納めるという儀式を始めたのです。

………………………………………………

ここまで読んで、如何ですか。

“森の中のオフィス”では、こんな儀式を執り行っていたのですね。

まるで、縄文時代に帰ろう…、といわんばかりです。

それで思い出したのが、「原始共産主義社会」という世界です。

現総裁の奥底には、どうも「共産主義思想」への憧れが蠢いているように思えてなりません。

現教団信徒は、こういうことに付き合わされるわけですね。

では、この文中に出て来る文言をピックアップして、その面妖ぶりを確認していくことにいたします。

〈石上げでは、先ほど述べたムスビの働きを強く心に意識します。まず三角形の底辺を結ぶ点――右でも左でもいいですが一一の一方に穴を開けます。その時に「これは今の自分である」と強く念じながら穴を開けます。簡単には開きませんから、ハンマーとタガネを使いますが、その間ずっと「これは私です」と念じます。〉

穴を開けるとき、「これは私です」と念じます≠チて、、こんなことを念ずるのが「今の教え」ということなのですかね。

さて、次にこうあります。

〈一点目が開いたら、底辺を結ぶもう一方の点を刻みます。人間はいろんな課題を持って人生を生きています。その課題がもう片方の底辺の点であると考えます。「これが今の私の直面している問題である」という念を強く持ちながら穴を開けます。〉

穴を開けようが開けまいが、「これが今の私の直面している問題である」というのは、本人が一番、分かっていることなのではありませんか。

何故、こんなことをしなければならないのか、もう頭がおかしくなりそうです。

で、こう続くわけです。

〈三点目は、この「自分」と「課題」のムスビを考える。ムスビというのは、二つとは異なる新価値が生まれるということでしたね。ですから、「この二つのものをムスビ合わせる解決法が必ずある」と念じながら、三番目に頂点の穴を開けます。〉

いやはや、こんなことをしないと問題解決が見えないなんて、オカシイでしょう。

『聖典』の中に、すべての解決の道があるというのが、本来の教えではなかったのですか。

読んでいて、何か、とんでもない世界に迷い込んだような錯覚を覚えます。

いよいよ、結論部分です。

〈こうして刻んだ石を、自転車に乗る人は自転車で、徒歩の人は徒歩で、バッグに入れて背負いオフィスまで、または天女山まで持ち上げます。その時に、自分が刻んだ三角形のことを強く意識しながら登ります。そして、オフィスのムスビの庭に納める――こういうことをやっていくのです。
 自分が具体的にどんな課題を持っているかということは、その人だけが知っていればいいので、人に大声でいう必要は別にありません。まあ、言ってもいいですけれども、それは成功した時に、つまり、この三点目が成就した時に発表されると、立派な体験談になると思います。〉

果たして、ここから、どんな体験談≠ェ生まれるというのでしょうか。

もう、これは完全なカルト≠ニ言ってもいいのではないでしょうか。

だって、石を運んでそれを納めるという光景を、第三者が見れば、これはカルト≠セと思っても何ら不思議ではないと私は思います。

こういう話を教化部長や講師は信徒に対して話しをしないといけないわけです。

そのための「通達」なのですから…。

信徒の皆さん、こういうことを本気で学びたいと思いますか。

これが本当に「生長の家」の、今、なすべき儀式だと思いますか。

現実をしっかと見つめるトキがきたのではありませんか。

もう、これは完全にオカシイ!

こんなものは「生長の家」でも何でも無い!

それをはっきりと言挙げすべきトキがきたのではないでしょうか。

そういう信徒が現れることを心から願って已みません。



石ころを神様と考える人もあり(『生命の實相』「女性篇」)…奇を衒って石≠拝むような教えを説くのは、尊師の教えに反するのではないのか?! (13293)
日時:2021年04月08日 (木) 10時59分
名前:破邪顕正


新編『生命の實相』が発刊される度に、新鮮な気持ちで拝読させていただいております。

この度、今回の全国大会の開催を期して、第46巻「女性篇」の下巻が発刊されることとなりました。

早速、拝読していたら、表題の言葉と出会いました。

こういうことです。

「人間は神の子」と言っても、その神が何であるかが分からなければ、とんだ勘違いをしてしまう…。

よく「鰯の頭も信心から」という表現を耳にすることがあります。

これは、鰯の頭のようなつまらないものでも、信仰すれば非常に尊いものに見えるということから、信仰心の不思議さをたとえたことわざですが、大体は宗教を皮肉るような場合に使われているような気がします。

つまり、「神の子」という教えが本来の意味をもつのには、神の概念をしっかりと把握しておくということが大前提であるということであります。

で、それを踏まえて、前掲書はこういうのです。

《神さまはお宮の中に、仏様はお寺の中にいつも鎮まりますと考えている人もあります。
中には石ころを神様と考えている人もあり、或は御幣を神様であると考えて、神様そのものと「御神体」という礼拝の時の対照になるアンテナとを混同してしまっている人もあります。
…人間は神の子であると申しましても、その神という言葉の内容如何によっては有難くもあれば有難くもないわけであります。
それでは生長の家ではどういうものを「神」というのであるかといいますと、「神」とは円満完全、光明無限、生命無限、智慧無限、愛無限、調和無限、供給無限、自由無限、一切幸福の源泉である、これが「神」であると申すのであります。》(55〜57頁)

この後、光明無限、生命無限、智慧無限、愛無限、調和無限のそれぞれの意味が説かれていきます。

詳細は、それを、お読みいただくとして、改めて思うのは、現総裁は「自然」に余りにも固執し過ぎて、とうとう「石ころ」まで拝ませるような、本来の教えから甚だしく逸脱したことを説きはじめているという気がします。

今回のこともそうですが、現総裁が説こうとすることは、『生命の實相』を拝読していれば、とても首肯でき得ない、そういうことが随所に出てくるわけです。

現総裁にすれば、常に、自分の説きたい、説こうとすることの眼前に『生命の實相』が立ちはだかる…。

目障りで仕方が無い…。

そういう心証を、現総裁は十分にもっていたに相違ないと確信します。

だから、もし、現総裁が『生命の實相』の著作権を手中におさめていたら、早晩、その絶版に手を染めていただろうことは想像に難くありません。

だから、最高裁で、その著作権が(公財)生長の家社会事業団にあると最終判決を見たことは、まさしく神佑天助であった…、これで『生命の實相』は護られた…、そう言うのも決して故なしとはしないのです。

おそらく、現総裁にしてみれば、総裁としての独自色を出したくて、奇を衒った話を持ち出しては信徒の耳目を惹きたいのかもしれませんが、その悉くがズレている…。

そんな気がしてなりません。

否、確信犯≠フ現総裁のことですから、こういう尊師の教えとは違うことを敢えて説いて、それで篩に掛け、それでも自分についてくるという信徒だけを残そうとしている…。

だから、信徒が半減しようが、1/3になろうが構わない…。

愛国の柱であった「生長の家」を左翼教団に変質させることができたら、それをもって瞑すべし…。

案外、そんな思惑でやっているのではないのか、私はそんな思いで現総裁のことを見ています。

だからこそ、現総裁の、その赤化の魔手≠ゥら、如何にして心ある信徒を救い出すか…。

教団を退会して者として、それは一貫した使命であると思っています。




「トキ」さんの、その持論の「べき論」をどうしたら実現できるのか、それをこそ目指してまいります… (13295)
日時:2021年04月10日 (土) 13時51分
名前:破邪顕正


怒りの正体とは何か、それは「べき」という言葉であるという話があります。

「〜すべき」「〜すべきでない」という、その「べき」です。

私たちが怒るのは、自分が信じている「べき」が目の前で裏切られるからです。

これを持ち出したのは他でもありません、「トキ」さんの投稿に、いつもそれを感ずるからです。

以前にも書きましたが、「トキ」さんの話はいつも「べき論」で終わる…。

その「べき論」には、私なりに納得することも多々ありますし、そうあったらどれほどいいかと思うことも度々です。

だから、「トキ」さんのことを教団内本流派≠ニ称し、私なりに支援していきたいとは思っています。

しかし、その立ち位置の限界というのも自ずからあるように思うのです。

最近の投稿にも、それを感じます。

……………………………………

パラダイムシフト (40102)
日時:2021年04月05日 (月) 01時32分
名前:トキ

 コロナのため、生長の家ではリアルの行事は全て中止です。結果として、教区の収入は激減し、予算も削減。職員のボーナスも減少しています。(これは教区職員で、本部員の給与のことは知りません。)会員の減少も目立ちます。

 先日、旧知の本部員に「会員が激減して、教区の職員でも転職できそうな人は転職を始めていますが、本部員は安泰ですね」と言ったら、「本部も教区に支えられているのだから、教区が衰退したら、本部もダメだよ」と反論されました。4代目と目される人の講話もネットで見られますが、やはり環境の話で、「これではダメだ」と将来を悲観した本部員も転職を考えている人がいるみたいです。

 そのため、オンラインでの行事で起死回生を図ろうと本部は考えているみたいです。で、「ネットで新しい会員を増やしてください。」と言いだし、「パラダイムシフト」なることを推奨しております。

 確かに、ユーチューブを見ても、ネットで影響力を増やしている人は多いです。が、本部が見落としている点があります。

 それは、コンテンツの内容です。

 テレビタレントがyou tubeをしているのは、コンテンツに自信があるからです。ネットの世界では、肩書きではなくて、実力がシビアに問われます。今でも、徳久先生の話が人気があるのは、古くても内容が説得力があるからです。

 ところが、現在、本部はネットでは、本部が認めたごく少数の人しか講話を認めていません。すると、内容は金太郎飴みたいな内容になります。とても、それを見て生長の家に入ろうとはしないでしょう。

 つまり、ネットの世界で勝負するという発想は正しいが、そのコンテンツとして、谷口雅春先生のご講話ではなくて、今の環境路線を採用しては、とても人々に訴求しないのです。

 この点、本部が気がつかれることを望みます。

………………………………………………

これを読みながら、フト、思い出した話があります。

以前、講習会では、教化部長が前講するという時代がありました。

そのとき、教化部長間に流れた話というのが、これです。

「総裁先生よりもいい話をしてはいけない、いい話をしたら先生から睨まれるからな」

何を申し上げたいか。

現総裁は、自らは多様性の意義を強調するが、しかし、当の本人はそれを教団の講師に求めることはしないということです。

それが証拠に、「トキ」さんも指摘しているように、「本部が認めたごく少数の人しか講話を認めていません。すると、内容は金太郎飴みたいな内容になります。」という実態があるわけです。

どうして、そうなるのか。

そうなるのにはそうなるだけの当然の理由があるのです。

それは、「トキ」さんも言及しているように、現総裁が、尊師の教えを嫌い、自分好みの「左翼思想・環境問題路線」に固執しているがゆえです。

現総裁が「総裁」に留まっている限り、「この点、本部が気がつかれることを望みます」といくら「トキ」さんが願おうとも、それを現教団が受け容れることはない…私はそう断じます。

それでは、どうしたらいいのか。

信徒の中には、現総裁が退陣して、新たに4代目が就任することをひたすら、こいねがう向きもあるようですが、そんな他力本願でいいのだろうか…。

その日をただ待つだけ、それまではじっと辛抱し続けるという生き方でいいのだろうか…。

その4代目が「尊師の教えに帰れ」と言ってくれる人であればまだしも、もし現総裁と同じであるならば、いったい、どうするのか…。

世情、その有力な4代目候補と目される、谷口暁子さんについては、こんな投稿まで出ています。

〈谷口暁子さんのご紹介ありがとうございます
残念ながら飽きてしまい、最後まで視聴できませんでした。〉

ここに、私は、代替わりをひたすら願望、待望、切望≠キる生き方の限界性を見たような気がします。

あたら人生をそこに賭ける、それまでは辛抱する…。

その果てに待っているものが、失望、落胆、絶望の世界だとしたら…。

想像するだにオソロシイです…。

望むべき状況が待てど暮らせど来たらない…。

ある時点で、そう見切ったら、いつまでもそこに恋々とせず、思い切って自ら状況を切り拓くことに賭ける…。

同じ賭けるのであれば、私は後者に賭けたい、そう思うものであります。

たとい、その結果が、日の目を見ないという残念な結果に終わろうとも、それに主体的に関わったという自己満足感だけは、後者にはあると思うからです。

しかし、だからといって、賭ける以上は、むざむざ、失敗を思ってやるわけではありません。

必ずや日の目を見るよう、精一杯、やっていきたいと思っています。

そして、その結果で、現教団に見切りをつける人を陸続と生み出していく…。

その勝算は十分にあると私は思っています。

何故と言って、それは、「トキ」さんも指摘するように、「コンテンツ」の内容次第であると思うからです。

私どもには、尊師の深いお悟り、真理があります。

それで十分に勝負できます!

現教団が真理から離れれば離れるほど、その状況が私どもに味方してくれる、そう確信しております。

「トキ」さんは、現教団に留まる以上、情報発信に自ずから制約を受けざるを得ません。

だから、ひたすら「べき論」や「願望論」を述べていくしかない…。

それに対して、こちらは、自由に、何の制約もなく、思う存分、真理発信ができる…。

現教団と離れた、その立ち位置の長所、利点を遺憾なく発揮して、また宗教法人の認証を得たという立場を生かして、大いなる展望を切り拓いていきたいと思っております。


石ころを神様と考える人もあり(『生命の實相』「女性篇」)…  (13296)
日時:2021年04月10日 (土) 16時50分
名前:月見草

「破邪顕正」さまへ

"石ころ"が書いてあることに 驚きました。


石ころを神様と考える人もあり(『生命の實相』「女性篇」)


『生命の実相』には、総てが書いてあるのですね。

神様は、尊師は、全てを分かっておられたのですね。


先月でしたか、長く教化部職員をされた方から お電話を頂きました。

「現総裁が、石を運んだり 拝んだりするように言い出した…。ここまで来ると、教団信徒も 現総裁の言うことが本当にオカシイと思う人が 沢山出て来たよ。」とのお話でした。

また、「近くの学ぶ会の集まりにも出てみようと思う。」と仰っていました。

本当に 尊師の教えとは異なるものですね。

「月見草」さん、現場の声を届けていただき感謝申し上げます。 (13301)
日時:2021年04月13日 (火) 08時43分
名前:破邪顕正


投稿、誠にありがとうございます。

教団信徒の皆さんの戸惑いというか、呆れかえった様子が窺えて、とても有り難い情報でした。

この方のように、現教団に愛想を尽かした信徒さんが、これからもどんどん増えてくるものと思います。

行き先を失った信徒さんの、よき受け皿≠ニして、そのご期待にお応えできるような「谷口雅春先生を学ぶ会」でありたいと心から願っています。

ともに精進してまいりましょう。



目が死んでいる≠アれは潰れる会社の特徴として指摘される話ではないか… (13304)
日時:2021年04月13日 (火) 13時15分
名前:破邪顕正


表題は、「トキ」さんの投稿の中にあったものです。

今回も、「トキ」さんには教団内の事情を知らせていただき感謝申し上げます。

……………………………………

オンライン行事にて (40260)
日時:2021年04月13日 (火) 01時17分
名前:トキ

 生長の家では、コロナで講習会も幹部研鑽会も中止になりました。オンラインで代替行事をしております。

 このオンライン行事で、私が青年会時代に知っていたある人物がスピーチをするので、ネット上で参加しました。

 久しぶりにお会いできるので楽しみにしておりました。が、何十年ぶりに見る顔は、疲れた様子で、顔つきも悪くなっていました。昔は、爽やかで、結構、良い顔をしていたので驚きました。

 次に、スピーチがつまらない! 環境の話ですが、つまらないので、眠たかったです。

 最後に、目が死んでいると感じました。

 結局、「かわいそうだなあ」と感じただけでした。

 昔のその人を知っていただけに、悲しかったです。

………………………………………………

今回のコロナ禍で、倒産件数が増えているという話をよく耳にします。

そうなるにはそうなる理由があるようで、まずは、それをご紹介します。

(1)潰れる会社の社長・経営者の特徴、共通点

@とにかくワンマン
Aどんなに無能でもイエスマンを厚遇
B現場や仕事を知らなすぎる
C数字にめっぽう弱い
Dミスや失敗を人のせいにする
Eお金の使い方がおかしい
Fそれでも文句も言えないし提案もできない

(2)潰れる会社の社員の特徴、傾向、雰囲気

@疲れ果て目が死んでいる、精神が病んでいる
A机に求人誌が置いてある、仕事中に転職サイトを見ている
B会社も仕事もどうでもいいと思っている
C表面上のイエスマンを演じている

(3)潰れる会社の雰囲気、社風の特徴と傾向

@管理職含め、人が育っていない
A相談しても精神論ばかり
B離職率が高く、社員数は多いのに人手不足状態
C蹴落とし合いで人間関係が最悪

もとより、現教団には尊師が残された大いなる資産(一説には1,000億円とも言われます)がありますので、俄に潰れるということはないでしょう。

しかし、教団内の雰囲気が眼に見えて悪化しているのは、この投稿を見ても分かります。

その根因は、一にかかって現総裁にあると私は断言します。

@とにかくワンマン
…今の教団は総裁専制体制

Aどんなに無能でもイエスマンを厚遇
…現総裁をヨイショする人ばかりを重用

B現場や仕事を知らなすぎる
…信徒のニーズに応えようとする気が更々無い

C数字にめっぽう弱い
…どんなに教勢が悪化しようが我関せず

Dミスや失敗を人のせいにする
…講習会で前回の成果を下回ると、総裁はその理由を聞くそうです。教化部長が「私の不徳の致すところ」と言うと、「そんなものは答えになっていない」とはねつける。「総裁先生の講話に魅力が無いからです」という本音が言えないから、教化部長はひたすら耐えて黙るしかない…。これが講習会終了後の幹部会だそうです。

Eお金の使い方がおかしい
…電気自動車用の充電機とかソーラーパネルとかに使う。

Fそれでも文句も言えないし提案もできない
…だから、「神観」が変更になっても唯々諾々としてそれに従うしかないし、コロナ禍にあって自転車リレーなんかを実施するということにも反対できない。

今、アメリカのバイデン政権が、お隣の国の大統領のことを人権無視の人権派大統領≠ニ認定したということが話題となっていますが、その顰みに倣えば、生長の家教義無視の生長の家総裁≠ニいうのが現総裁ではないかと私は思っています。

現教団信徒の皆さんも、それから本部職員の皆さんも、これからの教団の行く末に大いなる不安感を拭い得ないのではないでしょうか。

だからと言って、今更、違う道を歩むのも何だかなあ…。

それが分かるだけに、受け皿≠ニして、更に大きく発展していかなければならないと思っている次第です。


このままでは破綻する≠サれでは破綻しないためにどうすればいいかということになると今一つ説得力に欠けるような気がしてなりませんが… (13310)
日時:2021年04月15日 (木) 12時53分
名前:破邪顕正

表題は、「トキ」さんの投稿を読んでの率直な感想です。

結局、教団内本流派≠フ限界が、今回の「トキ」さんの投稿にも、如実に示されている、そう思います。

……………………………………

遅くなりました (40390)
日時:2021年04月15日 (木) 08時15分
名前:トキ

 私の周囲でも、後日、感想を尋ねると、全員が低評価でした。

 「ご家族がいるので、仕方がないのでしょうが、つまらない話でした。」
「私も、青年会時代、本部に来ないか、と誘われましたが、断っておいてよかったです! 本部に行ったら、生活のために、ああなるのですね。」
「教化部でも、ネットに接続できない人のために上映会がされましたが、みんな、寝ていましたよ」

と言う返答でした。

 にも関わらず、本部は「石」の信仰に邁進をしております。

 現在、組織内では、ある人が、4代目の総裁の最有力候補とされています。当然、この人の言われることも、現在の総裁の方針を踏襲するものです。が、仮にこの人が4代目になり、同じ事を言ったら、おそらく部内はますます組織から離反し、結局、組織は破綻すると思います。そうならないためにも、組織内で、正しい信仰を維持することが大事だと思います。

…………………………………………

なるほど「正しい信仰を維持する」それは分かりました。

で、一人ひとりがそれを維持して、それで終わりですか…。

何だか、そうツッコミたくなってしまうのですが…。

「トキ」さんの純粋信仰は、確かにそれで守られるかもしれませんが、そういうことでは現教団の破綻を阻止することはとてもできない、そう思うのです。

つまり、個人の信仰云々のレベルでは、もはや現教団の「石」の信仰≠食い止めることはできない…。

もっとはっきり言うならば、本気でそれを阻止し、破綻しないようにしようとするならば「トキ」さんが4代目総裁にならない限り、まあそれはあり得ない話でしょうから、せめて(これはどなたかも言われていたような記憶がありますが)「トキ」理事長の誕生を願うしかない…。

しかし、これとても「トキ」さんは本部職員ではないようですから、実現する可能性は無いに等しい…。

結局は、毎度のことながら、こういう掲示板で、個人レベルで純粋信仰を守りましょう…。

現教団には早く目覚めてほしいと、ひたすら願望を言い続けるしか、他に手はない…。

他力本願しかない、僥倖頼みに走るしかない…。

そういうことなのだろうと推察する次第です。

何度も申し上げますが、これが総裁専制体制下にある教団内本流派≠フ限界なのだと私は思っています。

現教団というのは、「トップ」次第で、どのようにでも変わってしまう…。

世俗的な表現を借りれば、右≠ゥら左≠ヨと一変することもまた可能なり…。

それを見事なまでに見せつけてくれたのが、現総裁に他なりません。

裏を返せば、「トップ」を目指さない限り、もはや、教団内にあって、所謂本流復活≠フ道はあり得ないということなのです。

それが分かったからこそ、外に出てやるしかない…。

そう見切ったところから、私たちの運動は始まったのです。

このままでは破綻するという、「トキ」さんの教団愛≠ゥらの憂念を私は真摯に受け止めています。

その思いを汲んで、尊師の教えが後世に過たず、そのまま、純粋に伝え遺されていくよう、受け皿≠ニしての使命にこれからの人生を捧げていきたいと決意している次第です。


「トキ」さんに伺いたいのは、それでは尊師のお志をどのように実現しようと考えておられるのかということです… (13330)
日時:2021年04月22日 (木) 10時48分
名前:破邪顕正


教団内本流派≠フ「トキ」さんの、今回の投稿で改めて感じたのは、結局、その立ち位置の違いは、尊師のお志に対する思いの差にあるのではないのか。

具体的に言えば、政治≠ニの関わり合いの違いに帰着する…。

そんな気がしております。

尊師は、何故、政治に関わる決断をなされたか。

「優生保護法」の改正と「占領憲法」を廃止して正統憲法を実現するということでした。

言うまでもなく、どちらもが法律です。

であれば、立法府という国会において影響力を持つしかない…。

そこで、尊師は、「生政連」をつくって、政治の世界に進出することを決断なされたのです。

つまり、尊師のお志を継ごうとするのであれば、否が応でも、政治に関わらざるを得ないということです。

ところが、「トキ」さんは、今回の投稿で教団は政治とは距離を置≠ュべきと言うのですが、その論拠が、私にはとても納のいくものではありませんでした。

それでは、その件の投稿をご紹介します。

……………………………………

やはり政治から距離を置くべきです (40487)
日時:2021年04月20日 (火) 18時53分
名前:トキ

 台湾有事が現実化すると、安倍内閣時代に制定された「戦争法案」、すなわち安全保障法案や機密保護法などが、政治的には戦争の抑止につながるという評価を受けることになります。

 すなわち、政治的(宗教的ではありません)に見て、生長の家の過去の主張は「間違っていた」という評価を受けることになります。これが、宗教団体が政治問題に関わる際の問題点となります。

 どこかのジムではないですが、結果にコミットするのが政治の柱となる責任倫理体系であり、動機が全てだ、というのが宗教の柱になる心情倫理体系です。安保法制で言えば、安倍晋三前総理が、仮にどんなにいかがわしい動機で安保法制を決めたとしても、その結果、戦争が抑止できれば政治的には「正義」となります。逆に、谷口雅宣総裁が、仮にどんなに崇高な動機で、安保法制反対を訴えたとしても、その結果、戦争の危機が増せば、それは政治という世界では「悪」です。

 これが、宗教団体が政治問題に関与する場合のネックとなる話です。もちろん、宗教団体が政治に関与することは、このようなリスクが顕在化する可能性があることを意味します。もし、台湾での武力衝突が現実になった場合、教団はそれでも安保法制や機密保護法に反対するのか、というジレンマに陥ることになります。

 さらに言えば、人権が普遍的な価値を持ち、信仰の自由も同じ観点から世界的に援護されるべきだという視点に立つなら、新疆ウイグル自治区の問題や、香港、チベットの問題についても生長の家は一定の発言を求めらえることになります。一旦、団体の外の問題について、組織として評価をすることが当たり前になると、えり好みをすることは許されなくなります。

 もちろん、宗教団体が政治に関わることが全部、悪いとは思いません。場合によっては良い効果を生む場合もあります。例えば、大東亜戦争の直前、カソリック教会が日米戦争は悲劇だとの信念から、戦争回避に尽くしたことは肯定的に捉えるべきです。が、だからと言って、信徒に政治的な意味でも教団への服従を強いるべきではないと信じます。

 大昔、東京の代々木公園に行くと、イラン人が大挙して偽造テレフォンカードや麻薬を売っていました。ホメイニ革命で宗教家が政権を取り、社会や経済が滅茶苦茶になって日本に出稼ぎにきたイラン人たちです。あれを見て、宗教家が政治をするとやばいなあ、と感じたのを覚えております。

 民主主義という政治形態は、政治的な決断を一人一人の個人の考えで決めるという発想でいます。どこかの団体が信徒にそれを命令するのは、越権行為だと思います。

その意味で、やはり、教団は政治とは距離を置き、本業である宗教に専念するべきだと思います。

…………………………………………

「トキ」さんの、この言い分に、私が何故、納得がいかないのか。

そもそも、事の本質は、現総裁が「安保法制」に反対したことにこそあるのであって、それをもって、「政治とは距離を置」くべきとの論拠にするのは、はっきり言って論理のすり替え以外のなにものでもないと、私は思います。

この「安保法制」ばかりではありません。

現総裁は、ご存じのように、「占領憲法」を擁護し、「女系天皇」を支持し、あまつさえ最近では「日本学術会議」にまで肩入れしてしまいました…。

尊師の教えからすればあり得ない、尊師の教えとは真逆のサヨク政治見解≠次から次へと発表してきたわけです。

本来ならば、それこそが根本的に問われるべきことだったのです。

現総裁の、その思想的問題をさしおいて、「政治とは距離を置」くべきとの論理にもっていくのは、本質をくらますものであると私は思うものであります。

尊師の教えを、そのまま過たず、純粋に、そのまま後世に伝え遺すというのが私たちの立場です。

そうであってみれば、当然、私たちは、尊師が政界に打って出られたご遺志をもそのまま受け継がなくてはならないと思っています。

そうでなければ、尊師の二大ご悲願の実現は為しえないと思うが故です。


尊師を否定した現教団は、谷口輝子先生も無視しはじめたと考えていいのではないでしょうか… (13345)
日時:2021年04月26日 (月) 11時48分
名前:破邪顕正


表題は「トキ」さんの、この投稿を読んでの感想です。

……………………………………

ノンロック・リレー (40581)
日時:2021年04月25日 (日) 02時05分
名前:トキ

 生長の家本部は、「ノンロック・リレー」と言うイベントを開催しています。

 本部の宣伝を見ると、

「自然エネルギーを活用した
原発ゼロの社会の実現を願って。
山梨から福島まで約700q、
自転車リレーでゴールを目指す。

生長の家国際本部がある山梨県北杜市からスタートし、東京、埼玉を経由して第一目的地である生長の家茨城県教化部へ。栃木県、福島県に入り、生長の家福島県教化部を経由して、ゴールの福島・西郷ソーラー発電所を目指すリレー。原発のない社会と、二酸化炭素の排出を抑えた“低炭素”のライフスタイルの拡大をめざして。ネットも含め、多くの人が繋がります。」

とあります。

4/17〜4/20と、4/24〜4/26 の間に開催され、教区を横断して推進されています。

と言うものです。このイベント用のフェイスブックまで準備されています。

https://www.facebook.com/groups/nonlocrelay

これをみたら、本部は必死になって、このイベントに力を入れているのがわかります。

 とりあえず、このイベントについての評価は保留します。

しかし、気になったのは、

「このイベントが開催されている4月24日って、谷口輝子先生のご命日ではなかったの?」

と言う点です。

 しかるに、4月24日のフェイスブックを見る限りは、ご命日祭には言及せず、ひたすらツーリングを応援する投稿ばかりが続いております。

もちろん、教化部や練成道場では、御祭はされていたはずですが、本部員も教区の役員もほぼ全員、「ノンロック・リレー」の応援に駆り出されている状態では、規模の縮小か中止になった可能性もあります。

 言うまでもなく、谷口輝子先生は、現在の総裁にとっては祖母であり、教団にとっては創設者の奥様であり、教団の開設と発展に重大な貢献をされた方です。そのような方のご命日を黙殺するような姿勢はどうかと思います。

 されに言えば、現在、講習会も含めて、本部では重要なイベントは次々と中止になっており、この種のイベントを開催するのに、日程が切迫している状況はなかったはずです。

言い方は失礼ですが、宗教団体にとってツーリングは目的外の活動です。それを谷口輝子先生の御祭の日程に被せて開催する意味がわかりません。仮に、これが重要な行事であったとしても、4月号の機関誌に事前告知がされていたぐらいですから、準備期間はあったはずです。スケジュールを調整する余裕はあったと思います。本部にそう言う気持ちがあったか、どうかは不明ですが、創設者を無視しても良いと居直っている印象を受けます。

 また、一部の信徒(職員はこれをしないと酷い目にあうので、仕方がないですが)が、谷口輝子先生に言及せず、「ノンロック・リレー」にひたすら付和雷同している姿勢も悲しいです。

ここは、信徒の皆様におかれましたは、谷口輝子先生への感謝と敬意を、改めて、感じていただきたいと願いします。

………………………………………………

尊師の教えを否定し、真逆のサヨク思想≠ノアカく染まってしまった現教団にとっては、今回のことで、谷口輝子先生の御存在もまた無視したいそれとなってしまったと言っていいのではないでしょうか。

仄聞するところによれば、現教団では、谷口恵美子先生のことに触れることは、タブー視されている状況だと言います。

現総裁の元を離れ、宮澤壽美先生を頼って今は高知におられるということは、現教団にとっては伏せておきたいことなのだろうと思います。

何を申し上げたいか。

現教団信徒が、現総裁を支持する唯一の根拠は血筋≠ノあると私は見ています。

尊師のお孫さまであるから…。

ところが、当のご本人は、その頼るべき血筋≠ノはっきりと背を向けているわけです。

この事実をどう見るのかということです。

血筋$M仰に立つのであれば、決してタブー視してはならないはずです。

そこに、私は現教団の抱え込んだ矛盾、葛藤を認めないではいられません。

先ず汝の兄弟と和せよ

「大調和の神示」に根本から反しているからです。

神示に反して、健全に発展できるはずがありません…。

そもそも、ご先祖さまの祥月命日を無視していて、先祖供養の大切さを説いても何の説得力ももちはしないでしょう。

それが法則というものではないでしょうか。

「トキ」さんは、ここでも、現教団の問題点に、ズバリ切り込んでいると思った次第です。


現教団の混迷は、血筋$M仰でもっている筈なのに、その当のご本人が、あろうことか「創始者」を否定し、あまつさえ、それとは真逆のアカ思想≠振りまいていることに尽きます… (13347)
日時:2021年04月27日 (火) 08時55分
名前:破邪顕正

現教団にお世話になった者が、何故、退会という、いわば忘恩≠フ行動に出ざるを得なかったのか。

それは、現総裁そのものが創始者を蔑ろにする忘恩の徒≠ナあることが分かったからにほかなりません。

私どものことを、未だに裏切り者∴オいする向きがありますが、そういう方には、どちらが尊師を裏切っているのか…。

現総裁が尊師の教えをそのまま受け継いでいると胸をはって断言できますか?

石≠拝むのが、尊師の教えだと言い切ることができますか?

今の状況下で、自転車リレーを強行するのが、尊師の教えに相応しいと本気で思っていますか?

そう逆質したいところです。

現教団から去ることをもって裏切り≠ニいうのであれば、現教団を去ったのは、何も私どもだけではありませんよ。

血筋≠フ皆様だって、そうではありませんか。

どうして、こういうことが出来したのですか。

これはとても大事なことですから、はっきりと言わせていただきます。

現総裁が尊師を裏切ったからです!

尊師を裏切った現総裁に、血筋$M仰だからということのみでついていく…。

その信仰は、完全に、根底から破綻しています。

それが分かっている信徒は、だからこそ苦悩しているのです。

その苦悩はかつての私自身のそれでもあります。

だから決して他人事ではないのです。

その悩苦をどうやって掬い取っていくか…。

そのことを常に自らの問題として背負っていかなければならない、それが私の思いです。




「政治」の世界もまた光明化しなければならない…だから「政治」に関与するな、ではなくて尊師であればどう仰るだろう≠ニ考えるべきなのでは… (13349)
日時:2021年04月28日 (水) 10時32分
名前:破邪顕正


同じ本流派≠ナも、現教団の内と外にいるのとでは、やはり、何かが違う…。

それが顕著に窺えるのは、所謂「政治」に関する問題のときのように思います。

「トキ」さんの、次の投稿にもそれを感じました。

……………………………………

続き (40593)
日時:2021年04月25日 (日) 23時01分
名前:トキ

「大なる疑問点‟台湾有事が現実化すると、安倍内閣時代に制定された「戦争法案」、すなわち安全保障法案や機密保護法などが、政治的には戦争の抑止に繋がるという評価を受ける事になります。」

例えば、コロナウイルス感染拡大に関して、特措法ができた時には野党を中心に緊急事態宣言を出すことは人権侵害になるので強い反対の声が出ておりました。

今日、野党からは、緊急事態宣言の発出に慎重な政権への批判が強まっております。わずか1年で言うことが変わるのです。余談ですが、日本国憲法が制定時、日本共産党の議員は全員が反対の票を入れました。現在、共産党は護憲政党を標榜しております。

別に、野党を批判するためにこの例を出しているのではなく、政治の世界では現実の動きに伴い、評価が変わることは普通にあります。宗教の世界では許されないかもしれませんが、それは判断の基準が違うからです。

コロナも大変ですが、台湾有事になると、それ以上のインパクトがあります。おそらく、憲法改正も現実の課題になるでしょうし、それと同時に吉田茂が作り上げた戦後体制が終焉することになります。日米安保の性格も変わりますし、生活も大きく変わることになります。

このような重大な決断は、国民一人一人の判断に任せるべきです。

政党でも議論がつかない法案については党議拘束を外すケースがありますが、宗教団体でも、最終の判断は各人に任せるのが適当だと感じます。

…………………………………………

国民である前に、私たちは、尊師の教えを学んでいる者であるという自覚に立つべきではないでしょうか。

つまり、国民として判断する際、「こういうとき、尊師であればどう仰るであろうか」ということを常に考えてみるべきであると私は思うのです。

何故、こういうことを言うのか。

「トキ」さんは、政治に関する問題は、時代とともに「評価が変わる」…。

そういう「評価が変わる」ことに宗教団体は手を出さない方が身のためだ…。

どうも、そういう考え方のように思えてなりません。

しかし、それはどうなのでしょう。

だって、尊師は、その「政治」に深く関わってこられたのですから…。

何を申し上げたいか。

尊師の教えというものを常に判断の中心軸に据えていけば、そういう世間の移り変わり行く「評価」などを殊更に気にする必要は毫も無いと私は思うのです。

それがはっきりと言えるのは、例えば「占領憲法」に対する見解などがそうです。

世間がどんなに「占領憲法」を平和憲法=理想憲法≠ネどともてはやそうが、称賛しようが、「占領憲法」は「占領憲法」なのです。

世間が、そのことをもって右翼だ∞好戦主義者だ≠ニ蔑もうが、難じようが、それが何だと言うのでしょう。

少しも怯むことなどありはしません。

だって、それが尊師の教えだからです。

「トキ」さんは、こういうことに関して、常に、個人の判断に任せるべきだという言い方をします。

どうして、そこに尊師の教えに照らせば、という考え方が入らないのか…。

私は、いつも、そこが不思議でならないのです。

あれほど、尊師の教えを学びましょうと言っている「トキ」さんなのに…。

もしかしたら、「トキ」さんは、尊師の教えの中から「政治」に関する箇所だけは、意図的に排除しようと思っているのでしょうか…。

これまでの発言を見ていくと、どうも「トキ」さんは、宗教は「政治」に関与すべからずという立場のようですから、その「政治」に深く関わられた尊師のご姿勢に関して、そのことだけは、案外、批判的なのかもしれないとすら私は思っています。

そう思うと、「トキ」さんの仰る、尊師の教えに帰れ、ということについても、少し留保する必要があるのかもしれません。

つまり、まるごとを学ぶのではなくて、そこには「トキ」さんなりの、選り好みがあるような気がするのです。

私は、尊師の教えを学ぶということと、もう一つ別に、尊師のお志を学ぶという、二つの面があるように受け止めています。

後者のお志を学ぼうとすれば、当然「政治」の世界にも関わらざるを得ない…。

そして、ここが大事なポイントなのですが、そのお志を学んでいこうとすればするほど、現教団に留まるという選択の余地など無きに等しい…。

「占領憲法」護持を表明するような現教団に、どうして留まれましょうや…。

それなど、自己否定以外の何ものでもありはしません。

そこに留まれるというのは、大変、失礼な言い方になりますが、サヨク教団≠ナあっても、だからと言って退会しなければならないほどの痛みとまでは感じていないからではないのか…。

尊師の「教え」だけを、ただ学べばいいということに徹しているから…。

その限り、現教団の中にあっても、まだまだ学べる余地があると判断しているから…

そういうことで、まだ教団内に留まることはできると考えているのではないのか、そういう見方を私はしています。

しかし、その、頼みの綱の「教え」すらもが、次第に学べないような不自由さを感じつつある…。

教団内本流派≠フ苦悩もまた、そこにあるのではないかと私は見ています。

そういう辛さを私なりに受け止め、教団内本流派≠ヨの連帯の思いだけは今後ともしっかりと把持してまいりたいと思っている次第です。




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