『鬼滅の刃』を読むことにしました! (13224) |
- 日時:2021年02月07日 (日) 13時31分
名前:破邪顕正
『谷口雅春先生を学ぶ』誌・3月号にある、『鬼滅の刃』に、愛する日本の国防を想う≠ニ題する、外交評論家・加瀬英明先生のご文章が目に留まりました。
全文は、ぜひ、3月号をお読みいただくとして、少しだけ、ご紹介しておきます。
〈…炭治郎は家族を心から愛している。敬神の心が篤い。 炭治郎は先の大戦に敗れるまでのありふれた日本の青少年だが、令和の日本に蘇ったのだ。 私は感動した。炭治郎の生きざまが平成の多くの日本人の琴線に、触れたのだ。私は川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫を凌ぐ、戦後最大の文学だと思う。…〉
「たかが漫画、されど漫画」
それにしても、加瀬先生がここまで激賞されたのには驚きました。
このご文章は、最後、こう締めくくられます。
〈今日の日本は中国を恐れて、沖縄県石垣市の尖閣諸島に日本国民の上陸を禁じ、怖けづいて、自衛隊や、海上保安官を置くこともできない。… 中国という鬼が、日本に襲いかかろうとしている。 私たちにとって日本という国は、家族に当たる。日本を愛しているのなら、『鬼滅の刃』の炭治郎のように渾身の力をふりしぼって、この国を護らなければならない。 日本を護ろう。日本人を自堕落にしてしまった現行憲法を改正するために、眦(まなじり)を決して立ち上がろう。〉
これに刺激されて、私もまずは、『「鬼滅の刃」の折れない心をつくる言葉』というガイダンスに当たるようなものを読むことにしました。
その本の「はじめに」にこうあります。
〈炭治郎は「妹を殺さないでください」と懇願することしかできない。そんな炭治郎に戦う決意をさせたのは、義勇の「生殺与奪の権を他人に握らせるな!!惨めったらしくうずくまるのはやめろ!!」という言葉だった。〉
何か、ここだけを読んでも、これは、武≠軍国主義にすり替え、一貫して否定してきた戦後の虚妄の「平和主義」への、根底からの異議申し立てではないのか。
私には、そのように思えてなりませんでした。
ところで、この『鬼滅の刃』を真っ向から酷評してみせたのが谷口雅宣総裁であります。
「2020年11月20日 (金)居住地の自然と文化を顕彰する」というブログ記事の中でこう書いています。
〈…私は最近、妻と一緒に『鬼滅の刃』(きめつのやいば)というアニメ作品を見る機会がありました。…オニが人間にとりつくと人間がオニになり、人間を食べるという前提で、人間がオニと戦うというストーリーで、作品のほとんどの場面は、山の中でのオニと人間の派手で残酷な戦闘シーンなのです。ストーリーが荒唐無稽であるだけでなく、戦闘シーンで使われる武器や妖術なども全く現実離れしていて、私は見ていてウンザリしました。… ここで皆さんに気づいていただきたいのは、このブームの背景には、私が先ほど指摘したように、「感覚的な刺激の強さと効率性/即効性に魅力を感じる」という私たちの弱さ、あるいは“迷い”があることです。今のブームは、その弱さや迷いをうまく利用して作られているのでしょう。今回は、そのブームに宗教が利用されているという側面がある点が、とても残念です。…〉
私は、何故、現総裁が酷評したのか。
何となく、分かるような気が致します。
直観的、これは戦後の「平和主義」への挑戦ではないのかと感じたからではないでしょうか。
しかし、そう言ってしまえば元も子もないので、「現実離れ」とか色々と難癖をつけて酷評し、現教団信徒がこれにはまり込まないように先手を打った…。
加瀬先生のご文章を読みながら、そんなことを思ったことでした。
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