《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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春の言葉 (13219)
日時:2021年02月05日 (金) 12時46分
名前:下総の野人

今年は二月三日が立春でしたが、大和言葉の「はる(春)」について興味深い文章に触れる機会がありました。以下にご紹介します。

『万葉語誌』(多田一臣・編、筑摩選書)より314〜315頁より

≪(前略)
和語のハルは、もともと草木の新たな甦りを意識した言葉であったらしい。『万葉集』には、「春は張りつつ」、「春の日に張れる柳を」と歌った例が見える。この「張る」は、季節の霊威が宿ることで木の芽がふくらむことを意味する。そのふくらみに宿る霊威がハルと感じ取られたのである。この和語のハルに漢字の「春」を宛てたのは、その時期を中国の季節観に対応させたからである。

『万葉集』では、このハル(春)にしばしば「冬こもり」という枕詞が冠されている。
  冬こもり春さり来ればあしひきの山にも野にも鶯鳴くも

 冬も季節の名だが、フユとは、魂のふゆ(増殖)を意味した言葉である(折口信夫『古代研究』)。「冬こもり」とは、増殖する魂(生命力)を内側にたくわえた状態の形容であったと考えられる。この世界にひそかに忍び寄る季節の霊威が木の芽などに宿り、それが魂の増殖を促す原動力になると考えられた。そうやって増殖された魂の威力が外側に現れ出ることをハル(春)と呼んだのである。冬は、春の甦りを迎えるための準備の期間、つまり隠(こも)りの時期であった。(中略)

 同様に『万葉集』では、季節の到来を、やはり春と秋に限ってタツ(立つ)と表現する。このハルタツ、アキタツは、二十四節気の「立春」「立秋」の翻訳語と説明されるが、それは誤りである。なぜなら「立夏」「立冬」に対応すべきナツタツ、フユタツという表現が見られないからである。タツとは、神的・霊的なものが目に見える形で現れ出ることを意味する言葉である。春や秋の季節はまずはそうした霊威の現れとして意識されていたことになる。(後略)≫

和語の「はる」とは「霊威の現れ」とのことですが、ちょうど私たちの唱える「わが魂の底の底なる神よ、無限の力湧き出でよ」という祈りの言葉は、この「はる」に通じる、「はる」の言葉、祈りなんだなぁと思いまし。

また「ふゆ(冬)」は魂(生命力)の「増殖」とのこと。『懺悔の神示』の一節を思い浮かべました。

≪吾れ汝らと一体なり。聖霊(いのちのいき)汝らに交通し、汝らの霊殖(みたまふ)えて汝ら無限生命を得ん。≫

「霊殖えて(みたまふえて)」と出てまいります。

日本語ってオモシロイ。深い。

そして…

谷口雅春先生のお伝えくださいました「生長の家」のみ教えは、「日本」そのものだなぁと改めて感じ入った次第です。






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