《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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何をもって「保守」と言うのか、その定義は尊師の教えに従うべきだと私は考えます… (13215)
日時:2021年02月04日 (木) 15時33分
名前:破邪顕正

表題は、次の投稿の一文について思うところがあったからです。

〈今はむしろ共産党のほうが保守に近い主張してるのに、いまだに左翼だーです笑笑〉

所謂、「トキ」掲示板には、最近、このような観点からの投稿が散見されます。

こういうとき、大事なことは、「言葉の定義」にあると考えます。

意見の相違の原因は、案外、意見の中身そのものよりも、その前提条件の違いにある…。

それが、「言葉の定義」です。

これで、よく引き合いに出されるのが「象」の話です。

Aさんは「象の足」について話をしている…。

Bさんは「象の鼻」を思い浮かべて話をしている…。

同じ「象」でも、部位が違うのですから、すれ違いが起きてしまうのは当然です。

つまり、「保守」の話でもそうであって、定義が違ってしまえば、日本共産党だって「保守」である言われてしまうということもあり得るというわけです。

そこで、私が申し上げたいのは、「生長の家」の信徒である以上、尊師の「保守」の定義に従うべきではないかということなのです。

尊師は、『白鳩』誌・昭和46年5月号十四日の箴言 ~の構図の線に沿ふのが「保守」である≠ナこうお説きくださっています。

《~の構図の線に沿って新たなる発展をなすことが「保守」なのである。日本国家は天照大御神の「豊葦原千五百秋の瑞穂の國は世々わが子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり……」と仰せられた~勅(~のコトバ)によつて、その根本構圖が定められてゐるのである。この天皇中心の根本構図を護り育てて、その構圖の線に沿ひながらそれを幹として、ゆたかに枝葉を繁らせ、美しき花を開かせ、滋味ある果實を實らせるのが本當の保守であるのである。無論、その枝は過去とは異なる方向に、あらゆる方向に新しく延びるーーそれが新しき創造なのである。しかし新しく延びながら幹に帰一し、その樹が~から與へられる個性ある枝ぶり≠竅A花の咲き方≠失はないのが保守である。しかも、その花を一輪一輪とって互ひに比較し調べて見るならば同じ根本構図をもちながら、悉く同じ花の形はないのである。それは人の顔の形が同じく横目縦鼻≠フ根本構圖をもちながら悉くそれは「新しき創造」であつて、各人皆、個性ある異なる人相をしてゐるのである。「保守」にして新しき創造とはこのやうな事なのである。それ故に私は次の如く眞理≠心の中に吟唱するのである。ー
私は今、保守の眞の意味を悟ったのである。私はそれゆゑに、常に~意に従ひ、~の構圖に基づいて生活し、~の構圖に則った日本國の實相の顕現のために力を盡すのである。その時、わたしの心には、~意が自然に感じられ~の護りを得て、あらゆる方向に發展するのである=t

ここに明確に示されていますように、尊師の教えの定義に従えば、天皇中心の根本構図を護り育てて≠「くことが「保守」ということなのです。

それでは、日本共産党が、ここに言われる「保守」と言えますでしょうか。

かつて、私はこういう投稿をしたことがあります。

……………………………………

昭和天皇さまの、戦争責任を問われてのお気持ちに思うこと (10076)
日時:2018年08月25日 (土) 12時45分
名前:破邪顕正

昭和天皇さまが、昭和62年4月に「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」とお漏らしになられていたということが報じられました。

元侍従の故小林忍氏の日記にそれが記載されていたということですが、小林氏は、その場で「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」ととりなしをしたということも記されています。

ここには、陛下が、何をもって「戦争責任のことをいわれる」と仰られたのか、その具体的なことは記されてはいません。

しかし、歴史を繙くと、その前年、昭和61年3月の衆院予算委員会で共産党の衆院議員だった故正森成二氏が、天皇陛下の戦争責任を追及。

これを否定する中曽根康弘首相と激しい論争が交わされたという事実があります。

また、昭和63年12月には長崎市長だった故本島等氏が「天皇の戦争責任はあると思う」と発言し、大きな波紋を呼んだこともありました。

当時のこういう雰囲気が、陛下のご宸襟を悩ましたであろうことは想像に難くありません。

幸いにも、私は、谷口雅春先生の教えに触れ、度々、昭和天皇さまの御製を学ばせていただくことができました。

それを学べば学ぶほど、陛下に戦争責任を問うなどということは絶対にできない!

その思いから、当時、共産党に対して、或いは本島市長に対して、得も言えぬ反感、反発を覚えたことを昨日のことのように思い出します。

以来、私の胸奥には、「反天皇=共産党」は許せない存在としてあり続けています。

だからこそ、今日の教団の変貌、即ち、共産党から同志のように見られるような護憲教団と化したことに、耐えられない思い、屈辱を感じないではいられないのです。

改めて、今回の日記により、かかる心なき戦争責任の追及が、どれほど、陛下の玉体を苛んだか、それを痛感せしめられました。(以下、略)

……………………………………………………

こういう過去の歴史を紐解いたら、日本共産党が「保守」などとは絶対に言えません。

少なくとも、「生長の家」の信徒と名乗る以上は、常に、尊師のこの定義に従って、日本共産党を「保守」と言ってはならない、それが最低限の了解事項というべきものではないでしょうか。



祖国日本の存在理由たる真理を守りつづけるのが保守党の使命 (13221)
日時:2021年02月05日 (金) 17時41分
名前:破邪顕正


表題は、『生長の家』誌・昭和51年9月号「明窓浄机」にあります。

まず、このご文章の背景について書いておきます。

当時、国会はロッキード事件で紛糾していました。

その中で、自民党を離党して、新しい政党をつくろうとしたのが河野洋平氏であります。

河野氏は、ここで、自民党の近代化を提唱します。

その念頭にあったのが、自民党の結党理念ともいうべき「自主憲法制定」という党綱領の削除でありました。

これを受けて、尊師はこう仰るのです。

《「保守」ということは、時代の変遷でふらつくことなく、真理を保ち守りつづけるという意味でなければならないのである。移り変る現象界の基準や国民の理想も一緒くたに変遷させて行くのが「近代化」であるならば、そんな「近代」は、やがて時代の移り変りに従って、スグもう「近代」でなくなり、「中世」になり古びた「古代」になってしまうであろう。時間未だ発せざる古(いにし)えから変ることなく、常に新しいのが「真理」である。その「真理」の実現を期して政策を計画し実践して行くのが保守党である筈である。移り変る新規の風潮を追って変転して行く「近代化」は、やがて「中世化」につながるものに過ぎないのである。》

このお言葉、今の総裁、並びに現教団に聞かせたいところですね。

ご存じのように、現総裁は、時代は替わった、もはや東西冷戦の時代ではない…。

だから愛国書は要らないし、愛国運動も展開しないと言ったわけです。

ところが、今や、どうですか。

脱冷戦で、国家の壁は消えましたか。

米中の対立は抜き差しならないところまできているではありませんか。

今日のコロナ禍、ワクチンを巡って争奪戦だって展開されているではありませんか。

強い国家でなければ生き残れない…。

そんな現実を、私たちは今、目の当たりにしているではありませんか。

尊師の説かれた「真理」を、現総裁は、時代の流れで葬り去ろうとしたわけですが、却ってその時代の流れによって現総裁の「非真理」性が満天下に晒された言っていいのではないでしょうか。

さて、表題のご文章は、更にこう続きます。

《すべてのもの≠ノは中心がある。これが真理である。…日本国が天皇中心を失えば原子が原子核を失い、太陽系が太陽を失ったように、もう吾らの祖国日本は存在しなくなるのである。そして日本民族は、太陽という中心をうしなった遊星のように離散してしまう。だから太陽中心の祖国創立の天照大御神の聖なる理念は失ってはならないのである。この祖国日本の存在理由たる真理を守りつづけるのが保守党の使命であらねばならないのだ。》

尊師が、自民党を支持せられたのは、各政党の中で、最も、ここにいわれる祖国日本の存在理由たる真理を守りつづけるのが保守党の使命≠フ資格を有していると判断せられたればこそだと私は考えます。

常に、尊師のお言葉に従って、判断していくべきであると改めて思うものであります。


尊師の「保守」の定義に従えば、皇統は男系によるということにならざるをえないのではないでしょうか… (13223)
日時:2021年02月06日 (土) 17時37分
名前:破邪顕正

表題は、『日本を築くもの』(124〜125頁)を拝読しての実感です。

《…各々の民族にはその歴史的な伝統を通しての生活習慣があるのであって、外国からその生活習慣が民主的でないからと言って人民解放軍というのを派遣して、その民族の歴史的伝統をゆさぶってもよいものだろうか。これは正しく「侵略」行為と言うほかはないのである。日本も大いに「侵略」されつつある歎かわしき現状である。その「侵略」に抵抗して歴史的伝統を守ろうとする線が「保守」というものである。保守とは「何でも彼でも古い因習を保持する」という意味ではない。すべて民族の伝統というものは、その民族が幾十世代を通して積み重ね、民族それ自身に本来適せざるものは自然に淘汰され、その民族の特長とする精神の表現として最も洗練された形式のみが持続されているものを言うのである。日本国家の天皇中心の在り方や、剣道、武道、華道、書道や、性的表現であるバストやヒップを押し隠すところの「肉を昇華して精神美を発揮する」日本の着物や日本のみに見られる大自然の中に融合する和風建築様式や……これらのよきものを保持して行こうとするのが保守精神である。》

ここにある「日本国家の天皇中心の在り方」は、皇位継承の在り方についても、当然、当てはまることだと思うものであります。

そして、「すべて民族の伝統というものは、その民族が幾十世代を通して積み重ね」というお言葉を拝するならば、皇統は男系による…。

それを守ることが「保守」にあたると言っていいのではないでしょうか。

考えてみれば、先の「立皇嗣の礼」によりまして、次の皇位におつきになられる方は、秋篠宮皇嗣殿下であることが、内外に宣言されたわけです。

それに伴い、今の「皇室典範」のままであれば、次の次の皇位継承者は、その皇子たる悠仁親王殿下であるということになります。

そもそも、皇統は、2681年、126代にわたり、〈皇位継承資格をもつのは「父が天皇」「父の父が天皇」あるいは「父の父の父が天皇」というように父系が天皇につながる者に限定されてきた〉(竹田恒泰先生)わけです。

世間で言われる男系継承というのは、ここに言う父系継承ということなのです。

この父≠ノついて、新装新版『真理』第4巻「青年篇」214頁「チ」の音霊(おとたま)≠ノは、こうあります。

《「チ」というのはこの霊(チ)という字を現します。…血又は霊は血統又は霊統として続くものでありますから「続く」という意味がある。…父は霊統(霊のツヅキ)の表現でありますから、「チチ」と呼びます。》

つまり、父系継承であってはじめて「万世一系」も成り立つ…。

尊師のお説きくださった「天皇国・日本」とは、まさしく、この父系で続いてきた「万世一系」の天皇、国体をお護りすることにほかならないと私は考えます。

尊師の仰る「保守」の立場からすれば、当然、皇統は男系によるということにならざるをえないと思いますが、如何でしょうか。



何をもって「保守」と言うのか、その定義は尊師の教えに従うべきだと私は考えます… (13226)
日時:2021年02月08日 (月) 10時04分
名前:万教帰一

全く同感です!
破邪顕正様の仰る通りだと思います!!

仕事で大阪に行った際、ある男性講師の話を聞きましたが、あれは「生長の家の講話」ではなく、非常に残念でした・・・
この男性講師は、事前にテキストを読み込んでその聖典に何が書かれているのか?をよく知っているような口ぶりで自慢げに話すだけで、そのテキストのご文章は全く1行も引用しないで、偉そうな自慢話だけでした。
非常につまらないニセモノの講話でした!
この男性講師は、本を読むのは得意かもしれないが、読み解いて説き伝えるのは全くできていない!
私は現教団で、このようなことが当たり前に罷り通っていることに強い懸念と憤りを感じています!!

尊師が始められたかつての本物の生長の家では「生長の家大神→総裁・副総裁→観教え」が不動の基本で、尊師ご自身ですら、自らのご著書を「神様が書き記した聖典」として、その中のご文章を大切に引用されながら子供でも分かりやすい言葉で御教えを説いてくださり、その弟子である多くの本部講師や地方講師が同じようにして講話してくださったものです・・・
あの頃が懐かしく、また、あの頃と同じ講話をもう一度お聴きしたい!と強く思いましたが、現教団では無理なのでしょうね・・・

あの男性講師は、自らを“副会長”などと偉そうに仰々しく肩書きを振り翳して話すあたり、全く『生長の家講師』とは程遠い無様な有様でしたが、これが現教団の講師だということで、非常に残念なことです・・・

すみません、破邪顕正様のお言葉に触発されて、つい、愚痴ってしまいました。
でも、誰かにこの“やるせない想い”を聞いてほしくて書き込んでしまいました。
どうか、こんな私をお許しください。
かつて総本山で、尊師自らも私達と共に受けられた浄心行を、あの本物の浄心行をもう一度、受けてみたいと思います・・・

「万教帰一」さんへ (13228)
日時:2021年02月08日 (月) 12時50分
名前:破邪顕正


投稿、ありがとうございました。

心から感謝申し上げます。

私も、かつて現教団にいて、いろいろとやりきれない思いをたくさん味わってきました。

〈誰かにこの“やるせない想い”を聞いてほしくて〉

とても他人事とは思えません。

愚痴をこぼす…。

こぼすという漢字は零<[ロという漢字です。

こういうところで零す≠アとによって、心をゼロにする…。

リセットするということは、今、精神的に、とても必要なことだと思います。

溜める≠フが一番、よくありませんからね。

今回のように、現場の声を聞かせていただきますと、私どものまた大きな励みにもなります。

今後とも、ご投稿いただきますよう、よろしくお願いいたします。


女系容認とは王朝交代の是認に繋がるのではないでしょうか… (13231)
日時:2021年02月09日 (火) 11時54分
名前:破邪顕正


まもなく「建国記念の日」を迎えます。

それに向けて、改めて『聖なる理想・国家・国民』を勉強しなおしています。

それを読んでいて、思ったのは、やはり、尊師の御教えからして女系はあり得ないということでした…。

そのご本の150頁に「いのちとは何であるか」という御文章があります。

ここで、尊師はいのちとは「創造的力をもって生きて働いているアイディア」というふうに定義≠ウれます。

そして、こうお説きになられるのです。

《「国にいのち」があるというのは、どんな創造的アイディアをもってその国が建国されたか、そしてそのアイディアは今も生きているかということである。そしてその国が生きているということは、その創造的アイディアが伝統として今も生きているということである。建国の当初はそんなアイディアをもっていたが、今はそんなアイディアをもっていない、今はまた別のアイディアによって取り換えられているというんだったら、過去の「建国当初のアイディア」をもっていたその国は滅びてしまって、別の王朝又は、別の権力者の支配する国になったということになるのである。》

私がここで注目したのは、別の王朝≠ニいう言葉です。

これですぐに思い出したのが、イギリスの王室です。

イギリスの王室は度々、王朝名が変わったことで知られます。

そして、中には、「イギリスの王室を手本に日本にも女系天皇を」と言う向きもあります。

つまり、女系とは王朝名が変わることを容認する考え方ということになるのです。

しかし、尊師は、ここではっきりと王朝名が変わるということは、過去の「建国当初のアイディア」をもっていたその国は滅びてしまっ≠スということを意味するものであると言われるわけです。

そう考えると、やはり、女系はあり得ないというのが尊師の教えではなかったかと思うものであります。




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