《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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教団内本流派≠フ方から「これでも教団に残る意味があるのか」という切実な苦悩を伺ったので思うことを… (13176)
日時:2021年01月25日 (月) 15時37分
名前:破邪顕正

表題の方から、教団の普及誌『白鳩』誌・2021年2月号を贈呈いただきました。

その中に、このような手紙が入っていました。

〈届いたばかりの『白鳩』誌に、純子先生の驚くべき文章が記されていました。加藤陽子さんは、所謂、左翼歴史学者、新左翼、赤の進歩的文化人…。このような一般的評価は気にかけないのか。まさに似たもの夫婦…。嘆かわしいことです。これは尊師・谷口雅春先生の教えを否定するも同然の文章です。こんなものは配ることはできません。〉

付箋紙が貼ってありましたので、早速、当該箇所を読ませていただきました。

まず6頁。

〈翻って日本のことを考えると、安倍政権からの継続で誕生した菅政権は、発足当初から日本学術会議の推薦メンバーから六人を除外した。六人の中で私が知っている人が一人いた。東京大学大学院人文社会系研究科教授の加藤陽子さんである。加藤さんの『それでも、日本は「戦争」を選んだ』『戦争まで』(共に朝日出版社刊)を読んで多くのことを学んだ。どうして加藤さんらが除外されたのか首相は一切説明をしないが、安倍政権から続く憲法違反等に対しても立憲主義の大切さをはっきり言っているからと言われる。〉

次の付箋紙は9頁。

〈生長の家が今回の学術会議に対する菅首相の態度は、学問の自由、言論の自由を侵害するものであり、断固として反対するという声明を意見広告として新聞に出すことになり、我が意を得たりと思ったものである。〉

これが普及誌の巻頭を飾る文章というのですから、心ある信徒が愛行する気を無くすのも合点いきます。

白鳩会総裁が、「我が意を得たり」と評した、この意見広告を、ご周知のように、志位・共産党委員長は、国会で称讃したわけです。

それもまた、白鳩会総裁にしてみれば「我が意を得たり」ということになるのでしょうね。

これをご恵贈くださった方は、親子三代、熱心な生長の家の信徒。

谷口雅春先生の御教えで救われたからと、その感謝の思いで、ずっと特志会員を続けてこられました。

ところが、教団の件の「意見広告」を見て、大変な衝撃を受けられました。

これは日本共産党と同じではないか。

あろうことか、生長の家3代目夫婦がそろいもそろって、日本共産党と同じ思想をもっているとは…。

「日の丸か赤旗か」と、尊師が最も危険視されていたのが日本共産党。

その日本共産党から称讃されるというのは、完全な尊師への裏切り行為に他ならない。

せめてもの抗議の意志表明として、この方は長年続けてこられた特志会員を辞めさせてもらいましたと言っておられました。

そして、そこにきて、今回の『白鳩』誌です。

親子三代、生長の家の御教えに救われてきた者として、何とか尊師の御教えを伝えたいと退会せず、辛抱してきましたが、こういう総裁夫妻の下では、もはや尊師の御教えを伝え抜くことの限界性を痛感します。

果たして辛抱する意味があるのか、本当に苦しんでいます。

切々と苦悩を訴えられるその方のお言葉を聞いて、教団内本流派≠フ置かれた状況が私が考えていた以上に厳しくなっているというのを感じました。

教団内本流派≠フ「トキ」さんに伺いたいことは、今の教団内に残り続けて、本当に信仰の喜びがあるのか、ということです。

私の言う、信仰の喜びとは二つです。

@自ら、この教えを満帆に生ききって、溢れ出る喜びをもって周りを導くことができる。

A「天皇国・日本」に生まれた喜びを堂々と伝えることができる。

この二つが揃って、はじめて、生長の家信徒として、信仰の喜びがあると言えるのではないでしょうか。

ところが、その2つどころか、その2つとも今の教団にはない…。

それで果たして、教団に残る意味があるのかということなのです。

何のための辛抱、我慢なのでしょうか。

教団内本流派≠フ信徒は、その問題に否応なく逢着している、そう思うものであります。


『白鳩』誌・2月号を読んで、これだけは、白鳩会総裁に申し上げたいこと (13183)
日時:2021年01月26日 (火) 15時00分
名前:破邪顕正

白鳩会総裁の言わんとすることを、私なりに、一言で要約するならば、たとえ、6名が、菅首相にとって受け容れがたい左翼的言辞をとっていたとしても、言論の自由、思想信条の自由の見地からして、公的立場から排除してはならない、ということに尽きると思います。

だったら、白鳩会総裁には、以下の2点について、私なりに物申さざるをえません。

@白鳩会総裁は、谷口雅宣総裁が強行した『聖典』の絶版、及び、愛国者を現教団から排除したことを合わせて非難すべきではありませんか?

よし、百歩譲って、白鳩会総裁の主張を了としましょう。

だったら、同じ理由をもって、白鳩会総裁は、谷口雅宣総裁がやったことを非難しなければなりません。

尊師の『聖典』を絶版することは、それこそ、検閲そのものであり、言論の自由に根本から抵触するものであると思われるからです。

更に、現総裁は、尊師を心からお慕いし、「天皇国・日本」の喜びに生きる愛国者を次から次へと左遷したり、退職へと追い込んだり、事実上の排除に動いてきました。

当然、これなどは、菅首相と同じ権力者≠フ「横暴」と言っていいのではありませんか。

果たして、白鳩会総裁は、菅首相を難ずる論理をもって現総裁を批判の俎上に上せたことがあったでしょうか。

それどころか、逆に、現総裁と一緒になって、排除に動いて来たのではありませんか。

つまり、白鳩会総裁の言っていることは論理矛盾、紛う方無き、典型的なダブルスタンダードというほかはありません。

だって、菅首相がやっていることは許せないが、しかし、現総裁のそれは許すというのですから…。

現総裁と全く同じ、左翼の言論の自由は大事だが、愛国のそれは排除されてもよい…。

そういう考え方が果たして通るのでありましょうか。

A白鳩会総裁は、いつから加藤陽子教徒≠ノなったのですか?「生長の家白鳩会総裁」というのであれば、まずは、その創始者の尊師の教えを信徒に弘めるのが先決なのではありませんか?

白鳩会総裁は、自分の立場を少しも理解してはいません。

これは大事なことなので、はっきりと申し上げますが、「生長の家白鳩会総裁」それが貴女の立場なのではありませんか。

そうであれば、まずは、尊師の御教えを弘めることが何よりも優先されるべきことなのではありませんか。

それなのに、どうして、加藤陽子さんの本を紹介するのですか。

率直に申し上げて、尊師・谷口雅春先生の歴史観、具体的に言えば、大東亜戦争史観と、加藤陽子さんのそれとは相容れません。

ところが、白鳩会総裁は、ここで加藤陽子さんのそれを推奨しているわけです。

ということは、尊師のそれは完全に否定されているということを意味します。

だったら、「生長の家白鳩会総裁」の名称は返上するのがスジというものではありませんか。

尊師を否定して、それで「生長の家白鳩会総裁」を名乗るというのは、どう考えても自己矛盾、自己否定にしかならないと思うからです。

「生長の家白鳩会総裁」ではなく、私は加藤陽子教徒≠ニして書いていますという断り書きがあればまだしも、件の『白鳩』誌・2月号の肩書きを見たら、ちゃんと「生長の家白鳩会総裁」と記してあるではありませんか。

「生長の家」の看板を出して、加藤陽子さんの左翼思想を弘めるというのは、一体、どういう了見なのか。

その有りように、根本的な疑義を感じてしまうのは、決して私だけではないと思います。

それだったら、はっきりと「生長の家」という看板を外してほしい。

その方が、総裁夫妻にとって何の縛りもなくて自由になるし、信徒にとっても様々な苦しみから解放されて助かる…。

それが双方にとって、最もいい道だと思う次第です。


谷口総裁夫妻は、尊師を裏切り、日教組教育のお先棒を担ぎ、生長の家弱体化政策≠ノ突き進んでいる… (13188)
日時:2021年01月28日 (木) 18時38分
名前:破邪顕正


私も戦後生まれで、ご多分に漏れず、日教組教育のただ中に育ち、日本は侵略戦争を行ったとばかりずっと思い込んでいました。

それが谷口雅春先生の教えと出会い、まさしく目から鱗、その洗脳から解放され、「天皇国・日本」の素晴らしさに目覚めた一人でした。

何故、このことを申し上げるかというと、かつての白鳩会総裁もそうであったと思うからです。

青年会運動をしていた当時は、間違いなく、白鳩会総裁も愛国女子青年であったはずです。

それがどうですか。

今や、完全に加藤陽子教徒=A尊師があれほど難じられた日教組教育そのままの思想に染まってしまっているわけです。

結局、白鳩会総裁は、一時、青年会運動で愛国心に目覚めたけれども、その根っこにあった「日教組教育=自虐史観」を完全には払拭し得なかった…。

だから、再び先祖返りをしてしまった…。

そう言えば、白鳩会総裁の出身地、三重県は知る人ぞ知る、日教組の御三家とまで言われた県てはなかったでしょうか。

何を申し上げたいか。

谷口夫妻の、今日のその左翼思想を目の当たりにすると、悲しいかな、尊師の教えは結局、日教組教育に敗北したのだという、この現実なのです。

尊師の教えを弘めるべき立場にあるはずの二人が、揃いも揃って、日教組教育に拝跪してしまった…。

今の谷口総裁夫妻をご覧になったら、尊師は何と仰るだろうか…。

そう思うと、本当に胸の張り裂けるような悲しみを禁じ得ません。

もはや、ここに至っては、谷口総裁夫妻に尊師の教え、思想は何も残っていない、そう見切るところから出発しなければならないと思います。

占領政策、それを引き継いだ日教組教育、日本学術会議もそうでしょうが、それは結局、日本弱体化でしかありません。

そうお諭しくださったのが尊師・谷口雅春先生でした。

その尊師の教えに反して、日教組教育に拝跪し、「日本学術会議」の応援団に与してしまう…。

そうなったら、当然、その思想の本質は日本弱体でありますから、それはそのまま生長の家弱体化政策≠ニなるしかない…。

それを今、私たちは目の当たりにしているのです。

谷口総裁夫妻は、左翼思想に染まり、生長の家弱体化政策≠フ先頭に立って、それを推し進めている…。

その認識に立って、初めて、現教団の何が本質的な問題なのかが見えてくる、私はそう確信するものであります。


谷口総裁夫妻には、『理想世界』誌・昭和42年10月1日号の尊師の「輪読のための青年法語」を読んでほしい (13205)
日時:2021年02月01日 (月) 17時38分
名前:破邪顕正


加藤陽子氏を薦める前に、「生長の家」の総裁であり、白鳩会総裁であるならば、創始者の教えをこそ、まずは紹介してほしいと思います。

そうすれば、如何に、自分達の考えていることが、創始者の思想と相容れないものであるか、よく分かるでありましょう。

たとえば、表題のご文章です。

《十一日のことば ◇ 屈辱の平和よりも更に尊いのは自立の精神である。

 アメリカの愛国者にして雄弁な政治家として知られているパトリック・ヘンリー(Patrich Henry−1736~1799)は或る日の演説の中で、「いのちがそんなに尊いか、平和がそんなに甘いものか。それを得るために鎖と奴隷の価を支払ってさえもそれを得る価値があるか。そんな卑怯な考えを棄てよ。他の人はどの道を選ぶか知らないが、吾れに自由を与えよ、然らざれば死を与えよ」と叫んだということである。

…敗戦後の日本では平和ノイローゼにかかって、国内では同胞相闘うために旺んに闘争精神をあおりながら、外に対しては、防衛の武器も持たずに、奴隷の如く外国にお辞儀をして平和を守りたいと言う卑怯な人が随分多いのに驚くのである。

…平和という偶像が尊いのではないのである。各国の威嚇の前に奴隷の如く跪いて平和を希うのは日本民族の自尊心が許さないのである。》

何に驚いたかといって、平和ノイローゼ≠ニいう表現です。

尊師にとって、戦後の平和思想というものは、一種のノイローゼと見えたということなのでしょう。

また、平和に対しても、尊師は偶像≠ニまで仰る。

戦後日本の「平和主義」とは、尊師にしてみれば、いわば偶像崇拝≠ノ他ならないということなのでしょうね。

そして、極めつけは、日本民族の自尊心≠ニいうお言葉です。

平和という偶像崇拝≠ノ酔いしれるのは、換言すれば、日本民族の自尊心≠ェ忘失せしめられたからに他ならない…。

そうせしめたもの…。

それが加藤陽子氏に象徴される「自虐史観」ということではないでしょうか。

なるほど、「日本学術会議」のメンバーに、防衛の武器も持たずに、奴隷の如く外国にお辞儀をして平和を守りたいと言う卑怯な人が随分多いの≠煖Xなるかな。

そういう「日本学術会議」を応援しようというのですから、もし、それを尊師がご覧になられたら、間違いなく悲しまれるに違いないと指摘しても、決して抗いようがないと思うものであります。




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