《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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新年祝賀歳旦祭の「宇宙浄化の祈り」をめぐるやりとりから何が明らかになったのかをまとめておきます。 (13088)
日時:2021年01月14日 (木) 17時14分
名前:破邪顕正

そもそも、事の発端は、「谷口雅春先生を学ぶ会」の日本橋練成道場において新年祝賀歳旦祭の「宇宙浄化の祈り」が発表されたことに始まります。

その本となった祈りは、昭和59年1月1日、谷口雅春先生ご指導の歳旦感謝祭における宇宙浄化の祈り≠ナ、それが「聖使命新聞」の昭和60年1月1日号に掲載されました。

その祈りの言葉を2カ所、変えたことが問題となったわけです。

《住吉大神この日本列島の西彼町を西方彼岸極楽世界の地上顕現の最初の聖地と齋(いわ)い定め給いて
強力なる祝福の霊波と浄めの霊波をさずけ給い、
それらを共に祈るべく集まれる全ての諸人たちを祝福して
龍宮無量寿の生命(いのち)を滔々と各自の魂に注ぎ給う。》

ここを

〈住吉大神 昨年三月一日 
 新たに宗教法人格を取得したまいし
 ここ「生長の家創始者 谷口雅春先生を学ぶ会」
 日本橋道場を浄め給い
 ここに集まれる全ての諸人たちを祝福して
 龍宮無量寿の生命(いのち)を滔々と各自の魂に注ぎ給う。〉

に、また、

《生長の家総本山を浄め給いて、
 ここを人類光明化運動の中心地点とならしめ給う。》を

〈「日本橋練成道場」を浄め給いて、
 ここを人類光明化運動の中心地点とならしめ給う。〉

に変えて唱えられたわけです。

つまり、変更されたのは、この2カ所のみで、あとは原文のままでした。

たとえ、2カ所であろうと、尊師の祈りを変えたことは許されない、そういう声があがったわけです。

それに対して、私の言いたいことは、4つです。


(1)「聖使命新聞」の昭和60年1月1日号に前年の1月1日の祈りが公的に発表されたということは、これはまさしく神意≠ノ他ならない。それをお蔵入りしつづけてきたことの方こそがより重大な宗教的問題であるということ。

これが発表された昭和60年、同年の6月17日に、尊師は神去られたわけです。

そのことを思えば、何としても、この祈りを世に出し、多くの信徒の目に留まるようにしたいと思うのは、その思いとしては首肯されてもいいのではないでしょうか。

だって、教団はこれをお蔵入りしてきたがために、殆どの信徒が、こういう祈りがあったことすら知らないできたわけです。

それが証拠に、所謂「トキ掲示板」では、これをもって

〈学ぶ会も暴走していないか (37377)〉

というスレッドまで登場してしまいました。

中には、こんなことを言う人まで現れてしまった…。

〈3、個別の言葉について

@
>>住吉大神この地球を浄め給う
 アーオーウーエーイー
 住吉大神この地球の日本列島を浄め給う
 アーオーウーエーイー<<

この文章は、生長の家教団と同じですね。「日の本」の代わりに「地球」を入れたことに私は違和感を抱き、かつてそう述べたのですが、「地球」を「学ぶ会」も取り入れているのは、宇治別格本山の「新版(改竄版)」宇宙浄化の祈り」の言葉を下敷きにしたのでしょうね。

「地球」、「日本列島」は余計である、谷口雅春先生の原文通り「日の本」(広義、広い意味で世界全体を示す言葉)で十分だというのが、私の意見です。

A
>>各自の實相天照大御神出でましぬ<<

末尾がこの言葉であることにも違和感を覚えます。「各自の實相」は、天照大神であると同時に住吉大神、天之御中主大神、阿弥陀如来、釈迦、キリストなどすべてが含まれています。

祈りの途中で「吾らの実相は天照大神と一体なり」など説明を入れるのならともかく、締めくくりの言葉とするのは、生長家教団が「實相軸の前に余分なもの(造化三神の社、七重の搭)を置く」のと好一対です!
まったく同じ発想です!!

わざとらしくて、天照大神に対し奉り、失礼な感じがいたします。〉

「失礼な感じ」も何も、これは尊師のお祈りなのですよ。

それに対して、あけすけに、こんな意見を述べるというのは、これが「谷口雅春先生を学ぶ会」が勝手につくったものと思い込んでいたが故でしょう。

尊師のお祈りであると知っていたら、如何に何でも、こんなことを言うわけがありませんから。

それより重大なのは、「谷口雅春先生を学ぶ会」ならば、勝手にこんな祈りをつくるだろうという、その思い込みの面妖さなのです。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に対して、こういう認識を抱いているということがわかったことは一つの大きな収穫でした。

そんな大それたことをするわけがないのに…。

こういう方々には、なかなか信用してもらえないということでしょうね…。

何としても、「学ぶ会」を現教団と一緒だということにして、これまたともに貶めたいという心理の表れだと私は見ました。

つまり、「谷口雅春先生を学ぶ会」を快く思わない、何か貶めることはできないか、そういう思いを常に潜めているからこそ、こんなとんでもない暴走≠犯してしまうのではないのかということです。

逆に言えば、それほど、「谷口雅春先生を学ぶ会」の存在が気に障って仕方がない、その証左なのかもしれません。

アンチもファンの内≠サう心得て、今や、腹立ちすることもありはしませんが…。

それより何より、こんな暴走≠許すのは、尊師がこういう祈りをなさっていたということを知らないが故でありましょう。

実は、それこそが一番の問題だと思うのです。

改めて、尊師のこういう重大な祈りを、現教団が信徒に「知らせない」ままできたということの問題を大いに問いたいと思うものであります。


(2)変えたのは祈りの場所≠フみであって、祈りの言葉そのものを変えたわけではないということ。 (13089)
日時:2021年01月14日 (木) 18時02分
名前:破邪顕正


次に申し上げたいことは、「祈りの言葉」を変えたことを、殊更に問題視されますが、変えたのは祈りの場所≠ナあって、尊師の祈りの言葉そのものを変えたわけではないということです。

このこともまた大事な視点ではないでしょうか。

「万教包容の神示」にこうあります。

《キリスト教では聖地エルサレムが世界の中心であると云い、大本教では丹波の綾部が世界の中心であると云い、天理教では大和の丹波市が世界の中心であると云い、天行居では周防の岩城山が世界の中心であると云う。…併しわれは言う。それらは悉く皆世界の中心である。》

「谷口雅春先生を学ぶ会」は、昨年、宗教法人を取得して、新たな宗教教団となったわけです。

ですから、一つの宗教教団として、「日本橋練成道場」を世界の中心≠ニするという気概を示したとして、どうしてそれが問題視されなければならないのでしょうか。

しかも、この神示にはこうもあるわけです。

《…本当の古神道は自余の一切の教えを包括するものであり、本当の基督教は自余の一切の教えを包括するものであり、本当の仏教は自余の一切の教えを包括するものである。そして如何なる教えにてもあれ一切の教えを包括する本当の實相に到達したとき『生長の家』(たかあまはら)と云うのである。それは天爾の『家』であり『巣』であり『統』(す)であって教ではない。その家の中にあって色々の教が生きるのである。本当の古神道は『生長の家』の内にあり、本当の基督教は『生長の家』の内にあり、本当の仏教は『生長の家』の内にあり、生命の實相の顕現する所、説かるる所、読まるる所、その悉くが世界の中心である。》

宗教法人を取得して、新たな宗教団体として迎えた新年。

生命の實相の顕現する所、説かるる所、読まるる所、その悉くが世界の中心である

この神示のお言葉を受け、「日本橋練成道場」をして世界の中心≠スらしめんとの思い、決意、覚悟をもって、祈りの場所≠フみを変えて実修した…。

何度も申し上げますが、新しい宗教教団になったからこその祈りの言葉だったのです。

私どもには『生命の實相』「聖経」があります。

生命の實相の顕現する所、説かるる所、読まるる所

それに見事に合致しているではありませんか。

それに加えて、現教団は、総本山から住吉大神を外してしまったわけです。

現教団には、住吉大神もおられないし、『生命の實相』も「聖経」もないのです…。

祈りの場所≠変えたことを問題視する方は、まずは、この事実をこそ、しっかと凝視すべきでありましょう。

それに対して、「谷口雅春先生を学ぶ会」は、4つの根本信仰

1)私たちは住吉大神を神とする信仰に起つ!

2)聖典『生命の實相』こそ吾らの神殿である!

3)私たちは谷口雅春先生信仰≠ノ生きる!

4)「人類光明化・日本国実相顕現運動」の聖なる使命に生きる!

それを信仰の心柱として、宗教法人を取得したのです。

であれば、祈りの場所≠変えたとしても、それは何ら問題するには当たらないと思うものであります。


(3)祈りの場所≠変えたことをもって、現教団と同じ暴走≠ニいう言い方で、同列に論じられるのかという問題。 (13094)
日時:2021年01月15日 (金) 15時34分
名前:破邪顕正

三番目に申し上げたいことは、祈りの場所≠変えたことをもって、それは現教団と同じ暴走≠ノ当たるのかということです。

何故、これを大きな問題とするか。

それは、こういうことで、現教団がやってきた暴走≠相対化されてはたまらないと思うからです。

因みに、現教団の、その暴走≠ヤりを思うまま、時系列で、列挙してみましょう。


@平成3年…「宇治盂蘭盆供養大祭精霊招魂神社大祭祝詞」の書き換え

※尊師は、「尽忠の精霊に告ぐる詞」でこう述べられました。

《…今や人類進化の一周期の終りにのぞみすべての人類は その皮膚の色彩の相異にかかわることなく平等の尊厳を恢復し平等の取扱いを受け その国土は独立し万民平等の自由が確保せらるべき理想実現の時期が近づきたりしがこの理想実現のためには 何れの国の民族かが尊き犠牲となって有色人種に“神の子”の実相を自覚せしめその独立精神を喚起せしめる天使たるの役割を演ずる必要ありしなり…》

ところが、現総裁は、これをすべて削除しました。

A平成18年…総本山の「鎮護国家特別誓願券」の書き換え

※「鎮護国家」を外し「世界平和」が入ります。その後、平成26年、総本山の手水舎の柱からも「鎮護国家」の文字が消され「世界平和」に替えられました。

B平成22年…「四無量心を行ずる神想観」ニューバージョンの発表

※「神想観」のニューバージョンというようなことがあっていいのでしょうか。そもそも「神想観」とは尊師が住吉大神から神授せられたものであります。神授せられたものを勝手にニューバージョンと評して谷口雅宣総裁は発表したのです。

C平成24年…「聖経」を補強≠キるものとして『大自然讃歌』『観世音菩薩讃歌』を発行

※「聖経」もまた尊師が、観世音菩薩から授けられたものであります。それを「補強」するということ自体、実に不遜と言っていいのではないでしょうか。

D平成26年4月3日…「神武天皇陵遥拝式」後の「大日本神国観」が「基本的神想観」に変更

※これ以降、「大日本神国観」が公的な場では実修しえなくなりました。「大日本神国観」とは、神想観の完成形とまで称されているものです。それが実修できないということは、それこそ重大な問題ではありませんか。

E平成26年9月27日…総本山で「大調和の神示祭」が廃止となる

※これにさかのぼること、5月よりすべての「神示祭」が廃止となりました。

F平成26年11月21日…総本山の「ご祭神」が変更になり、「宇宙浄化の祈り」が廃される

※「ご祭神」が、実質上「住吉大神」から「天之御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」に変えられました。

G平成27年6月3日…「聖使命感謝奉納祭の祝詞」から住吉大神∞聖経読誦≠ェ外される

※新しい「祝詞」はこうです。

〈掛けまくも畏き天地の創造主にまします天之御中主大神をはじめ高御産巣日神、神産巣日神、応化し給いては広大の慈門を開き給い、宇宙のすべての人及び物事を浄め給う生長の家大神の御前に…大神の御前に打ち集いて感謝と讃辞を申し上げ奉り、聖使命会費を捧げ奉る状を…〉

こういう「祝詞」では、現教団に住吉大神はおられないと言われても抗弁しようがないのではありませんか。

H平成28年1月1日…生長の家総本山から「住吉大神」の御神符が下賜されなくなる

※御神符が下賜せられないのでは、信徒は住吉大神をお祀りすることはできません。これまた、現教団に住吉大神はおられませんという一つの証拠になるのではありませんか。

I平成29年度より…「浄心行」「実相円満誦行」が変わる

※例えば、「浄心行」では、先導者がこう宣言することになりました。

〈…人間以外の動植物、菌類に対しては、同じ生命の星£n球を共有する仲間であるこを忘れ、劣悪な環境で飼育し、また残虐な方法で殺し、あるいはそれらを他人にさせることで自らの良心の呵責から逃れる一方、肉食や動物虐待を顧みない生き方を続け、植物や菌類に対しても、不要の虐待や生物多様性を損なう行為を無頓着に行うなど、悪しき習慣を重ねてまいりました。…〉

これを聞いている参加者は、どんな気分に襲われるでしょうか。

「現象人間」の“悪”を暴き立てて、それに嫌悪感を抱かせたい…。

そういう思いが蠢いているように感じられてなりません。

これでは「浄心行」というよりかは、人間嫌悪=u増進行」ではないかとすら思ってしまいます。


以上、谷口雅宣総裁、現教団のやってきたことを紹介させていただきましたが、なるほどこれをもって暴走≠ニいうのならば理解できます。

しかし、今回の祈りの場所≠フ変更をもって現教団と同じ暴走≠ニ言うのは、どう考えても公平さを欠くと言ってもいいのではないでしょうか。

どうして、こういう不公平さが出てしまうのか…。

結局、現教団は論外≠セとしても、「谷口雅春先生を学ぶ会」だって同様に酷いではないかということにして、結果的に現教団のことを不問に付す…。

そういう底意が働いているのではないか…。

「感想」さんは、真の法燈継承者である谷口清超先生は尊師の祈りの言葉を変更したり、付け加えたり、新たな祈りを発表されたことは一切ありません≠ニ記されましたが、それに従えば、明らかに、谷口雅宣総裁がやってきたことは、それを完全に踏みにじる、裏切る以外のなにものでもありはしません。

「谷口雅春先生を学ぶ会」に向けた思いの、その何倍もの大きさで、現教団に向けて言葉を発してほしかったと思うものであります。




(4)谷口雅宣総裁の真理隠蔽と真理を表し出そうとする「谷口雅春先生を学ぶ会」とを一緒にして難ずることの問題。 (13096)
日時:2021年01月15日 (金) 18時29分
名前:破邪顕正


この項のまとめを書いておきます。

今回、私が痛感したのは、祈りの場≠変えたことがどうしてここまでの問題となったのかということにつきます。

何より衝撃だったのは、これが現教団と同じレベルで捉えられ暴走≠ニまで評されたことです。

尊師は、かつて年頭に当たって、こんなにも素晴らしい「宇宙浄化の祈り」をご発表になっていたのか…。

それを何としても世に出したい…。

宗教法人を取得しての初めての年頭でもあるし、ここは一つの絶好の機会であると思えばこそのご紹介でした。

当然、初めてこういう祈りがあったのか、ご紹介いただき有難い…、そういう反応があるものと期待していました。

無論、そういう声もありました。

ところが、一方で、それこそ思ってもいない非難を受けたのでした。

「勝手に祈りの言葉を変えるな」

それだけの非難ならばまだ合点もいくのです。

ところが、どうしてそこに現教団と同じではないかという発想が出て来るのか…。

私はここが今回の一番の、重要なポイントだと見ています。

その背景にある感情を、私なりに書き留めておきます。

現教団が論外≠ニ言われてしまうほど、今や、尊師の教えとは真逆の、左翼教団へと堕してしまったことがもはや満天下に晒されてしまった…。

それにつれ、信徒離れもどんどん進んでいる…。

このままでは、現教団はもたないのではないのか…。

そこに来て、方や「谷口雅春先生を学ぶ会」は、宗教法人格を取得し、新たな宗教教団として生まれ変わった…。

これから先、いったい、どうなっていくのか…。

得も言えぬ苛立ち、そういうものがあったのではないのか。

そこで持ち出された論法が、現教団も酷いが「谷口雅春先生を学ぶ会」だって酷い…。

そういうことだったのだろうと思うのです。

だって、谷口雅宣総裁は、(3)で詳述したように、次から次に真理隠蔽を画策し暴走≠オてきたわけです。

それに対して、「谷口雅春先生を学ぶ会」は、その隠蔽から何とか真理を表し出そうと、いろいろと尽力しているわけです。

どうしてそれが同レベルで非難を受けなければならないのか。

真理を隠蔽しようとする谷口雅宣総裁。

方や、真理を世に顕し出そうとする「谷口雅春先生を学ぶ会」。

方向が全然、違うではありませんか。

それを一緒にして非難するというのは、もはや理屈も何もあったものじゃない…。

理屈にも合わないことに同調するのは何故か。

結局、「谷口雅春先生を学ぶ会」の存在を快く思っていないからというしかないのです。

つまり、論理を超えた感情の世界で動いてしまっているということです。

今回、私が痛感したのは、そんな感情に振り回されて、そんなことに時間を費やしていて本当にいいのですか、ということにつきます。

尊師の教えを如何にして広めていくか。

尊師の教えが隠蔽されている以上、それを少しでも世に顕すように尽力する…。

そういうことこそが何よりも大事なのではないのか、改めてそう思った次第です。

ただただあるのは、尊師への報恩感謝のみです。

尊師にお喜びいただきたい、その一念で本年も全力を尽くしてまいります。






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