《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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令和2年は現教団の左傾化が露わとなった年、新たな雅宣教団£a生の年! (12966)
日時:2020年12月30日 (水) 11時05分
名前:破邪顕正


いよいよ、令和2年も残すところあとわずか。

令和2年を締めくくるに当たって、今年の感慨を書き留めておきたいと思います。

今年は、谷口雅宣総裁が、「生長の家」創始者・谷口雅春先生の教えを根底から否定する左翼思想の持ち主であることを満天下に晒した、心に刻むべき重大な年となりました。

それがまず露わとなったのが、令和2年4月7日付けの教団「通達」であります。

この「通達」によって、生長の家教団の神様が、「住吉大神」から、所謂「造化の三神」へと取り替えられたことが明確に示されたのでした。

そもそも、尊師・谷口雅春先生が創始せられた「生長の家」は、「住吉大神」から尊師に天降ったところの「神示」によって、信仰もそして運動もすべてが支えられてまいりました。

例えば、昭和天皇陛下御在位五十年奉祝運動において、そのエポックメーキングともいうべき百万人の銀座パレード(このときの様子が『国のいのち 人のいのち』の表紙を飾っています)を、尊師は当時、何と仰っておられたでしょうか。

《…まことに過日全国的に行われた今上陛下御在位五十年奉祝のあの大群衆の先頭に立っておられるのは住吉大神である。住吉大神の浄化のお働きなくしては宇宙も、わが日の本も、世界の人心も、赤化の魔手から免れることはできない。…》(『生長の家』誌・昭和52年3月号「明窓浄机」)
 
また、『理想世界』誌・百万部を突破したときも、尊師はこう仰いました。

《森田君が青年局長を拝命して以来『理想世界』誌百万部目標を立てて、邁進した結果、現在では発行部数が九十万台にのせたとあるが一月八日の拡大教化部長会議の際には百三万部を達成したという報告が来、同君の愛国の熱情が青年たちを鼓舞激励し牽引するカが如何に多いかを示していると思う。日本の国が思想的に危機に立っている今、日本を衛(まも)る者の中核となるものは『理想世界』誌だと思う。この神誌は住吉大神の宇宙浄化の機関誌である。日本の愛国青年よ、起て!!》(『生長の家』誌・昭和51年3月号「明窓浄机」)

これだけを見ても、「住吉大神」の御心の展開が生長の家の運動であったということが理解されます。

ところが、谷口雅宣総裁は、その「住吉大神」をご祭神の中心座から外す暴挙を行うに至りました。

それを示す何よりの証拠が、生長の家総本山において「住吉大神」のお札が下賜せられなくなったという事実であります。

お札がなければ信徒は「住吉大神」をお祭りすることは出来ません。

こうして教団は「住吉大神」外しを着々と進めていったのです。

そして、その総仕上げとも言うべきものが、去る令和2年4月7日に出された「通達」です。

タイトルはこうです。

〈七重塔と造化の三神≠フ祭祀等の参議会決定事項の周知について〉

宗教団体にとって、最も重要なのが「祭祀」です。

それについて、「通達」は冒頭、こういいます。

〈去る2020年1月22日の参議会において、七重塔の設置基準の改定をはじめ、教化部の主となる道場(拝殿)の實相額の前に、七重塔の縮小模型、並びに造化の三神≠フ神霊符を納めた三社造りのお社を設置して祭祀することなど、宗教上および運動についての重要な決定がなされました。〉

これの意味するものは何か。

これまでは、総本山のご祭神が「造化の三神」へと変更されただけに留まっていました。

しかし、今度は、この「通達」によって、すべての教化部において、それを執り行う…。

即ち、生長の家教団全体のご祭神の変更がこれで決定的となったのです。

神様が変われば、それはもはや新しい宗教というほかはありません。

尊師の創始せられた「生長の家」を換骨奪胎し、新たな教団の出発を宣言する…。

本来の「生長の家」とは全く似て非なる雅宣教団≠フ誕生、それがこの「通達」の趣旨だったのです。

令和2年は、雅宣教団£a生の年として、歴史にしっかと刻印されるべき年であると思うものであります。


雅宣教団≠フ誕生記念として出版されたのが会員必携『新しい文明≠築こう』である?! (12967)
日時:2020年12月30日 (水) 11時39分
名前:破邪顕正


雅宣教団≠フ誕生を記念して出版されたのが、会員必携『新しい文明≠築こう』であると私は思っています。

この本の本質を一言にしていうならば、谷口雅宣総裁が自己正当化するために作り上げたフェイクヒストリー≠ノ他ならない…。

そして、その出発点としてあったのが実は「生政連」の解散≠ノあった…。

谷口雅宣総裁が、あの悪名高き『日本会議の研究』を聖典扱いしたのも、その根底には、「生政連」の解散*竭閧ェあった…。

こういうことです。

谷口雅宣総裁にしてみれば、「生政連」を潰して愛国運動と縁が切れたと思っていたのに、名を変え、所を変えて、今度は「日本会議」というところで、愛国信徒がしぶとく生き残っていた…。

生き残っているばかりか、あの、にっくき安倍前政権の中枢にまで食い込んでいた…。

左翼・谷口雅宣総裁にしてみたら、これは断じて許されざることとして映ったと思うのです。

であれば、もう一度、「生政連」を解散≠ノ追い込んだように、今度は「日本会議」を潰してみせる…。

その思いが、菅野完氏をしてあの『日本会議の研究』を書かしめ(少なくとも教団本部からの資料提供なくしては書き得ない本であることは間違いありませんから)、聖典扱いにまでした、本当の、本音の理由ではなかったか。

そう思うと、谷口雅宣総裁の根っこにある、この「生政連」の解散*竭閧きちんと押さえておく必要がある…。

果たして、「生政連」の解散≠ヘ、谷口雅宣総裁が言うような歴史、即ちそれを善とするような、一方的な見方で簡単に済ませていいものなのかどうか…。

谷口雅宣総裁の言い分をそのまま信徒が鵜呑みにして洗脳されないためにも、ここできちんと総括しておく必要がある…。

その意味で、「生政連」の解散*竭閧ヘ、今の教団の有りようにも繋がる重要な問題だと私は思っています。

まず、これについて、信徒が絶対に忘れてならないことは、「生政連」は、他ならぬ尊師・谷口雅春先生の願いから生まれたということです。

尊師のご悲願を達成するためには、どうしても政治の世界に進出する必要がある…。

尊師のその切実な、強いお気持ちがわかっていたからこそ、信徒はそれこそ本気になって献身的に頑張ったのです。

そうでなければ、100万票を超えるような得票数が生まれるはずもありません。

ですから、尊師が、生政連の一時的な活動停止に同意なされることはあっても、その解散≠ノまで同意されるということはあり得ないことなのです。

そもそも「生政連」の解散≠ニは、具体的に言えば「生長の家として選挙運動はしない」そういうことでした。

ところが、谷口雅宣総裁は、「生政連」の解散≠もって、愛国運動をしない…。

そればかりか、愛国の思想を説くこともしない、そういう方向へと強引にねじ曲げていったのです。

愛国『聖典』の絶版から、愛国講話の禁止へ、そして神様の取り替えへと(=「鎮護国家」の廃止)、それはどんどんエスカレートしていきました。

今にして思うのは、『国のいのち 人のいのち』が何故、絶版になったのか。

左翼・谷口雅宣総裁にしてみもれば、その「はしがき」からして気に入らなかった…。

そこに、こうあるからです。

《生長の家が愛国運動の中心として活躍していることは今や周知のことだが、それは決して近年に始まったことではない。そもそも生長の家の発祥が、兵庫県住吉村八甲田に住んでいた私が、毎朝からだを禊してから近くの本住吉神社にお参りし、日本国の隆昌と皇室の弥栄のために祈っていたとき、霊感を頂いたところにあるのである。そして昭和八年、東京における第一回講演会の演題が「中心(すめろぎ)に帰一する道」であり、東京に本部道場が開設されて最初の十日間の講習会で連日『古事記』『日本書紀』に基づく日本の話をし、現世利益・病気治しの話を第一義に期待し求めて来た受講者が驚嘆したものである。》

つまり、谷口雅宣総裁にしてみれば、生長の家が愛国運動の中心≠ニ言われることが最も嫌悪すべき、忌避したいこととしてあった…。

率直に言わせていただけば、そのためにこそ、谷口雅宣総裁は、教団に乗り込んできたのではないのか…。

そこで、谷口雅宣総裁が意図して用いたのが「かつての愛国運動は冷戦時代の産物としてあった」という論法なのです。

それを如実に物語るのが、『新しい文明≠築こう(上巻)』の中にある冷戦の時代≠ニいう見出しに他なりません(29頁)。

谷口雅宣総裁は、ここで、尊師の「明治憲法復原の宣言」も「東西対立」(『前掲書』30頁)への危機感から生まれたものと規定します。

で、その「冷戦」が終焉したのであってみれば当然、愛国運動の時代も終わる…。

それが『前掲書』の中の冷戦終結とグローバル化の進展≠ナす(40頁)

とにかく、谷口雅宣総裁は、時代が変われば教えが変わるのは当然という論法で、尊師の愛国の教えを「冷戦」の産物として過去の世界に封じ込めることにしたのです。

それを正当化するために用いたのが今の教え≠ニいう表現でした。

よし、それを百歩譲って容認するとして、だったら、今、どうですか。

この度のコロナ禍によって、世界は「ポスト冷戦終結とグローバル化の進展=v、即ち「米中熱戦とグローバル化の終焉」という時代に突入したのではありませんか。

谷口雅宣総裁の言う今の教え≠ヘ、コロナ禍によって、完全に過去の教え≠ノ変わってしまったのです。

結局、「真理」を時代の産物と規定したこと、そのこと自体が、谷口雅宣総裁の犯した大きな過ちだったのです。

尊師の愛国の教えを嫌悪するの余り、谷口雅宣総裁は、却って時代に取り残されてしまった…。

その時代遅れの産物が今回のフェイクヒストリー≠ナあったということです。

確かに、「生政連」は歴史として解散≠フ憂き目に遭いました。

しかしながら、その精神は、心ある者の中に赫赫として燃え続けております。

尊師の願いから生まれた「生政連」だからこそ、その志の火を断じて消してはならない、私はそう思っています。




『日本会議の研究』が最高裁で名誉毀損・虚偽記載と認定されたことの意義は大きい (12968)
日時:2020年12月30日 (水) 12時28分
名前:破邪顕正


雅宣教団≠フ誕生に、我が世の春を謳歌していた左翼・谷口雅宣総裁。

その総裁にとって頂門の一針となったのが、この判決ではなかったでしょうか。

そもそも、この裁判は、『日本会議の研究』(扶桑社)に虚偽の記述がなされ著しく名誉を傷つけられたとして、生長の家の元幹部男性が著者の菅野完(たもつ)氏に損害賠償を求めて起こされたものでした。

で、去る10月28日、最高裁は、菅野氏の上告を棄却し、菅野氏に賠償金の支払いを命じた1、2審の判決を確定させたのです。

これにより、同書における生長の家元幹部についての記述が、名誉を毀損≠オ、真実性が認められない虚偽≠ナあることが公然となりました。

同書については、谷口雅宣総裁が「この本には、かつて生長の家の幹部活動をしていて、今は日本会議が進める政治運動の中枢にいる人が、何人も実名で出てくる。…当時隠されていた驚くべき§bもある。とにかく、最初は門外漢であったはずの著者が、ここまでよく調べ、よく書いたと感心する」(平成28年6月1日付ブログ)と大いに絶賛し、全国の講習会などで推薦してきました。

その谷口雅宣総裁の意向に従い、世界聖典普及協会は「聖典・書籍」として頒布を取り扱うとともに、現教団は全国の相愛会、白鳩会、青年会で学習すべきとして練成会や講師研修会のテキストに指定するなど、大々的に推奨してきました。

ところが今回の最高裁判決が出た後でさえ、谷口雅宣総裁や現教団は、名誉毀損と虚偽記述の同書を多くの信徒に推奨しミスリードしてきたことについて、一切、何らの釈明も行っていないのです。

そればかりか、いまだに世界聖典普及協会では「聖典・書籍」として取り扱っています。

谷口雅宣総裁は、自らの左翼思想を押し広め、安倍政権や日本会議、かつての生長の家の愛国運動を貶(おとし)めるため、同書を絶賛し活用してきました。

それが名誉毀損にあたる重大な判決が出てさえも、だんまりを決め込むのは指導者として「誠実さ」や「正直」さがあると言えるでしょうか。

谷口雅宣総裁は、愛国的な信徒を批判するため、こう語ってきました。

〈表面は本部の方針に従う振りをしながら、陰では従来通りの政治活動をしたり、政治運動との接触を続けていた者もいたのである。教区の講師の代表である教化部長や、本部の理事の中にも、このようにして本心を隠したり、二股を掛ける$カき方を続けてきた人がいたことは、誠に残念である。なぜなら、宗教運動とは信仰運動であり、信仰には誠実さが何よりも必要であるのに、これらの人々は、表と裏を使い分ける不誠実な生き方を長年にわたって続けてきたからである〉(前掲ブログ)

また谷口雅宣総裁は、「谷口雅春大聖師三十一年祭」において、同書の内容を基に面従腹背≠オてきた生長の家の幹部や講師がいると語り、さらには、谷口雅春先生も失敗をされたことが一度ならずあってそれを包み隠さず書かれていると言って、次のように語りました。

〈『正直である』こと、『ウソをつかない』ということは、宗教者に必須の信条であり、素質です。…それを隠したり、偽ることで信仰が成立するはずがありません〉

この言葉、そっくりそのまま谷口雅宣総裁に献上したいと思います。

だって、左翼・谷口雅宣総裁は、自ら、宗教者とは思えないほど、信徒の人格を貶めることに手を貸したのですから…。

教団トップが、こんな憎悪剥き出しの言葉を公の場で吐くということ自体、既に異常とも言うべきことなのです…。

人心が離れるのも宜なるかな…。

因みに、頭注版『生命の實相』第30巻には、こうあります。

《生長の家は他人をわるく言わない教えであるのに、ある場合においては生長の家でも生長の家に対するまちがった批評に対して弁(べん)駁(ばく)して応(こた)えている――あんなことするのは大人(おとな)気(げ)ないじゃないか、真理は真理みずからを証明するから非難は黙殺して黙っておればよい――こういわれる人もあります。…まちがった批評に応(おう)酬(しゅう)するのは別に怒(いか)りによって相手をやっつけるつもりでするのではない。…まちがっていることをまちがっていると指摘し、外(げ)道(どう)を外道であると指摘し、正(しょう)法(ぼう)を正法であるとして主張するということは、必要なことである。…だから、「生長の家」も…真理の言葉を弘(ひろ)めてゆくに当たって、その光明思想の普及を妨(さまた)げる反対論に対しては、時と場合によっては、激しく批(う)たなければならないこともあるのであります》(203〜205頁)

ここに明示されているように、尊師の教えを歪(ゆが)め、隠蔽し、教団の左傾化を進める谷口雅宣総裁の思想は、光明思想の普及を妨げるものとして、「激しく批た」るべきものであると改めて思うものであります。


谷口雅宣総裁は赤き龍≠ネり…それを決定づけたのが「日本学術会議」の問題である! (12969)
日時:2020年12月30日 (水) 12時55分
名前:破邪顕正


雅宣教団≠誕生させ、自らに刃向かう者はもはや誰一人として教団にはいない…。

教団はすべて自分の手中に納めた…。

あとは、自分の思うがまま、何でも自由に教団を動かせる…。

その過信≠ェ、見事にあらわれたのが、「日本学術会議」に関する一連の動きだったと私は見ています。

まずは、「日本学術会議」の問題の、事の発端から時系列で見ていくことにいたします。

@10月1日…「しんぶん赤旗」が最初にスクープした学術会議任命拒否報道。

※なぜ、「しんぶん赤旗」がスクープし得たのか。任命拒否された6名のいずれもが、日本共産党と深い関係にあったからにほかなりません。そもそも、「日本学術会議」そのものが日本共産党の影響下にあり、別名赤い巨塔≠ニも揶揄されていたのです。

A10月14日…「しんぶん赤旗」が任命拒否反対の記事を掲載、本質は「学問の自由」の侵害と決めつけ。

B10月14日…生長の家教団ホームページに真理探究への政治介入に反対する≠フ声明を発表。その内容は「しんぶん赤旗」と同じ論調。

※「しんぶん赤旗」と全く同じ日に声明の発表です。何という手回しのよさ、裏で繋がっているのではと思われても何ら不思議はありません。

C10月25日…現教団は、朝日新聞に、教団ホームページに掲載した声明を「意見広告」として掲載。

D10月25日…谷口雅宣総裁がFacebookで生長の家の意見広告が「朝日新聞」に掲載されました。拡散をお願いします≠ニ自ら呼びかける。

※今度は「朝日新聞」と呼応するかのような谷口雅宣総裁のメッセージです。それだけでも、谷口雅宣総裁の並々ならぬ気の入れようが分かろうというものです。

E10月28日…「しんぶん赤旗」に、現教団の「意見広告」が紹介される。

F11月4日…日本共産党の志位委員長が国会質疑の中で「生長の家」を称賛する。

G11月17日…当日発売の『サンデー毎日』に「谷口雅宣総裁が独白」の記事が掲載される。この中で、谷口雅宣総裁はこう語っています。

〈日本会議は私たち生長の家の運動に反対している人たちが作った組織ですから、我々は彼らを悪と言いませんが、私たちとは違う信仰だと知ってほしい。どこが違うか。日本会議は、戦前の日本を肯定するんです。〉

「日本会議」は国民運動を展開している団体であり、しかも、その構成メンバーをみたら私たち生長の家の運動に反対している人たちが作った組織です≠ニは絶対に言えません。

谷口雅宣総裁は、どうしてこんな「ウソ」や「デマ」を平気で飛ばすのでしょうか。

結局、この一連の流れで見えてきたことは、雅宣教団≠ヘもはや日本共産党の「フロント組織」(大衆扇動組織)と言ってもいいほど、赤化≠ウれているということでありました。

その面妖ぶりは、『日本の政治と宗教−護国の神剣−』を拝読すれば一目瞭然です。

ここで、尊師はこうお書きになっておられます。

《奇稲田(くしなだ)姫の奇(くし)は美称、美しい稲田(いなだ)姫のこと。稲田というのは瑞穂の国≠表わしているのであって、地球全体を取巻いている赤き龍≠ェまさに稲田姫≠ツまり日本の国をひと呑みにしようと身構えているのであるというわけなんであります。これは恰度今日の原状であります。…今にも民主連合政権が樹立されそうな形勢になってきている。まさに八岐遠魯智(やまたのおろち)が稲田姫を呑み込もうとしているという状態の時である。
 この時に素佐之男神(すさのおのかみ)が出現せられ、真理の一剣をもって、この赤き龍≠寸断して稲田姫を救い、日本国の実相を顕す時が来るのである》(112頁)

ここに「生長の家」出現の使命がはっきりと示されています。

赤き龍≠ゥら稲田姫(日本国の象徴)を守るために、素佐之男神の真理の一剣¢ヲち「護国の神剣」を打ち揮う、それが生長の家信徒の使命であるのです。

ところが、悲しいかな、今の教団は、赤き龍≠ノ呑み込まれ、その赤き龍≠ニ一緒になって、稲田姫を呑み込まんとしているわけです。

今回の「日本学術会議」の問題で、現教団は、はしなくもそれを満天下に晒すことになりました。

「生長の家」出現の使命を忘失したどころか、逆に、赤き龍≠ニ同志的連帯まで結んでしまった…。

これを尊師が御覧になられたら、どんなにかお嘆きになられることでありましょう。

そう思えば、もはや居ても立ってもいられません。

現教団の現状を憂える信徒は、勇を鼓して、起ちあがるべきときであると思うものであります。


機関誌『生長の家』12月号には、谷口雅宣総裁の赤き龍≠ヤりが遺憾なく発揮されています… (12971)
日時:2020年12月30日 (水) 14時13分
名前:破邪顕正


谷口雅宣総裁は、自らのFacebookにおいて、件の『サンデー毎日』ではインタビューの内容が端折られて掲載されたところもあるので、その全容は改めて機関誌『生長の家』12月号に掲載すると述べていました。

早速、その当該機関誌を読むことにいたしました。

読んで、改めて、谷口雅宣総裁の赤き龍≠ヤりに確信を持つことが出来ました。

なるほど、だから、あんなにも谷口雅宣総裁は、「日本会議」を憎悪し、『日本会議の研究』を読むよう信徒に推奨したのか、大いに合点がいったという次第です。

はっきり言って、すべては、谷口雅宣総裁の思想信条が、日本共産党と同じそれであるということからきているということです。

その象徴的な箇所がこれです。

近代までの日本は、「少数の支配者層がいて多数の被支配層がいて、前者が『宗教』『政治』『学問』の三つの分野の支配権を独占するという社会構造」(20頁)だったとの専制政治的な歴史観に凝り固まっており、「戦前=悪」の歴史観をもって「『右でないといけない』ということを政府がやりだしたら、これは戦前に戻る以外に仕方がないように思いますね」(24頁)、「いまだに『前の戦争は正しい』と言う人がたくさんいるのですよ」(28頁)などと言い放っているのです。

これは、もう、完全なる日本共産党と同じ「階級史観」であり、尊師・谷口雅春先生への真っ向からの批判と見ても何ら差し支えないものであります。

因みに、尊師は大東亜戦争について、どう仰っておられたか。

《私は別に戦争を謳歌するといふわけぢやないのですけれども、起るべくして起つてゐるものを、日本民族の侵略だと言ふのは間違なのであります。》(『神ひとに語り給ふ』294頁)

言うまでもなく、生長の家の教義の根幹は『生命の實相』です。

それを縮約したものが聖経「甘露の法雨」、そのエッセンスを凝縮したものが「大調和の神示」であると言われます。

その「大調和の神示」についての尊師のご講義を掲載しているのが『神ひとに語り給ふ』です。

ところが、この聖典が今や、絶版に処せられている…。

現教団は、表向き、「大調和の神示」は教えの根幹をなすものと言ってはいます。

しかし、そうであれば、それを絶版にして信徒の目に触れさせないということは論理矛盾も甚だしい…。

どうして、こういう矛盾が生じたのか。

そうです、「大東亜戦争は侵略戦争であった」という歴史観に立つ谷口雅宣総裁にすれば、先に紹介した尊師のお言葉が、とても看過し得るものではなかったからです…。

たとえ「神示」であろうとも、谷口雅宣総裁の自分の考え、思想に合わない、不適切と判断されたものは世に出させない…。

自分の考え、思想こそが「神示」にすら優先する…。

何というオソロシイ、オゾマシイ考えでありましょうか。

それを貫徹するには、どうしても著作権を手中に納める必要がある…。

即ち、谷口雅宣総裁にとって、著作権とは出版できる権利ではなくて、その真逆、絶版できる権利そのものとしてあるということなのです。

こういう考えで、谷口雅宣総裁が実質上の絶版に処した聖典は33にも上ります。

そういう人が、よくもまあ、戦前のことを「少数の支配者層がいて多数の被支配層がいて、前者が『宗教』『政治』『学問』の三つの分野の支配権を独占するという社会構造」だと批判できるものだと呆れ返ります。

自分のことは棚に上げて、ひたすら戦前を悪だと決めつける…。

そういうところが、まさしく谷口雅宣総裁は赤き龍≠セと言うのです。






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