《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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〈感謝!〉本日(29日)、教団は「産経新聞」にも「意見広告」を出してくれました!これでますます総裁、並びに教団の実態を信徒が知ることとなって有難い限りです… (12737)
日時:2020年10月29日 (木) 09時53分
名前:破邪顕正


「産経新聞」にも「意見広告」を出してくれたのを好機として、改めて、教団声明の問題点を考えてみたいと思います。

教団声明はこう言います。

〈自然科学の分野と異なり、人文科学の分野では、時代や社会を超えて「真理」として認められたものが数多くあるとは必ずしも言えません。しかし、だからこそ様々な立場の研究者が、自由な発想で多方面から研究を進め、議論を深めていくことで、より「真理に近い」研究成果を見出していく営みが不可欠です。そのような専門的な営みの中では、何が「優れている」かを門外漢が決めてはならないし、ましてや時の為政者の判断によって、研究者間の合意を反故にするような行為があってはなりません。〉

それでは、ここに言う“研究者間の合意”がどんな代物か、見ていくことにします。

その前に、俳優の黒沢年雄さんのコメントが本質を突いていると思いますので、まずはそれをご紹介しておきます。

〈一部の学術会議の方々の話を聞いているが、バカな僕より、バカな方がいる。中国や、北朝鮮から攻撃されたら、どう対処するのか質問されたら…話合いをして解決するべきだ…の答え…。それは子供の思想…〉

こんな“子供の思想”がどうして罷り通ることとなったのか。

歴史的な観点から考えてみましょう…。

まず、「日本学術会議」は昭和25年に「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」を行います。

この表明は占領中のことでもあり、また、大東亜戦争敗戦のショックが国内に横溢していたため、さしたる違和感もなく受け入れられたように思われます。

しかし、昭和42年10月の「軍事目的のための科学研究を行わない声明」には、少なからぬ衝撃を与えました。

だって、ご存知のように、既に自衛隊が存在し、自衛隊用の装備は不可欠であったからです。

当然、装備の研究・開発には高度な科学知識が必要です。

ところが、日本のどこの大学でも安全保障や軍事に特化した講義はもちろん、研究室もなかったのです。

そこで、致し方なく、自衛官は、一般的な研究開発の高度技法や理論につながるような研修でお茶を濁すしかありませんでした。

しかし、それすら東京大学は拒絶しました。

戦後、一貫して、東大は自衛官を受け入れていなかったからです。

ところが先に挙げた昭和42年の声明で、それ以降、東大だけでなく、各大学でも自衛官を大学院に受け入れなくしたのです。

すでに学んでいる院生は各課程修了と共に大学を去らなければならなくなりました。

「学問の自由」と言うのであれば、当然、自衛官にもそれは許されるべきではありませんか。

それより何より、自衛のために必要な「軍事目的のための科学研究」を行わないということ自体、国家の存亡に関わる重大問題であります。

改めて、伺いたいと思います。

この「日本学術会議」の声明に対して、それでも“何が「優れている」かを門外漢が決めてはならない”と擁護しますか。

俳優の黒沢年雄さん“バカな僕より、バカな方がいる”と言った背景には、おそらく“学者バカ”という言葉が脳裏をかすめていたのではないかと拝察いたします。

現実を見ない、知ろうともしない、そういう“学者バカ”の「声明」に、国家の命運を預かる立場の首相が、ノーと言って何が悪いのか。

二言目には「学問の自由」というけれど、その美名のもとに、祖国防衛のあり方、その自由を束縛してきたではありませんか。

「日本学術会議」のあり方について、根本的に問い直す、それはまさしくトキの声である…。

むしろ遅きに失した感すらあるというのが私の思いです。

裏を返せば、それほどまでに、オールドサヨク勢力が力を持っていたということです。

それが証拠に、任命拒否された松宮孝明・立命館大学教授は、「最後に一番今、菅政権におっしゃりたいことはなんでしょうか?」との問いにこう答えています。

「あのー、ここ(日本学術会議会員の任命)に手を出すと内閣が倒れる危険がある。なので、早く手を打った方がいいですよ、と、これは政権のために申し上げておきます。」

こんなことを言うのが、今の学者先生です。

“むかし軍部、いまアカ学者”

こう揶揄されるのも宜なるかな。

しかし、それも今は昔。

そんな“アカ学者”の思うような世の中ではない…。

それを思い知らせたのが、今回の任命拒否だったのだのでは。

それでも、総裁、並びに教団は「日本学術会議」に肩入れするのですか。

総裁も教団も“アカ学者”の支援者!

そう思われてもいいという覚悟での「意見広告」だと私は見ます。

心ある信徒の皆さん!

それでも“中心帰一”していきますか…。

「意見広告」を読んで、じっくりとお考えいただければと思います。



《あれから40年》かつて「日本学術会議」と戦った生長の家は、今やその応援団となってしまいました… (12742)
日時:2020年10月30日 (金) 15時16分
名前:破邪顕正

「日本学術会議」の実態がどんどん明らかになって、信徒の中には、“夫から生長の家を辞めろ、生長の家であることが恥ずかしい、と言われてしまいました”という声が私の耳に達するまでになりました。

さもありなん。

今回の「意見広告」で、生長の家が「日本学術会議」の支援団体であることが満天下に晒されたのですから…。

“生長の家はサヨク教団”

世の中の目は、生長の家をはっきりとそう見るようになったと言ってもいいのではないでしょうか。

もはや、教団信徒の言う「生長の家は昔と何ら変わってはいません」という詭弁は全く通用しないことを思い知るべきです。

今後、このことが、いろんな意味で影響を与えることになるでしょう。

思えば、かつての生長の家は、この「日本学術会議」と真っ正面から戦ってきました。

元号廃止=西暦一本化の動きは、今、問題となっている「日本学術会議」が、昭和25年4月26日の第6回総会で、「日本学術会議は、学術上の立場から、元号を廃止し、西暦を採用することを適当と認め、これを決議する」に端を発するからです。

その際、掲げられた理由の一つがこれでした。、

〈元号は、いままで皇室典範において規定され、法律上の根拠をもっていたが、終戦後における皇室典範の改正によって、右の規定が削除されたから、現在では法律上の根拠がない。もし現在の天皇がなくなれば、「昭和」の元号は自然に消滅し、その後はいかなる元号もなくなるであろう。今もなお元号が用いられているのは、全く事実上の堕性によるもので、法律上では理由のないことである。〉

このままでは、「昭和」が最後の元号になってしまう。

それを何としても阻止しなければならないとして、生長の家は教団をあげて「元号法制化」に尽力したわけです。

つまり、この運動に取り組むということは、取りも直さず「日本学術会議」と戦うということを意味していたのです。

そして、それに見事、勝利することができて、ご存じのように「平成」「令和」という元号が生まれてきたわけです。

ここで、興味深いのは、歴史学者の滋賀秀三・東京大学名誉教授(東洋史専攻、故人)が1986年(昭和61年)に書いた「随筆−−元号のこと」(『日本学術会議月報』第27巻第12号)という文章です。

元号が法制化されたことを如何に苦々しく思っていたか、当時の「日本学術会議」の様子が手に取るように分かります。

〈周知のように、学術会議は発足間もない頃に、新憲法によって法的根拠のなくなった昭和という元号を慣性的に用いることを止めて、過去は問わず将来に向かって紀年法を西暦に一元化することを、政府に対する要望という形で提案している。かつ学術会議関係の文書にはすべて西暦を用いることを申し合わせ、実行してきた(この申し合わせは今期の初仕事、「日本学術会議の運営の細則に関する内規」制定の際に、他のあまたの申し合わせ等と一括して廃止されてしまったが)。これと逆行する立法の動きが出て来たことに対して黙してはおられないという気持ちが、相当数の会員の間に起こっていたのは無理からぬことである。〉

 続けてこう言います。

〈学問・思想の自由委員会の肝煎で全会員に配布された、初期の大先輩達が物した元号廃止の議の簡潔な文章を見て、私は得も言えぬ感動を覚えた。それは一点の曇りなき合理性の主張である。このように清冽な言葉が(しかも殆んど全会一致であったという)語られ得た時代があったのかという新鮮な驚きを感じた…紀年法については、元号法の制定によって既に問題は決着したかに見える。しかし果たしてそれでよいのだろうか。元号で生活していたのでは歴史年代の正確な感覚が身につかないだけでなく、世界の動きの中に己を位置付けて見る眼、己もまた世界の中の普通の一員なのだという感覚が知らず知らずのうちに鈍磨してしまうのでなかろうか。……1億以上の人間が絶えず頭の中に換算する手間を積算すれば膨大な思考力の浪費と言うべきであろう〉

これを紹介したのは他でもありません。

「日本学術会議」が、設立当初から、反日・反天皇集団であったことを知ってほしいと思ったからです。

有難いことに、今、ネット界隈で、「日本学術会議」の思想性がどんどん暴露されてきています。

参考に、これをご紹介しておきます。

http://hanaku.info/archives/11898

このような団体を、あろうことか、現教団は応援しようというのです。

40年前は戦う相手だったのに…。

どうしてこんなに変わってしまったのか。

それは一にかかって、生長の家教団が“アカ総裁”に乗っ取られてしまったからこそです。

今回の「意見広告」を見て、心ある信徒の目が覚めることを心から願って已みません。



「日本学術会議」が何故、軍事的安全保障研究に関与しないという声明を出したのか、その背景にあるものが透けて見えてきました… (12746)
日時:2020年10月31日 (土) 10時38分
名前:破邪顕正


「日本学術会議」は、今から3年前の2017年3月24日、「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表しました。

その冒頭には、こうあります。

〈日本学術会議が1949年に創設され、1950年に「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」旨の声明を、また1967年には同じ文言を含む「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発した背景には、科学者コミュニティの戦争協力への反省と、再び同様の事態が生じることへの懸念があった。近年、再び学術と軍事が接近しつつある中、われわれは、大学等の研究機関における軍事的安全保障研究、すなわち、軍事的な手段による国家の安全保障にかかわる研究が、学問の自由及び学術の健全な発展と緊張関係にあることをここに確認し、上記2つの声明を継承する。〉

つまり、占領中の精神を、どんなに時代が変わろうと、21世紀に入った今も守るというわけです。

どうして、そこまで頑ななのか、どういう了見でこういう声明を出したのか。

任命拒否された6人の内の一人、岡田正則・早稲田大教授の発言を聞いて、「なるほど、それでこういう声明となったのか」と合点がいきましたので、それをご紹介します。

(詳細を知りたい方は、こちらをご覧ください。

https://twitter.com/dappi2019/status/1320722368260571141?s=19)

要するに、こういうことです。

〈岡田正則「相手が軍備を持ってるなら、日本も武器を持たなくてはいけないは時代遅れ!」

門田隆将「武器でなく自衛能力。弾道ミサイルを防ぐ方法を研究してもらわないといけない」

岡「話合いで武器を使わないようにするのが自衛」〉

だから、すべては話し合いで解決するのだから、軍事的な研究などは必要ない…。

で、問題なのは、それが「日本学術会議」全体の意見と見なされたということなのです。

これでは、余りにも非現実的でお花畑過ぎる…。

それこそが、まさしく“時代遅れ!”と言わざるを得ないと思うのです。

学者の狭い界隈で、どう夢想しようがそれはそれで自由でありましょう。

しかし、首相は、国家の安全保障に全責任を負うわけです。

責任の重みが学者先生たちとは全然、違うのです。

そういう立場にある首相として、現実をまるで無視したようなことを能天気に述べるような「日本学術会議」を“総合的・俯瞰的”に見直すことのどこがオカシイのでしょうか。

問題は、「日本学術会議」の中に、この声明に違和感をもつような学者がいないのか…。

常識的に見て、こんな声明を出すのはオカシイ…。

そういう良識をもった学者先生はいないのか、ということなのです。

もし、そうだとしたら、これは余りにも偏り過ぎている…。

「日本学術会議」に“多様性”を認めるべきというのは、当然、あって然るべきではありませんか。

拒否された6人の方達が表に出れば出るほど、「日本学術会議」そのものの“異常性”が明らかになって、私はそれはそれで本当に有難いと思うばかりです。

だって、これで、総裁が“アカ総裁”であり、教団が紛うこと無き“サヨク教団”であることが否定し得ないこととなったのですから…。

よくぞ教団は「意見広告」を出してくださいました。

さすが“確信犯”である総裁だけのことはあります!



「日本学術会議」とかけて占領軍と解く、その心は… (12749)
日時:2020年10月31日 (土) 13時10分
名前:なぞかけが好き


日本弱体化のために、意図的に設けられたのが「日本学術会議」なのだから、それを貫く精神は、もちろん

“マッカーサー(真っ赤さ)”



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