《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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「トキ」さんへー“愛想が尽きた”のに、そこに留まらなければならない積極的な意義はいったい、どこにあるのでしょうか… (12665)
日時:2020年10月07日 (水) 13時51分
名前:破邪顕正

表題は、「トキ」さんのこの投稿を読んでの率直な感想です。

………………………………

北杜市にある本部は外国よりも遠い (34352)
日時:2020年10月03日 (土) 00時40分
名前:トキ
 現場の役職者と話すと、最近の本部の方針にはほとほと愛想が尽きたと言います。

 現在の本部の方針は、谷口雅春先生の教えとは全く関係のない内容になっており、それを役員に強要する姿勢が目立ちます。ところが、現在でもある新規の入会者は、大半が谷口雅春先生の教えを学びたいという動機で入られる方ですから、その間の齟齬に悩む人もいます。また、役職者になると、本部の方針に従えという圧力は大変なものになります。

 もちろん、役員や講師の中にも、現在の方針が正しいと思い込んでいる人もいます。毎日、「新経本」を読んでいる人も実際にいます。ところが、これは私の周囲だけの話かもしれませんが、こういう人に不幸な出来事が起きるケースが散見されます。他人の不幸を喜ぶ趣味はないので、皆様、口には出されませんが、偶然というにはあまりにも頻度が高いので、内心では恐怖を覚えています。

 会員の中には、谷口雅春先生の教えを学び伝承するべきか、今の教えを学ぶべきか、悩んでいる人も多いと思います。組織にいる以上は、今の教えを学べという圧力が有形無形にあります。が、今の教えを学んでも良いことがあるとは私は思えません。面従背腹と言えば聞こえは悪いですが、争いは避けるべきですが、同時に自分の信念を曲げることはないです。

 北杜市にある本部は、信徒から見たら、わけのわからないことを言っている集団です。はるか遠くにある人たちに従うか、自己内在の神様の指導に従うか、結論は明らかだと思います。

…………………………………………

「トキ」さんの投稿は、毎回、興味深く拝見させていただいておりますが、今回の投稿もご多分に漏れず、とても貴重なものでした。

“教団内本流派”でなければ書き得ない視点ではないかと思いました。

タイトルがこれまた素晴らしい!

つまり、私たちの愛する「生長の家」はもう遠くに行ってしまったのだ、という慨嘆がそこには込められているように思えたからです。

それは、“本流派”に連なる信徒であれば、大なり小なり、共通せる感情ではないでしょうか。

だからこそ、もう一度、遠くに行ってしまった尊師の「生長の家」を自分達の手で取り戻す、そのために起ちあがったのが、教団から離れた私ども“本流派”の心意気なのだと私は理解しています。

ところが、「トキ」さんは、それでも組織に残れ、という。

私に言わせれば、それは一種の“受難礼讃”ではないのか…。

だって、今の教えに救いはないのですよ。

救いがないどころか、「トキ」さんの周りには、不幸な出来事まで生じているというではありませんか。

それが分かっているのに、どうして、そこに残らないといけないのか…。

残れば、「トキ」さんも指摘するように、嫌なモノを強要されるわけですよ。

だから、勢い、仕方なく面従腹背の生き方をとるしかない…。

禄を食んでいる職員であれば、それはそれで致し方ないかとは思います。

しかし、それもやはり限度というものがあります。

面従腹背というのは、実に、辛いものですよ…。

現に、本部職員の中には、その結果として、心の病にかかり執務不能になった人まで出ているわけでしょ…。

職員ですら、そうなのに、どうして、それを一般信徒に言えますでしょうか。

面従腹背というのは、総裁の言葉を借りれば、“スリーパーセル”ということですよね。

組織に残れというのは、ザックリ言って“スリーパーセル”として生きよ、そう言っているに等しい…。

私が「トキ」さんに、苦言を呈したのは、そういう生き方を、尊師とか先人とかを持ち出して正当化しようとしたことに強い違和感、抵抗感があったからに他なりません。

そうではなくて、「トキ」さんの自らの言葉で、組織に残る意義を語ってほしかった、そう思っているのです。

でも、今回の投稿もそうですが、組織に残る積極的な意義がいったい、どこにあるのか、ますます理解不能です。

一方で、組織に残れといい…。

方や、その組織には愛想が尽きたとも言う…。

では、どうしたらいいのか。

で、その結論はというと

“自己内在の神様の指導に従う”

「愛想が尽きたから、もうここには留まれません」

“自己内在の神様の指導に従”った結果、私は、今の道を選ばせていただきました。

それで良かった。

否、それが良かった。

それが最高だった!

身を以てそう断言することができます。

だからこそ、「トキ」さんには、かかる状況下、それでも組織に残れという、なるほどと納得のいく説明を私は期待しているのです。


「トキ」さんの投稿から、「習思想」必修化の話を連想してしまいました… (12666)
日時:2020年10月08日 (木) 09時03分
名前:破邪顕正


教団に残るということは、煎じ詰めたところ、総裁への中心帰一を陰に陽に強要されることを覚悟しなければならない…。

以前から、今の教団は“総裁専制体制”であると私は言ってきましたが、それがどんどん強化されているのだということを「トキ」さんの投稿から知らされました。

……………………………………

主観的にみて (34365)
日時:2020年10月03日 (土) 11時03分
名前:トキ
 現在、教団は信徒が激減していますが、それでも会員は確か3万人ほどいたはずです。聖使命会員も30万人ほどいたはずです。国外にも同程度の数の信徒がいるはずです。そのような組織の指導者が動画をアップして、その程度の数字というのは、やはり少ないと言えると思います。

 ちなみに、教団の役職者は、総裁が動画をアップするなどすると、これを「拝聴するように」という連絡が本部から届きます。職員に至っては、拝見が義務となります。

 少数意見は尊重すべきですが、現在の組織の現状を鑑みると、現状の改革は必要と信じるものです。

……………………………………

文中にある「拝見が義務となります」から想起したのが、表題のことです。

先日、「日本経済新聞」がこう報じました。

〈「習思想」名門大で必修化 中国、知識層狙い統制強化

【北京=羽田野主】中国の習近平(シー・ジンピン)指導部が国内の有力大学で思想教育を加速している。習指導部の強権的ともされる手法に反発する声が知識層らの間で上がっているためだ。優秀な若者や名門大学の関係者への統制を強める狙いがある。〉

第二の毛沢東を狙っているといわれる習近平。

その手始めが、「習思想」の必修科ということなのでしょう、

これが本当の“学習”だとでも言わんばかりの、怖い雰囲気がどんどん高まっています。

問題は、その背後に蠢いているものなのです。

こういう記事が目に止まりました。

〈今、ナチスの思想家を尊敬する中国の「御用学者」たち─習近平の「独裁」を全力応援。

反体制派に対する統制を強化する中国・習近平政権の背後には、独裁と共産党の一党体制を礼賛する「御用学者」たちの援護があった。アメリカに代わる超大国に押し上げようとする国粋主義のインテリたちを米紙が取材した。〉

アメリカが何故、俄に、中国共産党攻撃に転じたのか。

その背後に、ナチスの亡霊を感じ取っているからに他なりません。

それが見えないと、今日の米中対立の本質は理解できません。

今、トランプ政権の対中政策の指南役と評されているのが、余茂春(マイルズ・ユ)。

ポンペオ国務長官が7月下旬に行った中国共産党を批判した演説のベースを作ったとされ、中国内で「米国の手先」などと批判にさらされています。

何を申し上げたいか。

専制体制からは、必ず脱出する人が出て来る…。

昨日は、「北朝鮮のイタリア大使代理、韓国への亡命が判明」というニュースも飛び込んでまいりました。

現教団が、強要を迫れば迫るほど、それに嫌気を指す人は出てくるであろうということです。

そこで、大事になってくるのが、脱出したあとのことです。

余茂春が「米国の手先」などと罵られようと、自らの良心に従い、中国共産党の非を訴え続けているように、やはり声をあげていかないといけない、そう思うのです。

ここで、ダライ・ラマを思います。

亡命したならば、亡命したところで、亡命政府をつくる…。

そういう生き方は当然あるべきだと思うのです。

私は、そういう生き方を志したいと思っています。

信徒が、“総裁専制体制”の下で、呻吟するのを決して座視していてはならない。

亡命政府のあり方が、私どもに一つの目指すべき方向性を与えていると思っているのです。

その存在が、組織に残る信徒にとって、一筋の光にでもなればいいというのが私の思いです。



“教団内本流派”というのは、やはり教団内で目の敵のように扱われてしまうというのを改めて感じています… (12671)
日時:2020年10月09日 (金) 09時53分
名前:破邪顕正


「トキ」さんは、私にとって、何度も申し上げますが、とても得難い、有難い存在です。

教団が如何におかしくなっているか、それを「トキ」さんは身を以て証し立ててくれているからです。

その「トキ」さんが、おそらくは“総裁絶対支持者”と目される方から、いろいろと非難され、そのために、わざわざ、こういう反論投稿をしなければならないというところに、却って、現教団の異常さが浮き彫りになっている…。

私にはそう思えて、非常に興味を覚えた次第です。

………………………………………

何を言い出すやら (34428)
日時:2020年10月06日 (火) 00時47分
名前:トキ
 上記の投稿者様はかなり激怒していますが、おかげで内容が錯乱しております。自分としては、現場の人間が普通に感じていることをそのまま書いたのですが、それを読んで誰かの逆鱗に触れたみたいですが、その感覚の落差に驚いています。

 元の話も何も、私の元の話は本部の方針が谷口雅春先生の教えとは全く関係ない話を展開しているという話題です。それを読んで、反論ができない人が、全く違う話を言い出して話をそらそうとしているので、何も関係ないです。共産党の話など、私は全く触れてもいません。どうでもいい話を持ち出して、読者に迷惑をかけるのはやめてください。

 あえて共産党の話を持ち出すので仕方なく触れますが、共産党と言えば、大幹部だった袴田里見や筆坂秀世も言っていますが、日本共産党はトップは贅沢な暮らしをしていますが、末端の職員は給料が遅配、欠配が続き、はっきり言って貧乏どころか極貧だと言います。生長の家も、本部員と教区の職員に格差はありますが、ここまでひどくないです。格差が問題なら、共産党がまず自分たちの内部の格差の是正からはじめればいいのであって、それを他の人に言うのは順番が違います。(まあ、それは共産党内部で議論をすればよい話で、外部の人間がそれについて容喙するのは余計なお世話ですが。)

 本部の方針に話を戻します。

 例えばの話、本部が出している2020年度運動方針を読むと、「生命の実相」「甘露の法雨」と言う言葉は消えています。谷口雅春先生という表記も主要行事日程中の「谷口雅春大聖師年祭」を除けば消えています。人類光明化運動という言葉も消えています。年号の表記も元号は使われていません。運動の目標は「”新しい文明”の基礎を作るため」と運動方針の表紙にも明記されています。

 以上を普通の読解力のある人が読めば、谷口雅春先生の教えとは似ても似つかぬ内容になったと理解できます。

 だいたい、過去、総裁が主張していた両軸体制は、信仰の真髄には手を触れないというものでした。今回の運動方針を読むと、どう見ても信仰の内容は変化していると言えます。この齟齬について、本部は説得力のある説明をしているとは私は思えません。これは私だけではなくて、私の周囲にいる、少なくない現場の人間が、現実にそう話しているのです。

 私もそれはおかしいと言っているのでです。

…………………………………………

私も「トキ」さんに全く同感です。

だから、私も、それについては思うところを随分、ここで書いてまいりました。

それに対して、どういう反応を頂戴したか。

生長の家は悪口を言わないところ、だから、「谷口雅春先生を学ぶ会」は生長の家ではない…。

そのように、長年、“悪口”を言われ続けてきました。

教団の有り様を批判すること、現総裁の思想的問題を論ずることはすべて“悪口”に過ぎない…。

そのようにしか受け止めようとしないことに、私は失望するしかありませんでした。

それが、今度は「トキ」さんに向けられている…。

この構図を目の当たりにして、もはや同じ「生長の家」と言っても会話が成り立たないところまで来ているのだなと思わざるを得ませんでした。

わかりやすく、話を単純化すると、尊師の頃は「生長の家」の信徒で、共産党を支持するなんていう人は殆どいませんでした。

同類親和の法則というのがあって、そういう人は、そこにはいられない、そういう雰囲気があったものです。

「生長の家」と共産党とは、まさに水と油、混じり合うことはない、そういう雰囲気がありました。

ところが、どうでしょう。

今の総裁となってからは、堂々と共産党支持を表明する信徒が生まれて来た…。

「占領憲法」を「平和憲法」だとしてそれを護持することを堂々と言って憚らない信徒まで出て来た…。

もしかしたら、今の教団内で、憲法改正を言おうものなら、総裁に弓引く者として白眼視されるやもしれません。

つまり、「生長の家」はもはや昔の「生長の家」ではない、完全に変わってしまったのだと言いたいのです。

尊師の時代を知る信徒からすれば、今の教団は実に居づらい…。

どんどん、自分達の居場所が狭くなっている…。

そう思うのです。

だって、「トキ」さんの言っていることは至極、真っ当でしかないからです。

その真っ当な意見が非難を受ける…。

「トキ」さんには、それに決してめげないでほしいと思います。

これからも、教団内で、オカシイと思うことがあればどんどん紹介していってもらいたい…。

それが内外にいる“本流派”にとって大きな励ましとなると信ずるからです。


「トキ」さんは“教団や信仰には愛想は尽かしておりません”そうで、了解しました… (12679)
日時:2020年10月10日 (土) 10時26分
名前:破邪顕正


「トキ」さんがこういう投稿をしています。

………………………………………………

雑感 (34567)
日時:2020年10月07日 (水) 22時37分
名前:トキ
 破邪顕正さんが特定の掲示板を愛用する理由は不明です。

 ただ、一般論として、トラブルを避けるため、自分が信頼する掲示板以外に投稿すること自体はあり得ます。

 その上で、私は、教団や信仰には愛想は尽かしておりません。それが返答です。

…………………………………………………

私は、管理人さんの意見に賛同して、ここの掲示板を利用させていただいています。

お世話になる以上は、その約束を守る、それは最低限のルールであり、エチケットなのだと思っています。

「トキ」さんの言うように、トラブルを避けるためには、お互い、その約束を守り、言いたいことがあれば、その旨、それを受け容れてくれる掲示板で投稿していけばいい、そういう棲み分けこそが一番いいと思っています。

ガチでやりあわなくとも、読んでいる人が、どちらの意見に賛同するかは、それぞれが判断すればいいだけのことで、それを提示させていただくだけでいいというのが私の考え方です。

そういう思いで、私は「トキ」さんの投稿をここに紹介し、それについて、私の考えを述べていくようにしています。

どうして、そういう形式を取っているかと言えば、この掲示板を読んでいる方に、「トキ」さんの考えを、ぜひ、知ってほしいと思っているからです。

他掲示板の投稿をここに紹介するのは、本流派にとって、とても参考になると思うからこそです。

さて、今回の投稿で、「トキ」さんの周りの人は教団に愛想尽かししていても、自分はそうではない…。

「トキ」さんの、そのお気持ち、了解しました。

であれば、「トキ」さんには、周りの愛想尽かした信徒にどう説得しているのか、それをお伺いできればと思います。

どういう根拠をもって、自分は愛想尽かしはしていないと言うのか、実に関心があります。

だからと言って、何も私はその答えを強要するつもりは毫もありません。

それは弁えるべき礼儀であると思っているからです。

愛想尽かししないのは何故か…。

教団に残り続ける信徒の心理は奈辺にあるか…。

それを読み解くのも、私どもの運動の発展のためにぜひ必要であると思うからです。

今後とも、「トキ」さんの投稿には、勝手ながら私なりに注目していきたいと思っています。

“教団内本流派”が、これから先、総裁専制体制下で、どのようにして生きようとしていくのか、とても重要なポイントであると思うが故にです。


私が「トキ」さんに関心を抱く理由を書いておきます… (12691)
日時:2020年10月12日 (月) 16時36分
名前:破邪顕正


経済学用語に、「埋没費用」と「機会費用」というのがあります。

前者は、「もったいない」「元をとらないと」「損をしたくない」というような考え方を指します。

例えば、1,800円を払って映画館に入ったとします。

しかし、最初の10分で、これは思っていたような映画ではない、面白くないなと感じたとします。

でも、「もう、お金を払ってしまったのだから損はしたくないし、もしかしたら、これから先、面白くなるかもしれないから、最後まで見よう」という考え方です。

後者は、それとは逆で、映画が面白くないと思ったら、サッと見切りをつけて、映画館を出て、そこで得た時間を別のことに使おうとする考え方です。

どちらを選択するかは、人それぞれだと思います。

一概に、どちらがいいかは言えないと私は思っています。

どうして、この話を紹介させていただいたか。

教団に残っている信徒の中には、案外、前者の考えを持っている人が多いのではないかと思ったからです。

長年、お付き合いしてきた仲間がいるし、それを今更、失うのはもったいない…。

組織の中で築いてきた立場もあるし、それを失うのは誠に損である…。

今はちょっとオカシイと思うことようなこともあるけど、4代目さんになったら変わるかもしれないし、それに期待して、このまま最後まで残り続けることにしよう…。

そういう考え方をもって組織に残り続ける…。

それもまた一つの立場であり、見識であるとは思います。

それに対して、後者は、残り続けた結果、案の定、つまらないものだったと分かったらどうなるか…。

後悔、先に立たず。

あの時間はもう戻ってはこない…。

そういう悔いだけはしたくない…。

何でも、アメリカのある地域では、90歳になると、こんなアンケートが取られるのだそうです。

「90年間の人生を振り返って、もっとも後悔したことは何ですか?」

この問いに対して、なんと9割の人がまったくの同じ回答だった。

「もっと冒険しておけばよかった…」

こういう後悔だけはしたくない。

だから、このまま居残り続けても、時間がもったいないだけ。

その時間を、もっと有意義な、自分の好きなことに活かしていこう。

そう決断して、きっぱりと教団に見切りをつける…。

現総裁の存在は、信徒ひとり一人に、どちらの生き方を選択するのか、それを問うているのではないのか…。

私にとって、「トキ」さんは、好対照な生き方を選択しているということで、一目置かざるを得ない存在になっているのです。





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