私の投稿を総裁に対する憎しみ、恨みの次元で捉えられていることにはきちんと反論させていただきます… (12655) |
- 日時:2020年09月30日 (水) 12時01分
名前:破邪顕正
ここに、投稿する以上は、反論が出てくるのは当然のことだと覚悟しています。
ですから、どんどん、反論してくださって何ら構いません。
実際、そういう反論大歓迎の掲示板も別に用意されているわけですから、それはそれで結構なことだと私は思っています。
却って、それによって、それぞれの掲示板の色分けが出来、その掲示板の特色となっていることは、実に歓迎すべきことではないかと私は思っています。
「トキ」さんに代表されるように、私も、他の掲示板から、いろいろと啓発されてもいます。
“本流支持”の掲示板あり、それとは逆に“アンチ本流”の掲示板あり…。
それこそ、多様性があっていいではありませんか。
掲示板は、その宿命として、常にアラシ≠ノ晒されます。
それを避けるために、棲み分けでいく…。
実に、分別あるやり方ではないでしょうか。
その方が、お互い、気分を害することなく、嫌な気分に襲われることもなく、それぞれの掲示板を楽しむことができるのではないのか。
そういうことで、私はいろんな掲示板の存在を有難く思っている者の一人でありますが、ただ、中には、残念に思うこともあります。
それが表題に書いたことです。
何も私は私憤に駆られて、それで投稿し続けているわけではありません。
そのことだけは、ぜひ、ご理解いただきたい。
ご存じのように、尊師は一貫して、中国共産党やソ連のことを批判してこられました。
しかし、それはあくまでも共産主義、社会主義の、その主義主張、思想についてのそれでした。
『理想世界』誌・昭和44年4月号「十六日のことば 他の悪口をいうなということと社会主義批判とは別」にこうあります。
《社会主義がどういうものであるかの批判は、思想批判であり、その運動形態の真相発表であって人間の欠点指摘ではないのである。主義とか思想とかいうものは、人間をどういう方向に導いて行くかの指針となり、「指導力」をもっているものであるから、その主義を奉じたならばどの方向へ国民は行くことになるぞ、という道案内になり指針となるのが主義批判であり、思想解説であり「人の欠点の噂話」をすることではないのである。》
私が、総裁に対していろいろとモノ申すのも、谷口雅宣氏が“生長の家総裁”なればこそなのです。
総裁としての発言は、それはそのまま教団の方針となります。
そして、それがそのまま信徒をその方向へと導いていくことになるのです。
それを危惧するからこそ、モノ申しているのです。
私は、総裁の“思想性”こそが一番の問題であると思い、その批判を展開している…。
常に、その思いから投稿しているのであるということだけは、“アンチ本流派”の皆さんにも分かっていただきたいと思う次第です。
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