《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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《ご報告》本日、「谷口雅春先生を学ぶ会」は創立18周年を迎えました… (12650)
日時:2020年09月27日 (日) 17時00分
名前:破邪顕正

本日、9月27日は、「大調和の神示」が天降った日です。

その日に、「谷口雅春先生を学ぶ」誌の創刊号が発刊されました。

で、この日をもって「谷口雅春先生を学ぶ会」では、創立記念日とさせていただいております。

本日、午前11時より、“祝「宗教法人」格取得 創立18周年記念式典”が日本橋練成道場にて、開催されました。

式典の中で、「創刊の辞」が読み上げられました。

改めて、ここに紹介させていただき、発会の思いをともに確認してまいりたいと思います。

〈今、生長の家の創始者である谷口雅春先生のみ教えは廃れつつあると思わざるを得ません。次の世代においては消え去ってしまうのではないかとの危機感さえ持ちます。それは、信徒の数が減少しつつあることを言うのではありません。たとえば、谷口雅春先生のご著書の一部が絶版の状態にあることや、谷口雅春先生のみ教えをそのまま伝えようとしている幹部が次々と辞めさせられたり、左遷されたりしている事態のことを言うのです。
「生長の家は原理主義ではない。いまや時代は変わった。多様性を持ち、時代に合わせて進歩していって当然である。法燈を受け継いだからには、私の説くことがいまの生長の家の教えである。」と谷口雅宣副総裁が主張されていることは、皆さんご承知のことと存じます。しかし、副総裁の説く「真理」たるや、信仰とは何の関係もない雑論がその大半を占め、ときには谷口雅春先生のみ教えを否定することさえ言われております。
 谷口雅春先生の謦咳に親しく接してきた信徒にとっては耐えられない思いです。もうこれ以上黙視してみ教えが滅びるのを待つことはできません。我々には谷口雅春先生のみ教えの真髄がどこにあったのかを正しく追究してそれを世に問い、次の世代に残していく責務があります。
 我々は立ち上がります。谷口雅春先生のご著書をひもとき、史実によってその偉大なご業績を追い、もろもろの資料を質し、あわせて身近にかつ永年谷口雅春先生のご薫陶をお受けになった先達方のお話を拝聴し、み教えの真髄を究明し、編集し、記録に残すとともに、これを大方の批判に供することを決意しました。
 とりあえずは、その研究結果を定期的に発表する『月刊 谷口雅春先生を学ぶ』を創刊いたしました。ぜひお目通しを願いご意見をいただくとともに、ご賛同者のご支援を賜りたいと存じます。〉

今を去る18年前の平成14年、既に、先輩達は、現教団がどうなっていくのか、それを見事に予見、喝破しておられたということが、この「創刊の辞」にはっきりとうかがわれます。

この先輩達の思いを受け継ぎ、「生長の家」創立90周年の記念すべき本年3月2日、年来の願い「宗教法人」格を取得し得たことは、何よりのよろこびであります。

御年92歳の中島省治代表から、素晴らしい記念講演をいただき、更なる前進を誓い合う式典に花を添えていただいたことに心から感謝し、ご報告に替えさせていただきます。


中島省治代表の記念講演を伺って思ったこと… (12652)
日時:2020年09月28日 (月) 08時54分
名前:破邪顕正

記念講演で、中島代表は、「大調和の神示」の意義についてお話しくださいました。

ご存じのように、「神示」は33あります。

この「大調和の神示」はその7番目に位置します。

それが、昭和6年9月27日夜のことでした。

で、代表は、生涯を出版事業に捧げられてきた立場から、その「神示」が初版革表紙『生命の實相』に収録されていることに注目されます。

これが発行されたのが、昭和7年1月1日。

印刷納本は、昭和6年12月27日とあります。

ご存じのように、この本はとても分厚いもので、総頁は1,000頁を超えます。

これだけのものを印刷、製本、発刊するとなると、相当な時間を要する…。

つまり、当時の印刷、製本事情から察するに、9月27日に天降った「神示」を、年末までに納品する予定で進められていた、初版革表紙『生命の實相』に掲載するのはほぼ不可能…。

しかし、尊師としては何としても、この「大調和の神示」を掲載したいと思われたのではなかったか…。

しかし、それを急遽、差し込むには、その空き頁がない…。

どうするか。

そこに神様からのインスピレーションが天降った…。

表紙ウラのスペースがあるではないか。

ということで、そこに小さな文字で、この「神示」を掲載なされた…。

7番目でありながら、この「神示」に、そこまで尊師が拘られたのは、それが「生長の家」の教義の神髄であったからに他ならない…。

現に、その後、10種類以上の様々な『生命の實相』が発刊されているが、いずれにおいても、その冒頭には、この「大調和の神示」が掲載されている…。

そのことをもってしても、この「大調和の神示」が如何に重要な位置を占めるものであるか…。

そういう日に、「谷口雅春先生を学ぶ会」が創立されたことの意義を改めて噛みしめてほしい…。

中島代表のこの言葉を、私ども会員はしっかと受け止めていかなくてはならない…。

今、組織を挙げて、コロナ終熄の祈りを込め、「大調和の神示」の写経運動に取り組んでおりますが、それに更に励んでいきたいと思ったことでした。




9月27日は昭和天皇とマッカーサー元帥とのご会見の日でもあります… (12657)
日時:2020年09月30日 (水) 17時09分
名前:破邪顕正


「大調和の神示」が天降った9月27日は、昭和天皇がマッカーサー元帥に極秘裏に会談なされた日でもあります。

中島代表の出版人としての何よりの喜びは、『今上陛下と母宮貞明皇后』(筧素彦・著)を出版できたことであるとよく言われます。

それもそのはず、昭和天皇が最晩年、お手にしてお読みになられていたのが、この本であったからです。

昭和天皇はお相撲好きであられましたが、贔屓の力士については質問されても決して明かされることはありませんでした。

贔屓の力士を言えば世間が騒ぎ、色々な人に迷惑がかかるとご配慮なされたからです。

にも関わらず、昭和天皇がお読みになられている本がこれである…。

しかも、それを報じたのがNHKのニュースであった…。

出版人として、これほど嬉しいことはなかった、代表はよくそう言われます。

この本がきっかけで、代表は、著者の筧先生と親しく交わられることとなります。

筧先生がどういう方か。

履歴にはこうあります。

〈明治39年7月8日東京生まれ。昭和7年東京帝国大学法学部卒業。同年内務省入省。昭和10年宮内省に移り、参事官、大臣秘書官、大臣官房総務課長、皇太后宮職事務主管を歴任。昭和20年8月15日終戦の玉音放送を極秘のうちに放送局に運んだ。昭和23年病を得、昭和27年退官。のち、全国市町村職員共済組連事務局長を経て、昭和45年地方団体関係団体職員共済組合理事長、昭和48年都市職員共済組合連監事。そのほか、財団法人報公会理事、社団法人日本弘道会評議員などをつとめる。平成4年4月10日没。著書に『今上陛下と母宮貞明皇后』などがある。〉

この履歴で、注目すべきは、“昭和20年8月15日終戦の玉音放送を極秘のうちに放送局に運んだ”という箇所です。

当時、筧先生が、陛下の御側近におられたことが、これでよくわかります。

その筧先生が中島代表に直にお話になったのが、昭和20年9月27日、昭和天皇がマッカーサー元帥にお会いになるべくお車にお乗りになられたときのこと。

皇后陛下(香淳皇后)は、これでもう二度とお会いすることはできないかもしれない…。

そのまま逮捕され、お帰りになられることはない…。

そこまでのお覚悟でお見送りなされたというのです。

その話を伺って、当時の状況下、マッカーサー元帥にお会いなさるということは、それほどまでに大変なことであったのか…。

正直、想像だにし得ませんでした。

しかし、ご存じのように、この会見によってマッカーサー元帥の「天皇観」は一変し、日本の“国体”はすんでの所で護られたのでした。

尊師は、後に、このマッカーサー元帥との会見に臨まれる昭和天皇のお車の前に立たれていたのは住吉大神であると仰いました。

その日が“皇恩に感謝せよ”という「大調和の神示」の天降った日であること。

その日をもって「谷口雅春先生を学ぶ」誌が創刊されたこと。

「谷口雅春先生を学ぶ会」は“皇恩に感謝せよ”この真理を徹底して宣布する、その大いなる使命を帯びて創立されたのであるということをここに改めて肝に銘じたいと思う次第です。


安倍前首相の一番の功績は「伊勢志摩サミット」の成功である… (12658)
日時:2020年10月01日 (木) 13時33分
名前:破邪顕正

中島代表は、記念講演の中で、安倍前首相のことに言及され、一番の功績は、サミットに集った各国の首脳が、伊勢神宮を参拝されたことである…。

ところが、その功を誰も挙げていないのは実に心外…。

宗教の垣根を越えて、天照大神に詣でる…。

それを行い得たのは安倍首相なればこそである…。

このことはもっともっと高く評価されて然るべきである…。

そう仰った際の代表の目には何か光るものがありました…。

そこに集ったみんな、本当にそうだと大きな拍手をいたしました。

これについては、以前、私もこういう投稿をしています。

それを紹介させていただきます。

……………………………………

谷口雅宣総裁、安倍首相は、歴代首相の中でそんなにヒドイ首相ですか? (1668)
日時:2016年05月30日 (月) 10時37分
名前:破邪顕正
表題は、講習会で、こんなことを言ったとの情報を耳にしたからです。

《安倍首相ほどヒドイ首相は今まで無かった!》

谷口雅宣総裁、日頃の「日時計主義」は何処に行ったのですか?

安倍首相にだけは、それは当てはまらないとでもいうのでしょうか。

でも、今回のG7、伊勢神宮を参拝されたことは、万教帰一の教えからしても、もっともっと評価されてもいいのではありませんか。

ここをG7の会場にして、伊勢参拝が行われたこと、これは安倍首相の功績とは思いませんか?

このことの大いなる意義を、所謂、「トキ」掲示板の“生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2”において、「アクエリアン」さんが素晴らしい投稿をしてくださっていますので、それを引かせていただきます。

これを読んで、ぜひ、安倍首相の功績に心を馳せていただければと思う次第です。

>4465 : アクエリアン 2016/05/29(日)

神宮表敬に際してのG7首脳の記帳について平成28年5月26日.26日午前、伊勢志摩サミットの開催に先立ち、伊勢神宮内宮(皇大神宮)を表敬され、G7各国首脳は今回の印象を次のように記されました。

■アメリカ バラック・オバマ大統領
原文:
It is a great honor to visit this sacred place, which has brought comfort and peace to generations.
May the people of the world be inspired to live together in harmony and understanding.
仮訳:
幾世にもわたり、癒しと安寧をもたらしてきた神聖なこの地を訪れることができ、非常に光栄に思います。世界中の人々が平和に、理解しあって共生できるようお祈りいたします。

■フランス フランソワ・オランド大統領
原文:
Dans ce haut lieu de spiritualité, où le Japon prend sa source, s'expriment les valeurs d'harmonie, de respect et de paix.
仮訳:
日本の源であり、調和、尊重、そして平和という価値観をもたらす、精神の崇高なる場所にて。

■ドイツ アンゲラ・メルケル首相
原文:
Im tiefen Respekt vor der engen Verbindung des japanischen Volkes mit seiner reichen Natur, die in diesem Schrein ihren Ausdruck findet.
Mögen Deutschland und Japan Hand in Hand dazu beitragen, die natürlichen Lebensgrundlagen unseres Planeten zu sichern.
仮訳:
ここ伊勢神宮に象徴される日本国民の豊かな自然との密接な結びつきに深い敬意を表します。
ドイツと日本が手を取り合い、地球上の自然の生存基盤の保全に貢献していくことを願います。

■イギリス デービッド・キャメロン首相
原文:
It is a great pleasure to visit this place of peace, tranquility and natural beauty as we gather in Ise Shima for Japan's G7, and to pay my respects as Prime Minister of the United Kingdom at the Ise Jingu.
仮訳:
日本でのG7のために伊勢志摩に集うに際し、平和と静謐、美しい自然のこの地を訪れ、英国首相として伊勢神宮で敬意を払うことを大変嬉しく思います。

■イタリア マッテオ・レンツィ首相
原文:
Grazie per la straordinaria accoglienza in questo luogo carico di storia e di suggestione. Che sia di buon auspicio per il Giappone che ci ospita e per tutti noi per costruire con piu' vigore le condizioni della crescita economica e della giustizia sociale, mantenendo viva la dignita' dell'uomo.
仮訳:
このような歴史に満ち示唆に富む場所ですばらしい歓待をいただきましてありがとうございます。主催国である日本と我々全員が、人間の尊厳を保ちながら、経済成長及び社会正義のための諸条件をより力強く構築できることを祈念します。

■カナダ ジャスティン・トルドー首相
原文:
Que l'harmonie de Ise Jingu renforce notre engagement à bâtir un avenir empreint de paix et de prosperité.
Let the harmony of Ise Jingu reflect our desire to build a prosperous and peaceful future.
仮訳:
伊勢神宮の調和に、繁栄と平和の未来を創るという我々の願いが映し出されますように。

■EU ドナルド・トゥスク欧州理事会議長
原文:
A place of peace and reflection. And a deep insight into Japan. Thank you!
仮訳:
静謐と思索の場。そして日本についての深い洞察。どうもありがとう!

■EU ジャン=クロード・ユンカー欧州委員会委員長
原文:
Je m'incline devant les traditions qui furent et les performances qui sont.
仮訳:
この地で目の当たりにした伝統と儀礼に敬意を表す。

〈ここ、この聖地において、私はすべての宗教の根元的な要素を感じる (1681)
日時:2016年05月30日 (月) 21時29分
名前:アクエリアン
破邪顕正さん、ご紹介、ありがとうございます。

タイム誌のアジア版に、「The Best of Asia 2009」という特集があり、「Best for the Soul」の一つに伊勢神宮が取り上げられています。
http://www.time.com/time/specials/packages/article/0,28804,1893324_1893306,00.html

イギリスの歴史家アーノルド・トインビーは若泉敬氏との対話「未来を生きる」の中で、伊勢神宮について、次のように述べています。

「神道の総本山である日本の伊勢神宮を訪れる時、私は、ここにこそ聖フランチェスコやワーズワースが、生命をよみがえらそうとした宗教の形が脈々と生き続けていると感じるのです。伊勢を訪れる人が感得する精神は、現代人が自然に加えた邪悪な暴力にたいして自然が復讐するのと思いとどませるために、現在、生きている世界中の人々が求めていかなければならない精神なのです。」

このトインビーの言葉などは、環境問題を第一義として取り組んでおられる現総裁にとって、安倍首相の悪口を言う時間があるなら、じっくりと解説するならば、さすが、法統継承者は違うな、と、高い評価を得られたと思うのですが、もったいないですね。

そして、有名な、トインビーが、伊勢神宮(内宮)を昭和42年11月24日に参拝した時に、記帳した言葉、

「Here, in this Holy Place, I feel the underlying units of all religions.」
「ここ、この聖地において、私はすべての宗教の根元的な要素を感じる。」

この言葉などは、破邪顕正 さんが、

>>でも、今回のG7、伊勢神宮を参拝されたことは、万教帰一の教えからしても、もっともっと評価されてもいいのではありませんか。<<

と、書かれているように、万教帰一を説く、生長の家の教えに照らし合わせて、今回の伊勢志摩サミットに因んで、じっくりと解説されたら、講習会に参加された方々に大いなる感銘を与えられたと思うですが・・・・。〉

…………………………………

この記事を読み直して、改めて安倍前首相に心から感謝申し上げたいと思った次第です。


昭和6年9月27日は松田巳代志初代南米教化総長が神戸港を出港した日でもあります (12659)
日時:2020年10月02日 (金) 18時03分
名前:謙信

昭和6年9月27日、「大調和の神示」が谷口雅春先生に天降ったまさにその日の晩、後年ブラジルはもとより中南米諸国に生長の家の人間神の子の真理大宣布の運動の先頭に立たれた初代南米教化総長 松田巳代志先生(当時20歳)が谷口雅春先生の住まわれる近くの神戸港から大阪商船「さんとす丸」に乗り、ブラジルに向けて出発された時でもあります。
 これは偶然ではなく、生長の家の大神様が松田先生にその将来の大使命を授けられた奇すしき日に違いないと思います。

 松田巳代志先生はその著『ブラジル伝道の半世紀』46-49頁に神戸出港のときのことを振り返っておられます。

「……神戸の山の手にあった移民収容所で一週間、身体検査や荷物の検査、その他いろいろ渡航上の教育を受けて、いよいよ九月二十七日午後、我々七百数十名の移民を運ぶ「さんとす丸」 は神戸の港を出帆することになった。雨が降って海も少し荒れているということで、出帆が気遣われていたが、予定通り出帆することになった。でもまだ小雨が降っていた。

 ドラが盛んに鳴り始め、「蛍の光」の音楽が哀調をおびて奏されると、船は静かに岸壁を離れ始めた。人々はいよいよ声を大きくして別れを惜しんでいる。次第にテープは切れて段々と船が沖へと離れて行く。私はただ一人上部甲板に立っていた。大粒の涙が次から次へと流れるばかりだった。
 故郷の山や畑や父や母、友達の事が走馬燈のように現れてくるばかりだった。そうい懐しい人々と村と、そうして祖国といよいよしばしの別れである、と思うとまた新しい涙がこみあげてくる。港外ヘ出ると海は少し荒れていたが、七百余の希望を乗せた「さんとす丸」は悠々と西の方ヘ速力を速めて波を切って行く。
 やがてタ闇が船の上にも迫まってきて、陸の電気の光がぼんやりと見えるようになった。あたりには誰一人もいなかった。私は船内の私の部屋に入って行った。

 この祖国解纜(かいらん)の日九月二十七日が、奇しくも我らの尊師谷口雅春先生が神戸住吉の地において「大調和の神示」を受けられた日であることも、今日になってみるとなにかしら深いゆかりが目に見えない世界にあるような気がするのである。」

 晩年教化総長を退任された松田先生は日本国内で巡講されたましたが、何カ所かお供させていただいたことがあります。
とても明るくあたかかく、そしていつも青年を愛され、励ましてくだされる心の大きな先生でした。
そして何よりも、谷口雅春先生を限りなくお慕いになっていらっしゃったことが強く心に残っています。そして日本を愛され天皇仰慕の心あつい先生でした。
 昭和天皇崩御の際も来日され、大喪の礼のお車列を街頭でお見送りなさいました。
松田先生有難うございました。

昭和46年、昭和天皇とニクソン大統領との会見も9月27日でした。 (12660)
日時:2020年10月03日 (土) 11時07分
名前:謙信

昭和 46年(1971年) 9 月 27 日、昭和天皇・良子(香淳)皇后両陛下にはヨーロッパ七か国訪問のため羽田国際空港を専用機で出発され、10 月 14日に帰国されました。18日間の海外ご訪問は、ご即位後初めて、しかも戦後初めての外国ご訪問でした。
天皇陛下は当時70 歳、皇后陛下は68 歳でいらっしゃいました。

 9月27日(米現地時間26日)、給油のためにアメリカのアラスカ州のアンカレッジに一時立ち寄られた際、昭和天皇はお出迎えに駆けつけたニクソン大統領とご面会になり、敗戦後、米国より寄せられた復興のための援助に対して謝意を述べられ、日米の友好を強調されました。
 (12657)の書き込みで破邪顕正様は、「大調和の神示」が天降った日と月日が同じ、昭和20年9月27日は、昭和天皇がマッカーサー元帥に極秘裏に訪問会談なされた日であると記されました。
 陛下は「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」旨お伝えになりました。
 その後のガリオア・エロア資金などの米国からの膨大な資金援助に加えて、様々の国際NGOからの救援物資や食糧援助は、すべてこの昭和天皇が一身を賭してマッカーサーに直接訴えられた国民救済の大御心から始まったと言えるでしょう。

 昭和天皇は、マッカーサー元帥との面会から26年後の同日、ニクソン大統領との会見の際に救援への謝意を表されましたが、いずれも9月27日という日は、昭和天皇陛下によって「大調和の神示」の精神が恢弘された日であると思わずにいられません。

 欧州訪問国の王室や政府から歓待を受け、行く先々で大勢の人に出迎えられた反面、それとは対照的に、第二次世界大戦中の捕虜の扱いをめぐって反日感情が根強かったオランダでは、天皇陛下がお乗りになった車に摩法瓶が投げつけられるなど、訪問反対や戦争責任を追及する抗議行動に遭遇されるということがありました。

歓迎と抗議の両方を経験された天皇陛下は、羽田空港到着後、次のように振り返られました。
「このたびの旅行は関係諸国の友好親善のため意義深いものがあったと思います。……五十年ぶりに思い出の多い地を訪れたこともまことに感慨深いものがありました。……この旅行を省みるとき、真に国際親善の実をあげ、国際平和に寄与するためには、なお一層の努力を要することを痛感しました」

 戦後初の海外ご訪問、ニクソン大統領との会見において、天皇陛下の大和の大御心があらわされ、日米友好・親善の道に向かう基礎を開いてくださった昭和天皇の御聖徳に深甚なる感謝を捧げます。



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